三章 帰郷編

#69 世界のどこかで、いつかまた

 こ、これは……?


 母上が大変?


 間に合わない?


 何が大変なのか、何に間に合わないのかが全く分からない、要領を得ない手紙の内容。


 母上をジェシカと呼び捨てるのはスルト村でも父上、エドガーさん、オプトさんだけだが、手紙を寄越すとなると、これを書いたのは父上だという事は容易に想像できる。


 だが今はそんなことどうでもよかった。


 焦りと、怒りにも似た感情がふつふつと湧き上がり、どうにも抑えることが出来ない。


「ナトリ君っ!」


「は、はい!」


 椅子から立ち上がり、突然ジンに大声で呼ばれたナトリは中々起きないシリュウを揺する手を止める。


「スルトで何かあったか!?」


「え、と、北のスルト村、ですよね……僕の耳には入ってませんが」


 そういってナトリは同僚たちに視線をやって確認するが、他の職員たちも心当たりはないと同様に首を振った。


「そうか」


 三日前にマイルズ経由で帝都に届いた手紙であるなら、この手紙が書かれたのは多く見積もって二十日前。聖地であるスルト村が仮に魔物に襲われたり疫病が出ていたとなれば、ギルドにはとうに情報が入っているはずである。


 それが無いという事は、村単位での厄介事ではないという事。


(まさか……魔球班病が再発……っ!)


「くそっ!!」


 ズシンッ―――


「うわぁっ!」


 突然口悪く怒りをまき散らされたギルド内に無属性魔法の威圧が降りかかる。魔力を感じやすい冒険者や野外に出ている一部のギルド職員から悲鳴が上がり、特に熟睡していたシリュウは飛び起きた。


「おわっ、なんだっ! てきか!……あ、お師だ」


 威圧を発したのはジンと分かり、とりあえず警戒を解いたシリュウは待っていたとジンに寄ろうとするが、どうも様子がおかしい。


「ねーねーお師、みて……」


「シリュウ」


「あわわわわ」


 努めて落ち着いて話しかけるが、やはり焦りと怒りは目に出てしまっていたのだろう。怒られる理由に心当たりのないシリュウはすっかり委縮してしまった。


「走るぞっ!」


「は……え!? ちょっ、ま、待つですー!」


 突然踵を返して走り出したジンの背中を見て、シリュウは訳も分からず後を追おうとするが、傍で見ていたナトリが慌ててシリュウの手を取った。


「シリュウさん!」


「ナットー! なんかわかんないけどさよならだ!」


「こ、これを持って行って下さいっ!」


 ナトリはシリュウの手に一つの小さな箱を握らせる。


「なにこれ。くれるのか?」


「はいっ、要らなければ捨てて頂いても―――」


「わかった! もらう!」


 既にギルドを出て遠ざかるジンの背中と手の中の箱を交互に見やり、焦る気持ちを抑えながら、シリュウは数少ない人間の友人に別れを告げる。


「またあそぼう!」


「はい! ジンさんにもまたお会いしましょうとお伝え下さい!」


 箱を荷袋に突っ込み、急いでジンの後を追っていったシリュウ。


 笑顔で手を振ってギルドを出て行くのを見送り、ナトリはノーラの休んでいる部屋の方を見た。


「先輩のおかげで、なんとか渡せました」


 小さくつぶやいたナトリは過ぎ去った二つの嵐を想い、深くため息をついた。



 ……―――



 ダンダンダンダン!


 真昼の帝都の人混みをかき分けることなく、屋根を壁を、時には風渡りを駆使しつつ人を避けながら帝都北門へひた走る。


 普段の俺なら絶対にやらない、迷惑この上ない移動方法であちこちから悲鳴となぜか歓声が聞こえてくるが、街を警備している者らでは到底捕まえることは出来ない。


 ようやく追い付いてきたシリュウは訳も分からず走らされているはずだが、理由などどうでもいいのか、その顔には笑みが浮かんでいる。


「どこいくですー!?」


「スルトだ! 理由はあと、とにかく急ぐぞ!」


「スルトってお師の里! たのしみっ!」


 別に母上の身に危険が迫っている事を知らせる必要はないだろう。行きたいというのなら連れて行くだけだ。


 北門を出て最短距離の街道を行き、馬車に揺られればマイルズまで三日。しかしこの速度を維持すれば一日で届かせるのも無理ではない。


 だが、問題は帝都北、マイルズのすぐ南を東西に横切る世界最大の大河が行く手を阻む。


(メルベール大河。早速水渡りを試すのもいいが、恐らく途中で落ちる。そうなってはあの川を泳ぐ羽目に……シリュウもいる事だし、舟を調達した方がいいか。その後は―――)


