#52 ご武運を
「な……なんだって?」
「はい。お手紙でジン様が学院に来られたことをお知らせした時のお返事で」
「……叩っ斬れと?」
「はい。ラプラタ川で私に会いに来なかった事を後悔させなさい、と」
「あな恐ろしや」
ラプラタ川の戦いと言えば、魔人ソルムら
コーデリアさんの場合は両方あり得るので前者なら困りものである。
そもそもあの戦にコーデリアさんとアリアが参戦していたことを知ったのは戦場を去った後。俺からすれば寝耳に水で引き返すわけにもいかなかったのだが、そんな言い訳が通用する相手ではない。
ようやく落ち着きを取り戻し、目を真っ赤に腫らしながらアリアがふと口にした最近の出来事に俺は戦々恐々とさせられる。
泣かせてしまった罰にしては少々重いのではなかろうか。
「でも、叩っ斬られたのは私の方でしたけど」
にっこり微笑んで笑えないことを言ってのけるアリアは正真正銘、コーデリアさんの娘なんだと改めて思い知らされる。
お話ししたいことは沢山あるというアリアに付き合い、その後も色々と話をした。
学院に来る前の戦場の事。
初めて訪れた帝都は想像以上に豊かで、目に入る物が全て新鮮で珍しかった事。
挙げればキリがないと、アリアは一つ一つを噛みしめるように記憶を辿っている。
(と、とりあえず、コーデリアさんの件はどうしようもないな……アリアに会った事を前面に出して謝罪の手紙でも書いておくか)
アリアの実家、つまりティズウェル男爵領は帝国北部に位置するスウィンズウェルという地方。その立地は気軽に立ち寄れるような場所ではなく、ここ帝都からあまりにも遠い。
スルト村からならまだましだが、最終的な目的地である東大陸入口のラングリッツ平原は南も南。方向がまるで正反対なので、スウィンズウェルを訪ねるのはまたの機会にさせてもらう事にしよう。
(お許しを、コーデリアさんっ)
俺が頭を抱えているのを見て、アリアはクツクツと肩を震わせた。
「お母様も時期が悪うございました」
「ん? どういうことだい?」
「お父様とお母様はつい一月前まで、公務でアルバニア別邸にいらしたのです」
「なにっ!?」
一月前というとドレイクでソアラさんに修行を付けてもらっていた時期。そもそもあの滞在は予定に無かったもので、ついつい修行に身が入って出立が遅れてしまったのだ。
「実はお父様もジン様にお会いしたいと仰っているのですが、なんせジン様は流浪の冒険者。星の巡りに導かれねばなかなか難しいですね」
「ハッシュ・ティズウェル卿か……確かに今一度拝謁賜るべきお方なのは間違いない」
コーデリアさんには鬼のように世話になってきたが、そもそも妻のそんな自由を夫たる男爵様が許さないと出来ることじゃない。
俺が幼い頃、ティズウェル卿は一度スルト村を訪れていたらしいが、暴れん坊真っ盛りの俺は一言挨拶だけ交わして、何か悪戯をする前にエドガーさんとオプトさんに連れられて森に狩りに出かけたらしい。
紛う事なき厄介払いである。
まぁ、その事すらも俺は後から聞かされた上に、当時挨拶をした相手がティズウェル卿だと認識できていなかったのだが。
つまるところ、全く記憶にない。
しかしコーデリアさんは昔からスルト村にいるのが当たり前のように思ってきたが、よくよく考えれば間接的にだがティズウェル卿にも多大な恩があるのではなかろうか。
「あまりお気になさらないで下さい。お父様は良くも悪くもでジン様を畏れられておりますし、しかるべき時が来ればお父様の方からご挨拶に伺わせて頂くと思います」
「いや、色々おかしいだろう」
畏れるに良い意味などあるのか。さらに正真正銘の貴族が平民に挨拶に来るなど領民に示しがつかない。あってはならないような気がするが……
「いいえ、おかしくありません。何食わぬ顔をされておいでですが、よくよくご自分のお立場をお考え下さい。ジン様は国家戦力と同等と見なされておいでです。本来、私のような小娘が近づける存在ではないのです」
なんとも真剣な顔つきで言うものだ。これには少々寂しさを感じられずにはいられなかった。
「……の割には服を大層濡らされてしまったが?」
「ま、まぼろしですっ」
