#42 画竜点睛
「みんなっ! リカルド先生が目標領域に来たぞっ!」
一剣、一陣の上位クラスが集まる共通課程の教室に一報が舞い込んだ。
もたらしたのは調査課程で優れた成績を残す生徒で、冒険者で言うところの
「っし!」
このクラスでの作戦指揮を担うリッツバーグとユスティが立ち上がり、周囲に視線を配ると皆が席を立った。
「イストワルド先生」
「うむ」
教壇に立つ歴史課程教士イストワルドは事前に言われていた通り生徒の出戦を許可し、戦いに赴く生徒へ言葉を贈る。
「諸君。たった一人が百人に打ち勝つこともある。じゃがの、その中でも己に打ち克つ者こそが真の勝利者じゃ。ゆめゆめ胸に秘め、戦の本分を果たして参れ」
―――はいっ!
恩師の言葉を聞き遂げ、全員が全速力で目標に向かって走り出した。
「はてさてリカルド先生。この子達は手ごわいですぞ? まさに黄金世代と言って差し支えなし。長生きはしてみるもんじゃわ」
パタリと閉じられた歴史の課程書。
老教士を一人残し、誰もいなくなった教室に満ちる活力の残滓は、新時代の幕開けを告げているかの如く。
「親父も出陣の時こんな気持ちだったんかな?」
死んだ父ウギョウを想い、息子のスキラはポツリと言った。
「さぁね。少なくとも、リカルド先生はおっとう達が負けた魔人より強いから
それに応えたアギョウの娘レーヴも父を想い、大勢の仲間と共に駆ける。
「やっぱ
「アリア嬢のことだ。きっとまだ可能性は……」
エトの疑問にリッツバーグはわずかな希望もあるはずと自分に言い聞かせるが、駆けながらユスティは首を振り、ファニエルは肩を落とした。
「んだよ~、あいつの本気見れると思ったのになぁ」
エトにとってアリアは良きライバルであり、二度ほど訓練で剣を交えたことがあるが勝負がついたことは無かった。だからこそ自分たちより遥かに強いジンと戦う姿を見たかったのだが、いないものはしょうがない。
気合と根性でどうにかなる相手で無い事は確かで、あえて戦わないという選択肢もあるという事は学院に来てから学んでいた。戦わなければ、負けることは無い。
エトはレーヴとスキラ、その他
一方のユスティ。
昨日から共通課程に顔を出していないアリアとは学院本館の屋上で話す機会を得ていた。
……――――
「今日を入れてもあと三日ね」
「ユース……」
人の寄り付かない屋上で一人坐禅を組み、虚空に身を置く。心を平静に保ち、己が身を顧みるアリアの習慣となっている修行。
坐禅はジンとのつながりを表す、ジンから教わった数少ない事の一つだった。
ユスティは日頃アリアがここで禅を組んでいるのを知っていたので足を運んだのだが、普段なら声をかけたりせず見守るだけのところを今日はあえて話しかけた。
「一度くらい話した?」
「……いえ」
「はぁ……ほんとにこのままお別れするつもり?」
「……」
ジンが学院に来てからもうずいぶん経つ。どころかあと数日で去っていくというのに、アリアは未だ自分の存在を明かせずにいた。
黙りこくったアリアにユスティは若干の苛立ちを覚えるが、アリアのこれまでを見てきただけにこれ以上言えることは無い。
「このあいだ」
「?」
禅を組み目を閉じたまま、アリアはポツリと言葉を漏らす。
「リカルド先生が女性と馬に乗っているのを見たの」
「ええっ!?」
ユスティはつい驚き大きな声で反応してしまう。だが今は自分の番じゃないと慌てて口に手を当てた。
「一緒に乗っていたのが誰なのかはわかりませんでしたが、そんなことはどうでもよくて……私、反射的に目をそらしたんです。見ているのが辛くて。ほんと、馬鹿みたい」
「そ、そんなことないっ!」
「……」
眉間にシワを寄せ、即座に否定したユスティにアリアは口元を緩める。
