#72 暗夜の礫
《 エ、エイル……ちょっと出過ぎじゃないかな? 》
《 大丈夫、大丈夫! 弱いのしかいないもの! 》
今日もスルト村の南に見回りに出ている新人の守り手、ソグンとエイル。
親に連れられて五年前にスルト村へ移住してきたソグンと、もともとスルト村に住んでいたエイルは十五の同い年という事もあり割と仲が良い。
若いながらに安定した
お互いに十五になった年に守り手となった二人は、最低一人のベテランと同行するという条件期間中である。仕事として村の外に出るのは、とくにエイルにとっては楽しくてしょうがなかった。
「オプトさぁん、なんとか言ってやってくださいよぉ」
「んが」
そんなエイルに南の森に強引に引っ張ってこられたベテランの守り手の一人であるオプトは木の上で絶賛昼寝中。
ソグンに呼ばれ、目深にズラしていたハンティング帽をクィと上げる。
既に村からかなりの距離で南に出てきている。ここまで来るとマイルズ騎士団の見回り範囲にかかるという事もあり、オプトはエイルをたしなめようとは思わなかった。
なぜならもうここは人間の縄張りであると魔獣らも分かっているので、脅威となる存在は少ないと言えるからだ。
エイルのように動き回り、人間の匂いを森中に残すというのも守り手の役割なので、彼女はあながち間違った行動を取っている訳ではない。
「エイルは
「で、でも、もしいきなり出てきたりしたら……」
「ソグンは心配し過ぎだ。慎重なのはいい事だけどな。あんま腰引けてても獣に舐められるぜ?」
「はぁ……そういうものですか」
曾祖父の代から長年村を守ってきた大先輩オプトの言葉に、ソグンはしぶとく反論することは出来ない。
オプトはいつもこうだった。良くも悪くも肩の力が抜けていて、エイルの先走りも『まぁまぁ』と言って咎めたことが無かった。
そういうオプトだからこそ、エイルは煩く言わないベテランをいつも連れたがっていた。
だが、今日はいつものようにはいかなかった。
突然エイルから慌てた様子で
《 ね、ねぇオプトさん、ソグン! なんかすごいスピードで街道を走ってくる人がいるよっ! どうしよう、村に向かってる! 》
「ほ、ほら言わんこっちゃない!」
「くっ、せっかくの昼寝の時間が……絶対に追うなよエイル。とにかく合流する。迂回して戻ってきな」
《 ああっ! ヤバい、ヤバいよこれ! たぶん人が何かに追いかけられてるよ! 》
「なにか?……まさか魔物!?」
《 わからない。魔物じゃないと思うけど、こんな反応初めてよ! とにかく助け――― 》
オプトの言った事を無視し、向かってくる魔力反応を見に行こうとしたエイルにオプトは珍しく怒声を上げる。
「やめろ馬鹿! 俺がやる! お前たちはすぐに村に戻ってロンに伝えるんだ。命令だぞ!」
「ロ、ロンさんに……わかりました! いくよエイル!」
《 うぐっ……はい 》
足早に村に戻っていったソグンを見届け、オプトは木を下りて森の街道に向かって駆け出した。
南に自分が陣取った以上、まずは走り来る者が何者で、どういう状況かを見定めなければ守り手として話にならない。
人間だけならそんなに慌てる必要も無かったが、エイルの言う通りならば、得体の知れない魔力反応は最大限警戒しなければならないだろう。
「頼むぜマジでよぉ……」
面倒事にならないことを祈りつつ、オプトは背負う弓を手に取った。
◇
「うおぉぉぉぉっ! あと少しだシリュウ! もつか!」
「うおぉぉぉぉっ! あとすこしってどのくらいです!?」
「よし、いけるな!」
「お師、きく気ないです!」
綺麗に整備された石畳を踏みしめ、森の街道を駆け抜ける。
メルベール大河を超えてはや三日。途中二度の休憩を挟んで走り続けている俺とシリュウは、疲労と睡魔と戦いながらもスルト村に届こうとしていた。
(
この速度で村に近づけば誰かしらの守り手が行く手を阻むはずであり、今かけられている探知魔法がいい証拠である。俺たちは確実に警戒されていることだろう。
もし俺の知らない守り手だった場合、たとえ冒険者であっても
(悪いがこちとら一刻を争う。そうしている間に母上の身に何かあったら……)
「途中で飯を食った事すら後悔してしまうっ!!」
「え!? ごはんだいじです!」
バキン!
