#92 開戦
「きぇーっ! この神聖な場所に土足で踏み込む魔物どもめ! ワシが思い知らせちゃる!」
「お、おばあちゃん待って待って! あたしたちが代わりに思い知らせるから! お願いだから早く避難してっ」
既にこんなやり取りを十回以上はしてきている。
鍬を抱えていきり立つ農夫、額に血管を浮かべて鋸を握りしめる大工、極細の手縫い糸を持ち、ゴブリン程度の首なら落とせると豪語する仕立屋の女将など。
想定されていたごく一部の命令違反者たちをソグンとエイルが必死に説得して回っていた。
彼らも村を思うからこその行動でそこに悪意などないのだが、やはり戦いを主とする守り手、騎士らにしてみれば彼らはお荷物以外の何者でもないのが正直なところだろう。
杖を振りかざしてあらぬ方向へ走り出した老婆をエイルは必死になだめるが、目の色を変えた老婆は一切聞く耳を持たなかった。
「ここは神の子がおわす村ぞ! ワシらがお守りせにゃならんのじゃ!」
(神の子? 一体なに言って……って違う違う! 気にしてる場合じゃない!)
「わかったから! 早く避難してくれないと、その……神の子? に言いつけるよ!?」
「むっ!? そりゃいかん……無体なこと言うのぉ。貰い手がおらんようになっても知らんぞぇ」
「はいはい……って、うるさーい! どうせあたしはガサツですよ! ほら行って行って!」
何とか機転を利かせてようやく避難し始めた老婆の背にため息をつき、エイルはもうこの一帯に人がいない事を
そうこうしているうちにソグンも合流し、同様に逃げ遅れは無いと伝えた。
「言ってた二人避難してもらったよ! こっちはもう大丈夫! って……どうしたの?」
「……絶対いるもん」
「え?」
「なんでもない!」
戦う前に思わぬ被害を被ったエイルは気を取りなおし、訳も分からず怒鳴られたソグンはいつもの事だと華麗に受け流した。
エイルはフェルズから言われた通りに仕上げとして最大範囲で探知魔法を展開し、村人が避難している東、防衛隊が集結する西に魔力反応が分かれている事を確認。
逃げ遅れている者はいないとソグンに頷き、二人が駆け出したその時。
「い、いやぁーっ!!」
突然エイルは悲鳴を上げて膝を折った。
「今度は何……っ!?」
何事かと振り返り、ソグンはさすがに苛立ちを覚えたが、エイルの頭を抱えて震えるその様は先ほどの癇癪とは訳が違った。
「うそよ……こんなの……こんなのって……」
明らかに様子のおかしいエイルにソグンはすぐに声をかけられなかったが、怯える原因は察するに余りある。
エイルの探知魔法に未だかつてない数の魔力反応が掛かったのだ。
方角は西。皆が勢ぞろいする最前線。
その反応は勇むエイルの膝を折るのに十分な脅威であり、一瞬で深い恐怖を刻み込んだ。
いつも勝気な彼女が魔力反応だけで絶望しかけているその様はソグンにも恐怖を伝播させ、彼の全身に走った悪寒は震えをもたらす。
(だめだだめだだめだ! 視てもいない僕が震えてどうするんだ! エイルの探知に掛かったのなら魔物はすぐそこまで来ているんだぞ!)
「探知魔法を解除するんだ! 避難はもう終わってる!」
ソグンはしゃがんでエイルの肩に手を置いてまずは対処を試みるが、反応は芳しくない。
感じる震えが自分のものなのかエイルのものなのか分からないまま、ソグンの焦りは募っていった。
「エイ―――」
どうすべきか思いつかぬまま、とにかく動かねばと名を呼びかけたその時、遠く子供の声が聞こえた気がした。
初めは空耳だと思ったが、逃げ遅れがいるのかもと立ち上がるとなんとこちらに二人の子供が駆け寄って来ていた。
よく孤児院に出入りしている見覚えのあるその顔を見るや、ソグンの脳裏にある事態が浮かび上がる。
「ソーにいちゃん、イルねえちゃん、やっと見つけた!」
こちらもこちらで泣きそうな顔をしている。
必死に守り手を探していたのか、そもそもなぜここにいるのかを聞きたいところだったが、今はこの子達の話が優先される。
「カッツェとハナがいないんだ! どうしよう!」
「あいつぜったいまもののところに行ってる! ハナもついていったんだ!」
(最悪だっ!)
