#58 逃がす訳が無い

「う……ん……」


 闘技場の片隅で意識を失っていたエト、レーヴ、スキラの三人。


 ようやく目を覚ましたエトは、自身に何が起こったのか理解する間もなく腰の短剣に手を伸ばす。


「……はっ! あれ、ないっ! おいらの短剣!」


「落ち着いて。ここに」


「え、あっ」


 激しい戦闘が繰り広げられる中、静かにたたずむその女性に違和感を覚えつつもエトは短剣を受け取った。


 エトはそのまま辺りを見回すと、アリアがある生徒に治癒魔法ヒールを施していた。


「そ、そいつ、たしか五剣の……」


「彼も、貴方たちも、あの聖獣に毒されました。既に毒は治癒していますが、彼は激しい肉体の損傷があったのでアリアに任せています」


「あのヘビ、聖獣だったのか……どおりでおかしいと思ったんだ。でもそっか、アリアがやるなら大丈夫かな」


 自分が闘技場に叩き落された時、壁際に倒れる生徒がいたことを思い出し、エトは助かったんだと胸を撫でおろした。


 その傍らで、アリアに任せたと聞いたとたんに助かると確信した風人の少年を、ノルンは若干の驚きをもって捉えていた。


 治癒魔法を扱う者にとって、仲間の信頼は時に重圧となる。これは本人にしか感じえない事で、また、本人が治癒魔法師として乗り越えるべき壁である。


 そして、そう仲間に言わしめる事こそが一流の治癒魔法師であり、最前線で戦う者が実力以上の力を発揮できるというもの。それが戦場における治癒魔法師の最も重要な役割であると、ノルンは確信している。


(良い仲間に恵まれ、本当に強くなりましたね。コーデリアもさぞ誇らしいでしょう)


 そのような思いを口にすることなく治癒に専念しているアリアを横目に、この瞬間もノルンはジェイクに治癒魔法を飛ばし続けている。


 そして目を覚ましたエトに向かい、ノルンは戦いから視線を外すことなく口を開く。


「一剣のエト君。魔法師団長としてあなたにお願いがあります」


「魔法師団長……? え、あんたが!?……いや、今そんなことはいいか。ならお願いじゃなくて命令すればいいよ、エラいんだしさ」


「ふふっ、きちんと学んでいるようですね」


 学院の規則には非常時、学院生は臨時的に騎士団、魔法師団の指揮下に入り、民の誘導や街の治安維持に資するというものがある。


 ノルンが命じようとしている事はこれに準ずるものではあるが、あまりに枠を超えるので『お願い』という言い方をしたのである。


「貴方の風魔法で皆を守ってください。クシュナー学院長の魔力がそろそろ底を突きます」


「お、おいらが?」


 目覚めたばかりのエトの目から見ても、ジェイクとパルテールの戦いは壮絶を極めている。互いに一対一で戦っているように見えるが、明らかにパルテールはジェイクに風魔法だけでなく、要所要所で援護を出していた。


 平皿に満ちた水がこぼれぬよう、その底を細い針一本で均衡を保っているかのような戦いに自分が加わるのかと、エトは一度敗れたという事もあり戸惑いは隠せない。


「ええ、あなたの風が必要です。本来ならアリアを含め、ここから離れるよう命ずるべきなのですが……それが出来ますか?」


「嫌だ。アリアは頑張ってるのに、あいつらだって絶対に嫌って言うに決まってる。それに……」


 即答したエトは未だ目覚めないレーヴとスキラに視線をやり、そのまま少し離れた場所で無の境地にあるジンに視線を移して断言する。


「兄ちゃんなら絶対おいらたちの分もやり返す。なのに、そこにいないなんて耐えられないよ」


 エトの目をチラリと流し見たノルンは、その表情と言葉に覚悟を感じ取る。


 死の間際まで追い詰められてもなお折れず、出来ることがあるならと再度立ち上がる者こそが本物の強者である。


(若くしてこの心の強さ。その覚悟は凄まじいと言えるでしょう。可能なら将来魔法師団に来ていただきたいものです)


