#93 相まみえる怪物

 音もなく一撃で敵を穿つコーデリアの細剣レイピア


 低い風切り音を鳴らし、豪速の円環に入った敵を爆散させるシリュウの鎖針球チェーンスフィラ


 中央に陣取ったロンもまた、冒険者時代からの長剣ロングソードを手に大車輪の活躍を見せていた。


 だが、終わりの見えない群れの果ては誰にも予想することは出来ない。


 広い探知範囲を持つコーデリアもその終端を捉えることが出来ず、ならば探っていても意味はないと探知魔法サーチの魔力を強化魔法に回し、魔力の温存に切り替えていた。


 気合の声を上げるにはまだ早い、そう言わんばかりに三人はただひたすらに無言のまま向かって来る敵を屠り続けている。


 そんな中、ロンとコーデリアの中に一つの疑問、ここでは違和感の方がふさわしいか、このスタンピードの異常さが脳裏をよぎっていた。


(魔獣の数が多すぎる)


(スタンピードは魔物特有の現象のはず。獣までいるとなると事は単純ではなさそうですね)


 魔物大行進スタンピードはその名の通り、魔物の行進である。


 ある空間に存在する高密度の魔素が次々と新たな魔物を生み出し、空間の魔素を使い果たした結果、生まれた魔物が自らを構成する魔素を求めて一斉に動き出すという現象である。


 魔物が人間もしくは亜人を無条件に襲う理由として、より大きく濃密な魔力を有するからといわれているが、それはあくまで魔物の特徴である。


 魔物のような現象ではなく生物である魔獣がここに混ざる理由として、魔物に縄張りを追われたと考えることも出来るが、それも割合としては少数。


 数もさることながら、まるで同じ意志を持って襲い掛かって来るこの状況はスタンピードという異常の中にあって異常と言わざるを得なかった。


 全てを薙ぎ払っているシリュウには考える必要のないことだが、ロンとコーデリアにとってこの違いは殊更に大きい。


 どんなに強い魔物も核を破壊さえすれば消せるが、魔獣は殺すという作業が必要になる。


 また、スタンピードはその場に留まらないというものがあり、魔物は障害には目もくれずに最も人の集まる場所に向かって行くという特性がある。


 このことは掃討戦においては剛剣士パンドラスであるロンはまだしも、特に細剣使いで柔剣士レウィスであるコーデリアにとっては大いに不利に働く。


 ロンもその事には気づいており、止めに二手三手と要する魔獣が現れた場合、手を出さずに後ろの攻撃隊に任せるという判断もしていかなければならなくなる。


 序盤である今は気力も体力も満ちているので力任せに対処もできてしまうが、戦いが長引けば長引くほど取捨選択をする余裕すら無くなる可能性が高い。


 仮にそうなって時間を掛け過ぎた結果、瞬く間に波に飲まれて前線は崩壊するだろう。


《 コーデリア 》


《 忙しいので手短に 》


 攻撃の律動を崩さぬよう、ロンは剣を振るいながらコーデリアに通信魔法を飛ばす。


 まだ若干の余裕がある今だからこそ、やっておかなければならない確認だろう。


《 獣が多すぎる。無理に対処しなくていい、後ろの旦那に丸投げしちまえ。このままじゃ持たねぇぞ 》


《 わかっていますがそうもいかないでしょう。先も見えない、ドイル殿の限界も分からない。可能な限り私が対処しなければジンの願いが叶いません。ですので―― 》


『ビョーロロロ!』


「五月蠅いですよ」


 ヒュカッ!