「ここは学院でリカルド先生は教士。乗馬の手ほどきなどあって当たり前。そう思えば思うほど、自分に言い訳しているような感覚に陥りました。ウジウジと悩んで、いじけて」
「アリア……」
「ユース。私は嫉妬に学院生の本分を忘れた自分を叩きなおすため、リカルド先生に挑みます」
「ほ、本気なの!? あれだけ戸惑ってたのに!」
ユスティの問いにアリアは静かに頷いた。
「先生が自らを敵だと言った以上、ユースの言う通り、ここで何もせずやり過ごすなど以ての外。差し出すのは手ではなく剣。その決心がやっとつきました。ですが」
「一人でやるのね」
「……はい。一緒に戦えなくてごめんなさい」
「い・い・の・よっ!」
困った顔で苦笑うアリアをユスティは抱きしめた。
「ユ、ユース?」
「あなたの想いの丈をぶつけてやりなさい! 何なら私たちの状況を利用すればいいわ!」
「で、でもそれでは……」
「まぁ? アリアが戦う前に、私たちが先生倒しちゃうけどねー♪」
ためらうアリアの顔を両手で挟んでグニッと強引に笑顔に変える。
それも戦いの手段だとユスティは声高に言ってのけ、それでも自分たちは本気で獲りに行くつもりだとことさらに高く笑った。
◇
学院本館にある学院長室へ向かう廊下は静まり返っている。
高い天井から装飾的な照明器具が垂れ下がり、艶のある石造りの床には鮮やかな紅の敷物、窓をはめ込む木枠には緻密な細工が施されているという豪華仕様な廊下である。
ここは、普段生徒が立ち寄ることのない場所なので、俺にとってはあらぬ位置から攻撃を受けることの無い安全地帯だったりするのだが、かといってここに居続ける訳にはいかないので三日に一度ほど現状報告に訪れるぐらいだ。
今日は珍しくヴィント学院長から報せがあるというので足を運んでいた。
「ジンです」
「入り給え」
中からの低い声音で扉を開け、促されるまま深いソファに腰を沈める。
「明日が最終日であるな」
「ええ。少し早いですが、お世話になりました。とても充実した日々を過ごせました」
「なんの、こちらこそである。結局、今日まで二百戦。とうとう獲る者は現れなんだな」
「当然の結果……といったら傲慢ですかね」
「はっはっは! よいのである。貴殿はそうでなくてはならぬ存在なのである」
ヴィント学院長は笑いながらねぎらいの言葉をかけてくれた。いちいち数えていなかったが、一戦一戦審判を務めた教士が報告を上げてくれていたようで、俺の挑まれた回数はちょうど二百に到達していたようだ。
「明日の全過程終了後に舞踏場でささやかながら壮行会を行つもりだ。最後の仕事だと思って、欠席だけは勘弁してくれたまえ」
「……承知しました」
幼いころからコーデリアさんに貴族の催しは疲れると聞いて育ってきただけに全く気乗りしないのだが、これは流石に断れない。
舞踏場は開院の記念祭や催事に用いられるほか、戦楽課程や一般教養課程で舞踏を習う際に使われる場所である。舞踏場は学院内屈指の見物の建造物で、建物自体が凝っているのは当然、中も皇帝の居城であるクルドヘイム城の広間を彷彿とさせる造りになっているらしい。
なんでも騎士となればそういった場所に慣れておく必要があり、舞踏も騎士として催事に参加する際は必須となる。舞踏が一般教養と言えるのか甚だ疑問だが、騎士にとっては当然の嗜みなんだろう。
「今日来てもらったのは、二つ伝えるべきことがあってだ」
「はい」
ヴィント学院長はソファから立ち上がり窓の外を見る。その様子から、どうもあまりよくない報せのようだ。
「一つは、これである」
差し出された手紙。読んでみろというので、遠慮なく中身を拝見する。
「ふっ……果たし状とは、遠回りな事をする生徒もいるのですね」
「うむ。相手のグレン・バロシュ・アルベルト。五剣の中の五剣と言われる、騎士学院きっての麒麟児である」