 恐怖に打ち勝つという過程を経ている場合ではない今の状況に、エトの言葉はノルンにとってこれ以上ない心強いものだった。


「ではお願いします。戦闘の余波は私が防ぎます」


「俺様がやってやる」


「……お前ら起きんのおっそ」


 エトは仲間の言葉で振り返り、いつも通りに振る舞った。


「それについては悔やんでも悔やみきれないわ」


 レーヴとスキラは立ち上がり、それぞれエトとアリアを守るように立ちふさがる。


「ちっ……悪かったな。寝すぎた」


 二人を見たノルンはコクリと頷き、エトはスキラの謝罪に反応することなくその身に風を纏った。


 風はエトを中心に徐々に大きく雄大な広がりを見せ、闘技場全体を力強くも優しく包み込んだ。


「ごめん団長さん。言うの忘れてたけど、別々に囲むの今のおいらじゃ四人が精一杯なんだ。だから闘技場ここでもいいよね?」


「……も、問題ありません。むしろ助かります」


 ノルンはエトの繰り出した想定を上回る魔法にまたも驚かされた。


 元々パルテールは個々に風魔法による防壁を創り、さらに聖獣の毒が闘技場外に漏れ出ぬよう全体を包み込んでいたのである。


 だが、最も魔力を消費していた闘技場全体を包む風を維持する必要がなくなることは、パルテールにとってこれ以上ない援護と言えた。


《 パルテール様 》


《 ありがたい。これでもう少し持つ 》


 手短に通信魔法トランスミヨンを飛ばしたノルンにすかさずパルテールは反応し、闘技場全体を覆っていた自身の風を解除した。


 代わりに満ちたのは、皇輪ドラウプニルを介した風魔法と何らそん色ない原素魔法による風。


 原素と魔素の違いを感じ取ることのできる数少ない人間であるパルテールは、万人の援軍を得た心持ちで劣勢になりつつあった状況に楔を打った。


「もう少し抵抗させて頂きますよ。―――木偶魔法アルボ・ゴーレム


 巨像五体を相手に、木偶一体と小手先の魔法で何とか底を見せぬようにしていた状況を一変させる。


 次から次に地面から生えてきた木々はグニグニと交わって形を成し、最終的に五体となった木偶が巨像に立ちふさがった。


「学院長先生って、結構強かったんだねっ」


「仮初の力だよ」


 パルテールがクィと眼鏡を上げて腕を振るうと、反応を示した木偶が一斉に拳を振り上げて巨像に殴りかかった。


 石と木のぶつかる音は地響きを鳴らし、魔法戦でありながらやっていることは物理接近戦である。


 ゴガンゴガンと音が鳴るたびに巨像と木偶はその質量を減らしてゆき、削られる度にリアムとパルテールの魔力が送られて再生する。


 声なき十体の巨人の戦争は、傍で戦うジェイクと聖獣シュリイクサにとっても無視できないほどだった。




(これほどの人間が存在するなんて……かなたの人間では考えられない)


 シュリイクサは自分を傷つける事のできる武器を持つ目の前の男よりも、リアムの身を案じるようになっていた。


 自分一人なら闘技場どころか、帝都ごと毒の海に変えることだって出来る。


 だが、そこまでの力を振るえば主たるリアムも無事では済まないのは分かっていた。


《 リアム。一旦ここを離れましょう 》


《 え、なんで!? 僕負けないよ!? 》


《 ええ、リアムは負けないわ。だけど、帝国を侮りすぎていたのも事実。万が一も私はリアムに怪我をしてほしくないの 》


 シュリイクサの突然の提案に主たるリアムは困惑した。負けるなど毛ほども考えていなかったリアムにとってそれは到底受け入れがたく、いつもなら素直にいう事を聞くところだが今回ばかりは難色を示した。


《 でも……でも……皇帝はすぐそこなのに 》


《 リアムが戦っている相手は学院の権力者。騎士団に入って皇帝に近づいて暗殺するのはもう無理よ 》


《 うっ、そうだった……ならこのまま全員殺しちゃってさっ! もうお城に攻め込もうよ! 僕らならきっと大丈夫だよ! 》


《 …… 》


 皇城が学院以上の警備体制を敷いている事は確実である。今戦っている相手が騎士団員であることは明白な上に、これ以上の使い手が皇帝の傍に控えている可能性もあるのだ。


 リアムのジンと遊んで仲間にしたいという理由で闘技場に姿を現したはいいものの、すでにその余裕はなくなっている。


 シュリイクサは全く戦力分析の出来ていないリアムにあきれつつ、これも自分の力のせいだと若干の後悔を感じた。


《 今まで戦いと言えるものはしてこなかったら楽しいのはわかるわ。毎回あっさり終わってしまうものね。でもね、リアム。戦いになるという事自体、本来あり得ない事なのよ 》


《 ど、どうして? 僕たちが強すぎるから? 》


《 ……こっちを見て 》


 シュリイクサは説明している暇はないとグィと首をリアムに向け、その双眸をリアムの瞳に映す。




(聖獣の目から魔力? 何をするつもりだ)


 ジェイクは突然向きを変えた聖獣をいぶかしみつつ、攻勢が緩まった隙を突いてその胴に斬撃を叩きこむ。


「おおおおっ!」


 ズパッ!


