歳をとるだけじゃ大人にはなれなかった大人

 俺は学校が嫌いだった。厳密にいえば一人でいると浮いてしまう場所が嫌い、だけど。


 幼いころ親の都合で転校を繰り返してきた俺は、どの小学校でも周囲に馴染むことができなかった。

 どうせまた転校するから――小学生だった俺の座右の銘だ。

 いくら友達を作って好感度をあげても、定期的にセーブデータがリセットされるゲームで遊んだって時間の無駄だと、この捻くれた性格も相まって友達はまっっったく作れなかった。


 そんな友達がいない俺にとって公園なんて場所に良い思い出があるはずもなく。

 あれは俺が小学三年生で母親の買い物について行った時だ。


『三春は交ざって遊んでこなくていいの?』


 優しく笑いかけるように。クラスメイトたちが公園で遊んでいる光景を見た母親の言葉だ。

 きっとそれに深い意味はなくて、今日の晩御飯なに食べたい? ぐらいの何気ない一言だったはずだ。

 だけど当時の俺はひどく慌てて、


『実はあいつらに遊ぼうって何回も誘われてたけど、だるかったから体調悪いって俺の方から断ったんだよ。だから……見つかると色々言われそうで面倒だし、早く買い物行こ』


 嘘を吐いた。まぁ下手くそすぎてもはや単なる強がりだったけど。

 母親を心配させたくなかった、なんて健気なものじゃない。俺がエリートぼっちだと家族にバレるのが嫌だった。恥ずかしかった。

 今思えばこの時にはもう既に『青瀬三春』の核が出来上がっていたんだろう。


 以来、俺は公園という場所を本能的に避けてきた節がある。


 それがたった一ヶ月ちょいでもう四回目、週一ペースだぞ。そりゃこうやってすっかり忘れていた黒歴史も甦ってくるよ。


 ショッピングモールで買い物を済ませたあと、俺は保科のリクエストにお応えして因縁深きあの公園に訪れていた。


「ほらよ、どっちか好きな方取ってくれ」

「ありがと」


 麦茶とスポーツドリンクの二択、保科はスポドリを選び取った。

 自販機で買ってきた飲み物を渡し終えた俺は定位置に戻る。

 一人一基のベンチ、互いに腕を伸ばしてギリギリ手が届く距離。これが俺と保科の定位置だ。


「夏休みだってのに俺ら以外誰もいない公園ってのは寂しいもんだな。これはアレか、現代異能バトルでよくみる一般人には認識できなくなる結界が張られてたり、この公園だけ別空間に隔離されてるっていう……」

「だとしたら今から激しい闘いがはじまる展開?」

「……縁起でもない。もし本当にはじまったとしてもそれはバトルじゃなくて、偶然迷い込んだ一般人が能力者から一方的に虐殺される、プロローグ的シーンだろうな。俺は、異能がどれだけ強力なものか読者に伝えるためだけの存在になる」

「……そっちのノリに合わせたら合わせたでメンドくさいんだよね……」


 俺にも聞こえるほどはっきりぼやいた保科は飲み物を口にする。よっぽど喉が渇いていたのか半分は減ってそうだ。


「でっけえ心の声漏れてんぞ、しっかり蓋しとけ」


 ハイハイと飲み物を口に含んだまま保科はうなずいて、ペットボトルのキャップを強く閉めた。


「少し歩けば大きくてキレイな公園があるからさ。みんなそっちに行くんだと思う」


 公園に設置された遊具は塗装が剥げて錆びついたものばかりで、雑草もちょこちょこ顔を出している。お世辞にも管理が行き届いたキレイな公園とは言い難かった。


「なるほどな。女の子を論破するアラサー男が出没する噂が広まったわけじゃないんだな、安心した」

「……うん」


 ここで会話が途切れ俺と保科の間に妙な空気が流れだした。

 しばらくの沈黙。公園のすぐ横を通りかかる自転車に乗った子供たちの、遠ざかっていく話し声に耳を傾けていた時だった。

 保科が大きく深呼吸した。


「今日、楽しかった……?」


 そう尋ねてきた彼女が両手で持ったペットボトルは楕円状に変形していた。


「カッコいい服を選んでもらったし、靴も買えたし。有意義な休日だったよ」

「なら……よかった。でさ、楽しかったならさ、今度はみんなでどっか行かない? そしたらもっと楽しいと思うし……」


 伏し目がちな保科が言うみんなとはアオハル学級の面々だろう。


「たしかにな。学級のみんなで遊びに出掛ければ退屈はしなそうだ」

「うん、そうだよ! 絶対楽しいって! ……だからさ、アオハル学級に戻――」

「悪い、保科。俺はアオハル学級に戻る気はない」


 喜色をあらわにしていた保科は俺の突き放す言動で落胆するようにうつむいてしまった。


「……どうして」

「どうしても何も青春より大事なものを見つけたってだけさ」

「……それってつまり、仕事探しでアオハル学級どころじゃないってこと?」

「……っ……ま、そういうこった。28歳無職、青春活動にうつつを抜かす暇なんてなくてな、まずは就職活動して現実見ないとよ」


 俺は失業したことを変に隠すことはやめて自虐めいた軽口を叩いた。

 しかし俺の笑いのセンスは分かりづらいと評判で誰も笑わない。昔からそうだった。

 今だって保科は一切笑わないで、アザがまだ残る俺の右手ばかり気にしていた。


「……トークグループの退会にお母さんたちの破局がほぼ同時。さすがになんかおかしいと思って栞先生に相談したの。でも栞先生は『これが青瀬さんの選択なので』ってそれだけで、何も」

