#6.5 メテオ・ラ・シルフィード


 ―――風探知魔法エアリアルサーチ



 辺り一帯に一陣の風が吹き、超広範囲に広がった探知魔法サーチの魔力反応がアイレの脳裏に浮かび上がる。同時に、光を失い、開くことの無いまぶたの裏側にエーデルタクトの緑豊かな風景が広がった。


(今日もあぶない反応はナシ、っと)


 日が昇ると同時に起き、枝葉をゆらす冷たい風を頬に感じながら、故郷リュディアから少し離れた場所で行う毎日の日課である。


 ジンと別れてから一年が経つ。ともに歩む事もできた。少なくともアイレはそう思っている。


 だが、そうはしなかった。あまりにも故国エーデルタクトがジオルディーネ王国から受けた被害が大きすぎたのだ。


 里を魔物や魔獣から守れる大半の戦士が死んでしまった。


 家族を失い、家を失い、生きる糧を無くしてしまった者も多くいる。


 奴隷として連れ去られ、その後解放されたはいいが、人間を恐怖し精神を病んだ者もいる。


 そんな中、一年経った今でもアイレという存在は戦力的にも精神的にも、エーデルタクトを支える柱となっているのだ。


 誇張でもなんでもなく、一年前、彼女がジンと共に歩むことを決意していたなら、エーデルタクトは今ごろ魔物や魔獣によって滅ぼされていたかもしれない。


 アイレの父であり長でもあったイクセルが亡くなり、母であるヴェリーンが長の役目を継いではいるが、やはり風人エルフを導いていく上ではイクセルの血を引くアイレがいるのといないのとでは、民の心情は大きく違ってくる。


「ねぇ、シルフィ」


 アイレが愛称を呼ぶと、足元から頭上にかけてキラキラと緑光が舞い、収束したそれは光のたまとなって顕現する。


 聖霊メテオ・ラ・シルフィード


 それがアイレの中にあるもう一つのの名。アイレ自身が真名の一部を託してそう名付け、アイレ自身が愛称をつけた。この光は彼女以外にも見る事ができるし、見えなくする事もできる。


 しかしアイレの目は光を失っているので、シルフィードを見たことは無い。ただでさえ聖霊の声はアイレにしか聞こえないのだ。独り言を言っているようで恥ずかしいので、基本的にエーデルタクトにいる時は誰にでも見えるようにシルフィードに頼んでいた。


《 また彼の事を考えているのですか? アイレシア 》


 顕現したシルフィードは、アイレの横で返事をする。


 幼いころにアイレが母ヴェリーンから真名『アイレシア・エーデル・メテオ・ラ・スクルプトーリス』を継いだ時から共にいたシルフィードは、一年前にアイレに認識されたばかり。しかし、今ではお互い長年のパートナーのように想っている。


「ち、ちがうわよっ! どうでもいいわ、あんなやつ!」

《 そうなのですか? 》

「……半分ウソ」

《 どちらが嘘なのでしょう 》


 こういったやりとりも常といえる。数千年の時を人から人へその力を繋いできた聖霊シルフィードは、人の機微も心得ている。言葉を交わし心を通わせる、意志ある理なのだ。


「もぅ……今はそっちじゃなくて、『世界の解放者』についてよ」

《 私たちの使命です 》

「それは知ってる。人々を悪夢から解放する、だから解放者なのよね?」

《 そうです 》

「じゃあ、『世界の守護者』は?」

《 ……覚えていましたか 》

「忘れられるもんですか」


 アイレはシルフィードが覚醒する前、樹人国ピクリアで幻王馬スレイプニルから『世界の守護者』という言葉を聞いていた。結局何を守護するのか、その使命は何なのかはわからず仕舞いだったが、ジンが守護者に間違えられた、という事だけはわかった。


 覚醒時に流れてきたシルフィードの意思により、アイレは自身が『世界の解放者』となった事を悟り、その運命を受け入れている。


(おそらくマーナを連れてたからスレイプニルは間違えた。それにジンはシルフィの声を聞いてた。ほんと一体なんなのあいつ……って、結局わたしジンの事考えてるじゃない! はぁ……)


