#76 貴賓館にてⅠ

「たぁぁぁっ!」


 気合の声を上げ、男が豪快に剣を振り上げ一直線に向かって来る。


 勘違いしているであろうこの状況ではコーデリアさんは人質に当たる訳だが、お構いなしに突っ込んでくるのを見るとなにやら作為的なものを感じざるを得ない。


 構えはそれなりに様になっているが……


「うあーきられるー」


「助けてー」


「棒読み過ぎるっ」


 剣が振り下ろされる瞬間に胸元にいたコーデリアさんはスッと離れ、肩車の状態にあったシリュウもピョンと飛び退いた。


 ビュン!


「待った待った!」


 暑苦しい状態から解放された俺はそう叫びながら、振り下ろされた剣を一歩横にかわす。


「ふっ!」


 すると剣は気合と共に地面スレスレでピタリと止まり、瞬時に切り返されて今度は横払いが繰り出されようとするが、それをさせるほど俺は甘くない。


 男の腕力が剣に乗る前につかを足で押さえてやると、走ることの無い剣に男は強引に力を入れ、行き場を失った力が自らの手首に跳ね返る。


 グギッ


「あぐぅっ!」


 男は痛みで剣を落として悶絶。


 その様を見て、当事者である俺はまだしもコーデリアさん、騎士団の面々からも溜息が漏れる始末である。


「コ、コーデリアさんから教わった私の秘剣をこうも簡単に……っ! 貴様は一体!」


 茶番である。


 手首の心配すら馬鹿馬鹿しくなった俺は、さっさと名乗ることにした。


「お初にお目にかかります。ハッシュ・ティズウェル卿。私はジン・リカルド。決して卿の愛する妻に仇なす者ではございませぬ」


「あ、愛するだなんて……その通りだけど言われると恥ずかしいものだね……その様子だと気づいていたかい?」


「状況を見る限りです」


「はは……痛タタ……。と、とにかく、会えて嬉しいよ。ジン君」



 ◇



 護衛隊長のブルーノさんが二名の騎士を館に残し、揃って駐屯隊に出向くのを見送って俺たちは改めて館に戻った。


 朝食は家で食って来たので、俺たちの前にはマーサさんが淹れてくれた茶が置かれている。


 貴族がよく愛飲しているような香り高い紅い茶ではなく、渋みと苦みの効いた茶はここスルトでよく飲まれているもの。俺は断然こちらの方が好みである。


「にがい。まずい」


「おい。失礼な事を言うな」


「申し訳ありません。他のお飲み物をご用意いたします」


「あ、お気になさらず」


 さすがのマーサさんもシリュウの子供舌を予想していなかったのか、ティズウェル卿の許可を得て慌てて茶を入れなおしに部屋から出て行ってしまった。


 本当に申し訳ない。


 それはともかく、シリュウの事だからブルーノさんに付いていってまた駐屯隊で身体を動かすものだと思っていたので、大人しく席に着いているのは意外だ。


「それにしてもなぜあんなことを?」


 顔をしかめているシリュウはさておき、対座しているティズウェル卿とコーデリアさんに改めて事の次第を聞いてみる。


 こういう場は普通身分の高い者、つまりティズウェル卿から話が振られると思っていたのだが、なかなか話が飛んで来ないので俺から話すことにした。


「あなた」


「っ! わ、私が答えるのかい?」


「当然でしょう。しっかりして下さい」


「ううっ」


 ティズウェル卿の先ほどの様子、そして今の様子を見て改めて思う。


 コーデリアさんは幼い頃から剣の師であり、言葉遣いや振舞、強くあらんとする心構えなどを教わった母同然の存在である。


 強く、気高く、美しい。


 それでいて厳しくも優しい。


 時折重すぎる愛情表現を差し引いても、十分尊敬できる人だ。


 優しさと鬼との振れ幅が大きい母上と似ているようでまた違う、色々な事を教わった大切な人だ。


 だからこそ。


 そんな恩人の夫で、さらに学院で頂点に立たんとするあのアリアの父がこの目の前の人なのかと思うと、正直腹が立ってきた。


(なんだこの体たらくは……ぶん殴って目を覚まさせてやろうか)


