#66 謁見

 クルドヘイム城は初代皇帝クルドヘイム・ディオス・アルバートが王都ディオスよりここアルバニアに遷都し、帝政宣布に合わせて築城された城である。


 王国時代に覇を唱え、約350年の長きにわたり西大陸の覇権を握るアルバート帝国。その象徴たるクルドヘイム城は幾多の増築、改修を繰り返し、今なお世界で最も巨大かつ荘厳な城として大陸全土を見渡すかのようにそびえ立っている。


 城を囲む深い堀を渡す跳ね橋が静かに下ろされ、ゴゴンと地響きを鳴らして架けられた。


「ご案内します」


(よし、行くか)


 パンと顔を叩いて気合を入れ、門番の誘導に従って城の門をくぐる。


 昨日の壮行会は三つある城の裏手の出入口から入ったので、正門を通るのはこれが初めて。大勢の兵が詰めるのであろう一階は中央が広間となっており、その周囲に武器や食料の保管庫、衛士の詰所がズラリと並び、武骨で物々しい雰囲気を醸し出している。


 二階が大広間を含めて調理室や管理室、各所事務方の部屋が配置されており、今日の本命は三階となる。ここも各階同様天井が高くとられており、これほど立派な建造物はお目にかかったことが無い。帝国の技術の粋が集められているのだと改めて感嘆する思いだった。


 衛士とは別に騎士団、魔法師団の詰所が廊下の先にあり、その途中にある巨大な扉の先が玉座の間。案内の者はここまでで二回変わり、今は衛士ではなく騎士に先導されている。


王竜殺しドラゴンキラージン・リカルド様、ご来臨っ!」


 ゴッ―――


 アルバニア騎士団より送られた称号と名を高々と告げられ、中から扉が開かれると薄暗い廊下に光が差し込んだ。


 玉座の間左右には騎士団員がずらりと居並び、広間奥、俺から見て右手に軍務大臣のカーライル卿、左手に騎士団長のジェイクさんと魔法師団長のノルンさんが並んで立っている。


 高官らがいないのも、騎士らが帯剣しているのも全ては俺が刀を佩いたままだからである。ここで万が一刀に手を伸ばそうものなら、たちまち囲まれてなます切りにされてしまうだろう。


(えいっ、ままよっ!!)


 俺はフッと息を吐き、頭を下げながら玉座へと続く真っすぐな絨毯を滑るように歩く。


 そして、この国を統べる皇の前で跪いた。


「お初にお目にかかり恐悦至極に存じます。ジン・リカルド、お召しによりまして参上仕りましてございます」


 玉座の間に俺の声が響く。やたらと大きく聞こえるのは、周りが静か過ぎるという事なんだろう。



「面を上げよ」



「―――っ!?」


 初めて耳にする皇帝の声。


 その時、俺の脳裏に在りし日の記憶が蘇る。



 ……―――



「―――の子、甚之助と申します」


「おおっ、待っておったぞ甚之助! ―――に似て堅物な顔しとるのぉ」


 これは……前世の御目見か?


 一の間に座しているのは前世の俺の主だろう。顔は相変わらずがかかって分からないが、書院での出来事、そして声も聞き取れる。


 その主の前で頭を垂れているのは十を過ぎた頃の俺。幼いながらにしっかりと躾けられているようで、粗相しそうな雰囲気はない。


「殿にいささかご自重して頂けますれば、それがしも柔らこうなりましょう」


「すわ、見たことか。さっそく説教を垂れよるわ。甚之助、お前は―――のようになるでないぞ? 肩が凝って仕方がない」


「なれば御身の肩、こするのが私の役目」


「甚之助、戯言が過ぎるぞっ」


「はっはっは! よいよい。味の無い飯は味がないにも関わらず、なぜか不味くて食えん。安心したぞ。お前にはしかと味があるようだ。これから―――で儂を支えてくれ」


「「御意っ!」」



 ……―――



 一瞬の出来事。


 よぎった記憶はずいぶんと幼い頃のものだったが、これまで思い出さなかったのは主と思える者と出会わなかったからだろう。


 新たに殿と呼ばれた主と、横にいたのは恐らく父かそれに近しい存在。確証も無いし、懐かしさも感じないが、これまでにない人に関わる新しい情報だと言える。


 だが、今考えるべきはその事ではない。頭を上げろと言われてどれほど経過したのかは定かではないが、いつまで経っても頭を上げない俺を見たところで、ざわつく人間はこの空間にいない。


