#83 ~追憶の烈火Ⅱ~
「これは長丁場か……」
帝国とマラボ地方を繋ぐ、街道から離れた林道沿いに身を潜めて早五日が経つ。
カキン群の領主と奴隷商が旧王国に属していた集落から奴隷を運ぶために選んだのは、当然だが最短距離を結ぶ街道ではなく目立たない森の中の道。
これまでことごとくこの林道で襲われているという話だったので、俺は馬車の運行計画を彼らから予め聞いておき、林道の入り口から馬車の後を付けている訳だが、これが三台目の馬車だった。
(はて……もうここにはいないのか? あるいは俺がつけている事に気付いて警戒しているとしたら、相当な感覚を持っていることになる)
俺は
獣人は探知魔法を含む無属性魔法の一切が扱えないので、探知魔法の気配に気づく事はできない。
代わりに彼らは人間よりも遥かに優れた感覚器官でそれを補う訳だが、俺は馬車とは目視可能な限界の距離をとっている。
さらに自身の魔力を覆い隠すエルナト鉱糸製の外套を身に着けているので、たとえ相手が魔力を嗅ぎ分ける器官を持っていようが反応を探られる事も無いはずなのだ。
にもかかわらず、こうも現れないとなるとやはり―――
あれこれ考えているうちに森が切れ、遠くカキンの街が目に入る。
さすがにここまで来ると隠密に襲い掛かることは出来ないので、これで三台の馬車が街に届いたことになる。
俺は踵を返して再び森に入り、次の馬車が林道に入るのを待ち構えようと足早に入口に向かった。
しかし、予定の刻限を過ぎても馬車は来なかった。
(このままでは夜の森を通る羽目になる。余程の馬鹿でもない限り日を改めるだろう。ゆるりと飯にでもするか)
大荷物を担いで、この場合は馬車だが夜の森に入るのは愚の骨頂。ましてや聞いた限りではごく普通の人間である馬借が刺客が居るかもしれない状況下で森に入るなど、たとえ護衛が居ようがこの先命がいくつあっても足りない。
だが、そんな俺の予断は早々に覆されることになる。
林道入口から少し入った所に野営の準備をすべく歩き出すと、遠く人間の魔力反応が
(……先頭に弱弱しい魔力が二つ、後ろに四、両脇と後方に一人ずつ。間違いない。奴隷馬車だ)
前二つの反応は荷を曳く馬なのは明らか。御者一人に奴隷三人。それらを守るように移動しているのが左右後方の三人である。
(ふざけおって……せっかくの馳走が台無しだ。一体何を考えているんだ)
無意識に取り出していた海鮮汁を慌てて収納魔法に仕舞いなおし、汁を吸わせて柔らかくしてから食うつもりだった袋に入った乾燥豆を一気に口にほお張る。
そして馬車に対する疑問が不安に変わり、ゴクリと飲み込んだ豆が喉を通った瞬間、それはまるで流星の如く俺の探知魔法を駆け抜けた。
「っ!?」
驚いている暇などないと言わんばかりに、魔力反応はとてつもない速度で馬車に向かっている。
「くそっ、速いっ!」
これほどの速度の持ち主だとは思いもよらなかった。
眼に強化魔法を施して馬車を見るが、彼らは迫りくる刺客に未だ気付いておらず一人は欠伸をする始末である。
俺は駆け寄りながら大声で警告を発した。
「狙われているぞっ! 各々構えろっ!」
俺の声でビクリと反応を示した護衛と御者が何事かと辺りを見回すが、当然刺客にも俺の声は届いている。
気づかれたことで逃げるならそれでよし、まずは馬車の安全確保が優先である。
しかし、刺客の脚は止まらなかった。
「(こ奴っ)―――迅雷!」
ドンッ!
明らかに馬を繰る御者に狙いを定めているのが分かったので、俺は身体に雷を纏って思い切り踏み込んだ。
ここでようやく迫りくる刺客の存在に気付き、勢いよく手綱を引かれた馬の嘶きが周囲に響く。
片側と後方の護衛が慌てて剣を抜くが、到底御者を守れるほどの反応速度ではない。
だが、刺客の攻撃が御者に届く一歩手前で俺の脚が届いた。
ドギャッ!
