#32 スイロノヌシ

 日没が辺りを赤く染める頃。


 学院の通路、庭、屋上は生徒たちの死体で溢れかえっていた。


 死体、とっていもここでは死に体のことだが。


 布告が終わり、俺は学院内を一人さまよってあちこちの授業に顔を出しては途中生徒に挑まれてきたわけだが、その全てを跳ね返した結果がこれである。


 戦いの最中紋章にも目を配ってきたが、たまに無剣の生徒が混ざってはいたものの、そのほとんどは一剣と二剣の生徒だった。


 それを遠目で見ていたのが三剣の生徒で、あちこちから探知魔法を放っていた者の中にはそれ以上の生徒らも混ざっていたかもしれない。


 まずは俺の戦いっぷりの研究をしているといったところか。


 とにかく、今日の課程は修了したようなので俺も生徒と同じく帰路についている。騎士門をくぐれば挑まれることは無い。


 ヴィント学院長が明日以降、全生徒に武器の所持を認めたらしい。つまり明日以降が本番といえるが、俺はこの勢いも一週間ほどで終わると予想している。


 一度挑んだ者や、挑んでいる者の負けっぷりを間近で見て諦める者もそうだが、その者たちのうわさが広まりきるのが一週間と見ていた。


 仕事は早いに越したことは無い。さっさと敵わないと思わせてほとんどの生徒の心を折ってしまい、一日一、二戦で済むようにしたいのが俺の本音だったりする。


「敵意を受け続けるのはやはり疲れる……」


 歩きながら今日一日を振り返り、ボーっと赤く染まる空を見上げながら宿に脚を向ける。


 学院区画にも豪華な宿泊施設があり、そこを用意すると言ってもらえたが、それに甘えると益々俺が罰の最中であると忘れそうになるので遠慮しておいた。


 途中、うまそうな匂いに誘われて目をやると、ブリットという薄く焼いた生地に肉や野菜を挟んだ食べ物を出す屋台を見つけ、マイルズ以来だと懐かしくなってつい買ってしまった。


 光に照らされた、見事な造形の水路にかかる橋に差しかかったので、欄干に身を預けてブリットにかぶりつく。


「うまい」


 サラサラと流れる水を見ながら食べ進め、改めて帝都に蜘蛛の巣のように張り巡らされている水路の偉大さについて考えてみる。


 水路の水は帝都の北、交易都市マイルズ直下を流れる世界最大の流域面積を誇るメルベール大河から引かれている。


 大河と帝都に向かう支流の間に関を設け、増水時はフタをして水路の水が溢れないように管理されるているらしい。


 俺が三年前に帝都に滞在していた頃も水路はあるにはあったが、それは東西南北、十字に繋がっているだけのもので、街のあちこちに張り巡らされているものではなかった。


 張り巡らされた水路はより早く帝都各地域に人や物を届け、街路の混雑緩和に大いに役立っている。馬に荷車を曳かせるより金がかからず、石畳への負担も減らす。


 さらに街の景観向上にも一役買い、驚いたことに流れる水の存在は犯罪の抑止にもつながるという話も聞いたことがある。


 そんな馬鹿なとも思ったが、今こうして疲れた体を橋の欄干に預けてくつろいでいる俺がその証拠なのかもしれない。嫌なことがあっても川や湖を見ると気持ちが楽になるような気がする。


「一石六鳥。水路偉大すぎる」


 当時はまだ建設中だったものが完成し、未だ拡張工事があちこちで行われていることを考えると、建設中の壁と同様にこうして街は発展していくのだなと、少し感慨にふけった。


「さて、帰るか」


 最後の一口をほお張り、グィと伸びをして橋を後にしようとふと水路に目をやると、ゆらりと何かの影が映った。


「ん?」


 水の流れとは逆に進んでいったように見えた影は消えることなく、よくよく見るとその影は人の形をしており、あまりに滑らかに逆流していく。


「おいおい、どこで泳いでるんだ……」


 街の水路は全面遊泳禁止で処罰ものである。行き交う舟の邪魔になるだけでなく、水難事故を防ぐのが大きな理由だ。


 見てしまったものは仕方がないと、俺はそのまま水路沿いに影を追う事にした。


「こ奴、すごいな」


 影は全く呼吸に上がることなく、滑らかに泳ぎ続けている。しかもこいつは俺の徒歩より速く逆泳しているのだ。


「そうか、水属性魔法か!」


 ここで、ふとこいつは何かしらの水魔法を駆使していると思って探知魔法サーチで探ってみた。


「使ってない……だと? そんな馬鹿な」


 つまり遊泳の主は魔法無しで息継ぎもすることなく、この数分川を逆泳していることになる。


 只者ではない。水路を使った外部からの密輸なんぞもあると聞くから、これは何かしら犯罪の臭いがする。


 上がってきたところをとっ捕まえてやろうと思っていたが、このまま文字通り泳がせて、こいつのアジトまでつけてやる事にした。


(いや、本当にどうやってるんだろうか……)


