#49 束の間Ⅰ


 パァン!


 耳をつんざく破裂音は、すっかり壁としての機能を失った崩れた壁の向こうにある建物に反射して木霊する。


 まさしく、消えた。


 周囲を囲んでいた生徒らは、音と同時にアリアの背後に回っていたジンの瞬間移動とも思える動きに、ただただ目を丸くする。


「え? え?」

「先生消えた……よね? 今」

「何がどうなって―――」


 全員が何が起こったのか理解できず、瞼は無意識に開閉を繰り返した。


 だがそれもつかの間である。


 短剣を前にかざしたまま微動だにしていなかったアリアは力尽き、短剣を落とすと同時にガクリと膝を折った。


「アリア!?」

「リアぁっ!」


 ユスティとファニエルが倒れ込むアリアに駆け寄ろうとするが、


「アリアーっ!!」


 ジンの叫び声と再び鳴った破裂音で脚を止められた。



 どういうことだっ!?


 なぜアリアがここに!


 いや、今そんなことはどうでもいい!


 まずは治癒が先だっ!



 思考よりも行動が優先される。


 俺は倒れかかったアリアを抱え、そっと床に寝かせた。


「この鎧っ……邪魔っ、だぁっ!」


 バキンッ!


 アリアに傷を負わせてしまった自分をぶん殴りたい衝動を抑え、まずは胸の治療の邪魔になる鎧を切り込みに手を入れて開き、力づくで破壊した。


 鎧の下は血まみれになっている制服。自分でやっておいて言うのもおかしいが、酷い出血だった。


(まだ残っていたはず!)


 急いで収納魔法スクエアガーデンからアイレにもらった風人の秘薬を取り出し、傷口に直接塗りこんでゆく。そしてすばやく布で患部を押さえると瞬く間に血は止まった。


(次っ!)


 増血剤を口に含んでそのまま口移しで含ませると、『うっ』と唸った後コクリと飲み込んでくれた。


「よし! ユスティ!」


「はひっ!?」


 ジンのあまりもの手際の良さあっけにとられていたユスティは不意に呼び捨てで名を呼ばれ、裏返った声を吐き出した口を押える。


「このまま医務室へ運ぶ。案内を頼みたい」


「わ、わかりました! こちらです!」


「わたしもいくー」


「頼む。君、名は?」


「ファニエルですぅ」


「ファニエルも頼む」


「おまかせですぅ!」


 アリアを抱えたジンとユスティ、ファニエルは同じ建物内にある医務室へ向かった。


 取り残された生徒らは頭の処理が追い付かずその場に立ち尽くし、皆が皆顔を見合わせた。


「兄ちゃん、アリアあいつの事知ってたっぽいなぁ」


「だね。センセめっちゃ焦っててびっくりした」


治癒術師ヒーラーってなんで自分治せないんだよ。意味わかんねぇ」


「ゴホン。授業で習っただろう? 治癒術師は生命力を分け与えて相手を治すんだよ。だから自分の生命力を自分に分け与えてもただ循環するだけで、分け与えるための魔道の生成にかかる魔力が消費されてしまうだけだって」


 エトとレーヴ、スキラの三人にリッツバーグが加わり、皆は旗振り役であるユスティのいないこの状況をどうすべきかを考えることから逃げていた。


 するとその時、思いもよらぬ人物が顔を出す。


 ガラ―――ガシャン!


「……」


 手を掛けたはいいが途中で外れ、派手な音を立てて壊れた扉の向こうから現れたのは、騎士学院長のヴィントだった。


「げっ!」


「終わったようであるな」


 ギョロリと生徒を見回す。相変わらずの怒り顔に露骨に顔をしかめたのはエトとスキラ。レーヴも若干ひきつっている。


「が、学院長! これはですね、あの、その、なんというか……ははは……」


 学院長室前の廊下を作戦地に選んだリッツバーグは慌ててとりなそうとするが、瓦礫の山を前に何も言えず、ただただ苦笑う。


「リッツ! あとは頼んだっ!」


「えっ、ちょっ、エト!?」


「おれもー。鬼の説教なげーんだよな」


「(わちも知ーらないっ)」



 ―――みんな逃げろーっ!



