#26.5-2 女王のとある一日Ⅱ

「るーなさまーっ!」


 ギルドへ向かう途中、顔を泥まみれにした少女とその母親が、歩く二人の元へ駆け寄る。


「あれま泥だらけやないの。どないした?」

「るーなさまっ、これ! わたしがはじめてそだてました!」

「ほぉ」


 少女は採れたばかりであろう立派なラパニスをルーナに差し出した。


 寒冷地帯でよく育ち、病気には強いが、害虫被害に遭いやすいというそこそこ手間のかかる野菜である。


「恐れながら、今日は『願いの日』という事でこのような不躾ぶしつけをさせて頂いております」


 母親は頭を下げ、娘が駆け寄ったことの許しを請う。


「こんなんならいつでも聞いたるわ」

はイシスの皆が毎月楽しみにさせて頂いております」

「堪忍や。やかましいて、めっちゃ疲れんねんで?」

「ふふっ、恐れ入ります」


 そう言ってルーナはしゃがみ、少女の目線に合わせる。


「ウチにくれるんか?」

「はい! るーなさまとゆきみこさまにたべてほしいです!」


 コハクは獣人たちの間では『雪巫女』と呼ばれ、ルーナと共にミトレスを守る者として認識されている。


「こらこら、ちゃんと洗わないとダメでしょう? 娘が失礼いたしました。後ほどお屋敷に届けさせて頂き―――ルーナ様!?」


 シャクッ―――ガリッボリッ


 ルーナは少女の手から無造作にラパニスを受け取り、そのままかじりつく。


「るーなさま、つち……」

「申し訳ありません! すぐに水をお持ちします!」


 ゴクリ


 飲み込んだルーナは、水をとりに行こうとする母親を手で制する。


「みずみずしぃてうまいっ! 野菜も土も、しっかり面倒見とるな。コハクも食べてみぃ」

「えっ、お、お待ちを!」


 ルーナにクィと差し出された土の付いたままのラパニスを、コハクも何のためらいもなく口にする。


「みずみず うまい」


 そのままシャクシャクと食べきってしまったコハクを見て、少女と母親は言葉を失った。


 そしてルーナは少女に向き直り、やさしく頭に手を置く。


「よぉがんばったな。土は誰がこさえたんや?」

「えっと、さいしょはおとうさんだけど、しんじゃったからおかあさんが……」

「さよか」


 予想していた通りの返答に、ルーナは落ち着いて言葉を紡いだ。


「おまんとお母ちゃんの作ったラパニス、最高や。これからもお母ちゃんと一緒に、みんなのために作ってくれへんか?」

「みんな?」

「せや。こんなうまいもん、みんなに食べてもらわんともったいないわ」


 ニッと笑ったルーナつられ、少女もニッコリと笑みを浮かべた。


「はいっ! いっぱいいーっぱいそだてます!」

「かかっ、たのんだで」


 その笑顔を見届けてルーナは立ち上がる。


 去り際、口元に手を当てて肩を震わす母親へ決意を口にした。


「すまんかったな。次は、守ってみせる」

「はいっ……私どもも、命に代えてお仕えいたしますっ……」


 カラコロと下駄をかき鳴らす二人の背に少女は手を振り、母親は深く頭を下げて見送った。



 ◇



「クリスー、きおったでぇ」

「ルーナ様!?」

「道をあけろっ!」


 ルーナがギルドのドアを開けた瞬間、ざわついていた空間が静寂へと変わり、一瞬にして受付までの道が出来上がる。


 中にいる冒険者はほとんどが獣人で、職員も半分獣人、半分人間という構成である。他国から来た人間の冒険者も種族は違えど、この国の絶対的な支配者の前では、他の獣人の冒険者たちと同様の振る舞いをするのがここの暗黙のルールとなっている。


 イシス冒険者ギルドマスターのクリスティーナは、自室にこもらず大忙しの日々を送っていた。


 それもこれも『獣王戦士団』再生の条件に、Bランク以上の冒険者を最低でも百人揃えることとしたため。それ以降、とんでもない数の新規冒険者登録が殺到していた。


「クリスんとこのギルドが閑古鳥なんは我慢ならん。ぎょーさん行かせるよって、期待しときや」

「普通にやめて? 忙しいのはいやなんだけどぉ?」

「え゛っ」

「え?」

「すまん。もう遅い」


 一年前、こんなやりとりがあったのはここだけの話。


 パンパンと手を叩き、クリスティーナは跪く職員たちに仕事を再開するよう促す。


 ギルドで、いや、この国でルーナを前にして通常運転でいられるのはクリスティーナだけだった。


「ルーナ、ちょうどいいところに来たわぁ」

「なんやなんや」

「さっ、自己紹介自己紹介♪」


 クリスティーナが受付の最前列で跪いていた、着物を着た一人の白髪はくはつの女性を促すと、女は顔を伏せて静々とルーナの前へ歩み出る。


「獣人国女王陛下。お初にお目にかかり恐悦至極に存じます。ホワイトリムより参りました、雪人ニクスのセツナと申します」


雪人ニクス? またなんでギルドに」


 雪人こそ冒険者に向かない種族はいないかもしれない。


 力も戦う意思も持たない彼らは、山奥でひっそりと暮らす少数民族である。


 ここではギルドの業務が滞ると思ったルーナは、セツナを連れて二階応接室へと向かった。




「それで冒険者ならて思たわけか」


「はい」


 一連の事情を聞いたルーナは、『う~ん』とこれまでになく悩み、クリスティーナが『ちょうどよかった』と言った意味を思い知らされている。


 強い意志をたたえたその目に、虚栄や欺瞞ぎまんはなかった。


「たしかに冒険者は誰でもなれるけど、雪人となると話は別だわぁ。ホワイトリムにもイシスから多くの冒険者が入ってるしぃ……気持ちはわかるけど、雪人あなたたちが危険を冒す必要はないわねぇ」


