#77 貴賓館にてⅡ

 その後も話すにつれ、ティズウェル卿の人となりがだんだんわかってきた。


 柔和な語り口調で、聞かれるがままにこれまでの旅の事を話すと、鋭い考察とその土地土地に対する深い知識には俺も唸らされた。


 特にマラボ地方という遠い異国に対する見識には驚かされたし、亜人の国々で構成されるミトレス連邦の今の状況もよく知っていた。


 そしてしばらく話したあと、ここまで何も言わずにほほ笑んでいるコーデリアさんを見て、俺は最初に感じたティズウェル卿に対する印象を大きく変えた。


 こういう事をはっきり言ってしまうのも、悪い性分か。


「初めはコーデリアさんの威を借りた体たらくな御方だと思っていましたが、卿は良き領主だとお見受けします」


「い、いやぁ……厳しいね。でもありがとう。今のところは頑張らせてもらっているよ」


「本当によかった。でも、どうしてそう思うのかしら?」


 一安心といった様子で、コーデリアさんは胸に手を当てながら聞いてくる。


 これまで黙っていた事を後で聞けば、自分が夫に助け舟を出しては逆に俺の夫に対する評価を下げてしまうと思っていたらしい。


 確かに全くもってその通りで、妻に助け舟を出してもらわなければどうにもならない人だと俺は思っただろう。


「まずはマーサさん。あれほど女中が、完全に卿に対して服しておられる。彼女は剣を持たせても相当にやれるでしょう」


「その通りよ。マーサは元々騎士団に居たわ」


 少し話は逸れるが、帝国各地に存在する帝国騎士団は一切が皇帝に仕えており、各地に派遣されているだけの存在である。


 そして皇帝から爵位を与えられた貴族が領地を借り受け、領主の名の下に自らの手腕で領地を富ませて皇帝に税を納めるという、帝国貴族は言わば地方の行政長官のような存在なのである。


 王政の貴族や前世でいう大名に仕える家臣らとは違い、貴族本人の所領は存在せず、帝国全土が皇帝の所領なのだ。


 この形式的に切り離された制度により、仮に領主が没落し領地を追われたところで騎士団にはなんら関係はなく、次の領主と今いる領民を守るという使命は変わらない。


 つまり、領主はその土地の騎士団に対する指揮命令権は有するものの、騎士団からすれば本来の主は異なるという事だ。


 実際は長くその土地を治める領主に対し騎士団が忠誠を誓っているという歪みはあるものの、この問題は問題として上がらない。


 それによる弊害は無いし、領民を守って国難を退けるという使命を果たし、忠誠はともかく皇帝の命が最上位に置かれる以上、国としてはそんな歪みなどどうでもよいという事なのだ。


 要するにマーサさんは皇帝に仕える立場を辞し、領主であるティズウェル家に仕えるという選択をしたという事である。


 そしてその決断をさせるだけの器量が、このティズウェル卿にはあるという事を意味する。


 そして俺の理由付けは続く。


「もう一つ。ただの朝の訓練にブルーノさん始め、皆さん軽鎧を身に着けておられました。剣も木剣ではなく、一様に刃引きされた金属剣です。御領地ならいざ知らず、ここはスウィンズウェルから遠く離れた地。さすがに金が掛かり過ぎます。にもかかわらず」


 と、俺はティズウェル卿の装いを見て続ける。


「卿のお召し物はあまりに不自然。貴族でありながら、村人となんら変わらぬ平服です。これは懐の金を騎士団に振り過ぎている証拠であり、この部屋もあまりに質素で調度品一つありません」


「うっ」


「……」


 ティズウェル卿とコーデリアさんの二人は顔を見合わせている。


「一昨年のジオルディーネ軍との戦もそうです。地理的にスウィンズウェル騎士団が参戦するのは無理があったにも関わらず遅参したという話は全く聞きませんし、あのような大遠征には多くの金が掛かるはず。皇城から金が出ていたというのなら話は別ですが……」


 首を横に振るコーデリアさん。


 やはり自費での出陣だったようだ。


「最後に」


 俺は横でうつらうつらと首を揺らしているヤツに質問する。


「シリュウ。昨日ここで食べた飯とボーボー鳥、どっちが豪華だった?」


「んぁ? ぼーぼーどり……? はっ!? お師、それはぐもん! ボーボー鳥にかなうはずないです! この里はボーボー鳥あるですか!? きたーっ!」


 いらぬ期待をさせた詫びは後でするとして、これが俺の最後の答え。


 つまり、ティズウェル卿は領地から吸い上げた税は不測の事態に備える最低限だけを蓄え、そのほとんどを私利私欲に使わずに領地のため、帝国のために使っていると俺は言いたかった。


 領民を想って領主自らが倹約と節制を心掛け、善政を敷く。そこに剣の腕は必要ないし、それこそ気弱な性格であろうが関係ない。


 一地方の領主でありながら広く情勢を知り、他国にまで触手を伸ばすほどの見識と鋭い感性、危険を予知する能力がティズウェル卿には備わっている事をこの短時間で垣間見ることが出来た。