ソグンはぐらりとよろめき、今日の孤児院の担当者に恨み節をぶつける。日ごと村人の持ち回りなので誰かは分からないが、カッツェを御しきれなかったか、あるいは放っておかれたか。
とにかく事はより急を要する事態となったのは間違いない。
うずくまったままのエイルに、今度は静かに語りかける。
「エイル、聞いたね? カッツェとハナが前線に行ってるかもしれない。いや、カッツェなら絶対に行くはず。しかも、誰かに見つかれば追い返されるのは分かってるはずだから隠れてね」
ただでさえ大乱戦が予想されるのだ。子供が隠れて混ざっていたところで、騒ぎに紛れて分からない可能性が極めて高い。
それを付け加えると、エイルの丸まった背がピクリと反応を示す。
「止めるハナを無視して魔物に飛びかかるのはエイルにも簡単に想像できるでしょ? そうなれば、誰も知らないままあの子は殺されちゃう。逃げ遅れたハナもね。そんなの……僕は耐えられない」
ソグンの言う通り、カッツェの暴走は簡単に想像できる。
お手製の木剣を手にさぞ勇ましく立ち向かうのだろう。
あの子の胆力は自分もよく分かっているし、そしてその結果も十分に予測できる。
(でも……どうせみんな死)
と、エイルは自分自身を奈落まで突き落とす言葉が脳裏をよぎった瞬間、
《 どうした二人とも。腹でも痛いのか 》
思いもよらない人物から声が掛かった。
「ジンさん!?」
「え……え? ジン兄ぃの……
《 何を驚く。共に森に入る初日に陣を描いた紙を渡しただろ 》
大波の如く押し寄せた恐怖に飲み込まれていた希望はエイルを繋ぎ止め、虚ろと化していた彼女の目に光が宿る。
はっと目を見開いて勢いよく立ち上がり、内心つぶやいた。
どうしてこのSランク冒険者の事を忘れていたのかと。
情けない姿をさらした自分を誤魔化すように、さらに希望があったことの嬉しさも相まってつい大声で物申した。
「はぁ!? いつの話よ! しかもどっかで見てるの!? もう無茶苦茶!」
「(あれからずっと魔力を込め続けていたってこと!?)か、かなわないや……ははは……」
《 今そんなことはどうでもいい。すぐに子供を連れて逃げるか、前線へ向かうかを選べ。そこは俺の射程に入っている。邪魔だ 》
「「!?」」
寝ていたところを叩き起こされ、すぐさま避難誘導の指示を受けた二人はフェルズからまだ何も聞かされていなかった。前線の作戦はもちろん、ジンはどうするのかも当然知らない。
動けないジェシカが居ること鑑みれば、エイルとてジンが中央広間にいることは探知魔法でなんとなくわかっていた。
だが、この距離でしゃがみ込んでいる自分の体勢すら露見するとは思いもよらなかった。あまつさえ腹が痛いなどと、間の抜けた第一声を寄越した上で邪魔だと言われ、エイルは恥ずかしさのあまりソグンの顔を見ることが出来ない。
恐怖に苛まれていたはずが、たった一言で自分を取り戻したエイル。
それほどの希望を恐怖で忘れ去っていた事に、自分自身信じられなかった。
「ねぇ、ジン兄ぃ。一つだけいいかな?」
《 なんだ 》
「私たち死ぬのかな」
《 少なくともお前たちが動かねばカッツェは死ぬ事になる 》
「っ」
《 これだけは言っておく。俺たちは……いや、俺は全てを狩り尽くす 》
「ふぐっ……ありがとう、ジン兄ぃ。ごめん、ソグン! あたしやるよ! やってやるんだから!!」
土壇場で決まった覚悟。
エイルは二人の子供に神獣像へ戻るよう指示し、前線へ駆け出した。
キュッと結んだ口元は余計な事を考えず、ただ自分のやるべきことに邁進する誓い。
《 ソグン。エイルを頼む 》
「はいっ!」
◇
「ジンがそう言ったんだね?」
「はい。一雨来た後、月の美しい静かな夜になる、とも仰っておりました」
「っは、そうかい。わかったよ」
ロンの避難勧告は村中に届いており、無論この家の者らにも聞こえていた。
完全に戦闘態勢に入っているマーサの姿を見て度肝を抜かれたサブリナだったが、さらに表情一つ変えずに口から出た言葉に唖然とした。
何も起こっていない旨を伝えるよう、ジンに言われて開いた寝室の扉。
むせ返るような熱気の中で汗だくのジェシカが横たわり、二人がかりで汗を拭きつつサブリナがお腹の様子を慎重に探っている最中だった。
