#71 平穏と不穏
スルト村は皇帝直轄の聖地となってからというもの、爆発的に人が増え、当時の二百人程から十倍の二千人を超える村となっている。もはや街と言っても差し支えない。
だが四方を森に囲まれ、もっとも近い街である交易都市マイルズでも徒歩で十日はかかるという僻地にあり、さらに取り立てて街と呼べる規模であることを主張する者もいないため、スルト村は今後も村として認知され続けるだろう。
そんなスルト村には聖地を守るという名目でアルバニア騎士団から選ばれたスルト駐屯隊という部隊が派遣されているのだが、これとは別に聖地となる前から『守り手』という者らが存在する。
意味はそのままで村を外敵から守る為に戦い、非常時は村長よりも強い権限を持って村人の言動や権利を制限できるという力を持っている。
守り手は世襲ではなく誰でもなることが出来るのだが、その性質上魔物や魔獣と戦う力が必要なのは大前提。さらに守り手に対する村からの給金にも予算があるという関係上、大勢を置くことは出来ない。
これはどの町村でも同じことが言えるのだが、村の立地や規模に対する守り手の質という面で見た場合、スルト村は他と比べて恵まれていると言える面々が揃っている。
今でこそ人口二千人を超えるスルト村には腕に覚えのある二十人の守り手がいるが、小さな村だった頃からの守り手三人は、とりわけベテランの守り手として村からの信頼を得ている。
その筆頭であるロンの元へ、同じくベテランの守り手であるエドガーが訪れた。
「ロン、今日はブカの森だぞ」
「そうだったか? まぁ、どこでもいいさ。オプトは?」
「新人二人に引っ張られて南に行ったな」
「あいつら……ちゃんと休んでんのか?」
「さぁな。しかしなんだ。あの二人から見りゃ、俺らはサボり過ぎって言いたげなのはわかる」
「若いねぇ」
家の前で薪を割っていたロンは手を止めて道具を片付け、薪割り斧から剣と盾に持ち替える。冒険者時代からの愛用品で、手入れもしっかり行われているため今でも現役の武具である。
「ジェシカの体調はどうだ?」
「問題ない……が、俺に問題ができた」
「なんだよ。腰でもイったか?」
「イった腰で薪割れるかっ。またジェシカに気軽に近づけなくなったんだよ」
「あー、はいはい。二十年前と変わらずか」
エドガーは村にある三つの貴賓館の方角にあごを向け、同情の声をあげた。
聖地であるスルト村にはたまに貴族や信心深い金持ちらが訪れるので、そんな彼らのための宿泊施設として村の景観にそぐわない立派な建物が建てられている。
エドガーが顎を向けた貴賓館の壁と扉には、ティズウェル男爵家の家紋が掲げられていた。
「あいつ、旦那はともかく、使用人も館に滞在するってのに家に泊まり込むつもりらしい。ジンの部屋があるとか言ってよ。おかげで俺は雑菌扱いだ」
「確かに森に入った後の汚れは今のジェシカにはよくねぇわな。となると、俺もオプトも同じ扱いされるハメになんのか」
「俺は夫だぞ!」
「違げえねぇ!……が、それとこれは別問題ってーこった」
そんな愚痴をこぼしつつ、二人は肩を並べて村の西にある通称ブカの森へと向かっていく。スルト村からは少し離れてはいるものの、ブカの森は村周辺に比べて魔素が濃く、強い魔獣や魔物が棲んでいた。
時々迷い出てきた魔獣と、良くも悪くも人が増えたスルト村の大勢の人間の魔力目がけて魔物が飛び出してくるので、昔と違い、守り手らは毎日この森へ巡回に出なければならなくなっていた。
オプトを連れて行った二人、新人の守り手であるソグンとエイルはまだ入ることは許されていない場所で、さらに他の守り手らも半数しか出入りできないので、おのずとロンやエドガーにその鉢が多く回ってくるのだ。
村の西門に立っている門番二人と挨拶を交わし、しばらく歩いたのちに森へと到着。
ロンは視線を巡らせて周囲の気配と空気を警戒し、エドガーは
「駐屯隊の奴ら、ピリついてた一時に比べてマシなったが、結局あの話どうなってんだ?」
「ああ。大物が
「ふん。これだから貴いヤツの気まぐれはめんどくせぇ」
「まったくだ」
雑談を交わしつつ、獣道よろしく巡回路をめぐってゆく。
エドガーの
あくまで森の規模に見合った適正範囲内であるならば溢れ出ることは滅多にないので、あえて戦うような事はしないのが鉄則だった。
しかし、森をしばらく周って中心部に脚を向け、奥深くを探るために広く探知魔法を広げるや、エドガーは自慢の太い眉を潜めた。
森の奥深くのあちこちで魔力反応が交錯し、魔物や魔獣が戦っていたのだ。
「ロン」
「……ああ。いつもと空気が違う。余計なのが流れてきたのかもしれん」
ザッと木の上に飛び乗り、エドガーが元
「ったく、こんな時になんだってんだ」
ロンが一人愚痴をこぼすと、それに呼応するように先行していたエドガーが大声を張り上げた。
「前から一匹来るぞ! 速いっ!」
「ちっ、方角が悪い! ここで倒す!」