 強化魔法をまとった皇剣は、抵抗を受けることなく見事聖獣の尾の先を切り離した。


 しかし、聖獣の様子がおかしい。明らかなダメージを受けても少年を方を向いたまま微動だにしなかったのだ。


「このまま細切れにして―――」


《 ジェイク、パルテール様! 呪眼です! おそらく聖獣は少年に呪いをかけています! 対処を! 》


「何だとっ!?」

「そんなこともできるのか!」


 ノルンの通信魔法はジェイクの剣を止め、パルテールの思考を支配する。


 有名な呪眼を使う怪物としてA級の魔獣エンペラープラントや、同級の魔物である双頭の蛇ドレットノートが挙げられる。呪いといってもその効果は様々で、前者は記憶の混濁を引き起こし、後者は恐怖心を大きく煽られるというもの。


 両者とも肉体的なダメージはないが、こと戦闘中に受けると相当厄介な力なのだが、自分の仲間に向けることに何ら意味はない。


「少年には悪いが、対処っつったって……」


 聖獣の謎の行動に、ジェイクの手が止まってしまう。この隙を突いて聖獣を倒す方が先決ではないかとの葛藤が渦巻いた。


「う……ぁ……」


(主に呪いをかけるとはどういうことでしょう……しかし何かしら良くない事なのは間違いない)


「ジェイク! 眼を狙いなさい! 呪いをかけさてはなりません!」


「はっ!」


 混乱していたジェイクの耳にパルテールの声が届き、ジェイクは聖獣の頭に向かって駆けだした。


 パルテールは木を操ってその足場を創り出しこれを援護。皇剣の切っ先は鋭く聖獣に向けられた。


『ジュアァァァッ!』


「っ!」


 この攻撃に反応した聖獣が怒声をあげて迫りくる敵に振り向くが、この動きを予見できないジェイクではない。


 聖獣の大口から放たれる牙を足場を使ってその頭上に回避し、剣を振り下ろした。


「くらえっ!」


 ゴギャッ!


「ぐはぁっ!」


 だが、その背後から彼を打ち付けたのは切り離したはずの尾。


 完全に警戒の外に置いていた尾の攻撃は、ジェイクを舞台の床に叩きつけた。


「ジェイク!」


(再生するのか! 油断したっ!)


「―――深樹の衝盾アルボ・イムプルス!」


 叩きつけられたジェイクに致命となりえる追撃を行おうとする聖獣の尾に対し、パルテールは即座に木を操って彼を囲い込む。


 ノルンの治癒魔法と解毒魔法によりジェイクの身体が光輝く中、追撃の尾は激しく硬木の囲いを打ち付けて破壊し、パルテールの木魔法が追い付かなくなった瞬間、ジェイクは立ち上がった。


 ドガッ!


『シャァァ……(ちっ)』


「無茶苦茶ですな」


「これで一手分かったと思いましょう」


 ノルンの治癒魔法により回復し、何とか距離を取ることに成功したジェイクは聖獣の再生能力の圧倒的な速度に舌を巻いた。


 パルテールは落ち着いて状況を見るが、これも自分が相手取っていた巨像たちの動きが止まったからできる事である。


「さて、どうしますか」


「……」


 聖獣を見上げるジェイクとパルテール。


 聖獣の頭に乗るリアムの目は先ほどまでとは打って変わって生気は宿ってらず、うつろな目をしたまま言葉を発する様子はない。


「なんらかの呪いを受けたと見て間違いない」


 パルテールが最大限の警戒をジェイクに呼びかけ、次の手を打つべく様子を伺っていると、聖獣はその身体を収縮させた。


「来る!」


 ジェイクが聖獣の突進を予見すると、パルテールもそれに合わせて木魔法を放つ構えに入った。


《 行きますよ、リアム 》


《 ……うん 》


 警戒するジェイクとパルテールだったが、聖獣が動いた先は上空だった。


「!?」


 シュリイクサの選んだ逃げの一手。


 まさか逃げようとしているとは思わない二人は、上空からの攻撃を想定してジェイクは着地点の予想、パルテールは迎撃の魔法を放つべく魔力を収縮させた。


《 さようなら、あり得ざる人間共。二度と会う事は――― 》


 その時、聖獣シュリイクサを含め、二人も感じたことの無い圧力が後方から放たれた。




 ズシン




《 !? 》





―――何処へゆく



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る