#94 不名誉の負傷

(一矢一殺……凄まじいの一言でございます)


 風を纏わせ、壁に向かって一直線に伸びる矢は一つまた一つと敵の頭蓋を的確に撃ち抜いてゆく。


 シュン―――バンッ!


 撃ち出した矢は既に三百を超えている。


 俺は八つ目の矢筒を収納魔法スクエアガーデンから取り出して傍らに置き、息する間もなく次々と番えては放っていった。


 足元ではマーサさんが『キーキー』とやかましいローグバットに短剣を投げつけて撃墜し、家に静寂をもたらしてくれる。母上に魔物の鳴き声なんぞ聞かせたくなかったので視線を送って感謝しておいた。



 バオ゛ォォォォォッ―――



 それとほぼ同時に前線から聞こえる魔獣の雄たけび。


 俺とマーサさんはすぐに壁で視線を遮られた前線に意識をやり、頭を出したブラッドウルフを撃ち抜きつつ遠視魔法の先を伝える。


「三獣が出ました。赤大爪熊レッドアルクです」


 ジンがごく自然に発動している探知魔法サーチの上位魔法である遠視魔法ディヴィジョン


 魔力反応の発生源とその強弱だけでなく、魔力の形、すなわちそれが人間のモノなのか魔物のモノなのか、あるいは魔獣のモノなのかを見極めることが出来る。


 その者の背格好や魔力量を覚えてしまえば個人すら判別出来てしまうという、使い方次第で無数の戦術を可能にし、斥候として飛躍するには必須の魔法である。


 とはいえ探知魔法はまだしも遠視魔法に至る者はごく限られてくるのだが、マーサはコーデリアという、同じく強力な探知系魔法使いに仕えているという立場からその性能に驚きは少ない。


 だが、主と同じ次元で的確に強獣の出現を予見できるという事が、この戦局においていかに有利かを改めて思い知らされていた。


「ここまで来ますでしょうか」


「いいえ。父上が止めるでしょう……意地でも」


 父上なら母上がいるここまで来させることは絶対にしない。


 立場が逆なら、俺も絶対に通さない。


 ここへ来て初めて弓を下げ、俺は中空に手をかざす。


「その代わり、左、中央から突破してくる魔物が増えるはずです。まずはこの波を凌ぎます」


「私はいかがいたしましょう―――っ!?」


 魔力を練っているのだろうか、木箱の上に立つジンを中心に風雪が吹き、直下にいるマーサに冷気が降り注ぐ。


「魔力を使い過ぎぬよう威力を落とします。雑魚はこれで一掃できますが、おそらく耐える輩もいるでしょう。マーサさんにはそ奴の止めをお願いしたい」


「御意」


 そして予見通りに騒々しい無数の鳴き声が壁向こうに迫り、次々と魔物が顔を出す。


 ファイヤーラビットの大群を中心にアーマースケルトン、オーク、ストーンバジリスクといった低級の魔物の中に、灰殻蠍アッシュスコーピオン狂粘酸蛙バーサクトードといった魔獣がちらほらと、果ては黒焦げになってもなお向かって来る邪悪樹エビルプラントが蠢いている。


(誰かの火炎でも食らったのか?……まぁいい、ここで砕けろ)


 押し寄せる魔物に向かい、魔力を解放した。


「―――嵐雪氷針ホワイトストーム


 ゴォォォォォォッ!