「リカルド殿。いかがなされた」


 殊更に落ち着いてカーライル卿が前に出てきた。やはり卿が出てくるほど時間が経過していたらしい。


「はい。申し訳ございませぬ。陛下の御声を耳にした途端、全身に雷が落ちた次第。些か動けずにおりました」


(おいおいおいおいっ! 何言ってるんだアイツっ!)

(はぁ……ジン君には困ったものね)

(馬鹿者ぉぉっ! 雷帝と畏れ敬られる陛下に向かって何という事をぉぉっ!)


 皇帝の命に反応せず黙りこくるなど、どう言い繕っても不敬極まりない。ならば正直に言った方が下らぬ嘘を重ねる必要はなくなる。


 ジンのセリフに慌てふためくのはジェイク、ノルン、カーライルの三人を含めたこの場にいる全員。


(この御方が皇帝ウィンザルフ・ディオス・アルバート)


 若干二十歳で皇位を先帝シュミッツバルトより譲られ、現在まで長きにわたる帝国の覇権を変わらず維持し続ける十五代皇帝。


 三代続いたミトレス連邦との不可侵条約に終止符を打ち、同盟という道を迷いなく選んだ胆力。そして何よりジオルディーネ王国の旧領を丸ごと手にし、帝国史上最大の版図拡大を成し遂げた剛腕の持ち主である。


 市井にはほとんど姿を見せることは無く、民、特に帝都民は皇帝を神格化している。


 その涼やかな碧眼は相手の心の内を全て見通しているような、近くにいるにもかかわらず遠くにいるような錯覚を覚え、えも言えぬ恐ろしさを感じさせた。


 ゆっくりと顔を上げたジンを見て口角を上げたウィンザルフに対し、カーライルは慌ててフォローを入れようと進み出るが、ウィンザルフは片手でそれを制した。


「くくっ……余の言には雷が宿るか」


「Sランクと言えども、陛下の雷の前ではこの有様にございます」


「言いよるわ」


 高らかに笑ったウィンザルフを見て、どうやら逆鱗には触れなかったと皆が安心し、こうなると多少は予想していたものの、カーライルやジェイクらも胸を撫でおろした。


「其方の願い通り、さっさと終わらせてやろう」


「……」


 その気持ちは大いにあるが、そんなつもりで言ったのではない。皇帝にやり返されてしまってはこちらとしてはなす術はなく、黙って言を聞くしかできなかった。


 しかし、呆けてしまった罰にしては十分軽いものと言えるだろう。


「依頼を出したのは他でもない。この帝都を二度も救った男の顔を見ておきたくてな。此度の聖獣討伐、誠に大儀であった」


「滅相もございません」


「謙遜など不要。余の喉元に迫った凶刃を討ち払うは帝国、同盟国に至るまで救ったも同義である」


「はっ。ひとえに故国のため。帝国の剣と盾、共にあってこその戦果にございます」


「で、あるか」


(この者ならば問題あるまい)


 ジェイクとノルンにも配慮し、冒険者らしからぬ振る舞いと謙遜の姿勢を見せるジンに対し、ウィンザルフは事前に考えていた事を実行する。


「ジン・リカルド。其方の働きに対し、褒美として新たな依頼を用意した」


(なんだって?)