「へー、あの人意外に義理堅いな。保科がウチに尋ねてきたのもてっきり来栖さんの差し金かと思ってたよ」

「協力っていうかヒントをくれたのは小夜ちゃん。自己紹介で言ってた会社名を覚えてたみたいで」

「マジか。月見さんはあんなクソつまらない話を笑顔で聞いてくれたばかりか覚えててくれたのか。……そこまで聞けば事の成り行きはなんとなく予想できるな」

「うん、たぶん予想通りだと思う。ネットで住所調べて実際に会社行ってみたら見たことある人がいてさ。河合さん面白い人だね。いきなり口説かれた時はビックリした」

「まったくもって予想外だったわ。ほんと何してんだあいつ……」


 保科が俺をなだめるように苦笑いする。


「河合さんから色々聞いた。仕事のやらかしエピソードに会社では普段どういう感じなのかとか……月曜日に起こった出来事とか」


 言葉に困った俺はたまらず頭をかいた。


 河合はいったいどこまで保科に喋ったんだ。

 俺が店に居合わせた男性客を急に殴り飛ばして会社を辞めた、このあたりだとは思うんだが……


「手、大丈夫なの?」

「見た目ほどじゃない。痛みはとっくに引いてる」

「……そっか」


 保科の様子から察するに俺が殴った男がどこのどいつなのか見当はついてるんだろう。

 なら問題はその動機で、これだけは彼女に知られるわけには――


「――本当にごめんなさい」


 保科に謝られた瞬間、心臓が跳ね上がった。それを気取られないよう俺は笑う。


「おいおい、急にどうした。なんで保科が謝るんだ? むしろ謝らないといけないのは俺のほうで……」

「だって、あの男を殴ったのはあたしのせいでしょ。あたしが仕事辞めさせたようなものじゃん」

「それは違う。保科はなんも関係ない、本当だ」


 俺は大げさに首を振って否定した。しかし日頃の行いが悪かったせいか全然信じてくれない。

 保科の不安を払いたかったのに、その表情は却って険しくなっていく。


「クビになったやつってさ、抗議とかすればなかったことにならないの? あたしにできることがあれば何でもするから……!」

「落ち着け、抗議も何も円満退職だ。解雇クビじゃなくて辞職。だからマジで保科が気に病むことなんてないんだよ」

「けど……」


 最悪だ。俺が恐れてた最悪の展開になった。


 俺は保科が苦しむ姿を見たくなかったという極めて自分勝手な理由でクボタを殴り、アカネさんたちを破局に追い込んだ。

 俺は犯行理由に保科を使っただけじゃなく、その責任まで擦り付けてしまった。そして今まさに保科は自責の念に駆られ苦しんでいる。


 これじゃ元も子もない……こうなってしまったら最後、苦肉の策に頼るほかなかった。


「――ここで話したやつもう忘れたのか? 保科は被害者、というか無関係で俺は文字通り加害者。罰せられて当然。むしろ罰が軽すぎてラッキーだ」

「でもっ――」

「さっきからけど《《》》、さすがに鬱陶しいぞ。ルサンチマン拗らせた俺がアイツの言動にカチンときて殴っただけ。酒で自制心が効かなかったんだよ、俺の酒癖の悪さは知ってるだろ? それに何でもかんでもあたしのせいって、悲劇のヒロインぶるのやめてもらっていいですか? それ、すげえ鼻につくん――だ……」


「……ごめん。あたし……そんなつもりはなくて」


 ペットボトルを握りしめる彼女を見て、俺は喉をぐっと絞められたように息苦しくなった。


 なんで……これまでみたいにキレて言い返してこいよ……。


「や……その……」


 俺はいま、自分から歩み寄るのではなく相手を扇動することで問題の解消を試みた。保科が俺に抱く負い目を怒りに変化させて、そのままケンカ別れで関係を清算しようとしたんだ。


 過去に一度、大きな誤ちを犯した時もそうだった。


 相手からわざと嫌われるというラクな方法を選ぶことによって、仕方ないの一言で片付けたがる。


 すでに俺はアラサーだってのに中身は自己中心的で自己陶酔の激しいクソガキのままだ……何も変わっていない。


 ……もういいかげん大人にならないとな。


 さっきとは逆。今度は俺が大きく呼吸して、保科の顔色を窺うように話を切り出した。

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