#33 水面に立たん
水路管理局北支部の看板を掲げる建物は二階建てで、どうやら入口は二階にあるようだ。俺は階段を上がって一声かけてから扉を開けた。
「失礼します」
「……ん? お客さんとは珍しい。何か御用かな?」
中には役人の恰好をした人間の男が一人身支度を整えていた。日も落ちていることだし、もう帰るのかもしれない。
「夜分に申し訳ありません。先ほど水路で
「え!? ちょっ、ちょっと待っててもらえるかな」
「はい」
そう言うと男は奥の階段を下り、まもなく呼ぶ声がしたので遠慮なく階下へ降りると、そこには先ほど会った水人の他にもう一人の水人がいた。
「いやぁ驚いた。まさかゴトーが人間を連れてくるなんて。ゴトーは知っているね。こっちはズミフ。ちなみに僕はこの北支部主任のフレッドだ。二人とも
「ゴトーッテオレカ」
「お前ダ。いい加減覚えロ」
「ははっ。
自分の名を覚えていないなんてあり得るのかと不思議がっていると、フレッドさんが説明してくれた。
それなら納得である。ゴトーさんは普段あまり話さないようだし、自分がなんと呼ばれているか意識する機会が少ないのだろう。
「申し遅れました。私はジン・リカルド、冒険者です。ジンと呼んでください」
「さっきから思ってたけど……えらく礼儀正しい冒険者さんだよね、君。どこかの貴族様の出かな?」
「いえ、ただの平民です」
「へぇ~、珍しい人もいるもんだねぇ。ゴトーが連れてくるってことは悪い人でもないだろうし、まぁゆっくりしていきなよ。僕は妻と子が待っていてね、先に帰らせてもらうね」
「ありがとうございます」
そういってフレッドさんは階段を上がって帰っていった。残された俺たち三人は互いに顔を見合わせ、まずはズミフさんが口を開く。
「ところデ……ジンは何をしに来たんダ?」
当然の疑問だと、俺はゴトーさんの影を水路で見かけてから、付いてこいと言われるまでの経緯を手短に話した。
「つまリ、ゴトーはあれこれ聞かれテ、喋るのがしんどいからオレとフレッドに丸投げしようとしたト」
「ソウダ」
即肯定したゴトーさんに吹き出しそうになったがかろうじて我慢。
少しの間、じぃっとゴトーさんを見据えたズミフさんはため息をついて諦めた。
「水路の管理人とは思いませんでした。仕事の邪魔をして申し訳なく」
「いイ。今日の見回りは終わっていル。これから飯なんだガ、食っていくカ?」
水人と食事する機会なんて滅多にない。俺は是非にと答える。
今日の当番はゴトーさんらしく、彼は全く表情を変えることなく立ち上がり、水路の出入口である床に空いた穴に手を伸ばし、繋いであった袋から魚を取り出した。
水人の食事……果たしてどんなものが出てくるのかいささか楽しみである。材料が川魚なのは明白だが。
「それデ? なにが聞きたいんダ?」
ゴトーさんが食事の準備をしている間、ズミフさんは腰を据えて答えてくれるようだ。
そもそも俺は怪しげな影を追ってここまで来た。蓋を開けてみればそれは水人の影で、その当人も帝国に雇われている水路管理人だった。
もはや俺のやるべきことは無いのだが……それとは別の疑問が俺の中で噴出していた。
なぜ亜人の中でもひと際人前に姿を現さないと言われている水人がここにいるのか。
そして、どうやって自由自在に水中をいき、あまつさえ水面に立てるのか。
前者はフレッドさんに聞くのが手っ取り早いと思っていたのだが、それも含めて聞いてみたい。
聞けば水人に王や長といった種族をまとめる者はいないらしく、家族単位で生活しているのだという。
そんな折に起こったのが一年前のジオルディーネ王国のミトレス侵攻である。彼ら水人は危機察知能力に長け、水中も自由自在に泳ぐことができる。