 正直に言って帝国を救ったというよりも、あくまで目の前の敵を屠ったという認識の方が強い俺にとっては、既に依頼料として破格の報酬を貰っている。これ以上何を受け取れというのか。


 さらに依頼の名のもとに、登城するだけで白金貨二百枚を出すほどだ。今度の依頼も依頼料という名を借り、とんでもない報酬が提示される恐れがある。


 過度に富を得たところで使い道も無いし、余計な重しとなる可能性もある。ここは父上と母上の教えの通り、破滅をもたらしかねないものをこれ以上近づけたくはない。


「恐れながら」


「ふむ? 申せ」


「はっ。既に破格の依頼料を賜っております。これ以上は過ぎた事かと」


「それについては私が」


 この答えを陛下にさせる訳にはいかないと、カーライル卿がコツと前に出た。


「依頼書の通り、依頼料はあくまで登城に対するものである。お分かりですな、リカルド殿」


 陛下を背にその目は見開かれ、確実に俺を黙らせに来ている。さすが元騎士団長だけあってその圧力は尋常ではない。


(くっ……そうだった、この人は今帝国の味方であって俺の味方ではない)


 誰がどう見ても破格の依頼料は俺への褒美なのだが、そんなことは誰も言っていないし、どこにも書いていない。依頼主がそうだと言えばそうなのだ。


「わ、わかりました……」


「よろしい」


 たらりと一汗かいて頷いた俺を見て、カーライル卿は満足そうに下がっていった。


 俺たちのやり取りを見て笑みを浮かべる陛下にこれ以上何も言えたものではなく、陛下の短い言がすぐさま続いた。


「しかし依頼は国家の大事である」


「……」


(ん? 終わり?)


 呆け顔をさらすわけにはいかないと、なるべく顔に出さぬよう続きを待つが、どうやらこれ以上話すつもりはないらしい。自分で考えろという訳だ。


 褒美の用意はある。


 褒美を受け取らぬとなれば陛下に恥をかかせることになるが、依頼という形をとって僅かながら断る道も用意しているのだ。


 だが、国家の大事に関わるのでここで内容を話すことは出来ないという事であり、内容を知りたければ依頼を受けることが前提。聞いた上で断ろうものなら、どうなるか分かったものではない。


 ギルドを通された依頼は内容とその報酬の妥当性を見極められた上ではっきりと示されるが、Sランクである俺はギルドを通さず自由に依頼を受けることが出来、ギルドへは事後報告で何の問題も無い。ちなみにSランクはその報告をする義務すらないのだが。


 この依頼、受けるか否か。


 断ったところで俺をどうこうすることは出来ないはずだが、だからと言ってあっさりと断っては陛下の顔に泥を塗ることに変わりはないだろう。


(くそっ、実質選択肢は無いではないか)


 選ばせる辺り質が悪い。


 日を改めてもらうにしても、待たせた挙句断るなど余計に心証を悪くするだけな気がする。それに大事である以上、新たに外部から何かしらの情報が入ってくるとは思えない。


 つまり受けるにせよ、断るにせよ、先延ばしにしたところで何の益もなし。


(正直、国家の大事とやらに多少の興味はある)


 しかし、このまま一方的に術中に嵌るのはなんとなく癪だ。


 俺が考えることは想定内なのか、誰も返答を急かす様子はない。陛下でさえ、玉座に肘をついてジッと俺の返答を待っている。


 よくよく考えると、陛下の時間を俺一人が奪っているこの現状は、既に褒美に近いものがあると言えるのではないだろうか。


「陛下、一つだけよろしいでしょうか」


「リ、リカルド殿っ―――」


「申せ」


「むぐっ……」


 ようやく口を開いたと思ったら、まさかの質問にカーライル卿はすぐさま反応したが、陛下の言葉に口をつぐんだ。


 狙ったわけではないが、多少はカーライル卿にやり返せただろう。


 満足、一。


「その御依頼、面白うございますでしょうか」


 このジンの問いにウィンザルフは玉座を立ち、ペリースを翻して答える。


「(くっくっく……血は争えぬな)ジン・リカルド。余の名に懸け、それは保証しよう」


 満足、二。


「御依頼、是非」


 そう答えた時、すでに陛下は玉座を後にしていた。


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