#87 吉凶禍福Ⅰ

「おかしい……静か過ぎる」


 ソグンとエイルを他の守り手に預け、一人でブカの森を行き来するようになってから三日目の夜。


 村側の入り口付近はいつものように異常さが垣間見られたものの、奥地に差し掛かる頃には昨日までとは打って変わって潮が引いたような静けさが辺りを支配していた。


 昔よく瞑想していた小川のせせらぎがこれほど大きく聞こえるのは初めての事。


 反応はそこかしこにある。だが、魔物らがピクリとも動かないなどということがありえるのか。


(一体何が起こってるんだ)


 ただでさえ夜のブカの森は月明りも届かない暗闇なのに、それに加えて木々をさざめかせる風も音も無いとなると自分が闇に吞まれるような感覚に陥る。


 何も起きないならそれに越したことは無いのだが、こんなには旅先でも見たことが無い。これでは何が棲み付いてしまうか分かったものではなかった。


 ここで一旦引き返し、早急にこの情報を持ち帰るべきだろう。


「異様な静けさ、か」


「ええ」


 小屋に戻った俺は駐在していた守り手の一人であるフェルズさんに森中央から奥地にかけての異変を報告する。


 彼は守り手となって十年を超える三十手前のベテランで、ブカの森にも一人入ることのできる人員である。


 そんな彼もこのような事態は初めてだと言い、どうすべきかと思案を巡らせている。


「念のためエドガーさんにお願いしよう。あと一人ついてもらって、夜通し森を探ってもらった方がいい。他に注意すべき事とかあるか?」


「エドガーさんなら心強い。魔物らはピクリとも動かず逆に脅威は無いと言えるかもしれませんが、火はやめておいた方がよいかと。下手な刺激になるやもしれません」


「よし、わかった」


 そして次の交代要員が集まる時間となり、続々と守り手が小屋に集まってきた。


 俺は朝から夜にかけての番だったのでこれで一旦家路につくことになる。


「おぅ、お疲れさん」


 そして最後にやってきたエドガーさんとオプトさんが手際よく装備を整えるところに、さっそく担当場所の変更がフェルズさんから告げられる。


 ブカの森へはこの二人が行くことになるようだ。


「静か過ぎるねぇ……たしかに気味が悪ぃな」

「俺、寝ちまうかも」

「オプトさんっ……!」


 俺がキッと睨むと、オプトさんは尻込みしながら冗談だと両手を挙げる。


 この人はヒマだと感じたらすぐに木の上で寝るクセがあるので要注意だ。


 まぁ、今の段階ではそれほど出来ることもやるべきことも無いのだが、夜が明けてに戻っているのなら引き続き調査をするだけだし、これを機に元の森に戻るのなら願っても無い。


 そして少しの間歓談して俺がそろそろ帰ろうと思った矢先、小屋の扉が激しく開かれる。


 バンッ!


「ジンはいるか!」


「父上?……まさかっ!」


 俺と父上は今の期間だけ日ごと交代で村の外に警戒に出ることになっているので、父上は今日は非番のはず。


 その父上が慌てて守り手の小屋にやってくるということは、理由は一つしかない。


「ああ、ジェシカが―――」


「とうとうきたかっ!」


 まずやるべきことはエドガーさんの妻、サブリナさんを呼ぶこと。


 彼女はスルト村の助産師で、村の妊婦はほとんどがサブリナさんの世話になっていると聞く。


 次に村長宅へ行き、神獣の石像を借りて家に置く。


 ここでいう神獣とは当然神獣ロードフェニクスのことで、これは俺が産まれた年に出来た習慣らしい。細かな説明は不要だろう。簡単に言えば安産祈願を兼ねた守り神だ。


 次に湯と清潔な布の世話、明るく安定した光源の確保―――


 父上が言い終える前に、俺の脳はあらかじめ想定していた行動計画がめくりめく。


「おい待―――」


「サブリナさんの他に経産婦に頼んで……最低でもあと二人か。やることは多い、行きますよ父上!―――瞬」


「だから待てぃ!!」


 ガンッ!


