#54 不可視の脅威
「い、一撃っ!?」
生ぬるい風が髪をゆらして目にかかり、フランは無意識に指でかき分ける。
その意識は全て血飛沫を上げたグレンに向けられ、彼女は観覧席で驚きの声を上げた。
いかにグレンが学院最強とはいえ、相手は世界に十数人とされるSランク冒険者。その戦力差は学院内外に情報網を持っているフランにとっては当然知るところだったが、それでも一瞬の、しかも互いの太刀筋が全く見えなかった中での決着に愕然とする。
ひとつ前に座るミラベルにとっても同様で、あまりの決着の早さに言葉を失っていた。
だが、ふと我に返ったミラベルは機を逸したのではないかと慌ててマルクの名を呼ぶ。
「マ、マルク!」
「まだだっ!」
名を呼ばれたマルクは身を乗り出し、舞台の二人を凝視していた。
(まだ、まだだ……そうだよな、グレンっ!)
心の中でグレンの名を叫び、真っ二つに斬られた剣を捨て去りなお立つ彼にはまだ闘志があるとマルクは信じている。
舞台の上の二人が話す内容は聞こえないが、肩を震わせたグレンを中心に舞台に霧と氷の粒が流動し始めたところを見ると、やはりグレンは諦めていないようだった。
「氷魔法……グレンち、あの怪我でまだやる気なの……?」
ミラベルは同じ学院生という立場でありながら応援とは程遠い、呆れにも似た嘆息を漏らす。
(グレンが敵わないなんて分かってた。でも、いざダチが目の前でぶった斬られるとこんなにムカつくんだなっ!!)
冷静さを失わぬよう努めるマルク。
氷の剣を手にしたグレンがジンに斬りかかるのを見て、今こそ最初で最後の好機だと、マルクはミラベルに魔法発動の指示を出した。
(グレンっ、お前の気概は無駄にはしないぜっ!)
「ミラちゃん今だっ!」
「……っは」
だが、ミラベルは舞台の方を見たまま微動だにせず、マルクの号令に反応しない。
「おいっ、ミ、っ……かはっ……!」
マルクは突然全身に襲い掛かった痺れに大量の脂汗を流し、浅くなった呼吸により意識が朦朧となる。
(なんだっ!?)
声が出ない。
身体が動かない。
唯一動かすことのできた眼球で辺りを見渡し、マルクは自身に降りかかった異常事態を理解しようと思考を総動員させる。
(ミラちゃんも、フランちゃんも……まさかここにいる全員が!?)
マルクの予想通り、ミラベルとフランも身動き一つできず、声すら発することが出来ていない。
(な、んなのよ……これぇっ! このあたしが知らない魔法!?)
(う……そ……
◇
グレンが目の前から消えた理由は明らかだった。
目に見えない大質量の何かが突如、氷大剣を振り上げたグレンのわき腹を打ち抜いたのだ。
(何だ、何が起こった!)
見えない何かの考察はとりあえず後だ。ただでさえ致命傷を負っていた上に今の攻撃を受けてはグレンの命が危ない。
「グレンっ!」
舞台外、観覧席との段差となる壁に衝突したグレンの元まで駆け寄ろうとするが、異変は目の前で起こっただけに留まらなかった。
(手足の反応が鈍い……? っつ! まさか毒か!?)
「―――
ジュワッ―――
「なんだとっ!?」
咄嗟に発動させた大地魔法で毒とみられる攻撃を防ごうと試みるが、一瞬で許容量を上回ったのか、俺を包み込んだ深緑の魔力光が蒸発する。
(くっ、ならばっ!)
俺は夜桜を介してもう一度大地魔法を発動させる。
原素魔法として再度俺を包み込んだ魔力光は今度は消えることなく、光の明滅を繰り返した。
(いつ毒を食らった!? 不審な魔力反応は無かった!)
大地魔法は毒を防ぐことは出来るが、既に体内に入った毒を浄化することは出来ない。全く動けなくなる前に防ぐことには成功したが、痺れは全身に広がりつつあるる。
徐々に魔力操作もおぼつかなくなっていき、周囲を探っていた
(誰もこの異常に気づいていないのか!?)
悪化の一途をたどる状況の中、壁に打ち付けられたグレンに駆け寄ろうとする者はいない。吹き飛ばしたのが俺だと思っているのか、まだ勝負はついてないとヴィント学院長は静観している可能性がある。
グレンの状況はこの事態でも看過できるものではない。握ることすら困難になりつつある夜桜は落とさぬよう納刀し、俺はグレンに再度駆け寄った。
―――さっすがぁ
だが、耳元でささやかれるような、それでいて遠くの声にも聞こえる言葉が俺の脚を止める。
「っ!? 何者だ!」
不思議な声の持ち主に向かい、周囲を見渡しながら叫ぶ。
「怒らないでよぉ。ちゃんとここにいるよ?」
(いつの間にっ!)
突然背後で実体化した声に振り向くことなく、俺の身体は本能的に緊急回避を選択。振り返ることなく距離を取り、その者の姿を視認した瞬間背筋が凍った。
一見するとごく普通の学院生の少年。
右腕に魔法陣の無い院章があるところを見ると、無陣の魔法師学院生に違いない。
ニコニコと笑顔を湛えるその顔に邪気は見られないが、えも言えぬ不穏な存在感と圧倒的な魔力量は、一瞬にして俺に最大警戒を呼び掛けた。
「全員、この場から逃げろっ! 今すぐだっ!」
「無理だよ、先生。みーんな動けないし」
「なにっ! 全員にまき散らしたのか!」
少年の言う通り俺の呼びかけも虚しく、観覧席の誰一人動こうとしていない。どころかシンと静まり返り、声すら発せないようだった。
(馬鹿な……これほどの魔力反応を見逃したというのか。意図的に隠されていた? いや、魔力反応を隠すといっても霧魔法で他人の魔力に見せかけるのが関の山だ。こやつは何もないところから突然現れたぞ!)
