#85 祝福の夜明け前Ⅰ

「といった次第で。その後ろくに治療もせずに私を追い回した結果、いびつにおさまってしまったのです」


「……」


 シリュウとの出会い頭に起こった一騎打ち、その後冒険者ギルドへ連れて行って今に至る所までを手短に話すと、母上を含めて皆一様に沈黙した。


 酒の入った盃に映る月は、揺れることなくいでいる。


 当事者であるシリュウもさすがに皆の様子がおかしい事に戸惑い、両隣に座る母上とコーデリアさんを交互に見上げた。


「たべないのか?」


 うつむく者、空を見上げる者それぞれだが、全員が母上の第一声を待っている。


 シリュウの普段通りの声を聞き、母上は俺からシリュウに視線を移した。


「シリュウ。明日から私の所においでなさい。毎日です」


「んぇ? なんで? シィ、ちゅーとんたいととっくんするってやくそくした」


「すぐに終わります。その後に隊に合流しても問題ないかしら?」


「ありません。私から隊長のドイル殿へ朝は遅くなると伝えておきましょう」


 母上が伺いを立てると、コーデリアさんは即座に許可を出した。


 騎士でないコーデリアさんには駐屯隊に対する裁量は無いはずなのだが、男爵夫人としての立場なら物は申せるはず。シリュウを彼らに紹介したのもコーデリアさんなので、ここを心配する必要はないだろう。


「ありがとう。少しずつ、その傷痕を綺麗にしましょう」


「きれいに……今は、き、きたない……のか?」


「少なくとも誇り高き竜人が寄るにするものではないと私は思います。嫌ですか?」


 赤の他人の子供に自慢気に見せるくらいなのだ。相当程度にその傷痕に思い入れがあるに違いない。


 だが、母上にはっきりと胸の傷をあるまじきと言われてシリュウの口元が歪む。


 普段の彼女なら怒り出しそうなものだが、などと文句を入れられてしまっては、あからさまに反論できないといったところだろう。


「でもこれ、強い相手とたたかった戦士のほこり」


「消したりはしませんから」


「でもでも……」


 なおためらうシリュウを見て、母上は柔らかく微笑んでいる。極力無理強いはしたくないという意思が見えるものの、それを言葉にしないところを見るに、母上にこれ以上譲るつもりは無いらしい。


 実際に傷を見ていない男連中とエイルは口の挟みようがなく、俺と同様に事の成り行きをじっと見守っている。


 そしてこれ以上説得し難い母上に代わり、傷を見たコーデリアさんが戦いに身を置いてきた者としての一言を投げかける。


「シリュウさん。誇りは目に見える傷痕にではなく、胸の内に宿るものだと思いますよ」


「っ!……うん。そういえば兄様もおんなじこといってた気がする」


(ああ……戦士ガリュウに会いたかった)