「なぜ、学院長経由なのでしょう」
「そこを使用するには、私の許可が必要というのが第一」
場所は大闘技場と書かれており、時刻も今日の夕刻と書かれている。どうやら課程の調整やら『決闘』という形を認めるか否かで教士間で激しい議論があったらしく、その調整で今日俺に報せることになったのだとか。
決闘当日に報せるなど普通あってはならないことだが、形式的に俺は全生徒と戦争中なので、これは許容範囲と見なされる。
「なるほど。しかし、この仁は騎士の決闘を理解しているのでしょうか」
「最もな疑問である」
ヴィント学院長は真剣な顔つきで、『頼みがある』と付け加えた。
頼みは教士の使命と決闘のあるべき姿、相容れない結末に苦悩した学院長が頭を下げるほどの内容だった。
この難しい注文に俺も奥歯を噛みしめたが、戦争だと言った本人が及び腰では話にならない。腹をくくってヴィント学院長の願いに頷いた。
「私も可能性を考慮していなかった訳ではありませんし、最後までやり遂げてこそ冒険者です」
「すまぬ」
次にと、ヴィント学院長は話を進める。
「本来貴殿に報せる事ではないのだがな。私の一存で伝えておくことにした」
学院長の話では、今帝都では連続殺人が起こっているという。
その被害者全員が毒により殺されており、騎士団の懸命な捜査にも全く尻尾を掴めずにいたのがここ数日。
そしてとうとう掴んだ手がかりが示していたのは、この学院内に犯人もしくはそれに連なる者がいるかもしれないという事だった。
「どうりで最近、仕掛けてこない手練れが増えていた訳です」
「ほぅ……何かに気づいていたと?」
「なんとなくです。違和感といいますか……身を隠すのが上手いにもかかわらず、私に意識が向いていませんでした。疑問でしたが、獲物が私でなかったのなら当然ですね。
「暗部まで知っているのか!? ……いかにも。カーライルの手である」
俺が軍務大臣直属の密偵集団を知っていたことにヴィント学院長は驚くが、知っているのなら包む必要もないと続ける。
「実行犯は魔法で毒を操ると見られているのである。貴殿の任期は明日までゆえ知らせても栓無い事だと思ったのだが、万が一もある。一応注意してくれたまえ」
毒魔法など存在しない。おそらく何かしらの毒物を風魔法か何かで散らしているのだろう。ならば、十分魔法で対処できると俺は見た。
加えて生徒が犯人の線は限りなく薄い。教士だとも思いたくないが、子供が、ましてや帝国騎士や魔法師を志す者が、よりにもよってここ帝都で殺人を犯すなんてことはまずありえない。
しかも市井で起こった事件に、学院区画から出られない生徒らが関与しているとも思えない。
学院に出入りできる者は、約半数を占める生徒を含めて二万人近くいるという。その中の誰かであるとしても、そこから今日明日で犯人を見つけ出すのは無理と言うもの。
そんな短期間でどうにかなる問題ではないし、騎士団や隠者の目がここまで出張ってきているのなら俺の出番などない。
学院長の言う通り念のためという域をでないが、かと言って教士である現時点で『注意してくれ』を額面通りに受け取る訳にもいかない。
「承知しました。見つけ次第、拘束します」
コクリと頷いたヴィント学院長に頭をさげ、そう言って部屋を後にしようと扉に手をかけた瞬間。
ゾワリと気迫が全身を駆けた。
「……まさか
廊下に集まる複数の魔力反応。
称賛の心持ちで扉を開けると、その両翼に構える全員に闘志が宿っていた。
「学院長。今回は少々、騒がしくなります」
「はっはっは! 存分にやり給え」
学院長室の扉を後ろ手に閉め、二百一戦目の幕が上がる。
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