「あ~、難しい顔してる~。やめといた方がいいよ? どうせわかんないから♪」
「どういう―――」
ドン!
「ごはっ!」
俺はグレンの時と同じように、何の前触れもなく大質量の何かに横から衝撃を受け、壁に打ち付けられた。
少年が何かをした気配は全くなかったし、実際微動だにしていなかった。
教士用の制服の下、アヴィオール鉱糸製の服を着ていなければ上半身の骨は相当数やられていただろう。
「くっ」
それでも強化魔法が満足に発動できない状況では、今の不可視の攻撃に対処する術はない。発動させていた大地魔法は相変わらず明滅を繰り返しており、未だこの闘技場には麻痺をもたらす何かしらの影響が満ち満ちている事を示していた。
何とか起き上がることは出来たが、浸食され続けている手足は役に立ちそうも無い。
「まだ動けるなんて、やっぱりすごい! その緑の魔法のおかげかなぁ? ねぇシュリ」
(シュリ? 何に話しかけている?)
少年は何かを見上げるように虚空へ話しかけている。
俺は痛むわき腹に手を当てつつ、何もかもが不明なこの少年に疑問を投げかけた。
「少年、君は一体なんだ? 誰と話し、何を望む」
「へ? 少年じゃないよ、僕はリアムっていうんだ。話してるのはお友達だよ。あと、何を望むだっけ? えっとね~、ジン先生と遊びたい! 僕の魔法が効かなかったのは初めてだったんだ!」
「決闘の邪魔をした挙句、遊びたいか……ごほっ!……いささか、身勝手が過ぎるな」
ニッコリと笑って予想外の言葉を発したリアムに向かい、俺は眉間にシワを寄せる。
「身勝手? 違うよ先生、これは自由っていうんだ。力があれば何でも好きにしていいって、大人はみーんな言ってたよ?」
「……どこのどいつだ、そのクソったれどもは」
全くの問答無用というわけではないようだが、自分が何を言っているのか理解できていないのだろう。リアムの思考は完全に刹那的に生きる大人らの犠牲となっていた。
「あははっ! そうだよねクソったれだよね! だからみんな殺しちゃったっ!」
ガッ!
「ぐうっ!」
大口を開けて笑い飛ばすリアムに呼応するように、またも衝撃が俺を襲った。
今度は壁際から舞台まで吹き飛ばされ、血が喉を逆流する。
「がはっ! はあっ、はあっ」
この攻撃も全く予見できなかったが、今度は打ち付けられた何かの形を感じ取ることは出来た。
それは弾力性のある大木のような太さで、その表面は鋼鉄を思わせる硬度を持ったもの。人外の極太の腕のようにも思えるが、その表面はザワザラとした、鱗のような感触にも感じられた。
そう、俺の経験上例えるなら……黒王竜の鱗尾。
「もぅ、シュリ~。僕が話してるのに……え、あぶない? 先生が? なんで? 強いから?」
間違いない。攻撃してきているのは、この『シュリ』と呼ばれるリアムの友人だろう。
と言っても―――
「リ、リアムよ……シュリとやらは、不可視の―――」
「!?」
俺の言葉にリアムは目を見開き、ふるふると唇を震わせた。
「シュリの言うとおりだ……やっぱり先生はあぶないんだね……せっかく楽しく遊んで、あの人みたいに仲間になってもらおうと思ったのに……」
ぶつぶつと小声でつぶやいているリアムの顔から、徐々に笑顔が消えてゆく。
(俺に近づいたのは仲間にするためか。なんの仲間か知らんが、すでにその仲間を得ている事はわかったな)
堂々と目の前でやり取りしておきながら知られたくない事だったのかと、あまりに無邪気な少年の振る舞いについ口角が上がる。
これで晴れて俺はリアムとシュリとやらの標的となった訳だ。
「うん、うん……わかった……先生。ここで死んでね?」
途端に生気を失ったリアムがその空虚な双眸を俺に向け、手のひらを前にかざす。
何をするのかは分からないが、とにかくこの所作が危険な事だけは分かる。
痺れを伴う両脚でなんとか距離を取り夜桜に手を伸ばすが、手のひらは開閉を許さなかった。
(くっ、だめかっ!)
「うっ!」
そこに逃がしはしないと言わんばかりに不可視の力が加わり、自由を奪われた俺は宙づりにされて全身をとぐろ巻きにされてしまう。
俺を捕えた不可視の力は瞬時に収縮し、強烈な力で全身を締め上げた。
ミシミシミシッ!
「ぐぁーっ!!」
それと同時に大地魔法は新たな毒の反応を感知。
魔力の供給を断たれたまま激しい明滅を繰り返し、とうとうはじけ飛んでしまう。
「あ~あ。シュリ、僕の出番なくなっちゃったよ……」
ドサッ
意識の断絶を見て、不可視の力は俺を地に落とした。
人間に抗う事は不可能な毒は俺の身体を超速で侵し、全身から吹き出した血はどす黒く変色していた。
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