#26.5-1 女王のとある一日Ⅰ

 ミトレス連邦は全地域が寒帯に属し、一年を通して基本的に寒い。


 西大陸は西に行けば行くほど寒さが増すので、その中で西端に位置する獣人国ラクリは、雪人ニクスの里であるホワイトリムに次ぐ寒さである。


 だが獣人たちは寒さに強い者が多く、とりわけ狐の獣人であるルーナは寒さなどどこ吹く風。


 元々自身が住んでいた屋敷は崩れ落ちたまま放置されており、そのうず高く積まれた瓦礫の上で今日も目を覚ます。


「くぁぁぁ……そろそろ行こかなぁ」


 膨らませて身を包んでいた尾を戻し、ポリポリと頭を掻いてねむた眼のまま立ち上がると、瓦礫の下で控えていた川獺カワウソの獣人オッターがいつも通り挨拶をする。


「おはようございます。ルーナ様」

「ん、おはよう」

「本日は『王に直接なんでもお願いしていい日』です。すでに多くの民が下に集まっております」

「あ゛~、せやったなぁ……」


 気だるそうに瓦礫を降りるルーナに、オッターは風呂の準備はできていると伝える。


「コハクは?」

「数分前すでに」

「さよか」


 きれいに瓦礫が払われた四角形の広い露天風呂へ向かうと、コハクがうつ伏せに浮いていた。


「溺死体か」

「がぼぼ」

「さよか」


 外気温が低いおかげで、この露天風呂の周りは白いもやに包まれている。最初から服は着ていないのでルーナはそのまま湯船へ向かい、滑り込むように湯につかった。


「あ゛~、マーナはんのおかげで風呂なくして生きられんよーになってもうたわぁ」

「ぐぼぶ」

「すっきゃのぉ、それ」


 湯船のふちに腕を乗せ、澄み切った空を見上げて入る風呂は格別である。


(フクジュ、トーア。おまんらの子を風呂無し生活ムリにしてもーた……なんかすまん)


 古い友人を思いながら、ルーナは引き続きぷかぷかと浮くコハクに伝える。


「コハクよ、アイレはん迎えに行ってからジンはんとこ遊び行こか」


 この言葉を聞いたコハクはチャプンと潜り、ルーナの胸元で勢いよく浮かび上がった。


 ザパッ


「いく」

「かかっ、そない楽しみかいな」


 コクリと頷いたコハクを抱っこし、風呂から出る二人。オッターが用意していた着物を大雑把に着て、民が待つ広場へ向かった。



 ◇



「どれどれ。はぁ……あっちはいつものやつか」

「はい。父が申し訳ありません」

「おまんが謝ることちゃう。疲れるから今日もあれは最後や」

「承知」


 ルーナが立つのは瓦礫の家に繋がる大階段の一番上。


 階段の下には大勢の獣人たちがルーナに頼みごとをするべく、今か今かと待ち構えていた。


 そしてスッとルーナの姿が見えるや否や、怒号のような朝の挨拶が飛んでくる。



 ―――おはようございます! ルーナ様ぁっ!



「はいはい、みんなおはようさん。今日も元気やね」


 階段に腰掛け、ルーナは毎月の恒例行事を始める。まずは少数で待つ民を優先するのがルーナのやり方である。


「ほれ、まずはおまん。言うてみぃ」


「はいっ! 先日の雨でラプラタ川の水位が盛り土ギリギリまであがってしまい、今は引いていますが同じことがあったらと思うと怖くて……盛り土を増やしたいのですがいいでしょうか!」


 ルーナに指をさされた獣人の陳情を、横に控えるオッターがスラスラと記録してゆく。 


「ええこと言うてくれたな。かまへん、なんぼでも高ぉしたって。何人いるねん」

「お下知通りに!」

「ほな千人。オッター、人選はこいつに任せぇ」

「承知」

「せっ、せんにんも!? ありがとうございます!」


 ブンと頭を下げ、盛り土管理人は下がってゆく。


「次。おまんら」


「はっ! 私たちの子に名を付けてやって下さい!」


 夫婦と思しき若い男女が小さな子供を差し出すと、ルーナはふわりと尾で抱きかかえ、赤子の目をじっと見る。


「鳴きおらんな、強い子や。黄襟貂キリエテンの男か……よっしゃ、おまんは今日からハントや」


「ハント……っ! 名に恥じぬ男になるようしっかり育てます! ありがとうございます!」


「嫁はん共々大事にしたりや」


 子をルーナから受け取った夫婦は、涙を浮かべながら下がっていった。


「十七区の木々がどうも弱っているのです。調査隊の編成と最悪の場合植林も視野に―――」


「すぐやれ」


「流通している酒量が細り始め、交換比が高く―――」


「材料あんのかいな」


「ぜひ手合わせをして頂きたくっ!」


 ドゴァッ!


「旦那がお隣の若い女の尻をじっと見ていたんですっ! どうか罰を!」


 ドゴァッ!


