#68 不穏な手紙
依頼内容を聞き終えて皇城を後にする。
カーライル卿とはその場で別れを告げ、今度はジェイク団長とノルン団長に連れられて団舎へ移動した。
通されたジェイク団長の執務室にはヴィント学院長とクシュナー学院長が待っており、両御仁も俺が帝国旗艦フェニクスの護衛依頼を受けたことは知っているようだ。
「今日帝都を出るの?」
ノルン団長に聞かれてそのつもりだと返すと、別れを惜しんでくれているヴィント学院長がはたと生徒を呼んだ。
「二人とも、入り給え」
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは五剣の生徒。
「フラン君。至急準備を」
「はい」
何の準備だと首をかしげる俺を差し置き、フラン・ヴァシリーという生徒は足音一つ立てずに早々に部屋を後にし、残ったもう一人の生徒に視線が集まる。
生徒は神妙な面持ちで手を後ろに組んで直立不動の姿勢をとっている。こちらの生徒とは本気で剣も交えているので、先ほどの生徒とは違って要件はなんとなくわかる。
「グレン、無事で何よりだ」
俺はなるべく堅苦しくならないよう片手を挙げて気軽に挨拶をした。俺はアルバニア騎士団、魔法師団の名誉隊長なる不確かな存在だが、騎士団員ではないので騎士団流の振舞などする必要はない。
だがグレンは張り詰める空気を維持したまま、開口一番に頭を下げてきた。
「リカルド先生。先の決闘、私の負けでございます。それに加え、命を助けられたと聞き及びました。このグレン・バロシュ・アルベルト、御恩は決して忘れません」
決闘を挑んできた時のような強気の態度とはまるで違い、慇懃に振る舞うグレン。
実際グレンの怪我を治療したのは毒を抜いたノルン団長と傷を塞いだアリアなのだが、今彼が言うのはもっと広い意味である。
両学院長と両団長が揃うこの空間で、帝国騎士足らんとする礼を失することはさすがにないようだ。
俺は決闘前のヴィント学院長の言葉を思い出し、さらに彼が何か大きなものを背負っている事を戦いの中で感じていた。
彼は貴族子弟でありながら学院の頂点に君臨している麒麟児だというが、それでもここで遠慮がちに下手に出るのは違うだろう。
「とくに最後の氷剣の一撃。何を背負うのかは分からないが、それが大きなものだという事はよく分かった」
「……」
「グレン・バロシュ・アルベルト。俺とは違い、君は二度と敗れてはならない」
「っ!」
俺はおもむろに
説明するまでもなく、ここにいる四人は容易くそれが何なのかを見抜き、皆一様に驚いている。
「ははぁ。鱗と骨、肉はあれどこれだけが市場に出回っていないと思ったら、やっぱりジン君が持っていたんですねぇ」
「まったく……貴殿はコレの価値が分かっているのであるか?」
「なぁジン。これ
「凄いのが出てきたわね……」
四人の感嘆は聞き流し、一人分からないままのグレンにこの素材について話す。
「これは黒王竜の牙。俺が砕いた大剣に代わり、これで絶対に折れない剣を作るんだ」
「なっ、黒王竜!? そのようなものをっ!」
「構わない。貰ったはいいが三年以上持て余していたのもだ。正直この先も陣魔空間で眠り続けるハメになるだろう」
「……黒王竜……俺が……」
テーブルの上の禍々しい牙を見つめ、グレンは己に問いかける。
束の間考え込む彼にこの場の誰も口を挟まない。これは自分自身で乗り越えるべきものだと誰もが知っているからだ。
俺も星刻石の詳しい話を聞いたとき、それに初めて夜桜を手にしたとき、これに相応しい人間にならねばという葛藤があった。使い手が迷えば、剣はそれ相応の力しか発揮しないのは自明の理。
グレンは今その覚悟を、ひいてはこれを受け取ることの意味を問われている。施しなど受け取れぬという葛藤ではない。
断言してもいい。この素材はそんな浅はかな駆け引きに出せる代物ではない。
しばし俯き考えていたグレンだったが、程なく顔を上げ、俺の目を見る。覇気に満ちたその目にもう迷いはないようだ。
「王の名を冠し剣に誓い、先生との約束、果たしてみせましょう」
二度と負けない。
グレンは力強くそう宣言した。
……――――
えらく時間がかかってしまった。
別れの挨拶を終え、ようやく団舎を後にした俺はシリュウが待っているはずのギルドへ足早に歩を進めた。
昨日別れは済ませていたが、途中差し掛かった水路でたまたま目にした
「……なんですかこれ」
「キマッテイル、オデノウロコ。アメヲカンジテイロガカワル、スグレモノダ。キットジンノボウケンノヤクニタツ」
「ほぅ、それはすごい! ありがたく頂戴します!」
身体の一部を渡されたと聞いて若干身震いしたが、それを忘れればただの透明な板。それに雨を事前に知れるのは、冒険にとってはありがたいことこの上ない。
「世話になりました、ゴトーさん。ズミフさんにもよろしくお伝え下さい」
「アア。ナガレルスイメイノママニ、ヨキタビヲ」
ギルドに向かいつつ、貰った鱗をどうするか考える。
小さく切ってギルドカードと一緒に首からぶら下げるのが一番自然な気がするが、いかんせん普段は服の中に入れて出すことはほとんどない。これでは色が変わった事に気づくことなんかできない。
(目に入るところか……腕に縫い付け……いや、鱗だから難しいか)
力を入れて少し折り曲げてみるがそこそこの強度もありそうで針は通らないだろうし、袖に固形物が常時付いていては気になって仕方がない。
(ゆくゆく決めよう)
とりあえず
「ん? 魔力持ちか?」
