#75 その心意気やよし

 シリュウが世話になっているというティズウェル家が滞在している貴賓館を訪ねる。


 三棟ある貴賓館うちの一棟にティズウェル家の家紋が掲げられていたので、迷うことなく扉を叩いた。


 すると眼鏡をかけ、その奥に鋭い眼を持つ女中が扉を開けて顔を出す。背はかなり低く、ともすれば子供かと見紛うほどだが、使用人としての所作は素人の俺の目には完璧に映っている。


 下手にその事に触れない方がよさそうだ。


「どちら様でございましょうか」


「ジン・リカルドといいます。こちらにシリュウという竜人の娘が世話になっていると聞いたのですが」


「お待ちしておりました、ジン・リカルド様。奥様よりお通しするよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」


 全く表情を変えることなく、女中は静々と館内へ招き入れてくれた。


 幼い頃、建てられたばかりの貴賓館が珍しくて侵入を試み、管理人に見つかってこっぴどく怒られた記憶がある。


 その時は内部をじっくり見る間もなく、迎えに来た母上に立て続けに怒られたのも懐かしい。


 とにかく、数年の時を経て入った貴賓館は外観だけではない、村にそぐわない立派な内装をしていた。


 案内される先がどこだか分からないが、既に五回は曲がっている。これも侵入者を想定し、害をなそうとする不届き者を惑わせるための工夫なのだろう。


「不躾ながら、マーサさんという方はおられますか?」


「はい、マーサは私めでございます」


「これは」


 予想外の返答に俺は慌てて居住まいを正し、今日の飯の事、母上が世話になっている事への感謝を告げた。


「どうかそのような謝意はご無用に願います。特に奥様とお嬢様が大変お世話になっているジェシカ様へのご奉仕は、我々ティズウェル家に仕える者にとって至極当然……光栄な事なのでございます。毎年のスルト村へ訪問は、どの使用人が帯同させて頂くかを皆で競うほどです」


「そんな大げさな」


 反射的にそう答えたが、心からそう思う。


 目の前にその『ジェシカの息子』がいれば悪くは言えないのは当然だが、いくらなんでもと言いかけたその時、ピタリと動きを止めたマーサさんが鋭く虚空を見つめた。


 手には、いつの間にか薄手の布が握られている。


 ヒュッ


「うぉっ」


 俺の顔の横に伸ばされた腕。


 攻撃の気配はなかったので避けたりはしなかったが、思いがけない動きと速度につい声を上げてしまった。


「大変失礼しました。僭越ながら、私は今年で三度目の帯同となります」


 マーサさんはクィと眼鏡を上げ、廊下の窓をあけて布をパンッと広げると、ごく小さな羽虫がひらひらと外へ舞っていった。


「まさか……虫を?」


「さすがご高名なジン・リカルド様。今のをお分かりになられたお客様は、昨日のシリュウ様に続いてお二人目でございます。スルト村に帯同できる使用人の第一条件。速やかに侵入者を排除する能力です」


「侵入者とは一体」


 未だ顔色一つ変えないマーサさん。


 俺の『大げさな』という主張を否定も肯定もせず、虫を排除した彼女は引き続き俺を先導しはじめた。


( ……ティズウェル家の使用人、おそるべし)


 どうやら、彼女は本気で言ったようだ。


 そして案内された先。


 扉を開ける前から、気合の入った声が耳に届いている。


「こちらでございます」


 マーサさんが扉を開けると、そこは裏庭だった。


「おおおおっ!」


「なはっ! ぜんっぜんダメだ!」


 バキッ!


「ぐあっ!」


 軽鎧に身を包み、武器を持った騎士風の者らをシリュウは軽くあしらっている。


 蹴り飛ばされた男が倒れると同時に他の者が前に出て、次から次へと襲い掛かってはまた吹き飛ばされを繰り返しているようだ。


 俺が気にしていた夜桜はそんなシリュウの背に括りつけられている。


 腰の鉄球と干渉してガキガキと音が鳴り、源九郎の郎党として前世史に残っている、ヘタな武藏房弁慶のような格好になっているものの、持っているという約束は果たしているようなのであとで褒めてやる事にしよう。