「ほほぅ。それは貴重な経験をしたみたいだ」
湿り気を帯びた教士の制服の胸元に目をやりながら、『確かに幻だな』と言ってやるとアリアは恥ずかしそうに俯いた。
とにかく、国家戦力だかなんだか知らないが、そんなことを気にしていては気軽に飯も食えない。周りが俺をどう評そうが知った事ではない。
「俺は俺のままだよ」
「……はい。ジン様はあの頃と変わらず、私の知るジン様です」
再度ふわりと笑みをこぼしたアリアも昔のまま。
変わらぬものがある、ましてやそれが人となると想いも
故郷を語り合える相手がいるのはこれほど安らぐものだったのか。これも旅に出たからこそ分かる情感なんだと、一つ学ぶことが出来た。
そして、医務室が斜陽の反射で赤く染まり始めた頃。
扉を叩く音がする。
―――コンコン
「どうぞ」
「先生、お時間です」
「わかった」
この声はおそらくリッツバーグだろう。俺はスッと立ち上がって返事をした。
途端に真剣な顔つきに変わったジンを見て、アリアは何が始まるのかとつい口を開く。
「あ、あの……どちらへ?」
「実は今日の夕刻に決闘を申し込まれていてな。これから大闘技場へ向かう」
「け、決闘!? それはどういう事でしょうか! 大闘技場で決闘などまるで……しかもジン様をお相手に」
ヴィント学院長の裁可を経てある生徒が挑んできたことを伝えると、アリアは血色の良くなってきていた顔を曇らせた。
決闘の形式を取ることの意味を知らぬ者はこの学院にはいない。
「すまないがアリア。俺は手加減をするつもりは無い」
「いいえ、当然の事です。ジン様が謝られるようなことではありません。こちらこそ、同じ学院生としてジン様に無用な心労をお掛けする事の方が申し訳なく思います」
心労はともかく、俺が負ける事など全く考慮していないアリアの言い草につい笑いがこみ上げた。
「おいおい、俺は一応まだ敵だぞ? 少しは先輩を慮ってやってはどうだい?」
「今一度申し上げましょうか?」
「……いや、十分伝わった」
一見奥手に見えるアリアも、俺に好意を向ける際だけは真っすぐだ。
誰に対してもはっきりと物申すコーデリアさんに似ていると思える最たる例だろう。
この手の話になると俺は常に後手を踏まされる上に、決闘に遅参する訳にはいかない。最後に言っておかなければならないことを告げる。
「もう負ける訳にはいかないからな。精々頑張るとするさ」
「えっ?」
俺はそう言って前髪をかき上げ、左こめかみにできた傷をアリアに見せた。
「こ、この傷っ!?」
「母上を思い出したよ。見事な魔法だった。おめでとう、アリアの勝ちだ」
とっさに発動させた瞬雷をもってしてもかわし切れなかった、アリア渾身の
顔面に導かれていた魔道を、文字通り光線のごとく通り過ぎた矢は俺に傷をつけることに成功していた。
一撃を食らわせたら生徒の勝ちという定めに則り、俺とアリアの勝負はアリアに軍配が上がったのだ。
アリアが俺との勝負に多大な想いを乗せていたのは後の話で重々承知していた。殊更に喜ぶものと思っていたのだが、傷を見た彼女の表情は俺の思っていたのとは全く違っていた。
「失礼します」
そういってアリアが俺の額に手をやると、若干の鈍痛を感じさせていたこめかみの傷は一瞬にして消え去ってしまった。
発動速度、治癒具合。どれをとっても見事な
「さすがだな。ありがとう」
「このようなかすり傷程度では話になりません。ですが、私のやってきたことは無駄ではなかったのですね……そのことを糧に、これからも励んで参ります」
まぁ、そう言う可能性もあるとは思っていたが、少々つまらない。
「はぁ……アリア、可愛くないぞ?」
「え゛っ! そんなっ、いやです! どどど、どうすれば愛らしくございますか!?」
「それだ」
慌てるアリア見てもう満足。
「もぅ、意地悪っ!!」
俺は笑いながら医務室の扉に手をかける。
この期に及んで痴話げんかなどほんの一匙で十分。
アリアはベッドの上で膝を折り、背を向けたジンに向けて両手を突いて見送った。
―――ジン様 ご武運を
―――ああ
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