#89 呪いの大行進Ⅰ

 俺、父上、シリュウに続いてコーデリアさんが胸に手を当ててそびえる神獣像に祈りを捧げる。


 願いはそれぞれ同じはずだが、沈黙を捧げるという意味が分からないシリュウは当然見よう見まね。


 初めは巨大な神獣像に興奮していたのが沈黙のおかげでだんだん眠くなってきたらしく、うつらうつらとし始めた。


「戻りましょうか。もう遅いですし、シリュウさんは先に館に戻って頂いていいですよ」


「ん……ははうぇとこいる」


「ですか。無理はしないで下さいね」


 取り留めのない話をしながらゆるりと家に戻る一行。


 完全に保護者の様相を呈しているコーデリアさんに俺は父上と顔を見合わせ、フラフラと足元がおぼつかなくなっているシリュウを嗜めながら、きたるその時を待ちわびながら歩いた。


 だが、虚しくも俺たちの祈りは神に届かなかったらしい。


 これより訪れる、スルト村を揺るがす災厄を最初に感じ取ったのは寝惚け眼をこするシリュウだった。


「……あ゛ぁん?」


 突然顔を上げたかと思いきや虚空に向かって凄み出したので、いつもの突拍子もない行動が始まったと俺はため息を漏らす。


 ここ最近こういった行動は減っていたのだが、たまに出てももう驚かない。


「どうしました?」


「眠気覚ましに幻影に喧嘩を売っているのです。放っておきましょう」


「その手があったか」


 冗談交じりに『俺もやるか』と笑う父上だったが、コーデリアさんの問いかけにも反応しないまま、シリュウは神獣像とは反対側にあたる西を見たまま動かない。


 そしてその眼は眠気など忘れ去ったかのように鋭くなっていった。


(この眼……っ!)


 俺がシリュウの鋭い眼差しに心当たりを得た瞬間、前方から強化魔法を纏った男が全速力でこちら向かって来る姿が目に入る。


 明らかに良くない知らせをもたらさんとするその者は、遠くからでもその焦り様が伝わってくる。即座に警戒感を抱いた俺たちは駆け寄り、男の息が整うのを待つ。


 そして額に大粒の汗をにじませて呼吸を荒げる守り手、キースの第一声は意外にも謝罪だった。


「ロンさん、ジン君っ……本当に申し訳ありません!」


「何に謝ってんだ? キース」


 父上は落ち着いてキースと呼ばれた若者を見据え、続きを促した。


 俺はコーデリアさんと視線を交わして頷き合う。


 シリュウの眼、キースの謝罪。


 その答えに俺とコーデリアさんなら聞かずとも一瞬で辿り着ける。



「「―――探知魔法サーチ」」



 ゴゴゴゴゴゴゴゴ――――



 闇に蠢き、探知魔法を埋め尽くすかと思えるほどの魔力反応の数、そしてそれに触れるや唸るような地響きが空気を揺るがした。


(こっ、これは!?)


(森の静けさは予兆だったのか! 俺はっ……俺はこんなものを見逃したのか!)


 先に答えを得てしまった俺とコーデリアさんがギリギリと歯を食いしばる中、キースは父上に謝罪の理由を告げた。


「俺ら全員ジェシカさんの状態分かってるのに、今二人に頼っちゃ駄目だってわかってるのに……」


 悔しそうに俯くキースの背を押すように警鐘が西から鳴り響く。


「数えきれないほどの魔物が来ます! スタンピードです! 守り手オレたちに指示を下さいっ、ロンさん!」



 ◇



 守り手、ロン・リカルドがスルト村全住民に告げる! 


 魔物の群れが迫っている!


 全員今すぐに神獣像に避難しろ!


 これは命令だ!