「失礼いたします、奥様。ジン・リカルド様がお見えでございます」


 そんな光景に眉一つ動かさず、腕を組んで掛かり稽古けいこを見ていたコーデリアさんに、マーサさんがスカートの裾を持ち上げる。


「よく来ました、ジン」


「おはようございます、コーデリアさん」


 コーデリアさんが『ご苦労様』と言うと、マーサさんは音もなく裏庭を後にした。


 やはり、只者ではない。


「シリュウさんをお借りしています」


「存分に。あいつも望むところでしょう」


 やはり戦いの事となるとシリュウは生き生きとしている。


 魔物や魔獣の被害が皆無と言えるスルト村はシリュウにとって退屈だろうと予想していたので、村を出るまでは駐屯隊に放り込んでやろうと思っていたのだが……


「それと、駐屯隊に彼女を戦闘訓練に参加させるよう言ってありますが、問題はありませんね?」


「全く」


 話が早すぎて、ぐぅの音も出ない。


「では」


 と言って、コーデリアさんは俺の腕を持ち上げて自分の肩に回し、不意に身を寄せてきた。はたから見れば俺がコーデリアさんを抱き寄せているように見えなくもない。


「何ですかこれは」


「ご褒美です」


「……一応、何の褒美でしょう」


「スウィンズウェルに立ち寄らなかったご褒美。私宛の手紙を一つも寄越さなかったご褒美。ラプラタ川で私を無視したご褒美。私が帝都を出た後に帝都に赴いたご褒美。昨日、抱き着いたら臭かったご褒美。再会を十分に喜ぶ間もなくロンさんと殴り合った挙句、眠りこけたご褒美」


「お、重い罪の数々」


「ご褒美です」


「しかし、罰としてアリアには俺を叩っ斬るよう言ったのでは?」


「ご褒美です。確かに叩っ斬るように言いましたが、あの子の事です。どうせ久しぶりに会う貴方に尻込みするでしょうから、貴方が他の女生徒に手を出す前に存在を明かすには最善の手段と踏みました」


「聞いた事と違うっ!」


 自分の復讐を娘に託したように思っていたが、どうやらアリアが俺に会う事を尻込みすると予想して、そうならぬよう娘を煽るような文面だったらしい。


 そして事実尻込みしていたアリアは見透かされた事を恥ずかしく思い、俺の名誉を守りつつも手紙の内容から伝わってくる、ラプラタ川で放っておかれた母の怒りを踏まえて俺を脅かしたのだ。


 嘘はつかず、されどほんの少しの変化を。女の言葉は裏があると、昔父上らから聞いている。


 あのアリアでさえそんな事をするのだ。ある意味、いい教訓になったのかもしれない。


 そもそも女生徒に手を出すと思われている事も不本意だが、システィナ嬢ことシスティと仲良さげにしていた事はアリアに露見している。その事を大げさに伝えられてはとんでもない事になるので、これについて抵抗するのはやめておこう。


 俺が諦めて力を抜くと、コーデリアさんはしたりと胸に顔を埋めた。


 旅立つ前はさほど変わらなかった身長が、それができるようになるほど伸びていたのかと改めて思う次第。


 だがシリュウはともかく、訓練中の騎士らを目の前にしてこの所業は如何なものかと冷や汗が止まらない。彼らにとってコーデリアさんは主人に当たるのだ。


「コーデリアさんそろそろ……」


「そうですね」


 胸の中で返事をしたコーデリアさんは、気合をまき散らしている騎士ら、そしてシリュウに向かって号令をかけた。


「そこまでっ!」


「「「はっ!」」」


「あれっ、お師ー! いたですか!」


 騎士の数は十名。


 皆汗をかき、コーデリアさんの前に整列する。


 つまり、俺の前に整列する。


「俺の言った『そろそろ』はこっちではないのですが!? 離れて下さい!」


「はい? まだ一つ目の最中ですが?」


 あと五つ分の罰が残っているらしい。先は長い。


 主がどこの馬の骨とも分からない男に抱き着いている光景を、整然と並んで見せつけられている彼らの気持ちを思うと、俺は今日から夜道に気を付けねばならない。


「こらぁっ、コーデ! お師からはなれろ!」


「どうしてですか?」


「どうして!? どうしてって……どうしてだ?」


 もうシリュウがコーデリアさんを名で呼んでいるところを見ると、既に二人はやり合ったと見るべきだろう。


 ともかく。


「おい。いつもの粘り腰はどうした」


「ぐぬぬ……ならシィも……とぅ!」


 ガシッ


 今度は肩から上にいらぬものがくっついた。


「これでごかく!」


「良い手です。やりますね」


 本当に疲れる。


 訳の分からない状態のままコーデリアさんは俺を騎士らに紹介し、俺が諦めて重い頭を傾けると、意外にも騎士らは胸に手を当てて敬礼の形を取った。


「あの……どなたか、この人に言って頂けませんか」


 俺が胸元のコーデリアさんを指して言うと、中央に立っている騎士の一人が前に出る。


「スウィンズウェル騎士団一番隊所属、此度の護衛隊隊長の任を仰せつかっております、ブルーノ・オーウェンと申します」


「はい」


 俺にそんな慇懃な態度を示す必要は全くないのだが、コーデリアさんを前にしてはこれも致し方ないのかもしれない。


 そしてオーウェンさんの続く言葉は、とめどなく溢れてきた。


「恐れながら、このオーウェン。ラプラタ川の戦に参戦し、貴殿に命を救われたも同然の身。ここにいる者らだけではありません。団長アスケリノを含め、団員千名が生きて故郷の土を踏めたのも、全ては貴殿のご助力があってこそ。この場をお借りして騎士団を代表し、心より御礼申し上げます」


