#74 帰郷は拳から

 互いに無手で始まった親子喧嘩は早一刻の時が過ぎた。


 徐々に日も傾き始めたが、両者一向に退く気配はない。


 ドンッ!


「どうした、Sランクってのはその程度なのか!」


 ジンの蹴りが容赦なく父ロンの頭を襲うが、ロンは片腕一本で防ぐ。腕を通して上半身にビリビリと衝撃が伝うが、ロンはすぐさま反撃の拳を繰り出した。


 ガシッ!


「っ、うるさい! つべこべ言わずに殴られるのがスジってもんでしょう!」


 ロンの反撃をジンも両腕で防ぎ、喧嘩は時が経つにつれ増々熱を帯びていった。


「勝手に勘違いしたのはお前だ!」


「無茶な! あんな手紙ものを読めば、誰だって勘違いします!」


 強化魔法を帯びた互いの拳がぶつかる度に、周囲で見守るしかできない者らは鈍く重い衝撃に後ずさる。


 そしてこの攻防は、もはや普通の人間に目で捉えるのは不可能となっていた。


 手数の多さは圧倒的にジンが勝っていたが、一撃一撃の重さはロンの方が上。


 ロンがふと繰り出す強力な攻撃をまともに食らえば、ジンは一撃で沈んでしまう可能性があった。


 だが、逆上しつつも、身体に染み付いた父の特性は嫌というほどわかっている。


 対するロンも息子の速さと、自身を軽く凌駕する戦闘センスに対し、持ち前の頑強さで耐えてはいるがいつまでも受け続ける訳にはいかない。


 ロンの中ではジンがキレて襲い掛かってくることは想定内であり、ここで息子に勝つための準備はこなしていた。


 逆上した相手を制するのは容易い。


 ジンは夜通しで村まで駆け、疲れ切っている。


 もし剣で斬りかかられては条件を満たしたところで勝ちは薄かっただろうが、ジェシカがそれを許すはずも無く、案の定素手でかかってきたのだ。


 ならばこの喧嘩、父として負ける訳にはいかない。


「さっさとくたばれ、クソ親父!」


「やってみろ、バカ息子!」


 ガコッ!


「ぶっ」


 ドギャッ!


「ぐっ」


 徐々に当たり出した攻撃により互いがグラつき始め、容赦なく狙われる顔面に鋭く入った攻撃で血飛沫が上がってもなお、両者依然退くつもりはつもりは無い。


 四年前、ジンが冒険者となるためにロンが課した試練である親子決闘。


 あの凄惨さを知っている者らは当時の事を思い出していたが、今回は特に身近な者らは皆ジンの応援に回り、止める事はしなかった。


「やれぇ、ジン! ぶっとばせ!」

「ロン、お前が悪いっ」

「ジン君、ロンさんを反省させて下さい!」

「まったく……なぜこの二人はまた同じ事を……」


(う~ん、なんで今のよけなかった? お師ならヨユーでかわせたハズ)


 そしてこの殴り合いに当初は興奮しつつも、徐々にむずかしい顔をして眉間にシワを寄せ始めたシリュウにジェシカが問いかける。


「どうしたの? シリュウちゃん」


「えっとな、お師ほんきなのにほんきじゃない。なんで? ははうえ分かるか?」


「そうねぇ」


 確かにジンは本気でロンに殴りかかっている。


 だが、シリュウはジンは勝つための力を持っていながら、あえてその手段を取っていないことの疑問をジェシカにぶつけた。


 これにジェシカは頬に手を当て、殴り殴られ、徐々に顔を腫らしていく夫と息子を見ながら彼らの心の内を端的に説明する。


「ジンは勘違いした贖罪……と、照れ隠しかしら。あとロンは、あっちの『ちちうえ』の事だけど、あの人も全く同じ理由ね」


「どっちとも、しょくざいとてれかくし……? お師とおんなじ! ははうえもむずかしい!」


「つまり、二人ともを放って殴り合うお馬鹿さんって事ね」


「ほほう。お師は里にかえってばかになったですか」


「ふふっ、そうよ」


 この後もシリュウの疑問に次々と答えていったジェシカ。


 あまりもの長時間に渡る殴り合いに、ジェシカがそろそろ疲れを見せ始めたところで親子の喧嘩は終わりを見せた。


 ゴギャッ!