「―――ン、ジン」


「っ、は、はい?」


 暗い感情に覆われそうになったところで、コーデリアさんの呼ぶ声で現実に引き戻される。


 横にいるシリュウも目を丸くして俺を見ていた。


「顔が怖いですよ」


「お、お、お師。やっぱりおちゃうまいです」


「……よかったな」


 俺の機嫌が途端に怪しくなったことに勘づいたコーデリアさんは、なぜか笑みを浮かべている。


 そして意を決したように、ティズウェル卿は淡々と心の内を明かした。


「その……だね……ジン君。正直に言う。私は君が恐ろしいんだ。私はしがないただの田舎領主で、君は陛下お墨付きの大陸に名を轟かせる冒険者。幼い頃、この村に来た時に君を見たことはあったが、それ以降は妻と娘から聞く君が私にとっての君という外側だ」


 本人に面と向かって恐ろしいと言われるとは思わなかったが、学院でアリアからそれとなく聞かされていたのでそれほど動揺はない。


「皇城から寄せられる王竜殺しジン・リカルド。街のギルドから聞こえてくる冒険者ジン・リカルド。アスケリノ君から聞き及んだ空駆ける希望ジン・リカルド。どれもこれもが耳を疑うような話ばかり。まさか、昔妻が言っていた夢物語が現実になる日が来るとは思ってもいなかった」


 何を聞いたのか定かではないが、それが原因で勝手に恐れられたところで俺にはどうしようもない。


「私は……いや、は根っからの小心者でね。本来なら家督も継げない貧乏貴族の三男坊。兄らが不幸にあってたまたま爵位を継いではいるけど、君のような存在からすれば、吹けば飛ぶちっぽけな存在だ」


(おいおいおい……ほぼ初対面の男の前でどこまで落ちる気だ)


 謙遜は美徳かもしれないが、モノには限度と言うものがある。


 妻であるコーデリアさんもそれはわかっているはずだが、全く口を挟まないところを見ると今はこの人に任せたという事なんだろう。


 だが、いつまでもその卑屈さに身をほだされるこっちの身にもなってほしい。


 見ず知らずの他人なら軽く聞き流せるが、この人はそういう訳にはいかない。


 事ここに至っては、身分などどうでもいい。一人の男としてティズウェル卿を見ることにした。


「昨日の夜、そんな小心者の所に突然名高い竜人族のシリュウ君が来てくれて。それでも腰が抜けそうだったのに、さらにあのジン君が来るかもと聞いてね。一睡もできなかった」


 知らん、と言っては元も子もないので言わないでおく。


 シリュウは突然訪れたにもかかわらず、飯をたらふく馳走になった事は感謝しかないし、今マーサさんが淹れた新しい茶と出された菓子をうまそうにほお張る様子を見て、少し心に余裕が出来た。


「それで考えたんだ。ただ普通に会って、僕はまともに挨拶できるのかなって―――」


 ティズウェル卿が言い終える前に、俺は俺のやり方で俺という人間をわかってもらう事にする。


「それで小芝居を打ったってことですか。私としては普通でよかったんですが、まともに話せないなら卿に限り、仕方がなかったという事にしましょう」


「助かるよ。剣を向けた事、申し訳なかった」


「剣速と切り返しはそこそこでしたが、見え透いていました。ですが、その心意気は良いものかと。それより、こいつをどうやって芝居に参加させたんですか」


「んぇ?」


 俺はシリュウの頭をガシガシと撫でる。


 シリュウが大人しく、ましてや初めて会う『人間』の頼みを聞くとは到底思えない。


 普段見ない菓子を一つ一つ珍しそうに眺めて口に放り込みながら、分かっているようないないような顔をするシリュウを見て、ティズウェル卿はようやく笑みを浮かべる。


「ああ、『お師さんと戦うから見てて』って言っただけで、後は成り行きだよ」


「ふむ……」


 シリュウに対する指示としては正しい。細かい事を言っても到底覚えないし、覚えるつもりもない。実際、シリュウは手を出さずに見ていただけである。


 彼女からすれば、芝居に参加したという気は毛頭ないのだろう。








――――――――――

長くなり過ぎたので切りました。

次回は明日、7月19日21時に公開します。

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