魔法陣など当然描かれていない。となれば、この鱗自体が魔素を糧に魔力を生み出しているのだろう。夜桜も星刻石に目が行きがちだが、実は黒王竜の鱗も魔力を発していたりするので、俺にとっては別段珍しいものではない。
「むぅ」
入らないものは仕方がないと、とりあえず腰の小袋に入れておいた。
そうこうしているうちに到着したギルド。
もう昼を回っているおかげか、ギルド内にいる冒険者はまばらだった。
「あ、ジン君。いらっしゃい。なんだか久しぶりね」
「こんにちは、ノーラさん」
確かに教士を務めることになって以降、ギルドには顔を出してない。相変わらずの笑顔で迎えてくれたノーラさんにはシリュウの事でこの一月世話になっていたはず。
感謝を告げつつ辺りを見回すと、端にある三脚の椅子をつなげて爆睡しているシリュウを見つけた。
「さっきまで大はしゃぎだったんだけど、自慢する相手がいなくなって寝ちゃったみたい」
「子供か」
自慢とは仰向けのシリュウの腹の上に乗っている二つの鉄球の事だろう。
性懲りもなく修繕に出して大枚をはたいて改良させたらしいが、その改良を加えたのが帝都に移住した
あとはシリュウ次第。二度と同じ悲劇が起きないように祈るのみだ。
(よくあんなものを腹に乗せて熟睡できるな)
いざ出立だと入れていた気合がみるみる失われている事に気が付き、慌ててノーラさんに出立の旨を伝えた。
「わかったわ。ていうか一月前から聞いてたしね。実は私も近々アルバニアから異動になるのよ。独身なのに、偉くなっちゃったりするもんじゃないわねぇ」
職員としてギルドに勤めて六年目だというノーラさん。調査班の一員として野外に出るほどになるとは初めて会った当初からは想像もつかないが、彼女も彼女なりにこの三年の間にずいぶんとたくましくなったようだ。
アルバニアギルドに拠点登録している訳でもないので、これといった手続きはない。
出立を伝えるのは義理でしているだけなのだが、ノーラさんはまるで憑き物がついたかのように突然真剣な顔つきになった。
「ねぇ、ジン君。
突然発したノーラさんの意外な言葉に、職員らの視線が一斉に集まるのを感じる。
聞こえていたはずだが、俺以外に誰も驚いた様子はない。
「と、唐突ですね……」
「だってもう会えないかもしれないし、今言わなきゃ一生後悔するわ」
いたって本気のノーラさん。俺も彼女の目をしかとみる。
ここで視線を外しては漢が廃る。
ギルド職員と冒険者が
「お気持ちは素直に嬉しいです。ですが俺は冒険者。ここに定住するつもりはありませんし、ノーラさんと共に歩むことはできません」
「……ぁ……ぅ」
会った当初からなんとなく彼女の好意には気づいていた。まさか三年越しに言われるとは思いもよらなかったが、今はっきりと俺の胸の内を告げた。
(俺は片隅で十分です)
少しの間固まっていたノーラさんだったが、突然グラりとよろめいたのを見て、周りの職員が一斉に彼女を支えた。
まるでこの事態を想定していたかのような皆の動きに、今度は俺が固まる番である。
「よく言ったわ!」
「ジンさん、この人適当だけど、実は結構イイ女なんすよ!? 忘れてあげないで欲しいっす!」
「ノーラぁ……頑張ったねぇ……」
「ジンくん、絶対後悔するからね!」
どうやらノーラさんはここで俺に気持ちを告げることを皆に伝えていたようだ。相当な覚悟を持ってこの場に挑んでいたのだと、改めて思い知らされてしまう。
同僚たちの言葉が飛び交うが、それでもなお俺を非難するような言葉はなかった。
気絶したノーラさんは裏手に運ばれ、代わりにノーラさん直属の部下であるナトリが出てくる。先輩の想いに応えなかった俺を非難してもおかしくない状況だったが、彼はなぜか申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。僕も先輩を止めませんでした」
「君が謝る事じゃない。応えられないのはこちらの都合だ。それよりノーラさんは大丈夫か?」
「はい。あらかじめ『倒れるから後はお願い』と言われていましたので。ただ気を失っているだけです」
「ふっ……あの人らしい」
ノーラさんが目を覚ますころには俺は帝都にいない。
もう一度彼女から依頼を受けるまで、死ぬわけにはいかなくなったようだ。
(これで二度目か、死ねない理由が出来たのは)
「これ、三日前に届いたお手紙です。シリュウさん起こしてきますね」
「手間をかける」
シリュウを起こすのは時と場合によっては攻撃されて危険なのだが、なぜかナトリは大丈夫な気がしたので任せることにする。
受け取った手紙はいつもの封筒に入れられており、久々に母上から手紙が届いていたようだ。
宿は引き払ったので、あとでじっくり読むことは出来ない。
シリュウを揺するナトリを横目に隅の椅子に腰かけ、ビリビリと手紙を開封した。
(一枚?)
毎度四、五枚は入っているので母上にしては珍しく、よほど書くことが無かったのかと思うと少々寂しい気もする。しかもいつも折り目正しく折りたたまれている手紙だが、今回はなんとも雑。
封筒に入ればどうでもいいと言わんばかりの有様に、さすがに首を傾げた。
(ふむ……)
手紙を広げると、どう見ても母上の字ではない乱雑な、というか汚い文字で短く綴られていた。
ジン
ジェシカが大変だ
間に合わなくなる
さっさと帰って来い
署名すら無い。
だが端的に記されたそれを見て、俺は心の底から怖気立った。
――――――――
次回挿話を挟み、新章に入ります。
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