明らかに嘘なのだが、要するに何も気にするなという事だろう。気にするなと言って気にしないなどという事は出来ようもないので、ハナから何も起こっていない事にすれば気にしようもない、といった言葉遊びのようなものである。
何にせよ、無茶である。
しかし、この無茶が通るのがスルト村である。
驚きつつもわかったと言ったサブリナもそうだが、それを手伝う二人の経産婦も驚嘆すべき胆力を持っていると思えるが、実情はかなり違う。
村の守り手がそう言ったのだからそうなのだ。
その言葉を疑う必要など無いと、幼い頃からそう育てられていた。
「だそうだよ、ジェシカ。頑張らないとね」
サブリナの言葉にジェシカは無言で頷き、息子の、そして夫の無事の帰りを新たに生まれる子と共に待つという決意を新たにした。
◇
(まったく、世話が焼ける……しかし、よくあんなに早く持ち直したものだ)
「通信は終わりましたでしょうか」
「ええ。今しがた」
家から出てきたマーサさんが横に佇む。
手を前に組み、その立ち居姿は女中のそれそのものだが、如何せん恰好が格好なので違和感が半端ではない。
頼んだ言伝の事は聞かぬまま、俺は村全体を
「マーサさんは家の守りのみに集中してください。木っ端は全てお任せします」
「承知いたしました」
あまりの話の早さについこの人は絡繰りか何かなのかと疑いそうになったが、そんな余計な事を思ってしまった俺には油断があるのだと両手で顔を叩いて引き締める。
村の皆が避難し終え、すっかり人のいなくなった中央広場にうず高く積まれた木箱によじ登った。
櫓にしては少しどころかかなり心許ないが、高所からの視点が欲しかっただけなのでこれで十分。
眼下にある母上の居る家を見下ろし、その前に佇むマーサさんにも聞こえるように、俺は遠視魔法の先を伝えた。
「始まります」
「御意」
―――ドンッ!!
練られていた魔力が一斉に解き放たれ、開戦の狼煙が上がる。
(さすがだ。見事に魔物どもの動きが止まった)
遠視魔法の先で次々と消えて行く魔力反応。
突出している三点が猛烈な勢いで反応を削っているようで、左と中央でほぼ半数を、右の突出点に至っては広範囲に、しかも一匹残らず倒していっている。
(これは……シリュウだな)
竜人の魔力反応は人間のそれとは若干異なるので一目瞭然。
動きの少ないまま蹴散らしていっているので、間違いなく『タマ二号』、もとい
それでも押し寄せる魔物の数にいつまで応じれるかは分からない。
俺は思い描いていた狩場を造るべく夜桜を抜刀し、魔力を注ぎ込んだ。
「―――
ドゴンドゴンドゴン
村を縦断するように隆起させた巨壁は合計で十枚。
それを家々をなぎ倒して瓦礫を押しやりながら一斉に西へ西へと動かしていく。
どうせ家は大型が通っただけであっけなく踏みつぶされるのだ。ならば射線と視界確保のために先に破壊して瓦礫の壁山とし、魔物の進行速度を緩めることに使った方がこちらの有利に働く。
「……ど、どちらが侵略者なのか分かりませんね」
一気に開けた視界を目の当たりにし、背にある二本の片手剣を手にしたマーサさんからつぶやきが漏れた。
一応誉め言葉と受け止めておき、絡繰りの類ではなかった彼女に伝えておく。
「魔物どもは我々の後ろに控える大量の人間を目標に、壁向こうで山となった瓦礫を駆け上がって壁をよじ登ってくる事でしょう」
「はい」
「壁から顔を出した瞬間に射殺します。しかしそれも千まで。以降は白兵戦に切り替え、そこでマーサさんのお力をお借りすることになります」
「微力ながら、全身全霊をかけてお守りいたします」
そう言ったマーサさんに恐れは見られなかった。
このような事態は経験にあるはずも無く、魔物と戦った事のある者なら誰もがエイルの様に膝を屈してもおかしくはない。彼女は元騎士なのでその例に漏れない。
俺は
「恐ろしくはありませんか」
「魔物よりも、ティズウェルのお役に立てない事が何より恐ろしゅうございます」
「……なるほど」
前線から一匹の魔物が抜けてきた。
逃されたその一匹はまっすぐにこちらに向かって来ている。
(ゆくぞ、フォルモンド)
弓弦をピンと弾いて調子を尋ねると、どうやら機嫌はよさそうだ。
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