#73 兄

 ジンとシリュウが川へ向かった後。


 どうにもジンの様子が腑に落ちないコーデリアが後を追おうと家を出ると、表はちょっとした騒ぎになっていた。


 ジンの帰郷と竜人であるシリュウの入村を、貴族や大商人、八神教の総本山であるイズモフ大聖堂の司祭クラスといったしている村人らでさえ、驚きをもって村中に触れ回っている。


(あら?)


 扉を開けてすぐ、コーデリアは近くに落ちていた一枚の紙を拾い上げた。


 手紙に見えなくも無いが、乱雑に折られ仕舞われていたのかクシャクシャになっている。


(なんでしょう)


「―――!?」


 何気なく見た手紙のようなものの内容に、コーデリアは絶句する。


「これは……」


 宛名は『ジン』とあり、文末に署名はなされていなかった。だが、ジンが落としたものに間違いはなさそうだ。


 家の前で話の輪の一員となっているロンの元へツカツカと歩み寄り、シワを伸ばしながら手紙を広げて見せる。


「ロンさん。これは貴方がジンに宛てたものですか」


「ん? 何のこと……っ!?」


「貴方がジンに宛てたものですか」


「……」


 ヒュバッ!


 ロンが鋭く手を伸ばして手紙を取り上げようとするが、そうはさせまいとコーデリアはサッと回避。宙に浮いた手を止めて固まるロンに、氷の視線を浴びせる。


「今のが答えでよろしいですね」


「……だな」


「だな、ではありません! なんですかこのふざけた内容はっ!!」


「ふざけてなんかないさ。事実しか書いて無いだろ、なぁ?」


 コーデリアに詰め寄られてもロンはまったく悪びれる事なく、腕を組んでそばに居たエドガーに同意を求める。


 穏やかではないコーデリアに尻込みしながらも、水を向けられたエドガーは手紙にサッと目を通すや、その顔はみるみる青ざめていった。


「お、お前っ! これ言ってた手紙だろ!? どおりであの落ち込み様なわけだ! あいつこれ読んで最悪の想像してやがるぞ!?」


「『ジェシカが大変、間に合わない』って、これでは何も書かずに不安を煽っているだけではありませんか!」


 ここでソグンとエイルに合流して戻ったオプト、加えて村長のマティアスが話を聞きつけて駆け付けると騒ぎはさらに大きくなり、村の一角は大騒動に発展した。


「信じらんねぇ……めでたいのに、なんでこんなことすんだよぉ」

「ロンさん。僕、村長として言わせて頂かなければなりません」


「走ってたのジン兄ぃだったんだ。久しぶりだなぁ、あーしのこと覚えてるかなぁ~」

「エイル、たぶん今そんな和やかな感じじゃないと思う」


「やべぇ、嫌な予感しかしねぇ」

「あの子も大人になったはずです。ここで真実を知って大暴れするはずは……いや、離れていた分反動は大きく……ああっ! なんでこんな事に!」


「隊長、あのジン・リカルドが帰ってきたんでしょう? 竜人の事はともかく、なんかみんなの様子おかしくないですか?」

「あ、ああ……お前は知らないんだったな。俺も着任した後に知ったんだが、四年前、ジン・リカルドが旅立つ直前。ここで何があったのか」

「え?」


 パンッ!


「はいはいみんな落ち着け~。たかが息子が帰ってきただけだ。そんな騒ぐことじゃねぇよ。ジェシカが不安がるしやめにしようぜ」


「「「「お前が言うな!」」」」


 ここでロンが手を叩いて視線を集めると、折よくジェシカが家から出てきた。


「みんな集まってどうしたの? あの子のお迎えかしら?」


「そ、そんなところです」


 コーデリアは何と説明していいか分からず、外の空気を吸いたいというジェシカの隣に立った。


 もう成るようにしか成らない。そんな心持である。



 ◇



《 ふむぅ……お師のははうえがしぬ……それで元気ないですか 》

《 そうだ 》


 二人で落差二メートルほどの小さく細い滝に打たれつつ、村まで急いだ理由と家で目の当たりにした現実をシリュウに伝えた。


 面と向かって言えそうにない上に滝に打たれながらでは話も出来ないので、隣にいながら通信魔法トランスミヨンを使っている。


 話を聞いただけではあまりピンと来ないらしく、薄々思っていた事ではあるが、やはりシリュウ自身は父や母と言った存在を明確に認識したことは無いらしい。


 シリュウの話を要約すると、『里の子』として等しく育てられる竜人は、いわば里の大人全員が父であり母なのだという。生みの親というのは確かに存在するが、親がそれを明かすことは絶対にないし、を子が嗅ぎまわることもなく、どちらも掟で固く禁じられているらしい。