村に近づくにつれ脚に更なる力がみなぎり、割れた石畳は俺が自身の限界を超える速度で脚を踏み出した証拠だった。
「ま、まだ速くなるですかっ!」
シリュウも俺に負けじと踏み込み、気が付けば半竜化していた。
事情を知っていればただ全力で走る二人だが、はたから見れば獰猛な姿をした亜人に追いかけられる人間という構図である。
そしてようやく森の街道にたどり着いたオプトだったが、時すでに遅し。
「嘘だろ、ありえねぇ……速すぎだろくそっ! 聞こえるかソグン! 抜かれた! 紅髪の亜人が行くぞ、注意しろ!」
強化した目で過ぎ去っていたその背を凝視し、ギリギリ特徴を捉えたオプトは、急ぎ
《 あ、亜人ですって!? 了解しました! ロンさんが向かっておられます! 》
村にちょっとした騒動が起こっているであろう事は予想できるが、俺の脚は止まらない。
懐かしき村の南門が見え、さらに向こうから駆け寄ってきている人を見て、俺は脚と同様に腹の底から湧き上がってくる絶叫を止めることは出来なかった。
「父上ーっ! 母上ーっ!!」
「ジン!? あれっ、亜人は!?」
ダァン!
「父上御免! 後ほど!」
ダァン!
「キャハッ! とぉーぶ!」
「お、おいっ!」
俺はふざけた手紙を寄越したであろう父上を門ごと飛び越え、続いてシリュウも強引に入門を果たした。
遠くからガヤガヤと駆け寄ってくる駐屯隊を無視し、そのまま目的地まで一直線に向かった。
そして見えた三年以上ぶりの実家。
故郷を懐かしむのも、世話になった人らへの挨拶も全て後回しだ。
「はぁっ、はぁっ……着いた……」
少し小さくなったように感じる扉は、その分俺が成長したという事なんだと思う。
俺は息を切らせながら扉に手を掛けようとしたが、扉は向こう側から勝手に開かれた。
「っ!? コーデリアさん!?」
「……え?」
扉を開いたのはコーデリアさんだった。
まさかの出迎えに俺は言葉を失い、当のコーデリアさんも狐につままれたようにポカンと口を開けている。
「コーデリアさん、俺です! ジンです!」
「……ジ、ン?」
さすがに忘れられたとは思わないが、つい名乗ってしまった。それほどに彼女の目は見開かれ、幻でも見ているかのような表情をしていたのだ。
そして束の間唖然としていたコーデリアさんだったが、目に色が戻るや否や、その感情を爆発させた。
「あ……あ……ジンっ! よく戻りました! 何という奇跡、さすがです!」
ガバッ!
そして人目もはばからずに抱き着いてきた。
俺に言いたいことはさぞあるだろうに、真っ先に歓迎を示してもらえたのはありがたい。
(奇跡? さすが?)