「っ!」


「ぐ!」


 互いの拳が同時に顔面にめり込み、顔の形を変えながら両者は盛大に仰向けに倒れた。


「はっ、はっ……なぜあんな手紙を?」


 おもむろに父は膝を立て、大の字に仰向けのままの息子に答える。


「はあっ、はぁっ、ぺっ!……出産に間に合わせる最善の手段だ」


「母上が身重だと書いていても、駆けてきます」


「……お前はSランク。たった三年そこらでなっちまうからには壮絶な旅だったんだろう。息子とはいえ、冒険者ってのは人を変えちまうし、変えられちまうもんだ。確信が持てなかった」


「どうです、私は変わりましたか」


「ふっ……調子に乗ってんじゃねぇかとも思ったが、まずは杞憂だったみたいだな」


 冒険者は人を変える……か。


 自分が自分であり続けているかなど自分にしか分からないし、仮に自分が変わってしまったとしても自分で気づく事は出来ないかもしれない。


 アリアは自分の知る俺だと言ってくれたが、それを手っ取り早く拳で分かり合おうとするなど何とも父上らしい。


 元Aランク冒険者としての経験を踏まえ、父上はもはや自身が知る俺ではなくなっている可能性を考慮し、知る限りで俺の弱点である母上を人質に取ったという事だ。


 確かに状況によれば、手紙で母上が身ごもった事を知らされても祝いの言葉を添えて返事を出し、日を置いたかもしれない。


 母上のお気持ちは一旦置くとして、なぜ自分が悪役になってまで父上は俺を出産に間に合わせたかったのか。それが未だに見えてこなかった。


 だが、何と聞いたものかと思慮している内に、激しい睡魔に襲われる。


 どうやらここらが限界のようだ。


(道端で無警戒に寝るなど……ここでしか出来ない……な……)