 スタコラと逃げ去っていく三人に引きずられ、リッツバーグを除く生徒らも我先にと学院長室前から蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


「ヒドい!!」


 一人残されたリッツバーグにヴィントはカツカツと歩み寄り、へたり込んでいる彼の肩をポンと叩く。


「ひっ! が、学院長! どうか退学だけはぁっ!」


「リカルド先生はどちらへ?」


「は、え、えっと……医務室に」


「ならばリッツバーグ君。折を見て先生を大闘技場に案内しなさい」


「大闘技場!? ―――しょ、承知いたしました!」



 ◇



 医務室の扉を開けるとそこには誰もいなかった。普段ここには治癒魔法を扱える教士や薬師がいるとのことだったが、不在なものは仕方がない。


 あらかた治療は終わっているので、目が覚めるまでベッドを拝借させてもらう事にする。


 寝かせたアリアの血まみれの制服を着替えさせようと服に手を掛けたその時、大声で待ったがかかる。


「ちょっと、先生! 何をなさるおつもりです!?」


「着替えだ。さすがに血まみれのままではいかんだろう」


「そんなことは見ればわかります! なぜ私共がおりますのに先生がやるのかと聞いているのです! アリアは女性ですよ!?」


「そうか。君らには言ってなかったが、俺とアリアは幼き頃からの付き合いでな。妹のような存在だし着替えの一つや二つどうって事―――」


「消えて頂けますか?」


「せんせいはあっち~」


「む」


 食い気味にユスティに言われ、ファニエルにカーテンの向こう追い出されてしまった。


 まぁ、確かにアリアもいつまでも子供ではない。俺に着替えさせられたと知れば嫌な思いをするかもしれない。


 ここは大人しく彼女らに任せておくのが吉だろう。


「傷が全部塞がってる……すごい……」

「リアとユース、どっちがお胸大っきい?」

「ふぁっ、ファニ! どこを触ってるのです―――」


 なにやら布一枚を隔てて二人がバタバタとし始めたがここは心頭滅却。


 それにしても、だ。


 まさか学院にアリアが入学しているとは思いもよらなかったが、よくよく考えれば当然の事なのではなかろうか。


 母のコーデリアさんもアルバニア騎士学院の卒業生だし、娘のアリアがここに通うのは当然の成り行きである。


 俺とアリアは六つ歳が離れていたはずで、今現在一剣であることを鑑みて逆算すると、彼女が入学したのは去年、十二の歳という事になる。これは一般的な入学年齢であり、そこにもおかしな点はない。


 治癒魔法ヒールに細剣という時点で気づけたか?


 顔を隠していたとはいえ声は聞こえていた。この時点で気づけたか?


 答えは否だ。


 俺の中のアリアはスルト村を出た時点で止まっている。身長も伸びているし、聖属性魔法も治癒魔法しか扱えなかった。


 たった三、四年で極光回復魔法オーロラヒールまで使えるようになっていると想像できるか?


 たった三、四年で双細剣ツイン・レイピアを体術を含めてあそこまで使いこなせるようになっていると想像できるか?


 あまつさえ過剰回復魔法である母上の魔法、浄化の矢オーバーレイまで習得しているなど想像できるか?



(無理だっ!)



 俺は頭を抱えた。


 だが、いかに教士と生徒という関係であったとしても、可愛い妹分を蹴り飛ばし、斬り付けてしまったという事実が重く俺にのしかかる。


 間違いなく、アリア本人は俺を認識した上で戦いを挑んできた。怪我も覚悟の上だったろう。にもかかわらず、俺が心配をしては逆にアリアを怒らせる羽目になるのは明らかだ。アリアはそういう人間に育っているであろう事は確信がある。


 加えて、俺が娘に怪我をさせたという事実を母であるコーデリアさんが知ったところで、怒られるという事もまずないだろう。どころか、あの人は『甘い!』とさえ言いかねない。これにも確信がある。


 敵であるはずの生徒の治療を血相変えてやる必要があるのか。


 他にも俺に怪我をさせられた生徒は大勢いる。アリアびいきではないか。


(やかましい)


 脳内にいるもう一人の俺の言葉を一蹴して顔をあげると、身体はぬぐい終わり、着替えも済ませたと二人がカーテンから出てきた。


「ありがとう。二人とも」


「いいえ。友人ですので」


「問題ありませぇん」


「風人の秘薬を初めて使うと激しい眠気に襲われるが、その内目を覚ます。それまでこの学院でのアリアの事を聞かせてくれないか?」


「風人の秘薬? 何かは存じ上げませんが傷は全て塞がっていましたので、私ももう大丈夫だと思います。アリアの事については……本人から聞けばよろしいのではないでしょうか?」


 俺の提案に、ユスティは戸惑いながら真っ当な意見を返してきた。


「もちろんそうするつもりだが、俺の中のアリアは誇るようなことはしないはず。剣を交えてよく分かった。エト、レーヴ、スキラ。この三人と共にアリアは一剣、いや学院の中でも際立っているのだろう?」


「……仰る通りです。わかりました。皆が知っていることでよろしければお話いたします」


「リアはねー、すごいんですよぉ♪」


 その後、アリアが目を覚ますまでユスティとファニエルから色々聞き、その代わりにと俺も色々聞かれたが、全て正直に答えてやることにした。


 アリアを語る二人がどんどん熱を帯びていく中、俺は自分の事のように嬉しく、誇らしい気持ちになっていく。


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