#51 思う人は絆となる

(三年以上ぶりか。アリアと話すのは)


「傷は痛まないか?」


 ジンの第一声に、アリアは慌てて頭を押さえる。


「は、はいっ! 問題ありません! ちょっとぶつけただけですから!」


「……いや、そっちじゃなくてこっち」


 俺は自分に指を立て、胸から腹までを一直線につなぐ。


 するとアリアはハッと顔を赤らめ、小さな声で『大丈夫です』とつぶやいた。


「そうか、よかった。これほど肝を冷やしたのは久しくなかった。どうしてもっと早く学院ここにいることを教えてくれなかったんだい? そうすればアリアを傷付けてしまう事も無かった」


 俺は最も気になっていたことを聞いてみた。


 自然に優し気な口調になってしまうのは、子供のころからの癖が抜けないのだろう。


「そ、それは……」


「?」


 アリアはシーツの端を掴み、意を決したように口を開く。


「ジン様が悪いのです!」


「え゛っ」


 ……俺?


 突然の宣告に戸惑う俺に向かい、アリアはもう我慢できぬと言わんばかりにあふれ出る心中を吐き出した。


「突然教士としていらっしゃるから! 敵など演じてしまわれたから! だからジン様のお胸に飛び込むわけには参りませんでしょう!? 戦うにしても未熟な私ではきっとジン様をガッカリさせると思ったのです!」


「お、おぅ……別に飛び込まなくても挨拶程度なら普通に―――」


 俺の言葉など聞こえていないのか、アリアは留まる事は無かった。


「生徒の皆をまるで赤子扱いされゆく度に、私はどうすればよいのか分からなくなっていきました……皆がジン様を敵として思う中、私だけ、私だけがっ……」


「た、確かに、知り合いだからと言って気軽に仲良く出来ないのは―――」


 興奮するアリアの目に、徐々に涙が浮かぶ。


「なのにっ!」


「うおっ!?」


 キッとアリアは俺を睨みすえる。ユスティの冷ややかで鋭い目つきとはまた違う、鋭くも発火しそうなほどの熱が込められている。


「エト君とスキラ君、レーヴとも仲良くなって、さらにはあのシスティナ様とよくお二人きりでお会いになっていると聞きましたっ! 皆さんずるいです! 私だってジン様とお話したかった!」


「え、あの、システィナ嬢とは剣の特訓―――」


「それにっ!」


「うおっ!?」


 いかん。段々昔のアリアを思い出してきた。こうなったら俺などそれこそ赤子同然で何もできなくなる。


「仲睦まじく共に馬に乗っておられたのはどなたですか!? わかってはいるんですよ!? ジン様は教士で、生徒に乗馬の手ほどきをなさるなど当然です! でもそのような光景を目の当たりにしてしまった私はどうすればよいのですか! ひたすら自分に言い聞かせても胸が痛いままなのです!」


(し、知らんっ! そもそも俺が教わっていたのであって、その相手もシスティナ嬢なのだが!? いやこの場合は余計いかんか……というか、見られていたのか!)


「いや、あれもシスティナ嬢から―――」


「加えて今です!」


 やはり俺の言葉などそっちのけらしい。


 もう、抗うのはやめにしよう。


「ファニに抱き着かれておきながら顔色一つ変えずにそのまま! あのユースにも好かれてしまいました! よりにもよって私の目の前でっ! これほど酷なことがありましょうか!?」


 ああ、それで驚いてベッドに頭をぶつけたのか。


 早くに目が覚めたはいいが、報せるタイミングを逃して聞き入っていた、といったところか。


 というか、顔色一つ変えていないなんてことがカーテンの向こうからなぜわかったのか。実際そうなのだが、軽いファニエルなど羽虫が止まっているようなものだからと気にもしていなかった。


