報酬はブラック

「ママァーッ!」


 幼女が滑り台のいただきから大声で叫ぶのに対し、


「うーん、ちゃんと見てる見てる」


 滑った先ゴールで待つお母さんは娘の熱量に反しておそろしいほどフラットだった。

 だがそれも繰り返しn回目。見方を変えればとても高いテンションを維持していると考えられなくもない。


 休日の公園で仲良く遊ぶ親子を俺はベンチから観察していた、そんな時だった。


「お疲れ様」


 労いの言葉とともに缶コーヒーが投げ渡され、見事キャッチに成功した俺は側面の成分表をまじまじと確認する。


「あ、ごめん。ブラックだめだった?」

「そういうわけじゃないが……何もしてないのに報酬は貰えるんだな」

「約束だったからね」


 保科は気だるげに言って隣のベンチに腰掛けた。

 贅沢にもベンチは一人一基、お一人様の席が二つ。俺と保科も滑り台で遊んでいる親子を眺めていた。


「ランチのとき驚いた。保科もあーゆー対応できるんだな」

「ああいう対応……?」


 疑問符をつけて返してきた保科に俺はアゴを使って親子を示す。


「わぁーすごい! 上手に滑れたね~!」

「もぉいっかい!!」

「え、も、もう一回? まだ滑るの?」


「あんな感じの。クボタさんの趣味や仕事の成功話、保科がそういうのをしおらしく笑って手放しで褒め称える系女子だとは思いもしなかった」

「なにそれ感じワル。もしかして男の嫉妬?」


 蔑んだ目つきで言われたがどこ吹く風、俺はあっさり認める。


「そっ、妬み。快活でイケオジで稼ぎがあって……二時間ちょっとでわかる人柄なんてたかが知れてるが、ま、いいんじゃないか。男の俺が羨望するくらいの人だよクボタさんは。家庭を引っ張っていくならあの手の自信はあるに越したことはないだろうしな」

「すっごい上からで偉そう」

「上からで偉そう? おかしいな、俺としては大絶賛のつもりだったんだが。というか、そもそもルサンチマン拗らせた俺に他人の評価を求める行為自体が間違ってるぞ。鵜呑みにしないで参考程度にしとけ」

「……うん、そっか。でも捻くれてるアンタがそこまで言うなら、うん」


 自分を納得させるように何度もうなずいていた保科を横目に、俺は缶のタブに指をかける。


「じゃ、任務は完了したということで報酬コーヒーいただきますね」


 カシュ、ズズズ。

 ひと仕事終えた後のコーヒーは格別だな。しかしアンモーマンの味を占めてしまったせいで、いまひとつ物足りなさを感じるのも事実。保科もたったいま俺の提出したレビューに満足したかは怪しいところだ。


 あのグダグダ作戦会議の時点では、保科が母親とクボタさんの破局を目論んでいて、俺はその片棒を担がされるのではと危疑きぎしていた。だからあそこまで頑なに拒んでいた面がある。


 しかし蓋を開ければその逆で、俺は第三者の男目線でクボタさんを見定めるご意見番だった。

 保科がクボタさんに嫌われないどころか好かれようと振る舞っていたのもきっと母親のため。保科は母親の恋愛がうまくいくことをあの場にいた誰よりも……本人たちよりも望んでいたに違いない。


「マァマァーッ!!」

「しーっ! そんな大声ださなくてもちゃんと見てるよ~!」


 ――保科にとって母親とは何よりも大切で、優先されるべき存在なんだろう。


「……もうだいたいの予想はついてると思うけどさ」

「ん、なんだ」

「初めて会った夜、あたしが公園ここで時間を潰してた事と、昔の話が何か関係あるのかってやつ。アンタが聞いてきたんじゃん」

「ああ、日曜に話すってお預けくらってたっけ」


 なんて、忘れてましたを装ったけど水曜の夜からずっと気にしていた。どうやって話を持ち出そうか頭を悩ませていたが……保科の方から切り出してくれて助かった。


「お母さん、クボタさんとの交際をずっとあたしに黙っててさ」

「へー。秘密にされてたのはどれぐらいの期間なんだ?」

「八ヶ月だったかな」

「けっこう長いな」

「でもそれはべつによくて問題は発覚したあと。お母さんがいきなり泣いて謝ってきたかと思えば次は別れるって言いだしてさ。あたしはなーんも言ってないのに、もうワケわかんなくない?」


 呆れた口ぶりで空を仰ぐ保科に同調してやりたいところだが……あいにくとワケがわかってしまう。保科の黒春、それを自分の責任だと今も罪悪感に苛まれる母親の心境が。


「あたしはあたしで、別れるなんて許さないまずはその彼氏に会わせろって大ゲンカ。お風呂あがったばかりだったのに家を飛び出して……あとは言わなくてもわかるでしょ。……あの時は真剣だったけど思い返せばもうめちゃくちゃ」