 道中をいかに最速で進むかに思考を巡らせる中、遠目に巨大な帝都北門が見えてきた。街を出るには一旦立ち止まり、門番にギルドカードを見せる必要があるのだが、近づくにつれ徐々に普段とは違う物々しい雰囲気に変わっていく。


 門に近づけば近づくほど荷馬車や旅装の者が増えていくのが普通だが、なぜかそれらは見当たらず、人も大通りの脇に寄っている気がする。


 特にそれが顕著になり出したころ、俺とシリュウは気づけば大通りのど真ん中を何の障害も無く走っていた。


「なんかヘンです」


 シリュウはこの一月、北門の向こう側の外壁拡張工事に出ていたのでこの道の事はよく知っている。彼女も今の異様さに眉を潜めているようだ。


(大貴族でも出入りするのか? となると、少々厄介だな。こちとら急いでるんだが)


 遅々と進まない貴族の出入りを待っている暇などないと、俺は遭遇すると思われる集団を飛び越えることを選んだ。


「文句は後から受けてやる」


 そう決心したその時、目の前に剣を携えた大勢の騎士らと制服を着た学院生らが目に入り、同時に大きな声が高々と響き渡った。


王竜殺しドラゴンキラージン・リカルド殿! ドラゴニアの戦士シリュウ殿へ、敬礼っっ!!」


 ザン! ザン! ザン!


「うおっ」


「なはっ、なにあれ! 道できた!」 


 一斉に動き出した騎士らと学院生。


 一糸乱れぬ動きで両脇に移動し、皆が一斉に剣を振り上げて中空で交差させると、見事な剣の門がズラリと並んだ。


 門の先頭にはヴィント学院長とクシュナー先生、ジェイク団長とノルン団長の四人が胸に手を当てて俺とシリュウを迎えていた。


(挨拶など無粋!)


「駆け抜けるぞ!」


「はいーっ!」


 チラリと目線を先頭の四人にやると、俺とシリュウが駆け抜けることを咎めるどころか、それぞれに温かい目線が返ってきた。


 その後ろに顔見知りの隊長らが続き、グレンとフラン・ヴァシリーという生徒、加えてシスティナ嬢が続いていた。学院生を代表して彼らは最前列にいるのだろう。


 剣の門を走りつつ、見知った顔と視線を交差させてゆく。皆が皆胸に手を当て、帝国騎士流の敬礼をしていた。


(ああ……ヴィント学院長の準備とはこれの事だったか)


 団舎でヴィント学院長がフラン・ヴァシリーに言伝していたのを思い出し、俺は思わず口角を上げた。


 これほどの見送りをしてもらえるなど思ってもいなかった。


(有り難いことだ)


 剣の門を走り抜け、門番のいない北門を抜けると、その先にも大勢の生徒と作業着を着た集団が待ち構えていた。


 こちらは一剣と二剣の生徒で、中にいる騎士団員らと同じく胸に手を当てて敬礼の形をとっているが、作業着の集団からは野太い声が飛び交っている。


「シリュー! 元気でなぁ!」

「また来いよー!」


 そんな中、ひと際大声を出した人にシリュウが反応する。


「おぃ、シリュウ! また壁壊しに来やがれ!」


「むっ、親方! 石はこびはもうイヤだ! もっとがんじょうにつくれ!」


「簡単に言いやがる」


「じゃあなー、親方!」


 そうして二人で駆け抜けた帝都。


 アリア、ユスティ、ファニエル、エト、レーヴ、スキラを中心に亜人の生徒ら、他にリッツバーグを含めたとりわけ仲の良かった生徒らが最後方で俺とシリュウの背を見送ってくれた。


 視界の端に映ったアリアと一瞬視線を交わして頷き合い、振り返ることなく俺たち二人は帝都を後にする。






―――――――

■『#69.5 去りし後』をSP限定で同時公開しました。本編#69の直後談となります。五剣の生徒が企んでいた作戦の概要とは。壮行会のバルコニーでジンとアリアの一幕を含む描いたサイドストーリーです。


 なお、本編に影響はありません。


詳細近況ノート

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817139555242723790


リンク先

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817139555263432579

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