#70 舳先のランタンは闇を切り裂く

 ドドドドドドドドド―――――


 帝都北門を出た俺とシリュウは一度も休むことなくひたすら街道を北上。


 脚を強化しつつ、風魔法で追い風を生み出して追加の推進力としていたが、途中前方の空気抵抗の方が厄介だと気付いた俺は、前方に刺突をイメージした円錐形の風を生み出して抵抗を極限まで減らす方法に変えている。


 ビュン!


「うわっ!」

「な、なんだ今の……」


 帝都、マイルズ間の街道は人通りも多く、文字通り風のように走り去ってゆく二人に人々は声を出す間もなく、振り返ってもはるか遠くの背を見やるだけだった。


「……」

「……」


 雄たけびの一つでも上げたくなるところだが、疲れるだけなので俺もシリュウも無言で走り続けている。


 思考すらしていない。ただただ脚を回転させる事だけに集中した。


 どれほどそうしていたかは分からない。日もすっかり落ち、街道に設置された照明が作る影にしばらく追われた頃。


(見えてきたっ)


 とうとう船着き場の明かりと、メルベール大河の作り出す闇の川面に、遠く対岸にあるマイルズの街明かりが映り始めた。


「止まれ!」


 ザシュッ!


「ふっ、ふっ」


 俺の号令で脚を止めたシリュウの息も軽く上がっているが、表情に変化はない。とりあえず横に並び、状況の説明と休憩がてらに歩くことにした。


「あれがメルベール大河だ。流域面積は世界一……とにかく川幅が半端でなく広い」


「うひょ~、まっくろです!」


「明るければ絶景なんだがな。向こう岸の明かりがマイルズで、俺が冒険者となって初めて訪れた……まぁ、それはどうでもいいか」


 懐かしくなってつい余計な事を口走ってしまうが、とにかく今は急いでいる。興味を引くような事を言ってマイルズに寄りたいと言い出されては敵わないので、強引に話を逸らした。


「お前、たしか泳げないんだよな」


「およげないです」


 というか泳ぐという発想がないだけで、川を見つけてはバッシャバッシャと入っていくのを何度も見ているし、身体を洗ったり浮いたりしているので別に水が怖いという訳でもないという。


「あれのりたいです!」


 船着き場に係留されている大きな帆船を指さしてキラキラと目を輝かせているシリュウだが、残念ながらその願いは叶えてやることは出来ない。


「あれは一日に出る時間と本数が決まっていてな。日が落ちたら動かない。という訳でこっちだ」


「え~っ!」


 不満げなシリュウを先導して向かうのは大きな船着き場の横にある小さめの小屋。ここはギルドが冒険者のために運営しており、昼夜問わず舟をくれる。


 小屋の前には小舟が何艘も繋がれており、一番大きな舟でも五、六人が定員だろう。


 窓の外に俺とシリュウが近づいてくるのを見て、真っ黒に日焼けした筋骨隆々の男が小屋から出てきた。


「冒険者けぇ?」


「ええ」


 胸元からギルドカードを出すと男は見慣れぬカードを訝しんだが、はたと気が付いたのか驚いた様子で二、三歩後ずさった。


「お、お前さん、まさかあのジン・リカルドかい!?」


 どうやら帝国中央ここら地域はカードを見せるだけで俺だとバレてしまうようだ。


 シリュウにカードを出させればよかったと後悔しつつ、さっさと要件を伝える。


「いかにも。少々急いでいます。あの一番小さな舟をお借りしたい。船頭は不要。かいは二本お借りしたい」


「こりゃおったまげた! ま、待っちょれ! すぐ準備するけぇ!」


 慌てて舟の準備に取り掛かる男を見ながら、横からシリュウが顔を出す。


「ねーねーお師ー、あのヒモなんです?」


「よく気付いた」


 シリュウが全ての舟に繋がれている縄を指さしている。


 普通は流されぬように繋がれているものだが、この縄は舟の前後に繋がれており、舳先へさきに繋がれている縄は川面をたゆたんで水中に沈み、ともに繋がれた縄は岸で大きくとぐろを巻いている。