 ユスティに関しては……勘違いでいいだろう。


 アリアの最後の慟哭が医務室を震わせる。


「エト君とスキラ君から聞きました。風人のアイレ姫様と獣人国女王ルーナ様。それに雪巫女様とも良いご関係であると。アイレ姫様とは実際にお会いしてお話したこともあります! 強く、美しく、聡明で優しい……私はアイレ姫様を敬愛しております! お連れだった小さな狼さんだってとても愛らしかったです! ですが、それと同じくらいに心のざわめきが日に日に大きくなっていったのですっ!」


 全てを吐き出し、はぁはぁと息を荒げている。


 俺はただ静かに待つ。


「もう私の事などお忘れではないのかと、不安で、不安でっ……それからと言うもの、皆に囲まれながらも心から笑えなくなってしまって……」


 両手で顔を覆い、肩を震わせるアリアに掛ける言葉が見つからなかった。


 今の彼女に『忘れるわけがない』なんて言葉はいかにも軽薄で、微塵も響かない。そんな言葉で今日まで不安に駆られてきた事実は消えない。


 さりとて忘れていなかったという証明など、する必要はない。


 アリアが今、目の前にいる俺を見てもなお不安を抱き続けるのか、果てや俺と再会した自分とこれからどう向き合うのか。それが最も大事なことであり、全てだと言い切ろうと思う。


 少しして、アリアはうつむき加減につぶやいた。


「申し訳ありませんジン様。今言ったことは全てお忘れになってください……これ以上ご迷惑をお掛けするわけには参りませんので、一度口を閉じます」


 ベッドの横には一本が折れたままの双細剣と短剣が置かれている。


 アリアは右手で短剣を取り、うつろな目で左手の甲にスッと短剣を立てた。


「うおっ!? まてまてまてっ!」


 口を閉ざす方法が狂気。


 見た目もそうだが、中身も本当にコーデリアさんに似てきている。


 慌ててアリアの華奢な腕を掴んで短剣を取り上げ、ついでに細剣も取り上げて収納魔法スクエアガーデンに放り込んだ。


 だが、短剣だけがカランと床に落ちる。


 よく見ると鍔の部分に魔力核が仕込まれており、球体の魔力核の横にはティズウェル家の紋章が施されていた。


「こんな由緒ある剣を自分の血で濡らしちゃ駄目じゃないか」


「……はい。申し訳ありません」


 幼い頃から周りから大人びていると言われ、転んで怪我をしても泣かずにグッと堪えていたアリア。


 それでも泣く時はいつも俺が原因だと母上もコーデリアさんも言っていたし、アリアが泣くと、思いやりが足りぬと父上やエドガーさんに怒られてきた。


 成長した分、こじらせ方も成長してしまったようだが、力なくうなだれるアリアに掛ける言葉は昔から決まっている。


「それで、アリアはどうしたいんだい?」


「な、なりませんっ。無邪気な子供のままでは……ここは学院で……」


 昔を思い出したのか、あの頃の流れになりつつあることに、もう自分は子供ではないとアリアは抵抗を見せた。


 このうるんだ瞳で上目遣い。俺はこの仕草にどれほど諦めてきたか分からない。


 たった三年だと思っているのは俺だけで、アリアにとってはどれほど長かったのかも分からない。


 腰まであった髪は肩上で切り揃えられており、ふわりとした穏やかな表情も今垣間見ることは出来ない。


 しかし、きっと心の奥底は変わらないはずだ。


 俺はそっとアリアの頭に手を置き、あの頃のように優しく撫でた。


「すまな……いや、ごめんなアリア」


「う……ううっ……」




 いつもわがままなわたくしが悪いのに


 いつもジンさまはこうしてあやまってしまわれる


 いつもこのお言葉で涙が止まらなくなって


 いつも後悔よりうれしさでいっぱいになって


 いつもジンさまのお胸で涙を枯らしてた


 いつもいつもいつも


 きっと 


 わたくしはいつまでも




「ジンさま 好いております」




 堰を切ったようにアリアは俺の胸で泣き始めた。


 あの頃のように優しく抱きしめて頭をなで続け、


 泣きやむ頃にはまた、輝く笑顔を見せてくれるだろうか。


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