「せやなぁ、あんま……いや、はっきり言うたる。向いとらんわ、セツナはん。イシスここまで一人で来れたんは偶然やと思た方がええ」


「はい……ですが、私は」


 フッと息を吐き、セツナは思いの丈をルーナとクリスティーナにぶつけた。


「弱い私一人の言葉では心まで届かないのです。私自身が強くなり、皆を支えられる存在になりたいのです。女王陛下、クリスティーナ様! どうか私に、同胞の皆に新たな希望を見せられる道をお示し下さい! どうか、どうか!」


「……」

「……」


 膝を折り、床に頭をつけながら懇願するセツナを見て、二人は言葉に詰まる。


 そんな折、ルーナはふとセツナの傍に置かれた一振りの剣に意識が向いた。


「その剣はどないしたんや?」


「はい。これは私共をさらおうとした人間の遺品でございます」


「……なんでそんなもんを傍に?」


「これは同胞を殺めた剣でございます。もしかしたら夫も含まれていることでしょう。初めは当初抱いた憎悪を絶やさぬため手元に置いておりましたが、今は―――」


 セツナはグッと剣の柄を握る。


「剣と戦っております」

「これはまた……魔物やったんか?」

「そーゆー意味じゃないってばぁ。まぁ……ルーナには難しいかも。でしょ?」


 クリスティーナがルーナの思い違いを指摘し、セツナに目配せする。


「恐れながら。人を簡単に殺めることができるものを、私は自らの意志で手にしている……その狂気に覆われぬよう心を保ち続けることで、私は少しずつ前に進めているような気がするのです」


「ちょっと大げさ過ぎひんか……」


「人間も似たようなものねぇ。戦いが遠い存在の人にとっては、簡単に手の届く距離にあるだけで怖いものなのよぉ」


 本物の、一歩間違えれば簡単に人を死に追いやることができる物を手にしたことがあるだろうか。


 本でもない、映像でもない。ましてや、空想でもない。


 目の前にある本物の質感に、きっと人は身震いするはずだ。


 そんなものを弱弱しい雪人の女性が手にし、常に共にあるという事は、人間よりも遥かに難しいことなのだ。


「なるほどのぉ。戦えんもんの事は考えてきたつもりやったけど……」


 ルーナは組んでいた腕を解き、セツナの目の前に手をやって軽く力を込める。


 ジャキッ!


 その手を一瞬にして九尾大狐の片鱗に変化させた。


「うっ!?」


「怖いか?」


 圧倒的な存在感を放つその爪は、一撫ひとなででであらゆるものを簡単に切り裂くことのできる、セツナにとっては狂気の象徴ともいえるだろう。


「だいじょうぶ、ですっ」


「かかっ、大丈夫やゆーときは大概大丈夫ちゃうんやけどな」


 ルーナは爪を収めてあぐらをかき、床に跪いたままのセツナと同じ目線になる。


「今のをちょっとでも目ぇらしたら、クリスに丸投げしたろ思たけどな。ええやろ。その道っちゅーやつ、ウチが入口まで連れてったるわ」


「ほ、本当でございますか!?」


 身を乗り出すセツナに、ルーナはニヤリと笑みを浮かべた。


「せやけど、入口すらセツナはんには遠いかもな」


「覚悟は出来ております、どうかご教示ください!」


「わかった。ほな、ウチとコハクこれから出かけるんやけど、ついてきなはれ」


「付いてゆくだけでよろしいのでしょうか」


「せや。ペースはセツナはんに合わせたる。ただし、目的地は言わん。途中のメシも自分でなんとかせぇ。着くまでいっぺんでも弱音はいたり、丸一日倒れたりしたら終わりや。ホワイトリムまで強制的に連れて帰るから覚えとき」


「し、承知いたしました! 必ずやり遂げてご覧に入れます!」


 話は決まったと、ルーナはすっくと立ちあがる。


「てなわけで、クリス。コハクとセツナはん連れて行ってくるわ。今日はその挨拶や」

「わ、わかったわぁ……いってらっしゃーい」


《 ちなみにどこまで行く気? 私には教えといてよぉ 》

《 ああ、せやったな。アイレはん迎えに行ってからジンはんとこ♪ 》

《 遠っ! 鬼っ! エーデルタクトはまだいいわ。でもジン君は今帝国よ! わかってるのぉ!? 》

《 わかっとるわぃ。ウチとコハクの鼻なめたらあかんよ? 》

《 う……なんか気持ち悪いわねぇ 》

《 キモチ悪いゆーな! 》


 セツナの旅支度は済んでいるということで、三人はその足でギルドを後にする。


「セツナさん、頑張って! あきらめちゃダメよ!」


 クリスティーナはこれから彼女の身に地獄が訪れるとは言えない。


 セツナはクリスティーナに向かって深々とお辞儀をし、


 先を歩く女王の背を、一振りの剣と共に追った。


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