青春クラフト

「俺らのはじまり、あのひどく酔っ払っていた夜なんだが……」


 下を向いていた保科が不安げに顔を合わす。180度変わった俺の調子を訝しく思っているんだろう。


「あの時、ベンチここから見た景色が幼い頃の記憶と食い違ってることに気付いたんだ」

「それは昔この辺りに住んでたってこと?」

「あ、いや、実際の景色の話じゃなくて感じ方、目線……視点っていうのかな。当然だけど俺はもう30近い大人で子供じゃない。だが親でもない。人って必ず子か親のどちらかに分類できるだろ?」


 そう言って俺は公園のブランコを指さした。


「なら俺があれに乗ったとしてそこから見える光景は親と子どっち側だろって、保科に喋りかける直前まで考えてたんだ」

「……よくわからないけど、その答えはでたの?」

「最近になってやっとな。子供でも親でもない俺は色メガネを外してどちらの視点にもなれるってなんとも興ざめな答えだ」


 乾いた笑いでお茶を濁す……というか乾いた喉をお茶で潤す。

 容器を空っぽにしてようやく再開だ。


「ちょうど9個ずつ。俺は年齢的にも保科とアカネさんの真ん中でどちらにも傾いていない。そんな俺は約束だったこともあって保科の協力者ではあったが道理でいえば完全に母親側だ。悪いが保科の考え方や行動にはまったくもって共感できなかった」

「……そっか」

「クボタとの交際を保科に知られた時点で、別れると切り出した母親の選択は正しいと思った。でも同時に、娘に悪いと思うくらいなら最初から付き合うなよって『娘の気持ちも考えない毒親』の意見に近いのもあったけどな」

「それなんだけどっ、最初はお母さんも――」

「あっちがあの手この手で猛アプローチして押し切ったんだろ? アカネさんの方は恋愛するにしても保科が自立した後でとか考えてそうだし」


 前のめりで食い気味になっていた保科が言葉を飲み込むと、ベンチの背もたれに寄りかかる。


「すごい、よくわかったね」

「あんなキレイな女性が放っておかれるほど世界の草食化はまだ進んじゃいないし、それに保科の一人暮らし計画もあった。ヒントは充分そろってたさ……と話が逸れた。要するに俺は保科ではなく母親の味方であり見方なんだよ」

「あたしじゃなくてお母さんの……。だから、殴ったの? あの男があたしに手を出すなんて言いだしたから」

「――ッ!?」


 俺の表情から何を汲み取ったかまではわからないが、保科はやっぱりというようにうなずく。


「そういう話が聞こえてきてから先輩の様子がおかしかったって、河合さんが」

「あいつ、そんなことまで喋ってんのかよ……」


 めまいでふらついた頭を抱えて、ここには居ない元後輩に不満をぶつけた。

 やるせないため息がこぼれる。


「とにかく、理由はどうあれ最低最悪で批難されて然るべき行為なのは変わらない。……保科に協力しておきながらアカネさんを悲しませる結果にして、本当にすまなかった」

「そりゃ暴力は絶対よくないけど……でもそれはあたしやお母さんを想ってくれての行動じゃん」

「あれが本当に二人を考えての行動なら事を穏便に済ませるべきだった。あの会話だって酒の場での悪ノリや単なる冗談だったかもしれない。それなのに俺は真偽すら確かめず感情的になった」


 ここへきて堂々巡りに嫌気が差したのか保科が語気を強める。


「けど訴えられたわけじゃないんでしょ。だったらもう終わったことだし、そこまで気にする必要ないじゃん……。アオハル学級だって、辞めないで席を置いとくだけでも大丈夫だって栞先生も言ってたよ」


 こんな俺をアオハル学級に繋ぎ止めようと保科は必死になっている。その懸命な説得にという俺の決意が揺らぐ。


 だが、アオハル学級の目的は青春にある。


「仕事が見つかるまでの間アルバイト感覚で続けよ? それに必要ならあたしの分の報酬も全部渡すから……ね? ほら、そうすれば金額も申し分ないし、スケジュールだって融通が利くし……」