「ジン、お前には伝えなきゃなんねぇ事が―――」


 ロンは寝そべるジンに言葉を紡ごうとしたが、ふと見るとジンは既に深い眠りについていた。


「まぁ、そうだわな……よく戻った、ジン」


 ロンは眠る息子を抱え、ジェシカと共に家へと帰った。



 ◇



 翌朝。


 懐かしい天井で目が覚めた俺は、改めて帰ってきたのだと実感した。


「痛っ!」


 ふと触れた頬に激痛が走り、昨日の殴り合いの証が刻まれたままであることに若干の不穏を覚える。


 母上なら、たとえ身重だろうが間違いなく俺が寝ている間に治癒魔法ヒールを施してしまうだろう。


 それが無いという事はつまり―――


「まずは母上に謝罪だな」


 怒っておられる。当然だろう。


 帰って来るなり父上との喧嘩を所望したのだ。口では快く送り出してくれたように聞こえたとしても、俺の背で母上がどのような表情をしていたかまでは分からない。


 俺はベッドから下り、家の裏にある樽の置かれた水場へと向かった。


「おぅ」


「おはようございます」


 そこには俺と同じく顔を腫らし、体中痣だらけの父上がいた。


 どうやら父上も母上に治癒魔法ヒールを施してもらえなかったようだ。


 まぁ、当然と言えば当然である。


「ひでぇ顔だな」


「お互い様でしょう」


「だな」


 言葉少なめに父上から桶を受け取って水をすくい、ザバッと頭から豪快にかぶる。


 冷えた水が一気に頭を覚醒させ、この場所で十数年繰り返してきた所作と共に思い出がよみがえった。


「ふぅ」


「……」


 束の間の沈黙。


 別に気まずい訳ではない。


 ここでも互いの心理戦が繰り広げられている。


 どちらが先に謝るか。


 男とはなんと面倒な生き物なのだろうと、改めて思う今この瞬間だ。


 だが、この戦いの決着は早々についた。


「悪かったな」


「……意外です」


「親父が度量を見せるところだろ」


「そもそもの発端は父上。当然の判断ですね」


「そういう所は変わっててくれねーかな」


「ええ、この性分のせいで先日も苦労しました。父上のおかげかと」


「このやろ……っ!」


 とりあえず俺も軽く謝罪しておき、これでわだかまりはなくなった。


 父上が飯が用意されているというので二人して居間に戻ると、そこには朝食とは到底思えない豪華な料理が置かれていた。


 すでに席に着いていた母上にまずは謝罪をすると『いいのよ』と笑顔が返ってきたが、これは言葉の通りではない。


 俺の経験上、怒りは今日一日続くはずである。


 はっきりと怒られるのはまだマシな方で、母上が本当に怒った時は終始不気味な笑顔が張り付くのだ。


 それでも自分の前に置かれた食事にまだ手は付けていないようで、俺と父上を待っていたようだ。


 俺は促されるままに、父上と顔を引きつらせながら席に着く。


「またジンと食事が出来て嬉しいわ」


 この穏やかな笑みは本物であると思いたい。


 しかし、気になることが一つ。


「母上、これからは父上と私に食事の用意は不要です」


「え、俺も?」


 俺が豪華な食事、父上には俺の知るいつもの食事、母上にはあまり見かけない食材が使われた食事と言った具合に、それぞれ異なった品が並べられている。


 腹を空かせていると見越され、この時ばかりは豪華な食事を見て腹がなってしまうが、身重の母上に台所に立って欲しくない。


 食い物は収納魔法スクエアガーデンにある程度入っているので何とでもなるし、村には食事処も少ないがあるにはある。面倒をかけたかと、また申し訳なくなってしまった。


「いいえ。ジンが帰ったし、私が作りたかったんだけど……食事はマーサさん、ティズウェル家の使用人さんが作ってくれたのよ。あとでお礼を言わなきゃね」


「なるほど。さすがコーデリアさん。ぜひ甘えましょう。母上は安静になさるべきです」


「ちょっと先が思いやられるわねぇ……」


 後々聞くと懐胎の身には食っていいもの、悪いもの、積極的に食うべきものがあるらしい。詳しい事は領分ではないので覚えきれないが、その辺りをしっかりと踏まえられた食事が母上には準備されるという。


「お前の時も似たようなもんだった。コーデリアがあれこれ気を回してな。当時はまだティズウェル家の人間じゃなかったし、もう慣れたが……俺たちゃ平民であいつは生まれながの貴族。異常だっての!」


 父上が不満げに好みである硬めのパンをほお張りながら文句を漏らす。


 その貴族様に悪態をつきまくるのだから父上の腹もどうかと思うが、俺は全面的にコーデリアさんの味方である。


 聞けば外から帰ってもすんなり家に入れてもらえないだとか、せっかく狩ってきた獲物に対して『この肉は駄目』だのと色々言われてしまうらしい。


 そもそもコーデリアさんは母上だからこそやっている訳で、父上の事など眼中にないと俺は思っている。


「その貴族の使用人が用意した飯をほお張りながら言われても、説得力に欠けますね」


「うるへー」


「ふふっ」


 そんなこんなで朝食をすませ、久しぶりの家族団らんの時を過ごした。


 話は尽きなかったが、今日中に全てを話す必要も無いと適当に切り上げ、俺は挨拶回りに出ようと席を立つ。


 と、ここで、すっかり忘れていた事を思い出す。


「あっ! シリュウ!」


 そういえば夜桜も預けたままで、今の今まで丸腰が気にならなかったのも故郷こその油断だ。


「あの子はコーデリアの所よ」


「え?」


 母上の即答に俺は思わずマヌケな声を上げてしまう。


 この家に部屋は三つ。居間と両親の寝室、それに俺の部屋があるのだが、シリュウは適当に居間の片隅にでも転がしておけばいいだろうと思っていたのだが……


「あの子、ドラゴニアの姫らしいわね」


「「え?」」


 続く母上の言葉に、俺と父上が同時に声を上げる。


「そう言われれば……」


 一応シリュウはドラゴニアの次期長という顔も持っている。『姫』と呼ぶにはあまりにもそぐわないが、立場を鑑みればその通りとしか言えない。


 だが、その事を話した覚えはないのでシリュウ自らが話したのか。


「なんだよ、お前どこでそんなの拾って来たんだ?」


「あなた、言い方」


「いや、囲んだ時ジンの弟子だのなんだの言ってた気がするんだが」


 俺と父上は昨日早々に脱落したこともあり、シリュウがその後村からどういう扱いを受けたのかは定かではない。


「ということは貴賓館ですか。何かしでかす前に、迎えに行って参ります」


 父上の疑問は放置し、俺は村の貴賓館へ向かった。



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