#88 吉凶禍福Ⅱ
ゴンゴンゴンゴン
ズンズンズンズン
「父上。地揺れがこちらにまで。強化した脚を揺するのはやめて頂きたい」
「ジン。穴デカくなっていってるぞ。強化した指でテーブル小突くな」
パチン
「……」
「……」
「ふー……」
「ははうぇ……」
すっかり夜も更け、松明が俺と父上、シリュウの横顔を照らす。
薪が鳴く音に言葉を遮られて黙りこくった二人を見て、扉にもたれかかるコーデリアさんが軽くため息ついた。
横に座るシリュウも心なしか不安そうな面持ちで、ここ最近毎朝母上と会っていたので愛着が湧いているのか、いつもの明るさ? は鳴りを潜めている。
今家の寝室では母上が出産間際を迎えている。中にはサブリナさんと二人の村の経産婦、リビングにマーサさんが控え、万全の状態で事に臨んでいるという。
「静かですね……もっとこう、なんと言えばいいか……覚悟していたのですが……」
ふと気になった事が口から漏れ出た。
森といい家といい、今日は静けさが不気味で仕方がない。
「子を産むときは声を出しちゃなんねぇんだよ。うめき声も恥だ」
「……なんですかその無茶な話は」
「俺も知らねぇよ。古いしきたりってやつだ。お前の時もジェシカは一声も出さなかったそうだ」
「耐えられるものなのですか」
俺は出産経験のあるコーデリアさんに話を振った。
先ほどため息を漏らした彼女も緊張しているようで、一呼吸おいて俺の方を見やる。
「筆舌に尽くしがたいですが……無理に例えるなら腸を握り潰される……その百倍といったところでしょうか」
腕を落とされたこともある。
黒竜の鱗尾に打たれたこともある。
百の毒牙を全身に受けたこともある。
雷電を纏った攻撃、巨蛇に締め上げられたこともある。
痛みなら嫌というほど味わってきたが、コーデリアさんはそれすら生ぬるいと言わんばかりだ。
「ですが、そこに使命感と多幸感が交わるのですから……ふふっ、とても厄介なんですよ」
「っ」
コーデリアさんは困った顔をしながら頬に手を当てる。
男には決して分かり得ないのだ。
凛々しい顔つきから母親のそれに変わる様を見て、先ほど小屋で思わず叫んでしまった手前、恥ずかしくなって俺は何も言えなかった。
そして、今度は父上がとても良い提案を投げかけてくる。
さすがこの状況を一度経験しているだけの事はあるようだ。
「お前の時は木に頭突きして耐えたんだが……今はお前がいるよな」
「……と言うと?」
「ジン。俺を殴れ。少しでもジェシカの痛みを共有するんだ」
「素晴らしい。俺も頼みます」
「なんかわかんないけどシィもやる!」
「よし、揃って邪気払いといこう」
「ちょっ、あなた達―――」
三人はガタリと立ち上がり、俺は両拳を強化して振りかぶる。
「ではさっそく。……二人とも、歯を食いしばるなっ!」
「来いっ!」
「たえる!」
ゴオッ!
「馬鹿な真似はお止めなさいっ!!」
「っつ!」
そして手加減なく二人の顔面を目がけるが、悶絶必至の拳は飛んできた怒号により鼻先で止められる。
「奥様。如何なさいましたか」
何事かと扉の向こうから心配そうな声が聞こえてくる。
外の事態を把握しておくのもマーサさんの仕事であり、コーデリアさんの怒号に即座に反応したようだ。
「も、問題ありません。つい声を荒げてしまいました。ごめんなさい」
「……承知いたしました。いつ分娩が始まってもおかしくありません」
「わかったわ」
慌てて扉越しに謝罪するコーデリアさんを見て、俺たち三人はハッと正気を取り戻す。
……どれだけ追い詰められているんだ、俺たちは。
「申し訳ありません。どうかしていました」
「くっ、やっちまった……すまんコーデリア、ジェシカ」
「う゛~」
殴られる気になっていたシリュウからはうめき声が漏れ出ているが、コーデリアさんには世話になっているということもあり、ここで突っかかるようなことは流石に無い。
「今は何も言いません。居たたまれないのなら、神獣様に祈りに行きなさい」
「そうする他ないようです……」
「だな……行くか」
「シィもいく」
そうして三人並んでスルト村が聖地である所以、『神獣の足跡』中央に鎮座するロードフェニクス像に祈りに行こうと脚を向けた。
肩を落とし歩くその様はまるで敗戦の軍と言わんばかりだったが、何かしていないとこの無力感に抗えそうにない。
だがそんな三人の脚を止めたのは、魔物の遠吠えだった。
『ウオォォォォォン―――』
「「「「 !? 」」」」
―――ブラッドウルフか!