 シルフィードはいずれは知ることだと、朝焼けに燃えるアイレの横顔に重々しく告げる。


《 『世界の守護者』は悪夢をもたらす者。解放者とは対極の存在です 》

「……どういうことよ。守護するのに、悪夢をもたらすの?」

《 そうです。ただ…… 》


「ただ?」

《 なぜ、そう私に刻まれているのかわからないのです 》

って事だけ、知ってるってこと?」

《 話が早くて助かります 》

「何それ。結局なんにもわかんないのと一緒じゃない」


《 ごめんなさい。でも、これだけは言えます。私は意思をもった数千年のあいだ、一度も解放者の使命を果たしていないからこそ、こうしてアイレシアと共にあるのです。それだけはわかります 》


「つまり生まれてこの方、悪夢から解放する機会がなかったって事よね。守護者が悪夢をもたらしてないから」

《 そういうことです。さすがはアイレシア 》


 誰だって流れで分かるでしょ、とアイレは歩き出す。その表情は一つの懸念が無くなり、晴れやかなものだった。


(きっとルーナはマーナを宿して守護者になった。私とルーナは対極の存在になったってこと。ルーナが悪夢を見せるなら、私がそれを振り払わなきゃいけないって思ったけど……仮にそうだとしても、そんな単純なことじゃない気がする。まぁ、シルフィの記憶にもない事をわたしがあれこれ思ってもしょーがないか)


「ん、この感じ……母様かあさま!」


 アイレはヴェリーンら一団が帝国から戻った気配を感じ取り、急ぎリュディアに向かった。


 ◇


「ただいま戻りました。里に変わりはありませんか?」

「おかえりなさい。大丈夫、帰って早々心配し過ぎよ。どうだった? 帝都」

「そうですねぇ……母には少々まぶし過ぎました。エトは元気に暮らしていましたよ」


 先だって、エトという風人エルフの少年戦士がアルバート帝国とミトレス連邦の友好の証として、特別枠で帝都アルバニアにある騎士・魔法師学院に留学していた。風人からはエトだけだが、他に獣人ベスティアから十名がエトと同様に学院の世話になっている。


「あの子よく一人で頑張ってるわね……寂しくないのかしら」

「獣人のお友達も、人間のお友達もできたと言っていましたよ」

「ケンカばっかしてそうだけど」

「いつまでも子供扱いはよくありません。あの子の決意は……」


 言いかけたところで、ヴェリーンは口をつぐむ。


「?」

「とにかく、あなたは意地を張らずに追いかけなさい」

「またそれ言う! まだ行かない! ……あっ」


 久しぶりに娘の本音を聞けたヴェリーンはふわりと頬をゆるめた。アイレには大地神の導きのまま、自由に生きて欲しい。里が足枷、とまでは言わないが、アイレはエーデルタクトに収まる子では無いと、ヴェリーンだけでなく、全ての風人エルフの民がそう思っている。


「さぁ、みんな! 今日もビシビシいくわよ!」


 顔を赤らめながらきびすを返し、すでに集まっていた戦士とともに訓練を兼ねた森の見回りにおもむくアイレ。その背中に、ヴェリーンは我が娘ながらどれほど勇気づけられたか分からない。


「アイレ。近くルーナさんとコハクさんがいらっしゃるようですよ」

「わかったー! 行ってきまーす!」


 アイレを先頭に、里の戦士たちは森へと入って行った。


 その道中、風をまとい、木々をすり抜けながら戦士の一人がアイレに言う。


「姫。どうか我々の事はお気になさらずに風霊の呼人シルヴェストルの元へ」


 風霊の呼人とはジンを指す。エーデルタクトを解放し、リュディアを魔人の手から救ったジンの事を知らない風人エルフはいない。一年前、ジンがアイレをエーデルタクトまで送り届けた際、古来より伝わるこの称号を贈ることに反対する者は誰一人いなかった。


「あなたまで母様と同じこというのね」


 アイレはそう言いながら振り返る。


「でも……ありがと」


 いつものアイレならここで『馬鹿な事いうな』と強く言っただろう。


 だが、今日のアイレは違った。


 口元にはかない笑みを浮かべたアイレを見て、戦士たちはこの日以降、何も言わずに先の戦士たちを越えるべく研鑽を重ねることになる。


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