#20 老ドワーフの日常

「バカヤロウ! その石は基礎のヤツだ! あっちだあっち!」

「ここ削り甘いな。ぴったり合わねぇ」

「ええか? 石っつーのはな、密度によって硬さと重さが決まるが、こいつは硬ぇのに軽いっつーワケのわからん性質を―――」


 帝都外縁で行われている拡張工事。


 ここ帝都では全域で行われている水路工事に加え、皇帝が座すクルドヘイム城の城壁、貴族区と一般区街を分ける内壁、一般区街と野を隔てる外壁に加え、第四の壁が着工して早一年となる。


 そこには人間の土木業者に混ざって、地人ドワーフの技術者があーでもないこーでもないと言いながらあちこちで指示を出していた。


 一年ほど前から行われているこの事業は、当然街の主である皇帝ウィンザルフの許可によって始まったものであり、西の大都市エレ・ノアと時期を合わせて行われていた。


 ただでさえ広い帝都だが、人や物の流れは帝国一なのは言うまでもなく、将来にわたり増え続けるであろうこの流れを、十二分に受け止めるための都市としてふさわしくなければならない。


「人間の強化魔法でゴリゴリいくのも悪ぅない。けんどな」


 そういって地人ドワーフの技術者を束ねている老技師ロガは、のこぎり刃のついた細長い棒を持つや、目の前にある加工前の岩に刃を当てる。


 シャリシャリシャリ


 人間が二人がかりで両側から大きな鋸を引きあってやっと切れる岩を、ロガは片手でいともたやすく両断していった。


「うそだろ」

「石切る音じゃねぇぜ」


 その様子を間近で見ている人間の職人らは、信じられないような面持ちでその技術に感嘆をもらす。


地人わしらは大地神の恩恵を持って生まれてくる。木を切るのが得意なやつもおれば、鉱石を嗅ぎ分けることのできるやつもおる。面白いところじゃと、穴掘り名人っちゅーのもおるわ」


 かっかと笑いながら、ロガは鋸を持っていた手を前にかざし、人間の職人らにその力の根源を話す。


「大地神の恩恵。人間がいうところの地属性魔法じゃな。これを扱う者を鍛えれば、このくらいは簡単にできるようになるわい」


 職人らに地属性魔法を扱える者はそういない。どころか、人間の専売特許であるはずの無属性魔法ですら、満足に使える者もそういないのだ。


 『火事場の馬鹿力』という言葉がこの世界にもある。これは危機的状況に陥るなどで無意識下に放たれた無属性魔法により、一時的に身体が強化されている状態と考えられており、訓練を経なければ自在に操ることは無理である。


 普通に暮らす人間は魔法の訓練を行うという習慣はないと言っていい。魔法が使えなくても生活に支障はないし、魔物や魔獣といった外敵にはその対処を専門とする騎士や冒険者がいるのだ。


 仮に訓練したとして人間同士の喧嘩には強くなるかもしれないが、魔物や魔獣と対峙する次元にまで到達するには相応の才と覚悟が必要となる。


 このことから、魔道具を使う上で使用する魔力以上に、魔法に依存した生活は誰一人送っていないと言えるのだ。


「爺さんさ、それがあれば魔物も倒せるんじゃないっすか?」


 職人の一人がロガの持つ鋸を指しながらいうと、ロガは『そんなことできるわけなかろう』と笑う。


「お主にはワシが岩を切ったように見えたのじゃろう。じゃがワシがやったのは岩との調じゃ。この鋸をこの岩が受け入れたのじゃ。そこに硬さも抵抗もない」


「えー……え?」

「わっかんねー……」


 この魔法の専門家が言いそうな説明に困り果てる職人ら。ロガは仕方ないといった様子で、手にある鋸を置いた。


「お主らにはわからんかものう。つまり」


 そういって手を手刀の形にして頭上へ掲げ、スッと岩に向かって振り下ろすと、音もなく切れ目が入った。


「うおっ!」

「すげぇ!」


「鋸はそれっぽさを出すだけの玩具じゃ……で、ワシは石しか切れん」


 そうこうしているうちに、仕事をサボっているように見えた親方が大声で職人らを怒鳴りつけると、蜘蛛の子のように職人らは散っていった。


 両断した滑らかな岩の上に座るロガ。あちこちで忙しなく働く同族と人間らを見て、軽くため息をつく。


「こんなデカいだけの壁、ワシらが本気出せば一月で終わるのにのぅ……一年近くかけてまだ終わっとらんとは、長にバレたらまたやかましいぞ」


 あくまで技術指導と悪所を指摘する役として雇われている地人ドワーフらは、大々的に手伝うことはできない。ここに地人の長であるワジルがいたなら、そんなことは無視して人間を率先して手伝っていてもおかしくはない。