 戦闘民族であるが故の、人間が繁栄する以前から積み上げられた長きに渡る竜人達の営みに、人間である俺が口を挟む余地は一分いちぶもない。


《 でも、兄様とシィはとくべつ。ごせんぞ様にすごい強いひとがいたです。兄様とシィはその人のだって 》


《 …… 》


 何代前かは分からないが、血のつながりは明らかなので二人は例外的に兄妹として育てられたという事なんだろう。


 そんな彼女は唯一の肉親を失い、痛みに悲鳴を上げていたのはよく知っている。


 その時、俺は何かしたか。


(何もしてやってない)


 悔しいと泣き叫ぶシリュウを黙って見ていただけだった。


 それが今、逆の立場となっているのだ。


《 あ、あの……お師のの、兄様といっしょ? 》


《 どうだろうな。少なくともまだ母上は生きている。シリュウに比べれば俺はまだ…… 》


 と、ここで口を噤んだ。自分の意志でここまでついてきたとはいえ、俺の事情に巻き込むのもどうかと、本当に今更だが引っかかりを感じたからだ。


《 まぁ、シリュウが気に病むことは何も無い。それよりスルト村はいいところだぞ。ギルドは無いし魔素も薄い上に村の警備も万全だから、夜、魔物に起こされることも職員に起こされる事もない。メシもうまいし、村の皆はいい人――― 》


「おぉーしぃー!!」


 ザパッ


 俺が最後まで言い切る前に、滝から出て目の前に立ったシリュウ。


 グッと拳を握り、前髪から滴る水滴をものともせずに見開かれた両目には、淡く真紅の魔力光が灯っていた。


「知ってる! お師がいきなりいっぱいしゃべるときは何かかくしてるとき!」


「ぐっ」


「だいじょうぶ! シィがついてる! こんどはシィがお師たすける!」


「っ」


 真っすぐに俺の目を見るシリュウに同情や欺瞞の類は無かった。


 あの時助けたという実感は無いのだが、彼女がそう思っているのなら俺がとやかく言う事はない。


 共に乗り越えようと本気で言ってくれているその様子に、情けなくも喉奥がギュッと締まり、熱くなる目頭を誤魔化すには滝はうってつけだったと思う。


「……ありがとう。戻ろう。あまり遅くなっては心配をかける」


「はいーっ。あ、でもたすけ方わかんないからおしえてです」


「……」


 何処までも正直なヤツだと、俺はあきれつつ滝から出て身を拭う。


「それならもう一度言うが、素っ裸で俺の前に立つな」


「お師もふく着てないです」


「俺はいいんだよ」


「なんで!?」


 これを納得させるにはおそらく膨大な時間を要することだろう。


 一度試みたことがあるのだが、『まものははだかでもおそってくる』と言い返されて早々に断念した覚えがある。


 いつかどこかの誰かが教え諭してくれる事を、心から期待する。



 ◇



 小川から戻ると、家の前が人でごった返していた。


 そろそろ日も傾こうとしているからなのか火の準備をしている者もいるが、何やら数がおかしい。明らかに過剰ともいえる照明の数だった。


(しばらく留守にしている間に、光源を増やしたのか?)


 燃料の事に目を瞑れば、村が明るい事は悪い事ではない。


 俺は落ち着きを取り戻したこともあって、思い出したかのように疲労感と睡魔が一気に押し寄せてきているのだが、何をおいてもまずは母上の顔が見たい。


 疲れてはいるものの、俯き加減におのずと足取りは早くなっていった。


 そしてそろそろ家に着くというところで、


「ジンっ!」


 名を呼び、勇み足で駆け寄ってきたのは母上だった。


「は、母上!? なぜ外に!!」


 慌てて俺も駆け寄ると、母上は病に侵された身を俺に預けた。


「ああ……ジン……こんなに大きくなって……」


「はい」


「怪我はありませんか」


「ありません」


「食事はきちんと取っていますか」


「この通り。食わねばここまで成長しません」


「……黙っていてごめんなさい」


「いいえ。私を心配させぬようにされていたのはわかっています」


「おかえりなさい」


「はい……只今戻りました」


 駄目だ、皆が見ている



 男たれば


 母の死以外で涙を流してはならない



(いや、無理だ。誰だそんなことを言ったやつは。前倒しさせてくれ)


 耐えれば耐えるほどに俺は震えが止まらなかった。


 ここで、溢れそうになった涙をギリギリ押し留めてくれたのも、母上だった。


 スッと俺の腕から離れた母上は、すぐ後ろでモジモジしているシリュウに声をかける。こんな状態にもかかわらず、いかにも母上らしい気配りだ。


 さらに、亜人であるシリュウを全く気にする様子はなかった。


「初めまして。ジンの母のジェシカです。お名前を聞いてもいいかしら?」


「あ、え……っと、シィはシリュウ……あの、その」


 こんなに言い淀むシリュウは初めて見た。


 そして何かを決心したように、母上に思いの丈をぶつける。




「こ、このたびは……ごしゅーしょーさまですっ!」




 !?