『ビッ……』


 コーデリアは猛る魔獣毒怪鳥コカトリスの首を跳躍して一閃の下に斬り離し、着地と同時にブラッドウルフ三体を薙ぎ払いながら宣言した。


《 今の私に限界などありません 》


 ロンは催眠効果のある吐息を吐きながら迫るインプを串刺しにし、そのまま続けて同種五体を剣の重りに変える。


『ギ……』


 そして刺さったインプが消えるのに合わせて口角を上げた。


《 ふっ、だよな 》


《 説得しないのですか? 》


《 まさか。それが聞きたかっただけだ 》


《 なんでしょう……十八年前の暴角牛ローグバイソンを思い出しました 》


《 いい思い出じゃないか 》


《 変わりませんね。ほら、下らない事仰るから大物がそちらに行きましたよ 》


《 ちっ……早速お出ましか 》


《 健闘を祈ります 》



『バオ゛ォォォォォッ!!』



 さしものロンも、立ちはだかる赤き巨熊を前にして掃討の手を止めた。


 コーデリアとの通信魔法がプツリと途切れると同時にロンの前に躍り出たのは、ブカの森最強の一角、赤大爪熊レッドアルク


 これを見たフェルズはすぐさま危険度の均衡を図るべく、攻撃隊に指示を飛ばした。


「中央前方に三獣! 左から二十人中央へ! カタがつくまで全員持ちこたえろ!」


 ―――おうっ!


 すばやくコーデリアの後ろにいた二十人が中央攻撃隊に加わり、ロンが見逃した魔物を相手取る。


 つまりフェルズはロンの抜けた穴を埋めつつ、右と中央を同等の戦力にするには二十人必要だと判断したわけだが、当然元の戦力が維持される訳ではない。


 同時に防柵を破壊、あるいは飛び越える魔物が一気に増える結果となるが、フェルズは追うなと指示した上で引き続き戦線の維持に努めた。


「まさかこいつと一対一サシでやる日が来るなんてな……」


 ロンは盾を身構え、この火を噴く巨獣の攻撃に備える。


 ただ戦って勝つだけでは不足。


 この後も戦いは続く。後衛に下がって治療すら受ける暇がない状況下では、相手が誰であろうがこの序盤では傷一つ負わないことが絶対条件だった。


 ゴポ ゴポポポ―――


 後ろ足で立ち上がって牙の間から漏らす火は、この魔獣の威嚇の合図でもある。


「来いっ!!」


 ドパッ!


 一歩も引こうとない敵に目がけて赤大爪熊の口から火炎がほとばしり、かがり火が意味をなさない赤光が周囲を照らす。


 これに対しロンは盾を強化し、攻防一体の盾突撃シールドチャージで応戦した。


 矮小な人間など一飲みにするはずの火炎。


 赤大爪熊はブカの森に君臨する一角であり、これまで縄張り争いを繰り広げてきた魔物や魔獣も自身最大の武器である大爪を振るうまでもなくこの火炎で焼き尽くしてきた。


 この魔獣に自意識というものがあるのだとしたら、炎を吐くと同時に前のめりになった姿勢のまま前脚を地に着き、目の前に居た人間を自身の炎が覆った瞬間に勝利を確信したのかもしれない。


 だが高温ながら質量を持たない炎は、ロンの盾の突進力の前に爆散した。


 そして四散した炎は周囲にいた魔物に飛び火して、火に弱い昆虫魔獣を中心に燃え盛る。


 ロンは突進力を維持したまま、赤大爪熊の顔面に盾を突き出した。


「ふんっ!」


 ドガッ!


『ファボォォォーッ!』


 鼻先に強打を浴びせられた赤大爪熊は驚いて再度立ち上がり、激痛から我を忘れて大爪を振り回して暴れ出す。


「っと、弱点だったか。やっちまったな」


 ロンは激痛に怒り狂う赤大爪熊を前に息を飲む。


 そして最悪の予想どおりに、やみくもに暴れ出した赤大爪熊は後ろの攻撃隊を脅かそうとしていた。


「いかせるかっ」


 ザシュ!


