#91 呪いの大行進Ⅲ

「お前は中央広場ここに残れ。ジェシカを頼む」


 スタンピードが迫っているとキースから知らされ、逸る気持ちを抑えつつ俺たちは現状を聞きながら家の前に移動した。


 家から出てきたマーサさんも事を知らされて色を失いかけたが、コーデリアさんを前にして失態は見せられないと努めて平静を装っている。


 今頃、守り手や駐屯隊は来る嵐に備えて迎え撃つ準備に大忙しだろう。


 エドガーさんとの連絡が途絶えたと聞いた上で開口一番父上から出た言葉に、流石に俺が怒ると思ったのかコーデリアさんが間に入ろうと身を乗り出した。


 だが、俺はそんな彼女を制することもなく、父上の言葉なども頭に入らない程ほど苦悩に苛まれていた。


 これはもう戦争と言える戦いになるだろう。


 魔物など無視して、全員を逃がしてしまえばいい。


 身動きの取れない母上らは俺と父上は当然、コーデリアさんとシリュウにも頼めば建物の被害をさておけば、事なきを得るのは十分に可能だろう。


 だが駐屯隊が聖地を放棄して逃げるとは到底思えないし、住民の中には村を捨てて逃げるくらいならいっそ戦って死んだ方がマシだという者も絶対に現れる。


 戦うならまだいい。


 村の古い者らの中にはこれは神の試練だといい、下手をすれば何もせず魔物の蹂躙を受け入れる者も居かねないのが聖地、スルト村だ。



 これ程の規模で魔物が攻めて来るとなると誰かの死は免れない。


 その悲しみと憎しみは、戦いの勝敗など関係なく向けられてしまうのだ。


 そう、新たな命へと。


 俺は、それが怖くてたまらなかった。



「いいか、俺とコーデリアは……」


 ならばどうすべきか。


 口で言うのは至極簡単な事で、自分にその覚悟はある。


 だが父上に、コーデリアさんに、さらにシリュウにそんなことを言っていいのかの踏ん切りがつかなかった。


 何度も言うが、これは戦争だ。


「お師?」

「どうしました?」


 俯く俺を覗き込むようにシリュウが身を屈め、コーデリアさんの心配そうな声が聞こえる。


 これは俺の我儘だ。


 そんな希望を話せば、甘すぎるとそしりを受けるだろう。


 しかし、そんなことはどうでもいい。


 俺の我儘を聞いたこの三人がそれを叶えんがために、余計な被害を被る可能性が大いにあるのだ。最悪、死ぬ事になるかもしれない。


「おい、聞いてん―――」


 もう逡巡している時も無い。


 俺は皆を信じて覚悟を決め、最も恐れる事態を三人に告げる。


「一人でも死なば、忌み子になってしまう」


「「!?」」


 だから、死ぬ気で戦った上で誰も死なせるな。


 顔を上げた途端に飛び出した無茶苦茶な俺の願いを、皆まで言わずとも父上とコーデリアさんは言外を瞬時に察し、そこまで考えが及んでいなかったと刹那絶句する。


「あなたという人は……私は何と浅はかだったのか。ただ敵を討つことばかりを考えていました……」


「あー……お前がここに残るの取り消していいか? さすがに俺たちだけじゃ、確信がな……」


「いみご?」


「作戦を聞いて頂きたい。何、簡単な事です」


 シリュウへの答えは後回しにし、とにかく時間がないので俺の思い描く戦いを父上とコーデリアさんに手短に伝えた。


 これを聞いたキースとマーサさんは戸惑いを隠せずにいたが、二人は確認するように俺を見据え、その微動だにしない様に覚悟を見てくれたようだ。


「どこが簡単なのですか。しかし貴方がそれでいいのなら……信じましょう。私はあなたとジェシカ、そして子の為に剣を振るいます」


 コーデリアさんはほほ笑んでそっと俺の胸に寄り添い、誓いを立ててくれた。


 誹りもなにも無く、ただ俺に任せてくれたことに感謝しかない。そもそも、この人はスルト村の住民ではない。


 ここで死力を尽くすのは、リカルドの為だけなのだ。


「もう二十年早く生まれていれば、必ずやコーデリアさんを貰い受けておりました」


「まぁ、凄い自信だこと。状況的には割と貴方に有利ですし、今から試してみますか。もちろん簡単にはいきませんが」


「おおおおお奥様っ! お戯れも大概になさって下さい!! ジン様も時と場合を」


「ふふっ、そうですね。やりすぎました。逆に可能性がないと分かって寂しいですが、やる気は出ましたよ」


 つい口から出た本音に、マーサさんは顔を真っ赤にして怒っている。


 当然の反応だが、これくらいで狼狽えるようではまだまだだと俺は心の中でつぶやいておく。


「おい。身の毛がよだつ冗談はやめろ」


「……どういう意味でしょうか」


 この突っ込みにコーデリアさんが細剣の柄に手を伸ばしたところで、父上は慌てて言葉を繋いだ。


「言っとくがお前も俺の子なんだからな。それだけは忘れるな」


「はい。頼りにしております」


「当然だ。やりきったら父親として褒美をやろう」


「要りませんよ。父上の為にやる訳ではありません」


「わかってるっつーの! っとに可愛くないな! だまって受け取れってんだ!」


 俺に愛らしさを求めるのなら、それこそ俺は前世からやり直す必要がある。


 冷たい俺の切り返しに肩を怒らせた父上を見てコーデリアさんは溜飲を下げたようなので、父上には助けられたことに感謝して頂きたいものである。