 その後も一切の迷いなく次々と陳情を聞き届け、最後に残ったのはルーナの悩みの種。


 一年前の戦争が終わってから出始めた陳情だが、こればかりは一度しか聞き入れたことがない。


 ルーナはスッと立ち上がり、これまで聞き入れた人数の数十倍の集団に叫ぶ。


「最後はおまんら! 言うてみぃ!」

「はっ! ルーナ様ぁっ! どうか家を直させてくださいぃぃっ!」


 集団の中の一人が前に出て、全員に聞こえるよう大声を張り上げる。声を上げているのは川獺カワウソの獣人オッタル。


 職人気質で曲がったことが大嫌いな、オッターの父である。


 イシスに住む獣人たちの中でもずば抜けて大工仕事を得意としており、彼の下で働く大工集団は戦後の復興に大きな力を発揮していた。


 仲間には海狸ビーバー洗熊アライグマ栗鼠リスの獣人と言った職人らがおり、ルーナも大いに頼りにしている者たちである。


「毎度おんなじこと言わすな! ウチとこは最後でええっちゅーとろうが! まだ壊れたまんまのとこぎょーさんあるやろ!」


「最後でいいわけがありません! 我々が屋根のある家なのにもかかわらず、ルーナ様が瓦礫の雨ざらしなんてのはありえませんっっ!」


 毎回こうである。


 ルーナとしては民の家を優先し、自身の家を最後として復興の象徴にしたいという考えがある。


 そもそも一部の民が濡れ、自分は屋根のあるところでぬくぬくとなど、ルーナには到底できなかった。


「こないだでっかい風呂造ったやないか! それで我慢せぇ!」


「風呂!? いつの話をしておられるのです、一年も前でしょう!? その間我々はルーナ様に申し訳が立たず、夜も眠れませんっっ!」


「ウソつけぇ! そのツヤッツヤの顔さらして何言うとるんじゃ! めっちゃぐっすりやろおまんら!」


「き、気のせいですっ!」


「気のせぇ!?」


「ルーナ様が快適にお休みされていないからこそ、そのような幻が見えるのですっっ!」


「むちゃくちゃな言い分持ってきよったな!!」


 いつも以上に無駄な抵抗をしてくるオッタルに叫び疲れ、ルーナは座り込んで息子であるオッターを見る。


「おまんが授けたな?」

「……」

「親父にウチを篭絡ろうらくせぇ言われたけど、よーせんから、こう言われたらこう返せみたいなこと吹き込みおったな?」

「……イイエ」

「うそヘタか」


 記録用紙を片手にダラダラと冷や汗をかくオッター。


 戦士候補の一切が冒険者として里を出て行っている中、この青年は戦いこそ不出来だが、その真面目な性格と機転の利く頭脳でルーナを一年支えてきている。


 あまり彼を責めては可哀そうだと、ルーナは大きなため息をついた。


 それを見たオッタルは息子を叱責する。


「くぉらぁっ、オッター! あれほどルーナ様を説得申し上げろと言っただろぉっ! お側でお仕えできる光栄さに甘えてたら承知しねぇぞぉっ!」


「ぐっ!」


 父の言葉にぐぅの音しか出ないオッターは、うつむき加減に歯を食いしばる。


 そう、積み上げられた瓦礫のてっぺんから起きてくる女王を、その下で毎日迎えているオッターこそが、今の状況を最も我慢しているのである。


「やめやめっ! おまんらとおんなじくらいオッターはようやっとる! もうええ、寝床や! とびりきの寝床こしらえんかい!」


「おおっ!」

「っしゃーっ!」

「寝床を勝ち取ったぞぉー!」

「とびきりっつったらやっぱハンモックだ!」

「馬鹿野郎! ベッドに決まってる!」

「今すぐ森だ。最高の木を採ってくるぞ!」

「この調子で来月は家だな!」


 とうとう折れたルーナの下知で、集まっていた大工集団は我先にとその場を後にした。


 後日ルーナの瓦礫の家に、ゆらゆらと風で揺れるベッドが備え付けられたのは、また別の話。


「ルーナ様、ありがとうございます!(お疲れいただく作戦成功だ!)」

「家はウチの都合じゃと頑固親父によぉ言うとき」

「承知!」


 顔を上げたオッターは書類仕事終わらせるとその場を後にしようとしたが、コハクに袖を引かれたルーナがそれを呼び止めた。


「せや、今日からしばらく出かけるから、帝国に手紙出しといて」

「はい。帝国のどちらでしょうか。ルーナ様がお通りになる道を予め伝えておかなければなりません」

「せやなぁ……」


 少しの間思案し、ルーナは目的地と通過点をざっくりと伝える。


救世主ハイラントの元へ!? 印をご用意いたします!」

「手土産か? そんなもん途中で美味そうな肉でも狩って」

「ありえません! 救国の御方ですよ!? 我々の感謝を肉で表現するなどできるはずがありませんっ!」

「お、おぅ。おまんらの感謝か。かさばんのは堪忍してや……」


 父親の気質を垣間見せたオッターの勢いに押され、ルーナは若干引きつつ承諾。


 コハクの手を引き、まずはイシスにある冒険者ギルドへ向かった。


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