#61 天敵

「シリュウさん」


「んぁ?」


 リアムの頭を掴み上げながら、シリュウはパルテールの声に振り向く。


 食い込ませた爪のおかげで掌は血まみれになり、あまりの痛みにリアムは気絶して口から泡を吹いていた。


「恥は百も承知でお願いしたい。その子には聞きたいことがあるのです。少年の命、我々に譲ってもらえないだろうか?」


「はぁ?」


 戦士として戦い、勝ったのはシリュウであって敵の生殺与奪を有するのはシリュウである。勝った者が獲物を自由にできるという環境で生きてきたシリュウにとって、それをよこせなどと言われても当然拒否一択である。


 しかし、今のシリュウはそうではない。


「……ちょっとまて。人間のまだよくわからない。お師にきいてく―――」


 ドサッ


 だがここで、リアムの頭を掴んだままジンの元へ引きずって行こうとしたシリュウの足が止まり、事態の変容についその頭を手放した。


「お、お師―――」


「全員退避だ! 今すぐ闘技場ここから離れろっ!!」


 シリュウの声とジンの叫びが重なり、闘技場に再度緊張感がほとばしる。




 白蛇の胴は黒く融け、その形は失われていた。


 霧散していた魔力は確かに聖獣の死を感じさせていた。


 決して油断していた訳ではない。


 だが聖獣シュリイクサは、魔物の、魔獣の、ひいては俺の知る生物の理の範疇には無かった。


 舞台を埋め尽くさんとする黒い液体。ドロドロと浸食してくるそれは白蛇とは打って変わり、緩慢で、不可視でもなくなっている。


《 ああ……私の愛しいリアム。可哀そうに。こんなに痛めつけられて 》


 ドパッ!


 姿形なく響く白蛇の声とともに、黒い液体が壁のように盛り上がり大波の如く覆いかぶさってきた。


「くっ!」

「ちっ!」


 これに触れてはジェイク団長の腕の二の舞となるのは明らか。舞台上にいた俺とジェイク団長、危険を察したシリュウとクシュナー学院長も飛び退しさった。


「あーっ! シィのえもの!」


 床に倒れていた少年は黒い液体に飲み込まれ、黒い潮が引くとその姿はなくなっている。


(少年を回収したかっ!)


「ジェイク団長!」

「ああ!」


 再戦を確信したジェイク団長は腕を取り戻すため、舞台外のノルン団長の元へ駆け寄る。


「ノルン!」


「……」


「くっ」


 未だ半分ほどしか本来の色を取り戻していない自身の腕を見て、ジェイクは口をつぐんだ。解毒が済んでいない腕を携えノルンは無言で集中している。


(風で舞い上がる毒とはけた違いか)


 たった数滴の毒がこれほど厄介だったとは思いもよらなかった。しかし、ジェイクは落胆を顔に出すようなことはせず、今の自分がすべきことを最優先に頭を巡らせた。


 片腕でも十分に戦えるが、相手が相手なだけに利き腕を失った自分がもはや戦力外であることを悟らざるを得ない。ギリリと歯を食いしばり、握りしめた左拳に血をにじませる。


 チラリとジェイク団長に視線をやると、彼は悔しそうに首を振り、もう片方の腕で気を失ったままのグレンを抱えて出口に向かっていった。


 同時に一言二言エトらと話すと、彼らも首をもたげて闘技場を後にする。


 ピタリと脚を止め振り向いたアリアと視線を交わし、コクリと頷いてやると踵を返して皆に続いていった。


「お前もだ」


「いやです」


「あれに触れると死ぬぞ」


「それはお師もおんなじ。それに、ここでしんだらそのていどの戦士です」


「……」


 確かに、呼び出しておいてやっぱり危ないからと追い返してはシリュウの矜持に反するか。今のシリュウに事情が変わったと説得していては夜も更けてしまう。


「わかった。ならもう一度手伝ってくれ―――獅子王の心ライオンズハート!」


「またきたぁーっ! お師のコレ!」


 手伝うも何も、目の前の怪物は自分の獲物だと言わんばかりにシリュウは雄たけびを上げた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ


 大地魔法をかけるやシリュウの眼が鋭く吊り上がって腕と脚に竜鱗の紋様が浮かび上がる。頭の左右にある角が後ろに向かってググッと伸び、さらに獰猛な姿へと形態を変化させていった。半竜化を通り越し、完全戦闘形態である深竜化だ。


「きゃはっ!」


 一時の事を思えば深竜化による興奮度合いはいくぶんマシにはなっているようだが、相手は未知の存在。戦闘力の増大は歓迎だが、無謀な行動をしないか心配は尽きない。


 しかし今は彼女を信じるしかないと俺も夜桜を構え、敵と相対する。


 意思があり、形を変えて動くという事は、もはや液体は毒そのものでありながら未だ聖獣であるという事だ。


 何かしらの脅威が新たに生まれてしまう予感がしてならない。


「さっさと焼き尽くすぞ!」


「やくのはとくい!」


 俺の生み出した十の大火球が舞台上空に煌々と揺らめき、シリュウが前にかざし、握りしめた拳をパッと開いた瞬間に炎柱が湧きたった。


「―――大火球魔法ノーブル・スフィア・十連!」


「―――火竜炎柱ドラゴ・ピラー!」


 降りそそぐ火球と突き上げる炎柱は、一帯を紅蓮に染め上げる。



 ドドドドドドドド!



 強化魔法無しには目も開けていられないであろう熱波が闘技場を覆う。火炎が触れた箇所の液体は蒸発しながら質量を減らして飛び散り、すさまじい爆風は液体の繋がりを途切れさせていった。


 次第に粉塵が視界を失わせるが、未だ魔力反応はあちらこちらから感じられる。


(散らばった魔力反応、この感じはまるで……)


「っ! うし―――」


 ドギャッ!