 だがロガはワジルと違い、そのあたりの心得はある。そんなことをすれば人間が成長しないことはわかりきっているのだ。


 竣工後もずっと地人が管理するわけにもいかないし、人間が壁を含む街を保守管理しなければならないので、築造の段階からその役割は人間が担うべきなのである。


ワジルあんひとは古来の地人わしらをそのまま体現しとる人じゃからのぅ。やること成すことが単純でいかんわ」


 だからこそ長なのだと、ロガは一人フッと笑う。


 別に故郷ドルムンドを想っているわけではない。彼らは得てして郷愁に耽るような種族ではなく、むしろ自分の家などどうでもいいと割と本気で思っていたりする。


 ロガは帝国からの使者に乞われ、面白そうじゃと一言で帝都行きを決め、妻子を引き連れて出てきた一人。妻子二人も街でそれぞれ職に就いており、帝国から無償で一家に貸し出されている豪華な家を持て余している。


 そんなロガには徐々に完成に向かっていく壁を見ているのとは別に、小さな楽しみが一つある。


「ロガさん」


 工事を見守るロガの後ろから、騎士風の凛とした身なりの少女が声をかけてきた。


 その右肩には五本の剣が扇状にあしらわれた紋章がついており、その内一本の剣に黄金の刺繍が施されている。騎士とは異なるが威厳に満ちたそのは、ここアルバニアで見られる特有の光景である。


「おお、アリア嬢。七日ぶりじゃのう。今日も見回りかえ」

「ふふっ、よく覚えていらっしゃいますね。はい、見回りです」


 そういいながら、アリアは待っている他の四人に視線を向ける。


「そうかそうか。ん? ちと背が伸びたかの?」

「毎回そうおっしゃっていますよ! こんな短期間で背は伸びません!」

「そうかそうか。今日も元気そうで何よりじゃよ」


 ロガには地人ドワーフの里、ドルムンドでアリアと共に魔人兵と戦った過去がある。敵の一撃で気絶し倒れてしまったが、共に戦い、勝利したという経験はロガの長い人生の中で燦然と輝いてた。


 ちなみにロガは地人としての能力とその職種上、物の大きさを見誤ることは決してない。アリア本人にその実感が無いだけで、この七日でほんの少し背が伸びている。


 この成長と、同族と共に『戦の女神様』と称えるアリアと話をすることがロガの楽しみなのだ。


「もぅ……一応私も聞き込みという体ですので今日も同じこと伺いますが、よろしいですか?」

「かっかっか、ありがたいことじゃ。こないだ以降で出たのは兎と犬くらいかの」

「オーガラビットとブラッドウルフですね。お怪我はありませんでしたか?」

「なんの。ただのじゃというて兵隊らが寄ってたかっておっぱらっとったわ。怪我どころか欠伸がでたの」


 ここは壁の中とはいえ建設中であり、一応は帝都の外とみなされている。そこかしこに武装した兵が立っており、安全に工事を進められるよう昼夜守っていた。


 なお、この兵はアルバニア騎士団の下部組織の衛兵であり、騎士とは違い警察権は無い。つまり騎士が直属の上司に当たり、騎士の下で働く者である。


「どうかあまり気を抜かないで下さいませ。また怒っちゃいますよ?」

「そりゃいかん! わかったわい……アリア嬢がそういうならそうしようかの」

「ふふっ、そうして下さい」


 ふわりと笑みを浮かべてアリアは隊列に戻り二、三の報告を終えると、『それではまたお会いしましょう』とペコリと頭を下げて見回りに戻っていった。


 夕日が反射する壁がまぶしいのか、少女のゆく先がまぶしいのか。


 老地人は目を細めて去り行く背中を見届け、滑らかな岩からゆるりと降りる。


「うむ、今日の酒は一段とうまくなるの」


 満足し、未だに慣れない家路へとついた。


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