水人の里であるミルガルズはほとんどが沼地や湿地帯で、川や湖があちらこちらに点在する地域だ。ジオルディーネ軍もそんなミルガルズに価値を見出すことはなく、水人を捕らえて売買しようと目論んだのだという。
だが、水中に逃げ込んだ水人を人間が捕らえるのは至難の業である。案の定ジオルディーネ軍は水人を諦め、ミルガルズに簡単な行軍用の道と拠点を造ってさっさとピレウス王国に攻め込んだのだ。
驚いたことに、水人は先の戦争で一人も死傷者を出さなかったらしい。
それはそうだろう、無呼吸であんな泳ぎをされて水中深くに逃げ込まれたら捕えようがない。
そうして避難生活数か月後に戦後を迎え、ミルガルズを訪れた獣人国女王が名もなき水人に『ズミフ』と名付け、ズミフさんはあれよあれよと水人の代表されてしまったのだという。
その時に皇帝の居城であるクルドヘイム城で食した帝国の宮廷料理に感動し、一度ミルガルズに戻ったあと、今度は仲間を連れて帝都に戻ってきたらしい。
「なぜ女王はズミフさんを指名したのでしょうか」
「人間の兵隊がオレの棲家の近くに勝手にデカい家を建てだしたかラ、腹が立って水浸しにしてやっタ。それを聞いたって言ってたナ」
直接戦いはしなかったが、水人で唯一ジオルディーネ軍に抵抗したズミフさんをルーナは買ったといったところか。
確かにその気概は目を見張るべきもので、種族唯一だと考えると俺は尊敬に値すると思う。
「オレは他の奴らより危険を察知する能力が低いらしくてナ。図太いとも言われタ」
「それは他国の者と関わるのには必要な能力かと。なるほどズミフさんは向いているのかもしれませんね」
「それニ……」
「?」
「断ったラ、焼き魚にされてしまウ」
「……お察しします」
俺とズミフさんは同時に腕を組んで頭をもたげた。
『おまんは今日からズミフや。ええから黙って付いて来んかい』と言っている彼女が容易に想像できる。
同情を禁じ得ない中、ズミフさんはこうして得られるはずのないものを得ていると、今では女王に感謝の念こそあれど恨みは全くないと顔を上げて笑った。
「オレが帝国の魚はうまいと言ったラ、何人かついてきたんダ」
ズミフさんが『帝国の魚』というが、それは俺の思う素材そのものとは違っていた。
そもそも水人は川や湖で獲れる魚介や藻を主に食すらしいが、その調理方法はいたって単純。そのまま生で食べたり焼いたり、キモを抜いて干したりするのが関の山で、味付けをしないのだ。
まれに海産国でもある獣人国から塩が流れてくる程度で、よく言えば素材そのものの美味さだけを味わうものだったのが一変。帝都で様々な調理方法や香辛料、その他野菜や木の実を使った料理に触れ、ズミフさんの中で革命が起こったらしい。
それらひっくるめて『帝国の魚』と言っていたのだ。
つまりズミフさん含め帝都に来た水人らは、魚の調理方法や様々な食材を学びに来ているのだ。
帝都に再訪したズミフさんは『帝国の魚』を知るべく、水路の管理を手伝って金を稼ぎ、その金で魚以外の食材を買っていた。
何も帝都まで来ずともガーランドやドッキア、もっと言えば旧ジオルディーネ王国王都イシュドル改め、新都市エレ・ノアあたりの方が遥かにミルガルズから近いのだが……
戦いを苦手とする水人がよく帝都まで来られたものだというと、その答えが俺にとって盲点だった。
「造作もなイ。川を上ればすぐ近くまで来られル」
「そうかっ」
帝都の北を流れるメルベール大河はミトレスに入ると二つの川に分かれる。一つは獣人国ラクリを東西に横切るラプラタ川、そしてもう一つが風人の里エーデルタクトを
二つに分かれると言っても、どちらの川もメルベール大河に比べると小さいと思えてしまうだけで、川それ自体は大河といえる大きさである。
水路をあれだけ滑らかに逆泳できる水人なら、空を飛ぶ次に最短最速、しかも安全に帝都まで来ることができるのだ。