「うげっ!」


「シリュウ!」


 突然背後からわき腹を打たれたシリュウはそのまま壁に激突。


 散らばった液体の一部が集まり、一瞬で人一人を吹き飛ばすことが出来るほどの質量となって襲い掛かってきたのだ。


(再生ではない! 雫の一つ一つがヤツと見るべきだ!)


 直接攻撃を受けてしまったシリュウは間違いなく毒をもらっている。だが駆け寄る暇などなく、今俺のすべきことは追撃をさせぬままに一撃ももらわず全てを消し去る事。


《 リアムの手向けとなりなさい 》


「馬鹿を言うな。貴様が食ったんだろう!」


 勝ち誇ったかのような聖獣の声が頭に響き、俺は風渡りを駆使して中空を駆ける。


 タンタンタンタンッ!


 狙いを定められぬよう上下横移動を交えながら火球を間断なく放ち続け、その間も徐々に大きな塊となっていた目標に向かい、再び炎刀と変貌させた夜桜を振り抜いた。


 バシュン!


 二つに分かれた塊は炎を嫌がるようにズルズルと後ずさるの見て、ここが攻め時だと一方の塊に向かってもう一閃の構えをとる。


「っ!?」


 しかし、刃が届く前に二つとなった塊が急激に形を変え、同時に上空に向かって高く伸びる。


 黒い柱の形を成したそれを見て毒の飽和攻撃を警戒した俺が三歩後ろへ引くと、二本の柱は互いに絡み合い、一匹の蛇と化した。


「白蛇の次は黒蛇か。らしくなったではないか!」


《 痴れ者が 》


 ドパパパパパッ!


 白蛇の時に見せた鱗の嵐に代わり、体中から飛び出した毒が針のような毒雨となって降り注ぐ。回避不可と判断した俺は頭上に火球を生み出してそれを防ぐと、今度は眼下から黒蛇の尾が襲い掛かってきた。


「うおぉぉっ!」


 炎刀一閃。


 迫りくる尾を切り離し、飛び散る毒液が身体を纏う大地魔法に触れるや深緑の魔力光が激しく明滅。続けざまに黒蛇は大口を開け、闇の底と紛うようなうろが俺の眼前を覆いつくした。


 現状、敵にとっては地上戦でも俺は空中戦を強いられている。足元は毒の海と化しており、着地はままならない。


 風渡りでは間に合わぬと判断し、閉口の瞬間を見計らって瞬雷を発動すべく身体に雷を纏わて魔道を形成したその時、乾いた音とともに黒蛇の胴が大きく揺らいだ。


 ズパァン!


「なっ、何をしているシリュウ!」


 俺と黒蛇の攻防の最中、シリュウはなんと蛇の胴に蹴りを見舞った。立って歩いているのにも驚きだが、あれほど触れるなと言ったにもかかわらず、その蛮行につい大声が出てしまう。


 強烈な蹴りでグラリと揺らいだ黒蛇は、驚きながらも眼下にいる無謀な火竜の末裔を睨みつけた。


「くっ、させるか!」


 シリュウが追撃を見舞われる前にその意識を再度俺へと向けさせねばならない。


 パパパパァン!


 形成していた魔道を伝い、瞬雷をもって黒蛇の頭から尾までを駆け抜ける。燃え盛る夜桜の切先はその胴を都度焼き斬ってゆくが、その攻撃も続くシリュウの連打の前には敵意をもぎ取る事は出来なかった。


 ズドドドドドドド!


《 滅びの末裔ぇっ! あり得ない、なぜ動ける! 》


「あはっ!!」


 聖獣である黒蛇の声はシリュウに届くことは無い。当然反応することなく、拳による猛烈な連打によりその胴は千切れかけている。


(あいつの身体はどうなってるん、だっ!)


 とにかく、黒蛇に直接触れてもシリュウの動きに異常は見られない。


 俺の大火球とシリュウの炎を纏った後ろ回し蹴りが同時に炸裂し、黒蛇は声もなく砕け散った。


「シリュウ、無事なのか!?」


 シリュウを避けるようにぽっかりと空いた空白地帯に降り、形を成せなくなった黒蛇を見つつシリュウに駆け寄る。


 見ると、シリュウの全身から湯気のようなものが立ち上り、シュウシュウと音を立てているのが分かった。


「お、お前まさか……」


「?」


「熱っ!」


 恐る恐るシリュウの肩に手を当ててみると、信じられないほどの熱を発していた。いや、熱どころか燃えていると言っても過言ではない。


「……ふはっ」


「お、お師? シィはなんともないです」


「ああ、無事でよかった。どうやらシリュウは聖獣シュリイクサヤツにとって天敵だったようだ」


「ふぇ?」


 猛毒を受けても自身の体内で燃やしてしまえる生物など、竜人以外にいないのではないだろうか。さらに聞いたところによると、深竜化に至ることのできる竜人は亡き兄ガリュウと、その妹であるシリュウのみ。


 体内にまで炎を宿すには深竜化した状態でなければという事ならば、どうやら敵は絶対に出会ってはいけない相手に帝都ここで出会ってしまったという事になる。


 ボコボコと湯が沸騰しているかのような音を立て、またも液体は黒蛇の姿を成した。先ほどまでとは明らかに小さくなり、大きさを維持できるほどの毒液がここに残っていないという証左だろう。


 聖獣シュリイクサ。


 貴様は、その首で終わるべきだった。



 ―――シャギャァァッ!



「さぁ、シリュウ。この残り滓のような話を終わらせよう」


「……お師のいうことはむずかしいっ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る