#79 異変の森

 俺がスルト村を出た翌日に亡くなったというティムル前村長。


 その事を知ったのは俺が初めて訪れた帝都で受け取った、母上からの手紙だった。


 当時は時期的に考えても俺が出ていったせいかと戸惑い悲嘆に暮れたが、母上の手紙はこう続いた。


『あなたのすべき事は嘆き悲しみ、故郷に舞い戻ることではありません。あなたが旅先で得たもの、失ったもの、何を想い何を成したか―――いつの日かそれらをご報告なさい。それがティムル村長の望みだと母は思います。』


 そして手紙はこう締めくくられている。


『後の事はマティアス村長にお任せして、あなたは前に進みなさい』


 その日俺は天に向かい、控えていた酒の盃を傾けた。


「まえの里長ですか」


「ああ」


 墓前に手を合わせていると、シリュウは訳も分からず真似て手を合わせた。


「人間はこうする……おぼえたです」


 弔い方法は竜人と多少異なるらしいが、『長は強くて偉い人』という構図が刷り込まれている彼女にとって、たとえ知らぬ人だろうが敬意を払うに値するらしい。


(ティムル村長。今日の所はこれにて)


 これまでの旅を一度に報告するにはあまりに時間がかかるので、俺はキリの良いところで一旦立ち上がる。


 竜人であるシリュウの滞在は墓前に来る前にマティアス村長に報告済みなので、今日しておかなければならない最後の段取りに移ることにした。


「屯所に行くぞ」


「とんしょ……? はっ!? ぶたごやに用ないです!」


「ふむ。腕を上げたな。その切り返しは初めて食らった」


「ふふーん」


「屯所は駐屯隊、つまり騎士らの家みたいなものだ。この村にギルドはないからな。今日からシリュウには駐屯隊の戦闘指南役、のような仕事をしてもらう。あと豚小屋を馬鹿にすると食卓から肉が消えるから気を付けろ」


「ぶたごやさいこう!! ちゅうとんたいコーデ言ってた。せんとう……は何するです? シィもう石はこびイヤです」


「それは心配ない。気に入ると思うぞ」


「ほほほぅ」


 と言いつつも給金が出るかなど内容は聞いていないので細かい事は分からないのだが、まぁ悪い事にはならないと断言できる。


 なんせ取り持ったのは軍神コーデリア・レイムヘイトだ。駐屯隊には逆に同情を禁じ得ないが、俺も遠慮するつもりは毛頭ない。


 母上と腹の子の為にも外敵から村を守り、治安を維持する役目がある駐屯隊には短期間だろうが死ぬ気で鍛えてもらわなければならない。


 当然俺も不測の事態など微塵も起こさせるつもりは無いが、手は多いに越したことは無いのだ。


 私情? そうだが?


 そうこうしながら屯所に向かう途中、森の警戒から交代で村に戻ってきていたエドガーさんとオプトさんの姿を遠目で発見した。


 父上と同様にこの二人は守り手という役目から、昼夜問わず村の外へ出ずっぱりな事も多いので挨拶は後回しになっていた。これは好機と近寄って挨拶をする。


「エドガーさん、オプトさん。お疲れ様です」


「おー、ジン! ってまだ腫れてやがるな! がーっはっはっは!」


「ジーンー。もうあんなのは勘弁してくれよぉ……無能のレッテル張られちゃたまんねぇよ」


 父上に殴られ、まだ腫れが引いていない俺の顔を見て笑い飛ばすエドガーさんに、昨日俺とシリュウの強引な入村に当たってしまったらしいオプトさん。


 母上やコーデリアさんのような歓迎もいいが、この二人の普段と変わらぬ態度も逆に嬉しい。


 とくにオプトさんは貴族や司祭といった地位のある人が苦手で、Sランクとなった俺に何かしらの遠慮のようなものが見えては残念だと思っていたのだが、どうやらそうならずに済みそうだ。