しかし、俺の心配は逆に増してしまった。コーデリアさんが家に出入りしているという事は、母上の身に何かあったのは間違いないのだから。
「すみませんコーデリアさん。まずは母上のご容態が気がかりなのです」
抱き着いたままのコーデリアさんの肩を押し、中にいるはずの母上の元へ歩を進める。
だが、それに待ったをかけたのもコーデリアさんだった。
「お、お待ちなさいジン! 今のあなたは部屋に入ってはなりません!」
「はい!? なぜです! 息子が母を見舞えぬ道理はないでしょう!」
ついカッとなって怒声を上げてしまうが、コーデリアさんは冷静に俺の前に立ち、行く手を阻んだ。
「道理ならあります。今のあなたは旅塵まみれで臭いも酷い。しばらく体も拭っていないでしょう」
「ぐっ!」
確かに病人に旅の汚れはマズい。ましてや俺は帝都から駆けに駆けてきたので、水浴びなどもしばらくしていない。自分では気づかなかったが、いざ言われると納得せざるを得なかった。
「ジェシカは安定しています。あなたが帰ることは聞いていませんでしたが、ロンさんが密かに手紙でも出しましたか?」
「はい……署名はありませんでしたが、間違いなく父上が出したものです」
「そうですか。なら知っているでしょう? 予定日も近いですし、興奮した今のあなたがいきなり扉を開ければ体に障ります。それくらいはわかりますね?」
「よ、予定日……」
俺は愕然とした。
手紙には書かれていなかったが、まさか母上が余命幾ばくも無い状況にまで陥っていたとは。
父上がその事を手紙に書かなかったのは、旅先で俺が精神を病まぬように気遣っての事だったのだ。乱雑に折られた手紙、汚かった文字も、父上の心が乱れていた証拠なのかもしれない。
母上の病、父上の手紙、そしてコーデリアさんの滞在。
次々に当てはまっていく手がかりと父上の心境、努めて冷静に振る舞うコーデリアさんの心遣いを目の当たりにし、俺の膝は崩れ落ちた。
「は……ははっ……」
「ジ、ジン? 大丈夫ですか?」
目の前が暗くなるとは、こういうことを言うのだ。
「……ありがとうございます、コーデリアさん。母上のお傍に居て頂いて……俺は……俺はっ……何も知らずにフラフラと……なんの役にも立てなかった……こんな親不幸者では神に見放されて当然です……」
心配して目線を合わせてくれるコーデリアさんに、俺は小さく言葉を絞り出した。
「?? そ、そんなに落ち込むことはありませんよ? こうして間に合ったではありませんか。扉越しなら問題ありません。さぁ、ジェシカに挨拶を」
「……はい」
コーデリアさんの言葉が頭にうまく入ってこない。
間に合ってなどいない。俺は間に合ってなどいないのだ。
とにかく崩れ落ちた膝を奮い立たせ、重い足取りで寝室まで向かった。
コンコン
扉を叩く乾いた音も母上の隔たりを感じさせる。たまらず俺は目を閉じた。
「起きているわ。どうぞ」
数年ぶりに聞いた母上の声。
扉越しのくぐもった声は、幾分弱弱しく聞こえた。
「母上、ジンです。只今戻りました」
「っ!? ジン!? 帰ったのね!? ああっ……入って頂戴、はやく顔を見せて?」
自身の容体などまるで気にしていないかのような明るい声が返ってくる。
母上の事だ、俺に心配を掛けぬように気丈に振る舞っておられるのは分かりきっている。その事すら、俺は身につまされた。
「申し訳ありません母上。今戻ったばかりで些か汚れております。身を拭った後、改めて。お体は如何ですか」
「もう、コーデリアね? 大げさなんだから……大丈夫よ、心配いらないわ」
「うっ!」
駄目だ。
母上がいつも通りであればあるほど俺の心が削られ、ついうめき声を上げてしまった。
「どうしたのジン! 怪我をしているの!? 動かないで、今行きますから!」
俺を心配した母上の声音が上がり、ベッドの軋む音が聞こえる。
母上は病の身体を起こし、立ち上がってしまった。あまつさえ自身の生命力を分ける
もう、俺はここにいてはならない。
「大丈夫っ! 問題ありません! 母上はどうかお休み下さい! 私は身を拭って参ります!」
ダッ―――
「ジン!」
勢いよく家を出た。
眩しい青空は、俺の心とは正反対だ。
家の扉を背に空を見上げ、おぼつかぬ足取りで森に入ってすぐある川に向かった。
少しでも、ほんの僅かでも、汚れだけでなく心も洗い流してほしい。
そんな心持だった。
「あ、お師でてきた! こいつらぶっとばしていいです!?」
俺は虚ろな目で声の主の方を見やる。
そういえば、シリュウも一緒だった。
「おい、ジッとしてろ!」
「ジン、この獣人に追いかけられてたってのは本当か!」
「くぉらぁっ! シィは竜人だっ!」
駐屯隊と父上、加えて数人の守り手に囲まれてシリュウはえらく困っている。
得体の知れない亜人が突如として村に現れ、本人は『お師の弟子だ』と叫んで暴れる寸前だが、訳の分からない言葉で素直に解放するような者はいないだろう。
「そいつは俺の連れです……危険はありません……」
そう言い残し、俺はフラフラとその場を後にする。
「ほらみろ! どっかいけ、へいたいおっさん人間ども! まってよお師ーっ!」
シリュウは生気のない師の背を追いかける。
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