 この場にいる全員が、シリュウの最も言ってはいけない言葉に唖然とした。


 言ってやったと言わんばかりに母上と視線を交えるシリュウ。その苦々しい表情とは裏腹の言葉に絶句し、向こうの人らの中には膝から崩れ落ちた人もいるようだ。


 彼女の事を知らない者からすれば、どれほど残酷な種族なのだろうと耳を疑っている事だろう。


 俺からすれば先ほどの事もある。


 悪気はない。悪気はないんだ。


 だが、絞り出した思いやりの言葉は、真逆となって彼女の口から飛び出してしまった。


 俺は村に帰って早々に二度目、またも目の前が暗くなる。


「そうじゃない! ここへきてそれはないだろう、今すぐ取り消せ大馬鹿者!!」


「ひっ! シィまたまちがえ―――」


「申し訳ありません母上! こいつはそんなつもりで言ったのでは」


 慌てて取り繕おうとするが、取り消しようもない言葉が脳内で反芻。いかにして言い訳を並べ立て、無礼極まりないシリュウにどんな罰を与えるかに思考が変わろうとする間際、


「ジン! 落ち着きなさい!」


「っ!」


 母上の鋭い視線と声が突き刺さる。


 余命幾ばくもない人が発せる覇気なのかと、俺はものの一言で引き戻された。さすが、いついかなる時も母上は母上だ。


「シリュウちゃん。ごめんなさいね。私を心配してくれたのよね?」


 コクコクと首を縦に振る。


 罵声を浴びせられたり、優しく話しかけられたりと、シリュウの感情も些か難しいものになっている。


「私が病気だと思っていたのね?」


「え、どういう」


「ははうえしぬってお師が」


「やっぱり……」


 深いため息をつき、母上は一呼吸置いて俺とシリュウを並ばせて手を取り、自身の腹部に導いた。


「え? え?」


「ははうえ?」


 訳も分からず、俺とシリュウは混乱の極みだ。


 しかし、よくよく見ると母上の腹部は明らかに膨らんでいた。触れる限り、張り詰めていると言えるほどだった。今の今まで気が付かなかったのは、それほど俺が見えていなかったということ。


 あとから思えば、何とも情けない話だ。


「ここに子がいます」


「……」


「おーっ、知ってる! ははうえはにんしんか!」


「ふふっ、そうです」


「すげー! すげー! はじめてにんしん見た!」




 あまりにも唐突な報せに、今度は頭が真っ白になった。


 母上が危ないと聞き、帝都から慌てて駆けてきた。


 村に着き、余命いくばくもないと知り愕然とした。


 シリュウの天真爛漫さに励まされ、その直後に奈落に落とされ。


 次の瞬間には―――




(腹に子? 母上に子? どういうことだ?)


 どうもこうも無い。


 傍らではしゃいでいるシリュウと話す母上の視線が俺に移るや、俺は無意識に大粒の涙を流していた。


「っは、母上は……お子を宿されていると」


「そうよ」


「父上の手紙には母上が危ないと」


「出産は命がけだもの」


「文字が震えておりました」


「父さんは字が汚いの」


「手紙も乱雑に折られてて」


「性格ね。知ってるでしょう?」


「コーデリアさんが余命が近いと」


「余命? 予定日じゃなくて?」


「……っで、では……母上は」


「この子達があなたのように立派になるまで、何があっても逝きません」


「は、母上っ」


「はい?」


「この度し難い感情……ぶつけ切る為に少々お目を瞑って頂けませぬか」


 肩を震わせ俯く俺の背に回り、母上は慈しむように背に手を当てた。


「本当に大きくなって……見せてあげるといいわ。シリュウちゃんは私が見ておきます。でも、剣は駄目よ」


「それは本当に残念ですが……心得ました」


 振り返って母上に夜桜を渡そうとするが、横からシリュウがパッと奪い取った。確かに身重の母上に夜桜の重さは危ないか。


「シィがもつん」


「怒鳴って悪かった」


「なれてるからヨユーです!」


「では目を瞑ります……行ってよし! 思いっきりやっちゃえ、兄さん!」


 母上に背を押され、完全に火が付いた。


 ありったけの力を腹に溜め、渾身の怒声を放つ。






 そ こ に な お れ ぇ っ !!


 こ ん の ク ソ オ ヤ ジ ぃ っ !!!









―――――――――

意外に苦戦しました……そんな馬鹿な……

また長い事空いてすみませんでした……グフッ

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