「いだっ! な、何をするのです!? 急がねば」


 瞬雷の発動を寸でで防がれ、瞬間逆立った髪が雷光を失ってしなしなと元に戻る。


 なぜ止めるのか全く分からない俺は、殴られた頭をさすりながら父上を睨みつけた。


「落ち着け! 俺らにできることは何も無い!」


「馬鹿な、我々が何もしなくてどうするのです! 気でも触れましたか!」


「ふれてねぇわ! ったく、分かってんだと思ってたらこの様だ……正確に言えば野郎にできることは無い!」


「なっ!?」


 そう言われて絶句し、周りを見ると騒いでいるのは俺だけで、他の守り手、特に俺と同様に騒ぎそうなエドガーさんやオプトさんまでもが静かなままだった。


「なぁ、ジン坊」


「……?」


 そしてエドガーさんが静かに俺の前に立ち、殊更に落ち着いた様子で幼い頃のように俺を呼ぶ。


「サブリナはよぅ、俺の嫁ながらできた奴でなぁ。俺らに子がいねぇのは知っての通り」


 遠い目をしているエドガーさんだったが、語る言葉とは裏腹にはっきりとした物言いだ。


「あいつは子ができねぇ身体と分かってあの時えらく落ち込んだもんだ。当然、俺もな」


 だけどよ、と続ける。


「俺らの縁でサブリナが初めて取り上げた子がジン、お前だ。んでよ、その時思ったらしい。これは神獣様がお授けになられた私の使命だ、ってな。それからは畑放り出してマイルズまで行って助産師の勉強したり、有名な薬師に弟子入りしたりしてよ。五年はまともに顔も見せやしなかった」


「五年……ですか。私まで世話になっていたとは初耳でした。サブリナさんは周辺の街村を行き来する評判の方としか」


「だろうよ。俺らから言うことはねぇし、それがあいつのやり方だ。使命だからその事で恩を受けるのは間違ってるって言い張りやがる。っと、ここは聞かなかったことにしてくれ」


 肩をすくめながらも、エドガーさんは誇らしげにサブリナさんを語る。


「つまりあいつは出産に関してだけは村一番って言いたい訳だが……だからよ、心配しねぇであとはあいつに任せな」


「言う通りにします。むしろ私は邪魔な気がしています」


「がっはっは、相変わらず物分かりは早ぇな! まぁ正直、あれこれ言ったところでだがな。どうせロンはまた慌てたケツ蹴飛ばされたクチだろ?」


 ニヤリとエドガーさんに笑みを向けられ、俺の視線も苦々しく受け止めながら父上は若干不貞腐れている。


「ふん……ジェシカが急に冷や汗かき始めてな。腹抱えてそろそろだって言うもんだから、俺が呼びに行こうとしたらサブリナのやつ、もう家の前で像抱えて立ってんだぜ? ありえないだろ、どんな予知能力だっての。そっからはあっという間に装束に着替えた女衆が集まって、誰から聞いたのかコーデリアとマーサも馬で突っ込んで来やがった」


 考えられるのは、サブリナさんは家に来る前に知らせるべき人に知らせ、事前に全ての準備を済ませていたという事になるのだろうが……真実を知ることに意味を見いだせそうにない。


 重要なのは今である。


「そ、それで父上に与えられた仕事が」


「お前に知らせる」


「……私は?」


「祈る」


「ぐああああっ!」


 頭を抱えた。


 頼りたいとは思っていたが、アテにしたくはなかったので下調べした上で行動を想定していたのだが、サブリナさんや他の女衆からすればに準備しておくべき当たり前の事だったらしい。


 役立たず過ぎてつい大声で叫んでしまった俺を見て、オプトさんが肩に手を置いた。


「出産は女達の戦場だぜ。俺らのやるべきことはわかってるよな?」


「……はい。家を守り、村を守ります」


「そーゆーこと。村は守り手おれらに任せて、今だけは家を守れな」


「はい」


 こうなったからには俺も大人しく待っている他ない。


 大した信仰も持ち合わせていない俺だが、今日ばかりは神にでもなんでも祈ってやろう。


 俺は背を正し、父上と共に家の前でその時を待つことにした。









――――――――――

■近況ノート

気が付けば100万文字

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817139558658678101

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