ロンは剣と盾を携えて全身強化魔法を施し、戦う事を選択したロンに異論を唱えることなく、エドガーも愛用の
それもこれも魔力反応の行く先はスルト村に向かっており、村を背負う位置にいる二人に撤退の選択はなかった。折しもこの場所は剣を振るに十分なスペースがあり、剣士であるロンにはうってつけの場所だったというのも大きい。
徐々に前方からガサガサと不穏な物音と、鳴き声とも言えぬ金切り音が近づいてきた。
そして草木をなぎ倒しながら、魔獣は体長五メートルに及ぶ姿をさらけ出す。
『ギギギギギギ』
「なんだこいつ! でけぇ、初めて見るぞ!?」
「こ、こいつは
二十年以上この森に入っているエドガーでさえ初めて見る魔獣。ゴツゴツとした黒光りするキチン質の体表面は文字通り石炭を思わせるが、ムカデ特有の体節に近い部分は真っ赤な色をしており、その対比は容易く有毒性を思わせる。
「牙に気を付けろエドガー! 確かこいつは牙にある毒腺から吹きやがる! 当たればすぐに腐るぞ!」
「マ、マジかよ! 気持ちわりぃのは見た目だけにしやがれってんだ!」
牙を剥いて飛びかかってきたガスロプレウラをロンはその盾で受け止めることなくかわし、躱しざまにその身体を斬り付けながらエドガーに敵の特徴を伝える。
『ギギッ!』
並みの使い手では刃は肉に届くことなく弾き返されるが、元Aランク冒険者であるロンの斬撃はガスロプレウラから黒々とした体液を流させた。
「やれるか!?」
「久々だがいける! 毒は厄介だがこいつは確かC級だ!」
「りょーかいっ、なら俺もだ!」
エドガーの仕事はあくまで牽制と警戒、伝達であり、敵と対峙することではない。
だが今は二人だけという事と、昆虫系の魔獣の生命力は動植物系の魔獣に比べてはるかに高いというのも彼が参戦した理由だった。
頭だけになっても襲い掛かってくるF級の
だがこの二人は火属性魔法は扱えない。とにかく手数をと、ロンは相手の目の前に立ち続けて攻撃を一身に引き受けつつ隙を見て剣を振るい、エドガーはひたすら高所から強化した短剣を振り下ろし、暴れまわるガスロプレウラと戦い続けた。
「はっ!」
「おらぁっ!」
ザクッ!
『キーッ……』
十数分の攻防の末、ようやく断末魔を上げたガスロプレウラ。
ロンは念のために危険な二本の牙を切り離すとピクリとも動かなくなり、エドガーは探知魔法をかけて魔力反応が完全に消えたことを確認した。
二人は無言で拳を合わせるが、この森にいるはずの無い魔獣が現れた事への不安を拭うことは出来ない。
「ロンの日でマジでよかった」
「まぁ、な。村に届いたところでコイツ程度なら駐屯隊でなんとかなるが……お前の探知魔法にかかっていた魔力反応の交錯。西の魔獣とこの森の魔獣らの縄張り争いだとしたら、少々厄介だ」
「だな。反応は今もバッチバチにやり合ってる最中。こいつは負けて逃げて来たんだろう。この傷がいい証拠だ」
エドガーはガスロプレウラの死体に目をやり、自分たちが付ける前から負っていた傷を指さした。
そこにはくっきりと五本の線がついており、この傷はこの森の上位捕食者である同じくC級の魔獣、
「とにかく、死なずに逃げた魔獣が運悪く村の方角に向かってくるのは簡単に予測できる。戻ったら村長と駐屯隊には報せるとして、原因は……そうだな、帰ってきたらあいつに探らせよう」
「はっ、とんでもねぇ親父だな。せっかくの帰郷が台無しだぜ」
「タダ飯食わせる気はねぇよ」
「つーかよ、ジンのやつホントに帰って来んのかねぇ。なんつったってSランクだぞ」
と、既に村の伝説と化しているジンの帰郷を待ち望んでいるエドガーがヒュンと短剣を腰に納めると、それに合わせてロンは鼻を鳴らした。
「あいつの母親熱は知ってるだろ。弱点突いてやったし、Sだろうが何だろうが、どこにいようと血相変えて帰って来るさ。あいつはそういうやつだし、今回ばかりはそうしないと後で何言われるか分かったもんじゃねぇ」
「弱点? ジェシカはジンの邪魔したくないからって知らせて無いんだよな。無断で報せたのは仕方ねぇにしても、俺らを巻き込むなよ? 特にオプトはジンに弱ぇのは知っての通りだろ」
ロンは木々の隙間から漏れる日差しに目を細め、近く来る日の覚悟と、二人を巻き込む気満々の表情を空に捧げた。
「俺らであいつを止められなかったとしても、コーデリアがいるからなんとかなる」
「て、てめぇ! 手紙になんて書きやがった!」
「ふっ……」
多くを語ることなく、颯爽と歩きだしたロンの後をエドガーは慌てて追う。
嫌な予感しかしないエドガーだったが、次々と遭遇する魔物や魔獣を退けて二人は巡回探索を終え、日が落ちる頃には無傷でスルト村へと帰還した。
当のロンは案の定、番人コーデリアに家に入れてもらえなかった。
――――――――
更新遅くなりました。
常態化しないよう、喝入れなおします!
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