 その背に長剣を振り下ろし、再度意識をこちらに向けようと試みるが、極太の毛と分厚い皮膚は肉をかすめる程度で有効打にはならなかった。


「くそっ! まだかっ!」


 歯噛みするロンは何とか暴走を止めようと脚を中心に再三剣を振るうが、斬られたことに対する怒りでその暴れっぷりは激化する一方。


 すでに持ち場からかなり離れつつある状況も相まって、やりたくない選択肢が脳裏をよぎった。


「き、きたぞっ! フェルズさん!」


「っく!(どうする、これを行かせるのか!?)」


 赤大爪熊の炎に耐性を持っていた多数のファイヤーラビットが防柵を飛び越えていく中、フェルズは左右に迫った二匹に短剣と拳を振り下ろしつつ刹那逡巡する。


 中央にロン以外に赤大爪熊を単独で討伐できる者はいないとはいえ、人数を使えば何とか倒せる可能性は高い。


 だがその場合、多数の怪我人が出ることは避けられない上に最悪死人が出る可能性すらある。


 そして大将であるロンがそれを良しとしないと事前に言っていた以上、指示を受けるフェルズたちは大いなる凡戦を続けること以外にないのだ。


 その凡戦すら難しいのに、B級の魔獣を相手取ることは現実的ではなかった。


 戦力を中央に移された左も中央と同様に戦いは激化しており、その分防柵を超える魔物は増加の一途をたどっているのだ。


 それは、この作戦の要となっている人物に途轍もない負担がかかっている事を意味する。


(だめだっ、こいつは行かせるしかない!)


「全員手を出すな! 持ち場を―――」


「フェルズーっ!!」


「っ!?」


 ガギャッ!


「ぐっ!」


「ロンさんっ!」


 思考と決断、仲間への指示を下そうとしたフェルズに振り下ろされた赤大爪熊の暴爪。


 炎と巨躯ばかりに目が行くが、この速度も赤大爪熊が原種である大爪熊アルクドゥスを大きく上回る戦闘力を有する所以だった。


 警告と同時に何とかフェルズとの間に滑り込んだロンだったが、初撃で盾は叩き落され、続けて繰り出された薙ぎ払いに剣と共に吹き飛ばされた。


 猛攻撃を受けたロンにすぐさま補助隊員が駆け寄り、フェルズは自分が原因となってしまった事について考えることはしない。


 まずはこの窮地をどう乗り切るか、それが最優先だ。


「許さんっ。刺し違えてでもここで殺す」


 ロンの長剣が届かないのなら、自分の短剣など絶対に届かない。


 だが、ここで人数を頼りにしてはさらに被害が増えることになる。


 フェルズは覚悟を決めて強化魔法を全開にし、短剣を強く握りしめた。



 ……―――



「全隊凡戦を続けて敵を削りつつ後ろに送って下さい。その代わり、お二人には血反吐を吐いて頂く事になりますが」


「ん、まぁ、そのくらい屁でもないが……」


「防衛線の維持が最優先ということですか」


「いかにも。私とてそこまで傲慢ではありません。本音を言えば前で半数は削って頂けると助かるのですが、贅沢はいいません」


「いや……それ十分に傲慢だろ」


 ジンが前線に要望した簡単な作戦。


 敵を前で削りつつ、抜けた敵は追うことなく見逃して次に相対するというもの。


 スタンピードの特徴でもある、ただただ目的地まで前進してくるという魔物の流れに無理に逆らうことはせず、逆にその特性を利用してやろうというものだった。


 前線が討ち漏らした魔物は自分が相手取り、その全てを撃破するという宣言にロンは呆れを通り越して笑ってしまった。


 たしかに誰一人死なず、皆が生き残るには誰かの阿修羅の如き働きが必要になる。


 率先してそれが自分であると言ったジンは簡単に放った言葉とは裏腹に、本気も本気。目がそう語っていた。


(デカくなりやがって)


「わかった、それで行こう。半数と言わず八割方やってやるよ」



 ……―――



(くくっ……血反吐ってやつ、吐いてやるよ)


 ロンは補助隊員の手を制し、一人立ち上がる。


 暴爪を受けた剣に異常はないが、肉に届かなければ意味がない。


 傷を与えるだけ与えて相手が疲弊したところを討つのは可能だが、それでは時間がかかる。


 あれだけ大見得を切ったにも関わらず三獣をジンの元に行かせるのは矜持が許さないし、何より妻の間近にこんな狂獣を行かせるのは我慢ならなかった。


「フェルズ下がれ! 俺が最後まで相手をする!」


 健在であることを猛々しく叫び、死兵と化しかけていたフェルズの意識を引っ張った。


 ロンはコクリと頷いたフェルズと素早く入れ替わり、盾を拾わずに切先に意識を集中する。


 防御を捨て、攻撃に専念する。


 それでもこの巨熊を早々に倒すことが出来るかどうかは運次第だったが、狙うべき弱点の鼻、そしてその直下の首には極太の手と大爪。


(頭もいいと来たか……)