 俺が近くに居るかぎりこうやって保科は良心の呵責に苛まれる。

 謝罪として現金を渡してくるような子と一緒に青春を作れるだろうか。こんなもの弱みに付け込んだ恐喝でしかない。

 その行為だっていつまで続く? 仕事が見つかるまでか? 俺が就職すれば保科の気は晴れるのか? ……俺には保科がこのまま負い目を引きずっていくとしか思えない。


 俺は保科が追い求める青春の邪魔をしたくない。

 彼女の黒春にはなりたくないんだ。


「さっきも言ったが俺はアオハル学級に戻らない……戻っちゃいけない。その資格がない」


 俺の返答を受けて保科が背筋を伸ばす。

 その表情は出会った頃のような冷たいものだった。


「なんなの……資格って……」

「さっき保科は俺がアカネさんの味方だからクボタを殴ったと言ったが、それは違う。俺は部外者である自分の感情を優先して、この手でアカネさんたちの関係を壊したんだ」


 罪悪感によるものだろう、頭が重い。体が前に引っ張られて項垂れたような前傾姿勢になる。

 気が付けば、暇を持て余す左手は無意識のうちに右のアザを覆い隠していた。


「こんな汚れた手で青春を作るなんて許されていいはずが……――っ!?」


 ない、このたった二文字が喉でつかえた。


「――急に黙ってどうしたの?」

「……っ」


 向けられたスマホと視線がかち合った俺は呼吸を忘れた。

 覚えのあるシチュエーションに脳がフラッシュバックを起こす。


「最低最悪な方法でお母さんを悲しませた? ちゃんとあたしの話聞いてた? お母さん悲しんでたなんて、あたし一言も言ってないよね?」


 ベンチから立ち上がった保科は俺との距離を詰める。

 条件反射で冷や汗が止まらない。


「哀愁漂わせて勝手に話進めちゃってさ。それ、誰にも理解を求めない孤高のダークヒーローのつもり? あたしにはニオわせ発言の多いかまってちゃんにしか見えないんだけど」


 痛い。

 殴った時の怪我なんか比じゃないぐらい痛かった。


「それに汚れた手じゃ青春を作ることも許されない、資格もないって? なにそれ、今度はキザでポエミーな自分に酔ってるの? ……いい? この際だから間違いをはっきり正してあげる――」


 目の前まで迫った保科が手に持ったスマホを下ろす。


 終わった。

 ……でも、これでいい。

 このままバイバイですべて終わ――


「三春の手は汚れてなんてない」


 その瞬間、俺の右手があたたかいもので包まれた。


「……おい、何してっ――」

「屁理屈ばっかですぐ言い訳して、タバコのポイ捨て注意するのにもビビりまくりで、いつも周囲の目をすごく気にして、遊びでも本気になれないほど保身に走るような、そんな三春があたしを守ろうとした結果なの」


 保科はまっすぐ俺の目を見て言った。


「この手を悪く言うのは三春自身でも絶対許さないから……わかった?」




 ――突然の吹いた夏嵐は猛烈な暑さを運んで木々を揺らした。

 そして、空っぽな俺の底に沈んだすべてをさらっていった。


 俺に負けず劣らず叙情じょじょう的に言い放った保科の大きな目が泳ぐ。やがて手を離した彼女は赤面した顔を隠すようにうつむいた。


「……返事くらい、してよ」

「……っ、すまん」


 俺の決まりが悪い答えに、まだ少し赤みを帯びた顔がほほえむ。

 それに俺はどうしていいかわからなくてそっぽを向いた。すると次は声を出して笑われた。


「河合さんが言ってた。少しでも都合が悪くなると先輩はすぐ横を向くって」

「……その感じだと色々吹き込まれてそうだな」

「うん。他にもね――」




『あの人、性格悪いでしょ?』

『えっ、いえ、その』

『隠さなくていいよ。あれはボクが入社して間もない頃だよ。営業成績のグラフを確認した先輩が「よし、俺の下に二人いる」って自分を慰めてるの見た時、うわぁ……ってガチで引いたね』

『……想像できますね』

『でしょ? でも、ごく稀にカッコいいとこもあってね。ボクがクビ覚悟のミスをやらかした時、周りが責任の取り方を丁寧に教えてくれる中、先輩だけが「早く先方に頭下げ行くぞ」って。……ほんと、あの人には助けられてばかりでね』

『……そんな事が』

『日頃からそうやって格好つけて頑張ればいいのにね~。たまぁにいるんだよ、先輩みたいに自分の事となるとおざなりで頑張れない人がさ。……だからあの時もきっと、どこかの誰かさんのためにあそこまで怒ってたんだと思うな――――』




「……三春は自分のためにがんばれない人だとも言ってた。慕われてるんだね」

「舐められてるの間違いだろ」


 やれやれと保科が目を細める。


「河合さんの話聞いてさ、三春はあたしと一緒なんだなって思った」

「俺と保科が?」

「うん。あたしはこれまでお母さんを安心させたいって気持ちだけでがんばれてきた。これが自分のためだけだったら絶対ムリ。来年ハタチだけどさ、走るどころかお母さんに掴まってないと立って歩けないんだ、あたし」


