#80 追憶の旅へⅠ
「喉が渇いて仕方ねぇ、サクっといくぜぇ……ゴホンっ! よく戻ったジン! よく来たシリュウ! 乾杯!」
―――かんぱい!
カシャン!
エドガーさんの音頭で盃を合わせ、なみなみと注がれた酒を一気に煽る。
「ぐはっ、久々だ。うまいっ!」
「だろうよ! なんだかんだ故郷の酒に勝るもんはねぇんだよ!」
「はっはっは! 俺ら他所の酒ほとんど知らねぇけどなっ」
久しぶりの故郷の酒が喉を通り、空きっ腹の胃を満たしてゆく。旅先で様々な酒を口にしてきたが、スルト村で造られている酒はほどよい酒精と燻されたような苦みが特徴で、一口で嗜好が分かれるという癖のある酒だ。
俺を含めこの席にいる顔ぶれは見事にこの酒の虜となっているのだが、やはり茶と同様に、こ奴の口には合わなかったらしい。
「まずーっ! ぺっぺっ! なんだこれ、コゲてるぞ!?」
「がーっはっはっは! 当たらずとも遠からずだ。お子様の口にゃ合わなかったみてぇだなぁ」
「あたら……? ってシィはこどもじゃない! こんなコゲ水のむほうがおかしい!!」
ドンッ!
酒宴が始まった途端に村の中央広場に響き渡る大声。
机に叩きつけられた盃を見て、俺はある意味彼女に同情を禁じ得なかった。
シリュウの身体は毒と同様に酒精が効きにくく、半竜化した状態で飲もうものなら酒精はすべて蒸発して水や茶となんら変わらなくなる。
そのおかげで酒精があることで曇り、逆に昇華される酒の味ではなく、素材そのものを味わう事になるのだ。ともすれば、スルト村の酒はシリュウにとっては半ば毒物と変わらぬ印象を持たせるのかもしれない。
代わりといっては何だが、どこででも手に入る安い蜂蜜酒は『うまいうまい』と飲むので、その辺りは懐に優しかったりする。
(溺れるのは論外だが、本来の酒を楽しめぬというのも不憫なものだ)
この酒宴が行われている中央広場は事あるごとに使われている。年に一度の聖誕祭では出し物がズラリと立ち並ぶし、村長の告示もここで行われるという村の中心地。
過去、皇帝もここに降り立ったとされる言わば村の一等地である。
大きな酒宴を開くには村長の許可がいるのだが、その村長であるマティアスさんがこの席に居るので多少の騒ぎも大目に見てもらえるという寸法だ。
村長の権力は偉大である。すばらしい。
「暴れるなよ、シリュウ」
先んじて俺にそう言われ、シリュウは恨めしそうにエドガーさんを睨みつけているが、エドガーさんとオプトさんが料理屋に頼んで用意した大量のご馳走の前に怒りを収めた。
どうやら屯所に着いて早々に訓練に付き合わされたらしく、かなり腹が減っているらしい。
始まってすぐのひと悶着はシリュウの空腹のおかげで事無きを得たが、食事に夢中になってしまったシリュウにエイルはつまらなさそうに愚痴をこぼした。
「男ばっかでつまんないっ! あたしジン兄ぃの恋人の話聞きたーい!」
(来たか)
俺は知っている。
女という生き物は色恋の話が好物なのだ。
そして俺の返事は毎回決まっている。
「そんな者はおらん」
「えーっ、うっそだぁ~。ジン兄ぃ絶対モテるもん! ねぇねぇ、帝都って綺麗な人いっぱいいるってホント?」
「どうだろうな」
「あーっ、その顔アヤシイっ! 何人泣かせたの!?」
倒れた人はいたが、泣かせてはいない……たぶん。
というか、無表情なはずの俺の顔を見てなぜそんな事が分かるのか。
エイルは盃を手に詰め寄ってくる。
俺はここで押される訳にはいかないと、料理に手を伸ばして酒で流し込んだ。
だがそうして無関心を装ってもなお諦めないエイルを止めるようソグンに目線を移すが、当人は早くも酒が回っているのか、ゆらゆらと揺れてほろ酔い状態になっていた。
「うぃ~」
(役に立たん奴め! 明日から鍛えなおしてやる!)
そんな俺を見てニヤついているベテラン勢。
「エイル」
(おっ、さすが父上。息子の窮地に―――)
「俺も気になってたんだ」
ここに俺の味方はいないようだ。
キラキラと期待顔を寄せて来るエイルに、酒勝負でも仕掛けて黙らせるかと思案していると……
「私たちも混ぜて下さい」
「ジェシカさん! コーデリアさん!」
ここで家から出てきた二人にエイルは駆け寄り、俺は面倒から解放された。
(感謝します! 母上っ、コーデリアさんっ)
身重の母上が酒の席に来るなど以ての外だと思うのだが、コーデリアさんが付き添うのなら話は別だ。
母上は意外にも調子がよく、シリュウではないが酒を水のように飲むので気が付けば……という事態も考えられるのだが、コーデリアさんがいるのなら鋭く見張ってくれるはず。
それでも俺はこの事態を想定し、よもや家の前で宴会などと反対したのだが、家は中央広場の一角にあるので他に適した場所も思いつかず、ここで飲む酒より美味いものはないと父上らに押し切られてしまった。
「ジ、ジェシカ。大丈夫なのか?」
「
「うっ」
母上が自らの意志で出てきた時点で誰が諫められるはずもなく、父上は黙って隣に席を作り始める。
(言わんこっちゃない)
分かり切っていた結果に、俺は鼻を鳴らして父上に追撃をかけてやった。
「私はここでは不味いと言ったんですがね。父上らが―――」
「あら? ジンは私達をのけ者にしようと?」
「うっ」
親子よろしく黙って席を作り出した俺と父上を見て、エドガーさん、オプトさん、ニットさんが大笑いし、なぜかティズウェル卿までが笑いこけている。
(卿の妻ですよ? 多少は御して頂けませんかね?)