「おまえなに言ってるかわからない」


「黙ってろ。あと降りろ」


 いきなりそんな前の事を言われてもピンと来ない上に、そもそもスウィンズウェル騎士団とは面識がない。


 あの戦で生き残ったのは皆の鍛錬の賜物だと、適当とは言わないが当たり障りのない返事をしそうになったところで、下から突き上げられる視線に気を取り直した。


「ごほんっ!……皆さんは使命とはいえ、身を挺して私の母同然であるコーデリアさん、さらに私の妹同然のアリアを守護されたのでしょう。それは私にとって何よりも代えがたい働きです。私からも御礼申し上げます。それと皆さん、どうか私には楽になさってください。私とてまだまだ若輩者。お気軽にジンとお呼び下されば、私も気兼ねなく語り合えます」


「お師もなに言っ―――」


「黙ってろ。あと降りろ」


「「「ありがたくっ!」」」


 ブルーノさんは跪き、何の琴線に触れたか分からないが、目を潤ませている者もいる。


 こっそり胸元に視線を移すと、目を細めるコーデリアさんがいた。


 どうやら今のでよかったらしい。


 そしてブルーノさんはスッと立ち上がり、さらに言葉を紡いだ。


「では、ジン殿。あの戦場を機に、参戦した全騎士は貴殿を『空駆ける希望』と呼び、戦以降も畏れ敬っているのです。気軽になどと、いささか難しい面があるのはご承知頂きたい」


「あー……そんなこともありましたね」


 確かにあの時、アイレとコハク、マーナと共に風渡りで軍を飛び越えた。そんな呼ばれ方をしているなどつゆにも思わなかったが、ともすればアイレは喜ぶかもしれないが俺にはこそばゆいだけ。


「その『空駆ける希望』に全く気付かれることなく去られてしまった、見るに堪えぬ奥様のご落胆を我々スウィンズウェル騎士全ての者が目の当たりにしております」


「えっ、と? つまるところ……」


「はい。今の奥様のお振舞をお諫めする者は、スウィンズウェルには誰一人としておりません」


「うっ!」


 なんという長い理由付けだろう。


 反論の余地はなく、コーデリアさんを引っぺがすのは不可能なようだ。


「私にくっつかれるのは、そんなに嫌ですか」


「あ、いやっ! そういう訳では!」


 悲し気に眉尻を下げるコーデリアさんを見て慌てて否定すると、今度は逆に彼女の口角が上がる。


「ふふっ。残念ながら一人だけいますよ? この光景を見て暴れ出す人が」


「暴れられても困るのですが……ちなみにその方は」


 と、俺が聞こうとした矢先、悲鳴にも似た怒声が裏庭に響き渡った。



「あ゛ぁ゛ぁぁぁっ! コーデリアさんっ!! 何ですかその男はぁぁっ!!!」



 悲痛な顔で廊下の窓から身を乗り出したのは、平服に身を包んだ中年の男。


 この距離の目算ではさほど背丈はなく、風貌もどちらかと言えばとっつきやすい優し気な雰囲気がある。だが、男の眉間には初見の俺でも似つかわしくないと思えるシワが寄っている。


「あ、ごはんのおっさん」


「知り合いか」


「昨日ごはんいっぱいくれたです」


 相変わらず肩車の状態を維持したままのシリュウが珍しく『人間』呼ばわりしていないところを見ると、割と感謝している分類に入る人だということは分かる。


「そのままだな……いや、待てよ……貴賓館ここで飯が出せて、コーデリアさんの名を呼べる者となると……」


 だが、俺の思案は男の怒声にかき消され、あれよあれよとのっぴきならない状況に陥ってゆく。


「き、き、貴様っ! コーデリアさんを放せっ! シリュウ君、あとで沢山お礼するからそのまま捕まえてて欲しいっ!」


「ちょっと待っ」


「おっさんうるさい」


「マーサ君! 剣をっ!」


「はい。こちらに」


「マーサさん!?」


 何処からともなく現れ、既に手にしていた剣を男に差し出したマーサさん。


 そしてこの事態に微動だにしない隊長ブルーノさんを含めた十人の騎士。


 この時俺は、コーデリアさんが彼らには動かぬよう睨みを利かせていた事に気が付かなかった。


「コーデリアさん! 今助けますっ!」


 男は剣を抜き、窓を乗り越えて襲い掛かってきた。



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