 突如発生した吹き荒れる氷針の嵐にマーサさんは目を細め、渦巻く風の中で魔物らは次々と氷針の餌食となって断末魔は風に巻かれて立ち消えてゆく。


 村の中で火魔法は使いたくないので氷魔法と風魔法を使ったが、思いの他効果は高かったようで、嵐が止むと目の前にはすべての魔物が核を残して消えており、魔獣の死骸があちこちに横たわっている。


 だがその中あって一体、未だ蠢く黒い影。


 スルト村周辺ではまず見かけないその魔獣に俺は目を見張った。


「なんだあ奴は」


 その見たことの無い魔獣に対し俺は夜桜に手を伸ばすが、それより先に歩を進めたのはマーサさんである。


「あれは北西部に生息する石炭百足ガスロプレウラです。突然土中から現れては多くの領民の命を奪っている憎き魔獣でございます」


 氷針をものともしなかった黒光りする甲殻、無数の脚がうごめくその様に怖気立ちそうなものだが、彼女は躊躇うことなく前に出た。


 なぜ他所の魔獣がこんなところにいるのか甚だ疑問だったが、理由が分かったところで対処することに変わりはない。


 おぞましいムカデは相手を知っているであろう彼女に任せ、俺は後続に専念したが戦局は安定するだろう。


 さらに氷針の嵐を生き残った敵を排除しようとするマーサさんの姿に、俺は指示とは別に何かしら因縁めいたものを感じた。


「頼みます」


 倒せる倒せないではない。


 自分が倒すのだと、そう言っているように見えた。


 俺は引き続き壁を登って来る魔物らに対し矢を番え、氷針を展開する。



 ◇



「やっぱりすげぇっ、シリュウすげぇっ!」


 ギュッと木剣を握りしめ、シリュウの後方に隠れてその戦いに羨望の眼差しを贈っている少年。


 守り手や駐屯隊に見つからぬよう、隠れながら右往左往していた彼がたどり着いた先がシリュウの戦場である。


 なぜここだけ周りに人がいないのか不思議だったが、この戦いっぷりを目にすれば幼い彼でも一目瞭然だった。


 鎖の先端が目に見えない速度で振り回され、木ごと魔物を粉砕するという圧倒的な力で無双するシリュウに後続は不要という事なんだろう。


 だが、今にも前に出て自分も魔物を倒してやろうと興奮する少年とは対照的に、傍らでその裾を精一杯引くハナは涙ぐんでいた。


「カッちゃんだめだよ、はやくみんなのところもどろ? あぶないよっ」


「うるさいな、かってについてきたくせにめーれーするなよ! もどりたきゃ一人でもどれ!」


「め、めいれいなんてそんな……あっ!」


 カッツェは掴まれていた裾を強引に引っ張り、追いやられるように肩を押されたハナが後ろに倒れる。


 普段カッツェはハナに対してそこまで粗暴ではないが、彼は目の前の英雄に夢中になっていた。


 ところどころ修繕された服についた土を払うことなく立ち上がり、それでもハナはカッツェの傍を離れようとはしない。


 幼い頃母親を魔物に殺され、失意の中で魔球班病を患った父と共にやってきたスルト村。


 その父もやがて鬼籍に入り、悲しみの中、泣きじゃくるしか出来なかったあの頃。


 両親を亡くしたことにより暗闇の中にいたハナの下に、持ち前の元気さと放胆さで毎日声をかけてきたのがカッツェだった。


『ムカつくからめそめそするな! おれもかーちゃんまっ黒になってしんだけど、ぜったい泣かないぜ! 泣いてもおまえのとーちゃん生き返らねーし、なら笑ったほうがぜったいいいって!』