 それを踏まえると、国家戦力だのなんだのと言われてしまっている俺を恐れるのは、よくよく考えれば領主として当然で、必須の素養なのかもしれない。


 冒険者ギルドからは『取扱に注意せよ』との触れが出されていたらしいし、俺からすれば全く迷惑な話だが、その張本人として浅慮だったと言わざるを得ないか。


 かなり遠回りをしたが、このような御仁ならコーデリアさんの夫としてギリギリ許せる。


 ……だがまぁ、とりあえずこの場は、俺が勝手にティズウェル卿をゆるす理由を作り上げたと言っても差し支えないかもしれない。


 コーデリアさんは当然として、思った通り、俺が言いたかった事を察したティズウェル卿。


 なぜか俺が卿を見定めるような形になってしまったが、それはお互い様だろう。


 以降はコーデリアさん、シリュウも交えて旅の話やスウィンズウェルの事、学院にいるアリアの話にまで花を咲かせた。


 アリアの縁談の相手を聞きたくて仕方が無かったが、今そこまで俺が突っ込むのもいささか憚られたのでこの話はしなかった。


 聞けばティズウェル卿は多くの仕事をこの遠征に持ち込んでいるらしく、それを聞いた俺はすぐさま立ち上がった。


「お忙しい中、母上の為に卿までお越しいただいて感謝します」


「ジェシカ殿はある意味妻と僕を繋いでくれた恩人だからね。勝手についてきて、自分で仕事を持ち込んで勝手に忙しくなってるだけさ。気にしないで欲しい」


 非常に気になることを言い出したティズウェル卿。


 退席しようと立ち上がった折に言い出す策士っぷりを見るや、俺はまだまだ卿の事を測り切れていないのか。その場でどういう事かと聞くことも出来ず、また話そうという裏返しだ。


「では、今日はこれにて。ごちそうさまでした」


 部屋を出た俺とシリュウを、コーデリアさんが館の外まで見送ってくれる。


「ジン。楽しかったわ。それにありがとう。シリュウさんは後で駐屯隊に送ってあげて下さい」


 感謝されるようなことは何もしていないのだが、コーデリアさんがそういうのならそれでいい。


「こちらこそ。ようやくティズウェル卿に挨拶出来てよかったです」


「あんな感じだけど、嫌わないであげて下さい」


「……もちろんですよ。ですが、完全に認めたわけではありませんからね」


「ふふっ。それも、ありがとう」


「っ! なぜその言葉が出るのです!」


 俺は大げさに踵を返し、驚いたシリュウが後から付いてくる。



 ◇



  ジンが貴賓館を出た後、残されたティズウェル卿ことハッシュ・ティズウェルは、ソファに根を生やしたまま動けないでいた。


 傍に控えていたマーサは動かぬままの主人に何も言わず、茶器を片付けて菓子の食べかすを丁寧に掃除していた。


 そこに戻ったコーデリアは微動だにしない夫の様子に、一つため息をつく。


「いつまでそうしているのです」


「……う、動けないんだ」


「はい?」


「動けないんだよっ。脚が震えてる!」


「はぁ……情けない。途中から楽しげに話していたではありませんか」


「そ、そうだけど、なんかこう一気に押し寄せてきたというか! 逆に聞きたいんだけど、コーデリアさんとマーサ君は平気だったのかい!? ほら、最初のあれ、ズシンって来るやつ!」


「ああ……あれですか」


 コーデリアはジンが恐ろしい顔で無意識にまき散らしていた威圧を思い出し、クスリと口元に手を当てた。


「シリュウ君も驚いていたけどなんか全然普通だったし!」


「あれは無属性魔法、そうですね……探知魔法サーチの網を限界までして、己の意識を乗せた……ようなものだと思います」


 魔力探知に優れた感度を持つコーデリアは、ジンの威圧の正体をいともたやすく看破した。


 それでもなお、そんな使い方が出来るとは思いもよらなかったコーデリアは、ジンの成長が嬉しくてたまらなかった。


「マーサは平気だった?」


「申し訳ありません……階下でお茶を淹れておりましたが、それでも手が止まりました。僭越ながら、旦那様のお気持ちはわかります」


「だよね!? 僕らが普通だよね!?」


「威張らないで下さい。無意識ではなく、今のジンが本気でやれば常人ならおそらく話すことも、指一本動かすことも不可能だと思います」


「っ!? コーデリアさんが言うからには本当にそうなんだろうな……何ということだ……常人の中の常人の僕はこれから彼とやっていけるのだろうか……」


 頭を抱えるそんな夫にコーデリアは怒るでもなく、そっと傍に寄り添った。


「今日限りにして下さいね? いつまでもそんな事では困ります」


「コーデリアさん……」


「確かにあの子は規格外。だけど、同じ人間です。話して分ったでしょう?」


「それは……確かに……旅の話をしていた時は子供っぽさも感じ……」


「この先もジンはあなたのように一方的に恐怖を覚えられ、それでなくても好奇の目にさらされ続けます。それは避けては通れない、大きなことを成す者の宿命と言えます。だからこそ私はあの子の真の拠り所の一つとなっていたいのです」


「……その一つに、僕も」


「そうあって欲しいと私は思っています」


「ははっ……君は、学院生の頃からいつもいつも、そうやって僕の背中を押してくれたね」


「さぁ。私は記憶力は良いですから。わかりません」


 パンッ


 ハッシュは勢いよく自分の顔を両手で叩き、愛する妻の期待に応えようと立ち上がった。


「任せてくれコーデリアさん。僕が間違っていた。長年頭の中のジン君と語り合って来たんだ! もう大丈夫!」


「ふふっ、それはとても気持ち悪いですね。マーサは無理をしなくていいですから」


「お、奥様、お戯れを! 私めは震えてなどおりません! 全く問題、あっ……」


 立ち直ったと思った途端にシュンと肩を落としたハッシュを見て、取り繕おうとするマーサにさしものコーデリアもクツクツと肩を震わせた。


「さぁ、仕事をしましょう」


 こうしてハッシュにとって、スルト村で起こる第一の予期せぬ嵐は過ぎ去った。


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