 まぁ、舳先へさきともも同じ形なので前後は無いのだが、俺もこの光景はここでしか見たことが無いので、こればかりはシリュウの疑問も当然だろう。


「あの縄、ヒモは向こう岸に繋がっているんだ。こちらの合図で向こう岸にいる者らが一斉に手繰り寄せる」


「ほぇぇ……ふねひっぱるですか……あれ? もしかして石とおんなじ?」


「石?」


 壁建設でシリュウが壁上から一人で石を吊り上げていた事を知る由もない俺に、この納得の仕方を理解できるはずも無かった。


 束の間待っていると、紙とペンを持った男が戻ってきた。既に時間と人数は書き込まれており、後は署名するだけだというのでさっさと名を入れる。


 その間、別の係の男が指定した舟を引き寄せていた。


「対岸のヤツにこれを渡してくだせぇ」


 千切られた紙の一部と二本の櫂を受け取り、二人して舟に乗り込もうとしたところに、男が頭を掻きながら何か言いたそうについてくる。


「あ、あのぅ……リカルドさん」


「ジンで結構。どうしました?」


 急いでいるので長々とした話は勘弁してもらいたいと思いつつ振り返ると、男はバッと頭を下げて手を差し出してきた。


「で、では……ジンさんっ! あっしらに気合入れてくだせぇ!!」


「は? 気合?」


「なーっはっはっは! わかってるなくろこげきんにく人間! きあいだいじ! お師のきあいはとくべつせいだ!」


 ここでどういう事かと聞き返すのも眠たい気がする。シリュウのあられもない命名に反応すらしない男は、よほど気合が欲しいのだろうか。


 謎に盛り上がっているシリュウはさておき、頭まで下げられては何かしらせねばなるまい。


「……名を伺っても?」


「タツゴロウといいやす!」


「ふむ」


 俺は一呼吸置き、タツゴロウさんに気合……が入るかどうかは知らんが、腹に力を込めて言い放つ。


「夜も更けているが俺たちは急いでいる! タツゴロウ! お主らの力、俺に貸せっ!!」


「うおおおぉぉっ! まーかーせーてーお師ーっ!」


 シリュウに入れた覚えはない。


 パンッとタツゴロウさんの手を叩くと、彼は何も言わずにフルフルと震え、何かを噛みしめるように天を見上げた。


(……あれ、違ったか? そうなると俺が恥ずかしいんだが)


 動かぬタツゴロウさんは放っておき、誤魔化すように俺は舟に乗り込んだ。


 そんな恥ずかしい俺に続き、雄たけびを上げながら乗り込んだシリュウに多少助けられている気がするのにも、また情けなくなってくる。


 しかし、タツゴロウさんがおもむろに通信魔法陣トランスミヨンが描かれた板を取り出したところで、俺は正しく気合を注入できていた事が証明された。


「マ……マ……マイルズ班っ! 仕事だぁっ! 寝ぼけてるやつはいねぇかぁっ!」


《 うるせぇぞタツ! デケー声出さんでも聞こえらぁっ! 》


「なーっはっはっは! クロコゲきあい入ってる!」


「……」


 静まり返る船着き場にタツゴロウさんの声が響き渡る。近所、には何もないので、迷惑にはならないがとにかくやかましい。先方もお怒りだが、拡張型のギルド通信魔法から漏れ出る声もやかましい。


「三番! 客はSランクジン・リカルドとお連れの二人!」


《 なっ、んだとぉ!? マジなんだろうな! 》


「嘘ついてどうする! 客は正真正銘、王竜殺しドラゴンキラージンだ! お急ぎだぞ! てめぇら、腕もげても引いて引いて引きまくれ!」


《 ―――三番!―――っ!! 》


 もげたら引けないのではと思いつつ、入りすぎた気合が対岸のマイルズ側にまで伝播しているのが通信魔法から伝わってくる。


 とにかく急いでくれていることは十分伝わるので、ただの一客である俺がこれ以上いう事は何もない。


 できることは、腕を組んでできるだけ偉そうに舟に居座ることだけ。ここまで大事になってしまっては、威厳を保たねば彼らの期待に応えられない気がする。


「お師ー、このぼう何するです?」


 二本の櫂を不思議そうに持つ威厳も何もないシリュウをとりあえず座らせると、対岸から三つの信号弾が上がった。


「いきますけぇ、お二方!」


「頼む」


「でっぱーつ!」


 タツゴロウさんが舟を勢いよく押し出すと、舳先の縄が勢いよくピンとはり、舟はぐんぐん川面を進み始めた。尋常じゃない速度なので、引く人間は確実に強化魔法を使っているだろう。


「ジンさーん! 一生分の気合ありがとうごぜーやしたぁ! いーってらっしゃぁーいっ!!」



(……なんだこれは)



 たかが舟を渡すだけ。


 客からすればそれだけなのだが、彼らには彼らの舟渡しとしての誇りがあるのだ。その生き様、改めて胸に刻んでおこうと思う。


「おーっ、はやーい! なはははは!」


「お、おいっ! 暴れるな!」


 あまりの引きの強さと、シリュウが横に妙な力を加えたおかげでひっくり返ってしまいそうになる。


 ここで転覆して舟にしがみついた状態で上陸などとなってしまったら、俺はもうこの先走れない。


「うぁーっ! コケるーっ!」


「させるかぁっ!」


 俺はなけなしの威厳を保つための腕を解き、慌てて櫂を握りしめた。


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