 公園で遊ぶ母娘おやこに自分を重ねでもしたのか、これまでおどけた態度だった保科がまぶしいものを見るみたいに目を細めた。


「……保科のお母さん。アカネさんも保科のことを考えて――」

「そんなの、アンタに言われなくたってわかってる」


 強い口調。それは俺にというより自分に言い聞かせているかのようだった。


「……ごめん。でも、お母さんは何も悪くないのにいつまでも気にして、謝って……そんなのおかしいじゃん。だって悪いのは全部……――」


 言葉に熱が帯びはじめたその矢先、保科が言い淀んだ。


「……大丈夫か?」

「あー、うん、大丈夫。ただ、元を辿れば悪いのはあたしかなって」

「保科の……?」

「だって考えてみてよ。心も体もボロボロなときに優しく寄り添って、理解しようとしてくれる人が目の前に現れたら一緒になるのは自然でしょ? その決め手も子供あたしのことを第一に考えてくれたからだって聞いた。お母さんがボロボロになるまでがんばってたのも、あのクズと一緒になるきっかけも、あたしじゃん」

「それはっ――」

「そもそもお母さん……アンタもだけどさ。いちいち大げさなんだよね、もう六年近く経つんだよ? なのに腫れ物に触るようにして。成実くんの時みたいに触られるのがいきなりじゃなければ、まぁ、なんてことないし」

「……そうか」

「その顔、信じてないでしょ。なら証明してあげる」

「証明? 何を言って――ってなんのつもりだ」


 映画のワンシーンでも演じているんだろうか。

 銃を突きつけられて絶体絶命の窮地、お手上げ状態。


「ほら、あたしに触ってみてよ」


 バンザイしたまま保科が言った。

 俺は彼女の様子を窺うばかりで二の句が継げない。


「今ならハグまで許す」


 俺は心の底から呆れた。保科にではなく自分自身に。


 袖がずるずる下がって見えている脇。

 ふつうに大きい方であろう胸。

 けっこうしっかりした太もも。

 触っていい。抱きついていい。そう言われて俺は想像してしまった。

 どんなにカッコつけて体裁を整えようが……結局俺はどこまでいっても男なんだと思い知って、無性に腹が立った。


「そこまでして俺に抱きつきたいならそっちから来い」

「あっそ、もういい。ほんの数ヶ月前までJKだった体に触れるチャンスを逃すんだ。もったいな」


 保科の両腕はテンションと同様に急降下。俺への当て付けかそのまま膝に手を打ちつけた。


「……あたしにはわからない。女の子に抱きつける絶好の機会をたった今ムダにしたアンタも、幸せになるチャンスを棒に振ろうとするお母さんも……理解できない。あたしはあたしの思う幸せのためならどんな些細なものだって逃したくないよ。むしろ走って追いかける」

「そうか、さすが元陸上部」

「それは皮肉? お前はそれしか能がないって」

「まさか、そこまで落ちぶれちゃいない」

「じゃあなんでさっきから不機嫌なの」

「どこがだ、普段からこんなだろ。……まぁなんだ、アカネさんたちうまくいくといいな」


 変につつかれても面倒だったしクールダウンも兼ねて、俺は取って付けた励ましの言葉ではぐらかそうとした。


 だがこれが藪蛇になった。


「うん。そのためにももっとシフト増やしてバイトがんばらないと」

「ん? どうしてそこでバイトが絡む?」

「なんでって一人暮らしするならお金必要でしょ」


 あたりまえじゃん、そう言って曖昧に笑った保科はサンダルを脱ぎ膝を抱く。


「自慢じゃないけど目標金額まであと少しなんだ。高校生の頃からコツコツ、やっとここまで貯まったかぁって感じ」

「……一人暮らし……だからなんでそうなるんだよ」

「だって今でも時々お母さんあたしを見て苦しそうにするし……お母さんが新しい幸せを掴めないのも、それもこれも全部あたしが近くにいるからじゃん。だからさっさと自立してお母さんから離れたいんだよね」


 保科はぎゅっと体を丸め、膝を抱いて組む腕に顔半分をうずめる。ちょうど口だけが隠れた状態だった。


「お母さんには一秒でも早く幸せになってほしい。それを邪魔する障害物ハードルには……絶対になりたくないんだ、あたし」


 顔をうずめたまま喋るせいで声は少しくぐもっていた。


「…………そうか、そうかそうか。自分の存在が母親の負担になってると、うんうん、だから家を出たいか。なるほどな――」


 俺は正しさを逃げ道として散々使ってきた男だ。だからこそ他人の不正には敏感だ。


 俺自身が正しさを理由に過去から逃げてきたように。

 保科はを理由に未来へ突き進んでいる。


「――お前なんもわかってないぞ」

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