ここにいる四人の反応速度は、村にいる者らの中では群を抜いている事だろう。
「叩っ斬る!」
「捻り潰す!」
「ぶっころす!」
「処理します!」
淡い残光を引く夜桜、背の長剣が月光を反射し、十指の爪が凶器へと変貌を遂げるのと同時に細剣がピュンと空を斬る。
「……」
「……」
「……」
「……」
「あ。ころすはダメってははうえいってた。……ぶちのめす!」
そして訪れる静けさ。たかが一匹、F級魔物の遠吠えである。
ここにいる四人ならば、普段警戒すらすることは無い。
この本能じみた物騒な反応が四人が出産に立ち会えない、あるいは立ち会わない所以なのかもしれない。
各々同時に武器を納め、互いに誤魔化すように一つ咳ばらいをした。
そしてポツリと言葉を漏らすのは、若干顔を赤らめたコーデリアさんだ。
「ゴホン……わ、私も祈った方がよさそうですね……」
◇
時を同じくしてブカの森、その深奥。
差し迫っているのはジンらと同じだが、今、彼ほど天を呪っている者はいなかった。
「嘘、だよな……?」
これ程の緊張は、十八年ぶりだった。
初めは自分の探知を疑った。
調子が悪いのだと。
しかし、今日は酒一杯もひっかけていない。
であればそこかしこにいる小さな昆虫、ともすれば辺りに生えている草木すら拾ってしまっているのか。
自らの探知がこれ程までに冴え渡っているのだとしたら、守り手としてまだまだ捨てたもんじゃないとそれこそ一杯やりたいほどである。
だが、見上げる天は無慈悲だった。
彼が円形に広げる
草木が動くのか
小さな昆虫がこんなにはっきりと魔力反応を示すのか
答えは、否。
(やめてくれ……やめてくれよ。こんなの無ぇだろうが。よりにもよって、なんで今なんだ)
そして周囲の動かなかった反応までもが、誘われるように動き出す。
東へ、東へ。
向かう先には―――スルト村。
エドガーはこみ上げる悪寒を振り払うように絶叫した。
「ふざけんな! こっちへ来るな! そっちへ行くんじゃねぇ! 止まれよ……なぁおぃ……止まれっつってんだ!」
手近に居た魔獣に短剣を投げつけて仕留め、ある意味自分を保とうと足搔いてはみるものの、それも沸騰しようとする湯に一滴の水をさして冷まそうとするようなものだった。
悲痛なエドガーの叫びは闇と消え、修羅場を潜ってきた彼をもってしてもこの未曽有の事態を受け入れることは難しい。
探知魔法の先で蠢く魔力反応は次第に地響きを伴い、腹の底から込み上がる焦燥感にエドガーは嗚咽にも似た声で再度、叫ぶ―――
《 オプトぉーっ!! 》
「(声でけぇよ!)おうよ、魔物だよな! こいつら急にモゾモゾと」
先行するエドガーから離れた場所で陣を張っていたオプトは、キリリと矢を番えながら通信魔法に反応する。
オプトも周りが急に騒がしくなったことに警戒態勢に入っていたが、訪れる災厄を的確に感じ取るまでには至っていなかった。
そして、自分たちだけでは到底背負いきれない事実が通信魔法から木霊する。
《 スタンピードだっ! 戻って皆に知らせろっ! 俺は……先を見るっ! 》
「は!? なんだって!? おい何言ってんだ、戻れエドガー! 無茶はやめろ! おい、エドガーっ!」
以降、オプトがいくら呼び掛けてもエドガーからの返事は無い。
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