 保科は最後、恥ずかしそうに笑った。


「……そうか」

「あ、今子供だなって思ったでしょ」

「逆だ。俺なんかよりずっと大人だよ、保科は」

「不思議だよね、三春が言うとぜんぶ嫌味に聞こえる」


 向けられた疑いの目から逃れるために俺がベンチから立ち上がろうとした時だった。


「がんばるためになら、いいよ」


「……ん、悪いが話が見えないな。いいって、いったい何がだ」

「みんなで野球やった時。あたしを逃げる言い訳に使うなとか、安酒になるつもりはないって言ったじゃん」

「あったなそんなこと」

「それ、がんばるための言い訳にならあたしを使っていいよ」

「……使うってどうやってだ」

「えーと、あたしでいうお母さんの存在っていうのかな。俺が早く仕事見つけないと保科がうるせえからがんばるか、みたいな使い方……?」


 似ても似つかないモノマネだった。

 

「とにかくっ! 三春に大切な人ができるまでの間、あたしががんばる理由になってあげる」


 保科のだした例えに照らして言い換えれば、あたしがアンタのママになってあげる、とも捉えられなくもない恥ずかしい台詞なのに、彼女は傲然ごうぜんとした態度を崩さなかった。


「……頑張る、か」


 俺は『頑張る』が嫌いだ。

 だが自分にも他人にも頑張れという言葉をあてがう。

 頑張ることは良いことだからだ。

 俺が嫌ってやまない頑張るとは、その言葉の内に含まれた『期待』の部分であり、もっと言えばその『上乗せ』にある。


 言うだけなら無料タダなせいで軽率に積まれていく過度な期待。

 よくもまぁみんな無料のサービスにクオリティを期待できるよな。

 他者から求められる、或いは強制される努力ほど重いものはない。それが動けなくなるほど重いものだと俺は知っている。


 なのに、なぜだろうか。

 保科の期待は重くない。むしろ軽い。

 今まで期待には応えなければと焦るばかりだった俺が、誰かの期待に応えたいと思ったのは初めてだった。


「――ちょっと、また無視すんの?」

「悪いわるい、人様を頑張る理由に扱えそうな場面、適用範囲、その他諸々を考えていた。ところで、いつの間にか三春と名前呼びされてたわけだが妙に言い慣れてる感が漂ってるのはなぜだ?」

「それはっ、呼ぶ練習……したから」


 よし、話題逸らし成功。

 保科をがんばる理由に使う使わない、どちらにせよ面と向かっては言いづらいからな。


「それにしても三春って物事を難しく考えてそうだよね。今のやり取りもさっきのブランコの話だってそう。あたしだったらそこから何が見えるかって考えるより前に実際ブランコに乗ってみるけどね」

「ブランコに乗る、その発想はなかった」




 ――ギィコ、ギィコ。

 勢いづくブランコは不安になる音を立てながらえがく。

 子供でもなく親でもない俺がブランコから見る光景、それは……


「青いな」


 夕方の五時。

 俺の目に映った空はまだ青かった。

 あと一時間もすればこの青空も日が落ちて赤みがかってくるのだろう。

 そして思考がアルコールに侵食されていたあの時、俺がブランコをこいでいたのなら夜空……黒だった。


 いくら手を伸ばしても届かなかった青春。

 しかし今、がんばる言い訳を与えられた俺なら届くのだろうか。


 俺は青春をこの手で作り、この景色を過去にできるだろうか――。


「で、どうなの?」


 ブランコを全力でこぐ元会社員という場景じょうけいにも飽きたんだろう。安全柵に寄りかかった保科が興味なさげにいてきた。

 新しい靴を購入していた俺は惜しむことなく革靴ブレーキを発動。ブランコを止めた俺は自信を持って口にした。


「結局この視点が子供か親かはわからなかった。だが別の答えを得たぞ」

「別の?」

「青春と黒春は時と場合による、だ」


 俺の導き出した回答に保科は、


「なにそれ」


 百点満点のお世辞笑いベストスマイル。たいへんよくできました。


 ――あの最悪の夜。ベンチで丸まっていた保科楓との出会いから始まった壮絶なひと夏も、とりあえず丸くおさまった。



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 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 星やハート、ブックマークなど執筆の励みになりました! ありがとうございます!


 本編(三春視点)はこれで終わりになりますが現在エピローグ(楓視点)を加筆しております。

 後日公開予定なので、そちらもお楽しみいただければ幸いです。

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