俺の心の声は届くことなく、助かったと思ったのもつかの間。
事態はより深刻になってゆく。
「お二人も気になりますよね!? ジン兄ぃのコイビトっ!」
「うぉいっ! エイルっ!」
「そうねぇ……私もそろそろ孫の顔が見たいわ」
「それだけは今の母上が言ってはなりませぬ!」
「ネタは上がっていますよ、ジン。アリア、アイレ姫、シリュウさん。そして私の勘が正しければルーナ陛下も。よもやコハクさんではあり得ませんね? さぁ、どなたが本命ですか。潔く答えなさい」
つらつらと出てくるまさかの名に震え上がる俺。
もう頭は混乱の極みにある。
「コ、コーデリアさん! シリュウはありえないでしょう! そもそもなぜ
コーデリアはラプラタ川でアイレとコハクに会い、二人がジンを語る姿を見ているし、さらにジンが獣人国の女王をジオルディーネ王国の魔の手から救い出している事も当然承知している。
ルーナの事に関してはコーデリアの完全な予想だったが、ジンの慌てふためく様子を見て、このカマかけが見事にハマったことを確信した。
(そういえばアリアの口から三人の名が出ていた。という事はコーデリアさんが知っているのも至極当然! 思えば、アイレも二人に会ったと言っていたぞっ)
今更その事を思い出したところで、後の祭りである。
「ネタは上がっていると言ったでしょう? それにシリュウさんも年頃の女性。そんな言い方は失礼です」
「わぁーっ、きゃーっ! 姫って!? 陛下って!? ていうかそれってすごくない!? 禁断の愛!? やっぱモテモテじゃんジン兄ぃ!」
「ぐっ」
(油断した……少なくとも、こんな口の周りに飯を張り付かせるヤツに何を思うところがあるものか!!)
「んぇ?」
やかましいエイルと攻勢を緩めないコーデリアさんに辟易していると、自分の名が出たシリュウは食べる手を止めた。
俺の困惑と苛立ちが入り混じった視線を浴び、シリュウはその意味を考えているように見えたが、俺の二人への反撃の狼煙となりそうな反応は望むべくも無かった。
「なはっ! お師がこまってるとこはじめて見た。べんきょうなるです!」
「……破門だ」
「うえっ!? はもん!? なんで!?」
「ええい、食いながら叫ぶな!」
飛び出してきた咀嚼物を払いながら、師の窮地になんの助け舟も寄越さないヤツなどいらぬとそっぽを向いてやる。
酒の席の戯言とは言え、それが分からずにまともに受け止めるのがシリュウである。
本気で焦って大騒ぎするシリュウに俺を除く一同が慌ててたしなめ、図らずもエイルとコーデリアさんの猛攻から逃れられそうな雰囲気となった。
(おっ、いいぞ)
この機に乗じて引き続き黙りこくってやると、とうとう涙目になり始めたところで戯言だと言ってやる。すると、今度は一転して烈火のごとく怒り出した。
さすがにこれは想定内だったが、適当にあしらおうとした矢先に母上に笑みを向けられ、次の瞬間に俺は取り分けられた料理を差し出して謝罪していた。
(……ここまで謝る必要が果たして俺にあったか?)
「くくっ、いい相棒じゃねぇか」
謝った後に到来した後悔にも似た何かに俺が苦虫を嚙み潰していると、斜め前に座る父上がふとつぶやいた。
「本当にそうお思いですか」
「ああ。少なくとも退屈はしない。冒険者にとっちゃ案外大事な事だぞ」
「……たしかに」
身近にある有難味に対し、仮にその存在に気づいていたとしても感謝を表すのは難しい。
特にその気が強い俺にとって、ましてやシリュウを相手にそのように振る舞うのは大いに憚られるのだが、普段もさることながらこうして今実際に助けられた訳で。
追撃の機を逃したコーデリアさんはため息交じりに笑みを浮かべ、エイルは酔いが回り始めたのか、今度は俺と同じく独身のオプトさんとマティアス村長に標的を切り替えている。
(感謝かぁ……)
昨日、勘違いから失意にあった最中に告げた気もするが、それ以外に口にしたことは無いはず。
その後はこの酒宴は俺とシリュウが主役というのもあり、皆は俺たち二人の冒険話に華を咲かせたが、ここでエドガーさんが核心ともいえる話の種をまいた。
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