 立ち上がった赤大爪熊が弱点を覆うように顔の左右に両手を上げ、その大爪をギラつかせる様にロンは小さく舌打ちした。


 スタンピードにあって魔獣が戦う気になっている事自体がおかしい事ではある。


 だがそんなことを気にしても仕方がないと、長期戦も視野に入れざるを得ないと諦めかけたその時、待ちに待った声がロンに届く。


「「「ロンさんっ!」」」


 声は三つ。


 どうやら三人がかりで運んで来たらしく、ようやく届いた決戦武器にロンの口角が上がった。


「これでも食ってろ!」


 ドシュッ!


 そんな事情はお構いなしに赤大爪熊の口から炎が漏れるのを見たロンは手に持つ長剣を全力で投げつけ、声の下へ飛び退く。


『バッハーッ!!』


 開かれた大口に鋭く飛び込んだ剣は赤大爪熊の喉に突き刺さり、火炎の発射は止められた。


 だが、それも喉に刺さる小骨程度だと言わんばかりに赤大爪熊は爪先を鍔に器用に引っ掛けて引き抜き、またしても火炎を放たんと器官を震わせる。


 その隙にロンはキースが持つ一振り、そしてソグンとエイルが持つもう一振りをそれぞれ握りしめた。


「遅くなってすみません!」


「行けっ」


 キースの謝罪に応えることなくロンが即座に指示を出すと、フェルズの声でキースは左、ソグンとエイルは中央の乱戦場に飛び込んだ。


 そして両手に剣の柄を握ったまま、ロンはこの戦いで初めて全身を強化魔法で覆う。


(これやるとしばらく動けねーんだが……まぁ、仕方ねーな)


「むんっ!!」


 ビキビキビキッ!


 強化魔法に加え、力むと同時にロンの全身の筋肉が膨れ上がる。


 速度を半減させて力に極振りした、およそ均整が取れているとは言い難い戦闘形態だが、両手にある剣は人一人が引きずってやっと運べるという規格外の剣である。


 ここまで強化しなければ浮かす事さえ満足にできず、ましてやそれを武器として振るうという荒業など出来るはずも無い。


 十八年前、神獣ロードフェニクスとの誓いを守る為に対巨獣、巨魔用に当時スルト村ただ一人の鍛冶師だったアンテロッダに頼み込み、構想から三年の歳月をかけて打上げた、その名も巨人剣タイタンソード


 この剣を扱えるのはロンのみで、その完成を見た当時のマイルズ騎士団長、同じく剛剣士パンドラスで大剣使いのボルツでさえその機能性を疑ったほどだ。


 こんなものを扱えるわけがないと、打ったアンテロッダ本人すら自戒の意味も込めて笑っていた。


 だが、ロンの身長の優に二倍以上あるその剣が宙に浮き、引きずられた折に付いた砂塵がパラパラと落ちる様を見て、中央の攻撃隊、とりわけ守り手の全員が息を飲んだ。



 ―――ロンさんの本気だ



 息子相手に本気になったロンを見た事があるベテランもいるにはいる。だが、魔物、魔獣相手に本気で戦うロンは誰も見たことが無かった。


 元Aランク冒険者、ロン・リカルド。


 冒険者を引退して二十五年の歳月が過ぎ去っていた。


「さぁ、やろうか。格下」


 相まみえる怪物。



 ズドンッ―――



 誰もが声援を贈る余裕がない中、それぞれが目の前の魔物を倒し、間隙を縫って見た視線の先。


 三獣、赤大爪熊は断末魔を上げる間もなく肉塊に変わっていた。



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