「おぅ、竜の嬢ちゃん。俺はエドガーってんだ。よろしく頼むぜ」


 俺が紹介する前にシリュウに手を伸ばすエドガーさん。オプトさんとは違ってそういった面で物怖じしない彼には頭が下がる思いだ。


 だが、差し出された好意も手も取らず、シリュウはエドガーさんを睨みつけて昨日の怒りをぶつけた。


「がはは人間! きのううしろに剣もってかこんだだろ! おぼえてるぞ!」


「がはは……? っていやいや、なんでわかったんだ!?」


「わかる! がはは人間とこっそりまわり見てたたかうよういしてたっ!」


「い゛!?」


 俺が家の中に居た時の話だろう。


 父上と後から合流したオプトさんはさておき、さすがエドガーさんだ。


 記憶では駐屯隊と他の守り手もいたと思うが、この人はシリュウの敵対を予測して構えていたという事なんだろう。


 そしてそれを看破していたシリュウもやはり人並みではない。


「わ、悪かったって! こっちも色々あんだよ!」


「いろいろってなんだ! きのうはお師がしょんぼりしてたから見のがしてやったけど、きょうはゆるさない!」


「おい、ジン! 見てねーでなんとか言ってくれ!」


 ガルルと牙を剥くシリュウにエドガーさんは身を仰け反らせている。


 シリュウが剣を向けられて黙っているはずがない。


 まぁ、実際には向けられたわけではないが、エドガーさんがしたことはシリュウにとっては完全に敵対行為であり排除の対象になるし、その因縁は俺の常識では測れない深さとなっているはず。


 俺はシリュウに気を使われていたのかと今更ながら知りつつ、彼女の戦士としての矜持を守りながら怒りを鎮める方法を思案する。


「落ち着けシリュウ。エドガーさんは母上を心配して、いきなり村に入ってきた最強の竜を警戒しただけなんだ」


「ははうえをしんぱい……っ! にんしんですか!?」


「そうだ。お腹の子に万が一があってはならないと、たとえ敵じゃなかったとしても警戒するのが普通だろう? ましてや」


「それがさいきょーの竜だったら」


「その通り。だから許してやってくれないか」


「……」


 スッとシリュウから怒気が消え、エドガーさんをなめるように見定め始めた。カッツェから言われた『さいきょーの竜』がよほど気に入っているのか、母上が効いたのかは定かではないが、とりあえず面倒な事は回避できそうである。


「なーっはっはっは! それをはやく言え! ならゆるすぞ、がはは人間!」


 高笑いするシリュウに若干青ざめつつ、エドガーさんが詫びに飯をおごると言うと興奮気味に『いつだ』と問い詰めている。


 その約束は俺にはどうしようもないので、あとはエドガーさんの金袋が空にならないことを祈るしかない。


「な、なぁ、ジン。ジェシカはもうこの娘を手懐けた……のか?」


 俺にそう囁いたオプトさんには、シリュウがドラゴニアの次期長であることは伏せておいた方がよさそうだ。


「母上の事ですし、昨日今日で十分にありうると思います」


「……俺、仲良くやれっかなぁ」


「扱い方が分かれば、何とでもなりますよ」


 そして今晩、俺の帰郷とシリュウの来訪を祝して皆で酒を飲もうというエドガーさんの提案に乗り、その場は別れた。



 ◇



 午後。


 シリュウを駐屯隊長のドイルさんに預け、俺はブカの森の入り口まで来ている。


 ここ数日森の様子がおかしいという父上に言われてやってきた訳だが、シリュウが離れたと思った矢先に押し付けられたのが新人の守り手であるソグンとエイル。


 二人は初めてブカの森に入るらしく、俺は帰ったばかりな上に久々に一人で森をうろつけると思っていたのでかなり渋ってやったのだが、全く聞き入れられなかった。


 なぜだ。わからぬ。


 しかも二人はシリュウと同い年であるのと、エイルの先走りやすい気質とソグンの慎重すぎる性格を事前に聞いていたので、殊更に面倒臭くなりそうだと思っていたのだが……


「エイル、あまり離れちゃ駄目だよ。ロンさんの言う通り、この森なにかおかしいよ」


《 そうね。なんか分かんないけど、胸がざわざわする。こんなの初めて 》


(素晴らしいっ!!)


 落ち着いて状況を見ようとしているソグンに、それを素直に聞き入れてより警戒心を高めたエイル。


 二人が通信魔法トランスミヨン探知魔法サーチの使い手というのも大きいが、それを差し引いても油断のない心構えと危険な森での立ち回りをよく理解している。


 この一年、無造作無警戒に森に入って敵とみるや即座に敵対してしまうシリュウでは考えられなかった。いつの間にか、俺はすっかり世話をしなければならないと思い込んでいたらしい。


(悪いものに慣れてしまったようだ……)