 穴の開いた棒状の呼吸器を水面に出していればまだわかるのだが、そのような物は一切見当たらない。


 そして何というか……この主、影で見る限りだが泳ぐという動作があまりになさすぎる。普通腕が伸縮するとか、足がバタバタと揺れるとかあるだろう。それがないのだ。


 そんなことを考えているうち、水路をまたいで建つ建物が見えてきた。建物の向こう側からは地下となっており、俺も泳がない限り追いかけることができなくなってしまう。


(まずい、逃げられる!)


「おいっ、いい加減浮いてこい! 逃げれば容赦はせんぞ!」


 俺は慌てて声を上げて浮上を勧告。逃げる素振りを見せれば地魔法を使って水路を塞いでやろうと手を地面に添えた。


「さぁ、早く上がってくるんだ!」


 もう一度声を上げると、影はピタリと動きを止め、ゆっくりと水面に顔を出した。


「……」

「……」


 水面の生首と俺の視線が合う。生首は水に流れることなく、ピタリとその場に浮き続けている。この場面だけを切り取れば、普通に悲鳴を上げてしまってもおかしくはないだろう。


「お前は」


 ―――チャプ


 俺が話しかけると同時に再度消えた生首。


 影が移動していないところを見ると逃げたわけではないようだが、警戒心はかなり強いようだ。


「話がしたい。姿を見せてくれないか」


 俺は地面に添えていた手を浮かせ、とりあえず害は与えないと訴える。


 すると、生首は目だけを水面へ出し、少しの間俺を見つめた。


(こわいこわいこわい)


 いつの間にか日は落ち、暗くなっている。街灯の明かりが無ければ辺りは暗闇と化すだろう。


 どうやら害は与えないという俺の心が届いたのか、影はすうっと水面に浮かび上がってきた。頭、首、胸、腰、脚と水流に一切揺らぐことなく、その者は全身を現し、ピタリと水の上に立ってしまった。


(泳ぎも凄いが、水に揺らぎもせず立てるのか)


 腰に下げられた袋がもぞもぞとうごめいているのも気になるが、それ以上に驚いたことがまず口をつく。


「おぅ……人間じゃなかったのか……」


 全身が魚のウロコのような紋様で覆われ、髪はなく、頭に三つのトサカのような突起がある。足先は指ではなくヒレのような薄い膜があり、とても泳ぎやすそうだ。


 いや、泳ぎやすそうとか今はどうでもいい。


「貴殿は水人アクリア……で相違ないだろうか」


「ア゛」


 なんか変な音を出した。


「ン゛ン゛ッ! ヒサシブリニシャベル。ニンゲンガオデタチヲソウヨブノハシッテイル」


(聞き取りにくいっ!!)


 話せるだけマシかと気を取り直し、まずは対話が重要だ。


「呼び止めてすまない。貴殿はここで何をされているのか聞いてもいいだろうか」

「ナニヲシテイルカ? キマッテイル。サカナヲトッテイタ」

「さ、さかな?」


 確かに水路にはメルベール大河から流れ込んできた魚がいるのは知っている。釣りも特別な認可を得た業者が指定する場所なら認められていると聞くし、最近確認された水路の主と呼ばれる大物も存在すると聞いたことがある。


(その蠢く袋の中身は魚か。……いや、ちょっと待て。そういうことを聞きたいんじゃないんだがな)


 この水人は聞かれたことに真っすぐに答えただけである。彼は一切悪くない。


「なるほどなるほど。ならば、これからどこへ行かれるのです」

「ドコヘイクカ? キマッテイル。スミカニカエル」

「棲家? ちなみに棲家とはどこ……」


 と、俺が聞き終える前に、水人はスッと目の前の水路をまたぐ建物を指さした。


 よく見るとそこには看板が掲げられており、『水路管理局北支部』という文字が。どう考えても官製の建物である。


「貴殿は水路の管理人なのか!?」

「シツモンノオオイヤツダナ。オデシャベルノアマリトクイジャナイ。ツイテコイ」


 そう言うと水人は再度潜り、スッと建物の下に入っていった。


「行ってみるか……」


 俺は誘いを受け、水路管理局北支部の扉を叩くことにした。


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