「御見それしました」
「へんな奴だナ。こんな話の何がいいんダ?」
食すというその一点だけで他国、それも全く別の種族の国まで来てしまうその気骨。
これまでになかった文化や風習を受け入れ、あまつさえその地で仕事を得て別の種族の役に立っているという事実。
さらに会ったばかりの人間に食事まで提供するいう懐の広さ。
そうこうしているうちに目茶苦茶イイ匂いがしてきた。どう考えても川魚そのものが出せる香りではない。
「デキタ。クエ」
俺がすごいと思った点を挙げ終わったと同時に出てきた料理は、それらに並び立つ見事なものだった。
◇
「水面に立ちたイ?」
「ニンゲンガナニヲイッテル」
食後の歓談の最中、俺は二人に頭を下げていた。
「ゴトーさんの立ち姿を見て確信しました。俺は……水面を歩きたいと!」
俺の無茶な願いに、ズミフさんとゴトーさんは顔を見合わせて困った顔をしている。
「ジン」
「はい」
あきれ顔をしつつ、ズミフさんはそもそもと続ける。
「
話をするズミフさんに代わってゴトーさんが立ち上がり、水路の穴へと手をやる。
すると、ゴトーさんはグィと水を文字通り掴んで持ち上げてしまった。
「おおっ! すごいっ!」
手を離してバチャンと落ちた水を見て、今度はゴトーさんが厳しい言葉を投げかけた。
「スゴイトオモッテイルジテンデ、ツカメナイ」
「そ、それはどういう……」
「つまりダ、ジンにとってはすごいことなのかもしれないガ、俺たちにとっては当たり前。その出来るはずがないないという先入観がある以上、無理ダ」
「その先入観を捨て去り、水を水でなく体の一部と認識すれば叶うという事でしょうか!?」
これまでになく前のめりになる俺に、二人は驚いて身を引いた。
「体の一部……カ。そもそも幼いころからこういうものだと育てられてるからナ……正直に言っテ、教え方がわからなイ」
「タシカニ。イキヲスルノトオナジ。ドウヤッテイキヲスルカナンテ、タダシイオシエカタナンテワカラナイ」
逆にそこまでに至ることが出来れば、光明が見えるという事なのか。水人にあって人間にない器官のおかげだと言われればそこで終わっていたが、俺に水魔法の相性さえあれば何とかなるかもしれない。
「お頼み申す! ただその姿を見せて頂くだけで結構、私はひたすらに真似るのみ! もちろん対価はお支払いさせていただく!」
一向に退く気配を見せない俺に、二人はため息を漏らして頭を掻いた。
「グ……そこまで言うなラ、水路の仕事が終わった後ならいいガ……本当に教える事なんかないゾ?」
「それで結構です、感謝します!」
「ホントウニヘンナニンゲンニツカマッタ……ソレデ? タイカッテナンダ」
金が一番わかりやすく彼らにとっても話が早いと思うが、それでは感謝を表しきれないように思えたので、一捻り加えることにする。
「はい。帝都の南西にある学院区画。そこに学院関係者のみが入ることのできる食事処があります」
ズミフさんとゴトーさんがガタリと立ち上がった。
「私はまだ行ったことが無いのですが……そのラコスタという店。うまい魚介と新鮮な野菜をふんだんに使った名店だという話です」
「続きヲ」
「ハヤク」
どうやら対価として申し分なかったようだ。
「今日より一月、私は学院区画に出入りすることが出来ます。ラコスタにお二人をお連れできるよう私から掛け合いますので、ごちそうさせて下さい」
「……帝都のいい店は俺たちの給金では行けなイ。一月の予算ハ?」
「無制限っ!!」
「乗っタ」
「キマッテイル。イマカラレンシュウダ」
こうして、俺の第二の帝都生活が始まった。
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