「ぐっ!?」
蹴飛ばされた刺客が小さくうめき声を上げて後方に下がるのを見て、ようやく事態を把握した護衛と御者が、いきなり現れた二人を交互に見やる。
「あなたはっ!?」
「俺は冒険者だ。成り行きは勝手に想像してくれ。あの者は君らの手に負える相手ではない。邪魔だからさっさと行けっ!」
「は、はいっ!」
御者がパチリと鞭で叩くと、二頭の馬は足回りの悪い馬車をゴンゴンと曳いて林道に向かって行く。護衛のうち一人がためらいながら俺を見るが、馬車を顎でしゃくると静かに頷いて馬車を追いかけた。
おもむろに立ち上がる刺客を注意深く見る。
肩にかかる手前まである紅い乱れ髪。
両耳の直上から後ろに伸びる見事な紅黒い双角。
俺に向けられる鋭い視線を飛ばす目は吊り上がり、口から覗かせている二本の犬歯も人間には持ちえない代物。
獣人らに見られる尾はないようだが、その姿と魔力反応はどう見ても獣人の少女だった。
「なぜ馬車を襲う。奴隷を哀れに思ってか」
「……」
「それとも人間が憎いか、獣人の娘よ」
「……」
「ラクリは今女王が戻り皆復興に尽力している。獣人達の恨みは重々承知しているつもりだが、ミトレスに戦乱をもたらした王国の元凶はことごとく排され、今居るのは何も知らぬ民だ」
「……」
「無力な人間を襲って、仲間の、君の恨みは晴れるのか? 迷っているのなら話を聞かせてくれ。何か力になれるかもしれん」
一方的に言葉を重ねるが、少女は一言も発することなく鋭い視線を俺に向けたまま微動だにしない。
まさか言葉が通じていないのかもと不安が頭をよぎったその時、ようやく反応をみせた少女から放たれたのは、怒気だった。
「なに言ってるかぜんぜんわからない」
ゴオッ!
「っ、炎!? 馬鹿なっ、待てまてまてっ!」
獣人は雷を操る種族のはず。
だが、少女が纏うのは紛れもなく熱を発する炎。
それも人間がおこすような橙黄の炎ではなく、紅い、どこまでも紅い不思議な火炎。
そして少女は獣人でいう所の獣化のように徐々に姿を変容させ、超ド級の怒りを俺に向けた。
どうやら先ほど俺が発した言葉は、全て根本から間違っていたらしい。
「でもこれだけわかる……シィは、竜人っ、だぁーっ!!」
ズドンッ!
「ぐあっ!」
その小さな体躯からは想像もつかない重い拳の一撃が打ち込まれる。
咄嗟に取った防御を突き抜けて伝わる腹への衝撃と共に、俺は最初に少女を蹴り飛ばした倍以上の距離を吹き飛ばされてしまった。
(竜人だと!?)
竜人は人里に滅多に現れない古い戦闘民族だと以前アイレから聞いたことがある。
様々な種族の橋渡しをしていた彼女をしてさえ、『めんどくさいから苦手』と苦い顔をしていた。
拳を受け止めた腕がビリビリと悲鳴を上げているが、何とか骨は無事である。
俺が追撃に備えて舶刀を抜くと、やはり当然のように怒涛の追撃が襲い掛かった。
「は、話をっ―――くっ!」
ドガガガガガガガガッ!
助走も無しにこれ程の重撃を連打する相手は初めてだった。
少女の練り上げられた体術による攻撃は上下左右、どこからでも飛んでくる。たったの一撃でもまともに食らえば昏倒は免れないだろう。
俺は全身を強化し、さらに舶刀を盾に攻撃を防ぎつつ受け流しているが、相手の体勢を崩す事すらできない。
そして一方的な攻撃の嵐にさらされ続ける俺を見て、少女はなぜか苛立ちと不満を俺にぶつけた。
「なめるな! はやく剣ぬけっ! このままぶっ殺すぞっ!!」
(抜いてるだろ! というか口悪いなこ奴!)
ズドンッ!
「くっ!」
真正面から繰り出された正確無比な正拳突きに受け流す余裕はなく、見事に中空に吹き飛ばされてしまった。
そしてそうなるよう見越していたのか、少女は俺の真上に飛び、真紅の炎を纏わせたその脚で強烈なかかと落としを見舞った。
「(受けては危険だ!)―――風よ!」
ゴオッ!
「なっ!?」
飛んだ状態で俺の起こした突風を受け、少女が体勢を崩した隙を見て攻撃点から脱出。
命中することなく振り下ろされた脚は大地を穿ち、隆起した地が直後に紅い炎に巻かれるのを見て俺は戦慄した。
「(冗談じゃない!)話くらい聞けっ!―――
ガコン!