 俺が光悦の表情で木漏れ日に目を細めていると、ソグンは恐る恐るといった様子で話しかけてきた。


「あ、あの、ジンさん」


「……」


「ジンさん?」


「あ、ああ……すまない。どうした?」


「その……いいですか?」


「ん、俺は問題ない」


《 じゃなくって、このまま奥まで入っていいか聞いてるの! ジン兄ぃ寝てたでしょ!? 》


「お、おぅ。そういう事か」


 エイルからの通信魔法トランスミヨンで目を覚ました俺は慌てて奥地を探る。ブカの森は村から見て西に広がる大きな森で、西に行けば行くほど強獣、強魔が跋扈する。


 父上やソグンが言った通り、今のブカの森は俺の知る森ではないことは確か。そこかしこで魔獣同士の縄張り争いと、魔物と魔獣の戦いが繰り広げられていた。


「二人とも、この森の三獣は知っているな?」


「はい。大爪熊アルクドゥスの変異種である赤大爪熊レッドアルク、それと激しい縄張り争いをしている暁大蛇ティタノボア、あと―――」


《 森の掃除屋、死肉蝶イツマデ! 》


「うむ。ではその中で今この状況下、村にとって一番危険なのは?」


「村にとってですか? そ、そうですね……やっぱり一番獰猛な赤大爪熊でしょうか」


《 違うわよソグン。音もなく忍び寄る暁大蛇! でしょ? ジン兄ぃ 》


「二人とも目の付け所はいいぞ。だが、今一番注意すべきは死肉蝶だ。厄介なのは比した戦闘力じゃない」


「……あっ、そうか! 森で戦いが激化しているから、その分餌が増えるんだ!」


《 えーっ、死肉蝶って確かにやばいって聞くけど探さないと見つからないってみんな言ってたし、名前の通り死肉ばっかり食べるんでしょ? 怖くなくない? 》


「普通ならね。だけど死肉蝶ってさ、他の魔獣より遥かに繁殖力が強いんだよ。単体生殖っていって、全ての個体が子を成せるんだ。成長も早いけど、そのせいで寿命が短いって言われてる」


《 出た、ソグンのうんちく。だから何よ 》


「つまり魔獣たちが争って死骸が増えた分、その豊富な餌を食べて死肉蝶が爆発的に増えるってこと」


《 はぁーっ!? たしかにそれはヤバいわ! っていうか想像しただけでキモい! 》


 そういう事である。


 確かに普段のブカの森なら恐れる必要のない魔獣で、俺もここでは一度しかお目にかかったことが無い。


 死肉蝶は人間の頭大ほどのデカい極彩色の蝶で、蝶らしいヒラヒラとした動きは何とも読みづらい。


 しかも昆虫獣には珍しく火に耐性を持っているというクセ者で、俺は旅先で見かけてもサッサと逃げることにしている。ちょっかいを掛けなければ襲ってくることは無いし、それほど素早い訳でもないから何ということは無い。


 だがそれは俺だから取れる手段で、増えた死肉蝶が森の餌を食べつくしたあとどうなるかは想像に難くない。


 奴らは死肉を好んで食うというだけで、腹が減ればこの森の魔獣のほとんどを自ら狩れる戦闘力はある。


「ソグンの言った通りだ。増えた死肉蝶が餌を村に求める可能性は十分に考えられる。腐っても三獣の一角、C級の魔獣だ。村に大量の死肉蝶が現れたら村は危機的状況になる。エイルは探知魔法サーチで警戒を怠らず、死骸も積極的に探すんだ。見つけ次第、燃やす」


《 わ、わかった! 》


「べ、勉強になります! 状況に応じて、僕たちがやるべき事は変わるってことなんですね!」


「頼んだぞ。守り手の将来は君らのような優秀な若手にかかっている」


「優秀だなんて……で、でも頑張ります!」


 といいつつ俺も十分に若手なのだが、皇帝からの依頼があるので村に居られるのはあと二、三ヶ月が限界。


 最初は父上をはじめとしたベテラン勢の仕事だとやる気はなかったが、こうも優秀なら話は別。ソグンら若手が守り手を十分に担えるよう、村にいる間は教えられることはしっかりと教える事にしようと思う。








――――――――

【#79.5 ソグンとエイルとブカの森】をSP限定公開しました。


https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817139557288941349


未読でも本編に影響はございません。2000文字弱と少々小盛で、かる~くドヤる展開です。ここでブカの森前半はお終いなので、物足りない奇異な読者様はデザートとしてご賞味ください。

いつも応援して頂き、本当にありがとうございますm(__)m

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