 聖地という場所柄、他所の街村からの捨て子も孤児院にはいたが、自意識が芽生えてから入院したのはカッツェとハナの二人だけ。


 ほぼ自分と同じ境遇にありながら明るく元気に生きる彼と共に過ごすうち、いつの間にか血は繋がらずともハナにとってカッツェはたった一人の家族となっていた。


「くぅぅぅっ! アレなんていうぶきかな? 剣のほうがかっこいいけど、あれもすげーっ!」


「カッちゃん……ひっ!」


 シリュウの鎖針球により千切れた魔物の頭がごろりと目の前に転がり、つい視線を合わせてしまったハナ。


 ギュッと目を瞑ったあと恐る恐る目を開けると、既に魔物の頭は核を残して消えていた。


 まずはホッと胸を撫でおろしたい所だが、母親が魔物に殺されたというトラウマは今なお少女の心を蝕む恐怖でしかない。


 力なくその場にへたり込んでしまったそんなハナを尻目に、魔物の消えゆく様はカッツェの闘争心にこれでもかと火をつけた。


「ハナ、うごけないんだったらそこでまってろ! おれがまもの倒してきてやるからよ!」


「やめて……やめて……っ!」


 そして一方のシリュウ。


 後ろに人間が二人いる事に気付いていた。気づいてはいたのだが、今は気軽に声をかけられるほど暇ではない。


 次から次に現れる魔物に対し、距離、高度を調整しながら鎖針球を操り続けるには相当な集中力を要する。


 しかもただ敵との力比べに勤しんでいたこれまでとは異なり、ジンの力を貸してほしいという頼み、一匹たりとも通さないというコーデリアとの約束は気づかぬ間に重圧となっていた。


(うでも足もおもい……もしかしてシィは……)


 これ程の数の敵を一人で迎え撃つのは初めてだったが、強獣強魔を相手取っている訳ではなく、ただ雑魚を蹴散らし続ける作業のはず。


 ふと生まれた良からぬ想像にブンブンと頭を振り、戦いを糧として生きてきた彼女はそんなはずはないと自身に言い聞かせるように叫んだ。


「ちがう! シィがビビるとかありえない!」


 ドゴォッ!


 弱気な事を考えてしまった自分に腹を立て、シリュウは遠心力に加えて力任せに鎖を振った。


 先端の鉄球がうなりを上げて太い幹ごとオーク三体を粉砕するが、そのおかげで軌道がズレた鉄球がたまたま頭上を越え、一匹のゴブリンがシリュウの脇を抜けてゆく。


「チビみどりのぶんざいでっ―――」


 瞬間、手ずから葬ろうと左手に浮かべた火球。


 だが、シリュウは自身の炎が森に多大な被害を与えかねないと思い直し、火球を握りしめて霧散させた。


(兄様も里長も、里のちかくで火ぃ使っちゃだめっていってた!)


 竜人の炎は消えにくく、一度森に火を放ってしまえば最悪広大な範囲を焼き尽くしてしまうとの教えが脳裏をよぎる。


 今霧散させた火球にそれほどの火力は無いのだが、炎を使う事自体に抵抗を覚えてしまったシリュウの戦力が半減した瞬間である。


 ドレイクの街に居たあの時、長大なライン戦線、魔境サントル大樹海近辺の森で全く気を使うことなく炎を行使しまくっていた彼女も、こと師匠の故郷であるスルト村の森を焼いてしまう事はできなかった。


「むぎーっ! まもるってむずかしいっ!!」


 戦う事自体が目的である戦いと、守る為の手段としての戦いの違いを思い知らされ、腕と脚が思うように動かない原因の一端に触れたシリュウだったが、そうこうしているうちにゴブリン一匹は駆けてゆく。


 遠距離攻撃はできないが見逃すなど以ての外。


 その背を切り裂いてやろうと一歩足を踏み出した瞬間目に飛び込んだのは、一人の少年だった。


「うおぉぉぉぉっ! おれがたおす!」


「カツ!?」


 自身の後ろに隠れていたのがカッツェだと知ったシリュウは、木剣を手にゴブリンに立ち向かう少年の気概を迷いなく買い、振り返ることなく意識を前に向けた。


 勢いそのままにゴブリンに木剣を振りかぶるカッツェ。


 ゴブリンも粗悪な短い棍棒を手に、進路をふさぐ自身と変わらぬ背丈の少年に向かって奇声を上げる。


『ゲヒャヒャ!』


 ゴン!