 と思いつつ、俺がシリュウの兄であるガリュウの存在を知ったのは、クリスティーナさんからミトレス行きの依頼を受けた際で、彼が討たれた後。


 叶うはずもない願いだが、もしかしたら俺が思っている以上に戦士ガリュウの死は竜人の里に大きな影を落としているのかもしれない。


 そしてシリュウはやはりコーデリアさんと既に手合わせをしていたようで、強い者の言葉は割とすんなり受け入れる彼女にとってこの言葉は決定打となった。


 振り返ってみて改めて思ったが、この一年でシリュウはもの凄い変化を遂げたように思う。当初はこの竜人の娘を故郷に伴うことになるなど想像もできなかった。


 出会う人間全てを敵視し、力でねじ伏せて要求を通してきた彼女だが、今もその気は往々にしてあるがこうして人間の言葉だけで自身の思考や行動を見つめなおせている。


 聞く耳を持ったと言ってしまえばそれまでだが、仇敵を失い、復讐心というしがらみをようやく断ち切った証の様に思える俺からすれば、その感慨もひとしおだった。


 だが、酒宴の場でするような話ではなかったのは明らかだし、結局身籠る母上に治癒魔法ヒールを使わせてしまう羽目となったのも事実。


 当事者である俺ではこの結果をどうすることも出来ないし、父上も戦力外なのは明らかだが―――


「っし、話はまとまったな! シリュウ、ほら食え! 俺の分もやる!」 


 ここでこの空気を切り裂く先陣を切るくらいには、話の分かる父なのは大いに助かる。


 父上に続いて守り手四人もシリュウにメインの一皿を差し出し、オプトさんなどは鼻をすすりながら震える手で渡している。


「なはっ! なんでかわかんないけどもらう! というか泣き虫人間のは全部もらってやる!」 


 遠慮を知らぬシリュウにとって、主菜の肉が乗った皿を差し出す者は全ていいヤツとなる。


「ぐすっ……いいぜいいぜ、全部もっていきなっ」


 やはりオプトさんはこの手の話に弱い。


「ありがとうございます、父上、エドガーさん、オプトさん。ですが父上……申し訳ありません」


「……その謝罪は治癒魔法ヒールのことか?」


「……」


「お前なぁ」


 俺の謝罪に父上はポリポリと頭を掻き、呆れた様子で盃を傾けた。


「心配しすぎだ。兄貴になるんだし、いい加減母親離れするんだな」


「どういうことですか。私は自立しているつもりです」


「がーっはっはっは、自覚無し! いいじゃねぇかロン。これがジンなんだよ」


「はぁ……次の子がロン似だったら気が楽なんだけどよぉ……ジンみたくジェシカ似だったら俺はもうだめだ」


「オプトさんは何を言っているのです」


「ぃよぉーし、シィちゃん! あたしと友達になろう!」


「ともだち?……イヤだ!」


「なんでよ!?」


「おまえ弱い!」


「なっ、弱っ!? とっ、友達になるのに強さなんかカンケーなーいっ!」


「ある!」


「ない!」


 こうして酒宴は夜遅くまで続き、酒樽が底を突く頃にお開きとなった。


 シリュウはコーデリアさんとティズウェル卿に連れられ、滞在中は貴賓館を宿にすることが決定。


「私の部屋を明け渡します。私が使ったベッドで心行くまでお休みなさい。アリアには内緒にしておきます」


「……元々俺の部屋ですし、俺のベッドです」


 スルト村を旅立って以降、コーデリアさんはスルト村滞在中、俺の部屋を占拠していたという。


 シリュウの面倒を見てもらえる手前、あまり機嫌を損ねることは言えない。


 コーデリアさんは怖気立つ言葉を残し、夜間の母上の護衛を託して帰っていった。



 ◇



 翌日。


 今日もソグンとエイルを伴ってブカの森へと調査に向かう。


 やはり昨日と同様に森の異変は続いており、西へ深く入れば入るほど魔素は濃く、魔物らのけたたましい鳴き声が響き渡っている。


 目下やることは昨日と同様に死骸の処理と新人二人の教育だが、やはり二人とも飲み込みが早く教え甲斐がある。


 何より、十を言わずとも察せるソグンは非常に有望。あとは酒に強くなり、酒宴の席で俺の非常時に助け舟を出せるよう鍛えれば文句なしだ。


「ふっ、ふっ」


「大丈夫か」


「は、はいっ。魔素が濃くて、少し緊張しているだけです」


《 情けないわよ。しっかりしなさい 》


 ソグンの荒い呼吸を聞き、すかさずエイルから通信魔法トランスミヨンが飛んでくる。


「これは体質の問題もある。少しずつ慣れていけばいい」


「ありがとうございます」


《 あ~っ、ジン兄ぃソグンにだけ優しいんだ 》


「エイルは探知魔法サーチが荒い。あまり波を作りすぎると、過敏な魔物らの恰好の標的マトになるぞ」


《 うぐっ……エドガーさんは中々やるなって言ったもん! 》


「俺はエドガーさんじゃないんだが?」


《 あっ、ローグバット。こんな真昼間に出るんだ 》


「三匹なら一人でやれるだろう」


《 なんであたしの後ろにいるのに数わかるの!? 》


「俺はエドガーさんじゃないからな」


《 ……ジン兄ぃモテない気がしてきた 》


「やかましい。ソグンを見習って緊張感を持て」


 たしかにローグバットはダンジョンに生息する個体を除いて夜行性だ。


 こんな日の高い内に飛び回っているのはおかしいと言わざるを得ないが、不意に何かに近づかれたり襲われたりすればその限りではない。


 この程度の異常行動の原因を明らかにする意味は無いに等しいので、労力を考えればここは無視してしまっても問題ないだろう。


 もしかしたら森の生態系がたまたま激しく入れ替わっているだけで、異変と呼べるものはないのかもしれない。


 父上の予想する外部からの強力な個体の襲来が原因だとすれば、それを見つけて討伐すればいいだけの話。


 近い内に二人を一旦別の守り手に託し、数日かけて森を一周して異変が無ければ答えを出しても良いかもしれない。


 なんなら見つけ次第シリュウを駐屯隊から借りて来てそいつに当ててやるのも手。


 駐屯隊もあちこちに見回りに出るし、ともすれば同行するであろうシリュウの鼻にかかってついでに討伐してくれるのならなお良し。


 そうなればシリュウの強敵と戦いたい病も解消され、一石二鳥だ。


 遠視魔法ディヴィジョンの先でエイルがローグバットを問題なく倒したことを確認し、そろそろ折り返し地点である。


 まだまだいけると豪語するエイルだが、すぐ近くで毒怪鶏コカトリスと複数のジャイアントビーがやり合っていると伝えると素直に踵を返した。


 その即断っぷりを見るに、さすがにそこが死地かどうかの判断は早いようだ。


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