隆起した地をそのまま利用して大壁を創造し、両側から挟み込む。効果があるとは到底思えなかったが、接近戦では歯が立たないと判断した俺はこれを機に魔法で応戦してやろうと目論んだ。
「なはっ、風と地! 剣士じゃなくてまほう使いか!?」
(なぜ嬉しそうなんだっ)
左右から迫り来た土壁を打拳と蹴り一発であっさり破壊し、少女は新しい玩具を見つけた子供の様に無邪気に笑みをこぼした。
これが戦いでなければ愛らしい一面と言えるが、現実はそうではない。
嗤う少女からはさらなる闘志が溢れ出ていた。
「話す気は―――」
「うるさい!」
ドンッ!
やはり無いらしい。
アイレが苦手だという理由がなんとなくわかった気がする。
今の少女にとって、戦い以外は些事という事なのだ。到底話の通じる相手ではない。
なぜこんなことになってしまったのか……
俺が獣人と間違えたのが原因かもしれないが、どうにもそれだけが事の発端ではない気がする。
とにもかくにも、少女が踏み込んだ地面が大きく陥没し、目の前まで迫った拳を舶刀で迎え撃つ。
ガキッ!
だが、今度は刀身の腹ではなく刃で打ったにもかかわらず、まるで金属とぶつかったような衝撃が腕に響き、少女の硬さを味わう羽目となった。
(こ奴、鉄かなんかで出来てるのか!?)
「死ねしねしねしねぇっ!」
ガガガガガガガガ!
あっという間に接近戦に持ち込まれ、折角作った距離を埋められて窮地に立たされる。
(拳も脚も尋常じゃない硬度! やはり強化刃で打たなければならぬか!)
俺はようやく本気で戦う覚悟を決め、見当たらない隙を作らせるべく敢えて大振りの一撃を振り下ろした。
案の定、初めて俺が見せたダメージを負いうる攻撃を察知して少女はピクリとこれに反応するが、躱す素振りすら見せず、炎を纏った拳で堂々迎え撃って来る。
そして刃と拳が振れる瞬間、俺は振り下ろした舶刀をピタリと止め、少女の死角から左回し蹴りを見舞ってやった。
「ふっ!」
「んなっ!?」
ガンッ!
「人間らしいひきょうこうげき!」
と叫びつつ、俺の蹴撃はしっかりと片腕で防がれてしまった。
だがこれも想定内。
叫ぶ暇があるのなら次の一手を出すべきだった。
俺はこの隙を見て距離を取り、ある意味必殺の魔法を繰り出す。
「―――
ゴオッ!
アイレが風魔法の才と持ちうる魔力にモノを言わせ、俺の
渦巻く風に包まれ、渦に触れれば切り裂かれ、触れずとも全方向から飛んでくる風の刃に襲われるという残酷な固有魔法である。
(火と風に相性の有無はない。水魔法が扱えれば有利に立ち回れるが、水は使えんからな……火は逆に飲み込まれる危険がある。まずは地と風、あとは―――)
とりあえず風の檻に閉じ込めることが出来たのなら、渦が収まる頃には少女は死なずとも相当なダメージを負っているはず。
だが、それでも勝ちを確信できない原因が、風の檻から聞こえてくる。
「きゃはっ!」
嗤い声だ。
そしてその直後。
風を操っているはずの俺に激しい空気の揺れが届き、同時に尋常ではない魔力反応がうごめいた。
「な、なんだこれは……」
「あ゛ああああアアアア゛ァ゛ァァッ!!」
ドンドンドンドンドンッ!!
風の刃と少女が発する炎玉がぶつかる轟音が辺りに鳴り響き、視界が砂塵で閉ざされていく。
けたたましい轟音と共に、先ほどまでとは比べ物にならない魔力反応と覇気がビリビリと肌を打ちつけ、俺の脳裏に浮かんだのは、紛れもない脅威の権化である二頭だった。
「この魔力、この圧力……まさかっ……」
俺の
そして砂塵の中から現れたのは、辺りに炎玉をまき散らし、完全に竜の姿に近づいた少女だった。
「アリエナイ。ニンゲンアイテニ、シンリュウカシタノハジメテ」
「っ!?」
「ホンキデイクゾ。モウシィニマホウハキカナイ。ツギデコロス」
真紅の魔力光を煌々と湛えた瞳は、戯言の類ではない事を示している。
俺はその勇壮な姿に見惚れそうになるが、突き刺さる殺意は本能的に夜桜の鯉口を切らせていた。
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