 もう一度告げる―――



 ロンの猛々しい声がスルト村の家々を震わせる。


 強化魔法により増幅され、緊急事態を呼び掛けるその声に寝ていた者は飛び起き、起きていた者らは明かりを手に急いで家を飛び出した。


 ある者は子の手を引き、ある者は老いた親を背負い、またある者は病床に伏す隣家の者に肩を貸す。


 ロン・リカルドは村一番の守り手であり、誰もが認める存在だった。ロンが最後に付け加えた『命令』という言葉が、いかに事が急を要するかを村の大人たちは皆知っている。


 村の東に位置する『神獣の足跡』へと続く中央通りは人がごった返し、十八年前の神獣騒ぎ以来、全くと言っていいほど魔物被害の無かったスルト村住民は大いに狼狽した。


「神獣様のご加護がある聖地になんで魔物が!?」

「守り手の命令は聞かなきゃ罰せられるぞ! ほら、さっさとしろ!」


「きっとだいじょうぶだよ、おじぃちゃん! ロンおじさんいるし、きしさまだっているもん!」

「ほっほっほ、そうじゃのぉ。なーんにも心配することは無いわ。さぁさぁ、神獣様の所に行くとするかのぉ」


 多くの村人が焦燥を口にしつつも混乱に陥らないのは、二十人の守り手と百を超える騎士がいるからに他ならない。


 加えて村長のマティアスをはじめ、村の名士たちも揃って皆を導いている事も大きかった。


「落ち着いて移動してください! 皆で手を取り合い、聖地の民として恥じることの無い振舞を心がけてください!」


 神獣の足跡は広大かつ平坦で、大勢を収容するにはうってつけの場所である。


 さらにスルト村の民は全員が神獣の加護を信じている事も寄与し、ここならば魔物も襲って来ないと信じられていた。


 実際は神獣の残滓はとうに薄れ、強力な魔物を遠ざける力など残っていない。


 だが、この場所が住民を安心させる格好の場所だと言うことは守り手と駐屯隊の共通認識だった。


 守るべき対象が一か所に集まっているというのは、守る者にとっては非常に都合がいいのだ。


 二千人という数は決して少なくはない。


 この一斉避難が混乱なく粛々と進められたというのも、ある意味奇跡に近かった。


 そして最前線。


 もともと魔素が薄く、守り手や駐屯隊の存在で外敵の脅威が皆無だったスルト村には、帝都やマイルズのように村と野を隔てる防壁は無い。


 駐屯隊と力仕事を主としている村の男たちが西側、スタンピードが発生し今まさに魔物らが押し寄せようとしているブカの森に向かって陣を敷きつつ、防柵を築いていた。


 この防柵は先端を尖らせた木材を組み、有刺鉄線を巻き付けただけという簡素なもので、障害力は決して大きいとは言えないが移動性が高く、設置が容易というもの。


 これは第一義的に魔物の侵攻を防ぐために設置している訳ではない。


 近接戦を得意とせず、集中力が鍵を握る魔法師や弓術師の精神的安定が狙いの、言わば境界線であり、近接特化の者らはこの防柵を背に戦うことになる。


「遠距離魔法隊および弓術隊は防柵後方より援護、接敵寸前に一斉砲火を浴びせるのだ! 矢弾尽くならば己の腕を矢をとして撃ちまくれ!」


「重装歩兵隊は攻撃隊と共に前へ! 強力な敵に取り付き、攻撃隊が届くまで全力でその場に留めるのだ! 盾無くば己の肉体を盾としろ!」


 アルバニア騎士団スルト駐屯隊長ドイルの指示と鼓舞が取り混ぜられた声が飛ぶ。


 そして自身が直接指揮をとる前衛攻撃隊へ剣を掲げる。


「我々は鬼と化し、ただひたすらに敵を葬らん! 敵の海にその身を投げよ! 臆病風に吹かれる者はここにはいない! 命を賭して戦うのだ!」


 苛烈な檄は団員の目の色を変えさせ、奥底にあった恐怖を完全に拭うことに成功。これは帝国騎士だからこそ持ちえるごうともいえるものであり、彼らは急激に湧き上がる使命感と血の滾りをその表情に映し出した。


 当然スタンピードは全員が初めて経験する事態だったが、ここで逃げ出すような輩は一人もいない。


 今頃帝都とマイルズは遠距離通信魔法によりもたらされたこの事態にひっくり返っている事だろう。


 三日耐えればマイルズより援軍が見込めるが、三日など到底持つはずも無く、ドイルは夜が明ける前にスルト村住民全員がマイルズ方面に逃げる事になるだろうと予想しており、それほど押し寄せる敵との数的不利は明らかだった。


 ドイルはその長きに渡る戦歴から確信している。


 自分はここで死ぬと。


(聖地を荒らす魔物どもめ。一匹でも多く道ずれにしてくれる!)


 隊を率いる身として、ドイルのこの思考はただ部下たちを死なせる蛮行として映ってもおかしくはない。普通ならさっさと住民を逃がしてしまい、自分たちも退いて援軍を待てばよいのだ。


 だが、ここは聖地。それだけは出来なかった。


 アルバニア騎士団として高々と旗を掲げておきながら守るべき聖地を放棄し、魔物に明け渡すなど言語道断。ならば帝国騎士として聖地、ひいては帝国のために死ぬまで戦い続ける。


 それが使命だと、ドイルは栄えある帝国騎士団の一員として自分はもはや死兵だと胸に刻んだ。


(すまぬ、若き騎士達よ。願わくば誇り高き英霊として語り継がれんことを!)


「我らアルバニア騎士団、今こそ皇帝陛下の威を示す時!」


「絶望から目を背けるな! 必ずや光明は見える! その光をつかみ取るのだ!」



 ―――おおっ!!



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