 木と木がぶつかる鈍い音を立て、カッツェの手に斬り結んだ衝撃が伝わって来る。


 初めて魔物と相対した少年は、えも言えぬ高揚感に恐怖の一切が塗りつぶされていた。


「(やれる!)どぉりゃぁぁっ!!」


『ゲゲッ!?』


 虚空を相手に数えきれないほど木剣を振って来たカッツェにとって、今まさに飛躍の時。


 何をどうしたのか分からないまま夢中で剣を振り続け、気づけばゴブリンは地に打ち伏せられ、ピクリとも動かなくなっていた。


 それを見た少年は息を切らせながら震える拳を握りしめ、夜空に向かって雄たけびを上げる。


「たおした……ははっ、おれがまものをたおしたんだっ! 見たかハナっ!」


 拳を突き上げ、地に伏した相手に背を向ける行為は勝者にこそ許される。


 だが、喜び勇むカッツェは知らなかった。


 魔物は死すれば消えることを。


 そして足元のゴブリンは未だ消えていなかった。


「カッちゃん! うしろっ!」



 ドスッ



「……は?」


 振り返ると同時に走る腹部の激痛。


『ンゲゲ』


 ギョロリと目を剥いて口から悪臭を放ち、目の前にいる倒したはずのゴブリンの手には尖った石が握られていた。


 石の先端は腹部にめり込んでおり、カッツェは自身が刺されたことをようやく理解した。


「う゛っ……」


 力なく膝を突いたカッツェは自身の油断を嘆くことも出来ず、あまりの痛みにその場にうずくまる。


 そんなカッツェにゴブリンは仕返しだと言わんばかりに何発もの足蹴を食らわせ、そのうち仰向けに倒れたカッツェの肩口に噛みついた。


『ギシシッ!!』


「ぎゃぁぁぁぁっ!!」


「いやぁぁぁっ! カッちゃん、カッちゃん!!」


 カッツェはたまらず悲鳴を上げ、獰猛な魔物に殺されようとしている家族を見てハナは発狂しそうなほどの恐怖を植え付けられた。


 立ち上がって逃げることも出来ない、かといって助けを呼ぼうにも周りに誰もいない。


 当然、自分が魔物に立ち向かえるわけもなく。


 前方で戦っているシリュウだけがカッツェを助けられるはずだが、大量の魔物を相手取る『さいきょーの竜』に声は届かなかった。


 そして悪夢は続く。


 とうとう気を失ってしまったカッツェの肩口を食いちぎり、ゴブリンの次なる餌は最も近くにいるハナだった。


「は……ぅ……ぃ、や……」


 もはや声すら満足に出せない。


(でも、どうせしぬならカッちゃんといっしょに―――)


 ハナは役に立たない脚の事は忘れてズリズリとカッツェの下へ這い、気を失って仰向けに倒れる家族に覆いかぶさった。


『ゲヒャヒャ』


 下卑た声を上げ、這いずる人間を見下ろすゴブリン。


 だが、もう飽きたと言わんばかりに口を開けて勢いよくハナに噛みつこうとした矢先。


 緑の悪魔は頭を掴まれてぶらりと宙に浮かされ、まるでつまみ上げられた虫の様に手足をバタバタとさせながら死刑宣告を受けた。


「おいこらチビみどり。カツはいいけど、チビおんな人間はだめだ」


『ギヒ―――』


 グシャッ


「……?」


 死を覚悟したハナの側に、ドサリと頭の無いゴブリンの身体が落ちてくる。


 その様に先ほどと同様に悲鳴を上げてもおかしくはなかったが、ハナはそうせず、消えゆくゴブリンの魔力光がはじけるのと同時にゆっくりと顔を上げた。


「しりゅ、おね……ちゃ……」


「ん、なんだ? おねちゃ?」


「シリュウ……おねぇちゃん」


「だからなんだ。おねーちゃんってなんだ」


「シリュウおねえちゃん!」


「のわっ!」


「シリュウおねえちゃん、カッちゃんが、カッちゃんが……うわぁぁぁんっ!」


 足腰立たないハナに突然脚にしがみつかれ、シリュウは忙しいにも関わらずなぜか少女を引き剝がすことが出来なかった。


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