 戯言を織り交ぜて束の間の作戦会議と意識の統一を終わらせ、ここから二人の動きは早かった。


「キース。アンテロッダの爺さんの店の奥に転がってる剣が二本ある。俺は先に行くからそれ持ってきてくれ。引きずって構わねぇから」


「もうフェルズさんが武器防具は接収させているはずですが……引きずる?」


「行けばわかる。急いでくれ」


「は、はいっ!」


 父上がキースに使いを頼んで颯爽と西へ向かうのを見て、コーデリアさんも続いた。


「マーサ。武器の使用を許可します。自分自身と中の四人を全力で守りなさい。以降はジンの麾下として、彼の言うことをティズウェルの命だと思うように」


「承知いたしました」


 何の反論もなく、マーサさんは即座にスカートの裾をつまみ上げて頭を下げた。


 自家の女中に対して逃げろでもなく、主であるティズウェル男爵に付けとも言わずにその場に残って戦えという。よりにもよってスタンピードを相手にだ。


 普通ならありえない。


 ありえないが、上下つながった制服を即座に脱ぎ捨てたマーサさんを見れば、誰もが納得するだろう。


 ふわりとした制服の下は、体の線がはっきりと分かるほど密着した黒い衣服だった。


 正直、常時なら目のやり場に困るような実に動きやすそうな恰好ではあるが、色気どころか狂気すら感じえざるを得ない原因がある。


 どうやって隠していたのか、背に薄い片手剣が二振り、ベルトに下げられた鍔の無い投擲用の短剣が腰を一周し、太ももとふくらはぎには鉄で編まれた重厚な目の細かい網が巻かれている。


 要するに、前世で言う所の忍刀にクナイ、鎖帷子という訳だ。その様は完全に暗殺者の体だった。


 脚だけを防御しているのは普段の女中としての動きを考慮した上で、脚をやられて動けなくなることを防ぐためだと思われるが、これで俺のマーサさんに対する当初抱いた印象は間違っていなかったということになる。


 本当に恐ろしくも、頼りになる。


「よろしい」


 マーサさんが準備を怠っていなかったことを確認し、コーデリアさんも西へ脚を向けた。


「後で会いましょう」


「はい」


 そんな通常運転を見せられては俺も驚くわけにはいかないと、殊更に平静を装ってコーデリアさんを見送った。


 そして俺は残ったシリュウに向き直る。


 忌み子辺りから皆の空気が変わったのを察してここまで黙っていたようだが、俺を見上げるその目が何を言いたいのかははっきりとわかる。


 早く行かせろ。


 そんなところだろう。


 だが、シリュウの闘争心を利用するのは俺の矜持が許さない。


 これはスルト村の戦いであり、俺の戦いだ。


「シリュウ。頼みがある」


「なんです?」


「俺の為、村の為に力を貸してほしい」


「んぇ? 戦いのことです? そんなのあたりまえ……あれ……あたりまえ……?」


 戦士として、冒険者として戦っていたこれまでとは違う。


 今までは魔物相手にジンの許可など取ろうと思ったことが無く、当のジンからも魔物を相手取る場合には止められたことが無かった。


 だが、実際に許可を得るべく待っていた自分がいた。いつもなら我先にと走り出していたであろう状況にも関わらずだ。


 それの意味するところは、この戦いが何なのかを本能的に察していたのではないか。


 ジンが自分に頭を下げる姿を見て、シリュウは抱いた違和感の正体に気づきを得た。



 ―――こんどはシィがお師たすける!


 ―――でもたすけ方わかんないからおしえてです



「あーっ!」


 先日の自分の言葉が脳裏に木霊する。


「これがたすけ方です!?」


「そうなる。早速で何とも情けない話だが……シリュウがおらんと俺の望みは恐らく、叶わない」


 その望みが何なのかはいまいちピンと来ないままだったが、助けると宣言した自分の事ははっきりと覚えている。


 シリュウはジンの真剣な目を見てまた新たな事を学んだ気がした。


 これまでは魔物と見るや、自分とどちらが強いかの力比べにしか興味が無かった。


 勝った時はただ嬉しかったし、苦戦した時は腹が立った。


 難しい事は考えたことが無い。


 これまでも、そしてこれからも、無意識下でシリュウにとって戦いとは自分の存在価値そのものだったのだ。


「あ、あれ?……なんかへん……なんで?」


 魔物と戦う事に新たな理由を得たという自覚のないままに、シリュウの目から涙があふれ出す。


 拭っても拭っても、なぜか涙は止まらない。


 そして拭う事をやめたシリュウの瞳には、初めて闘志以外の理由で魔力光が宿っていた。


(なんで? 勝ってないのにうれしい)


 今こそ師匠へありったけの恩を返す時。


 クセに成りつつある左耳に下がる石をピンと弾いて犬歯をのぞかせた彼女に、俺はもう敵わないと本気で思えた。


「たのみきくからごほうびちょーだい!」


 恩返しはどこへいったんだと喉元まで迫ったが、釣りは十分に出るかと思い直して拳を差し出した。


「はて、何がいいか」


 ゴッ


 互いの拳がぶつかると同時に、シリュウは魔物たちの迫る西へ駆け出した。


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