観察日記? ぜんぶ想像で書いたよ
土曜の午後、五階建てビルの屋上。
俺は園芸用スコップを片手に、吹き出る汗をシャツの袖で拭いた。
「あちい……」
不良マンガさながら、苛立ち混じりの鋭い眼光を太陽に向ける。
因縁のあるライバル校との前面衝突五秒前、映画ならラスト三十分あたりの白熱したシーンである。
とにかくアツい。この反骨精神、別のことに活かせないものだろうか。
「ふぅ、土はこれでオーケーですかね」
軍手で汗を
まったく、ほっぺに茶色いチークをつけちゃってイケメンは何でもサマになる。
似合い過ぎててもはや俺が無知なだけで
だから俺は気付いてないフリで五つ並んだプランターを眺めていた。そこへ、
「はい、これ」
小さなポリ袋がぶっきらぼうに差し出される。
保科楓。
彼女とは完全に和解したとは言わずとも、このようにコミュニケーションに不都合がないぐらいにはなった。ゴミ拾いの際、積極的に歩み寄った甲斐があったってもんよ。
「おう。サンキューな、ほし――」
「ストップ」
「えっ……?」
受け取ろうと手を伸ばしたとき、待てがかかった俺は炎天下だというのに凍りつく。
「手、お皿にして」
「こ、こうか?」
要求に従い両手で器を作るとそこにポリ袋が落とされる。
透明なため外からでも中身が植物の種であることは判明している。うん、それはわかるんだ。だがこのやり取りはいったい……あ、土と汗で汚れた俺の手には触れたくない的な……?
前言撤回。言ったそばから不都合が発生した。
「わっ、成実くんほっぺが汚れちゃってるよ。ちょっとだけ、動かないでね?」
「……んっ。ありがとう、小夜ちゃん」
タオルごしごし、ほっぺたぴかぴか。
なるほど、あれが青春。俺も今からプランターに顔つっこめば間に合うだろうか。
「何ボーっとしてんの」
「いや、アツいなーって」
「……? ま、いいや。とりあえず今水持ってくるから、あたしとカリンの分も植えといてよ」
「水か? 上まで持ってくるの大変だろ。いいよ、俺がそっち――」
「そういうのいいから」
俺の提案をウザそうに突っぱねて屋上を離れる保科を見て思った。
か、かわいくねー……。
なんだろうな、年頃の娘を持つ父親の気持ちってこんな感じか? 気難しすぎるだろ。課長もよくブツブツ言ってるもんなぁ。大変だな、お父さんって。
シュンと肩を落としてしゃがんだ俺はプランターの土を指先でつつく。これはイジけてるわけじゃなくて作業、仕事だ。こうして一、二センチほどの穴を用意して、ポリ袋から取り出した種を入れて土で覆う。
何を隠そう俺がせっせと蒔いていたこれはアサガオの種。
今回の青春活動は『アサガオを育てよう』というもので、内容からも夏休みの自由研究を想起させる……と、ちょうど南畑くんの方も終わったようだ。
膝に手をついて屈む月見さんがプランターを覗き込む。
「これからどんどん暑くなっちゃうけど大きく立派に育ってくれるといいなぁ」
「だねぇ。暑さにへこたれずに大きく――立派に……育つと、いいね……」
目線がモロに。月見さん、貴女はまだ成長を促すのか……。
「あれ? こよるの記憶だとアサガオって棒を立てたような。これから立てるの?」
「ううん、支柱は
「そうなんだ! すごい、成実くんって物知り!」
「そんなことないよ。これくらい検索したらすぐ出てくるしね」
「そんなことあるよ! こよるは調べてもすぐ忘れちゃうから……。だからやっぱり、しっかり覚えて自分の知識にしてる成実くんはすごいよ!」
「あはは、大げさだなぁ小夜ちゃんは」
……なーんかいい感じな雰囲気。
南畑くんのインテリによる影響だろうか。ぜひ今後の参考にさせてもらおう、とそれはさておき。
もしかして二人ってすでにデキてる? だとしたら完全に空気読めてないモブと化してるよ俺。カリンや来栖さんが居ればまだしも三人だけの空間だとちとキツい。
来栖さんは下で色々やってて忙しいみたいだし、カリンはそもそも本日欠席。だから俺が頼れるのはただ一人――
「どう、終わった?」
二リットルのペットボトルを両手に携えて帰還した保科さんのみ。
お帰りなさい、ナイスタイミング。
渇望した水を受け取り、各プランターへたぷたぷ水分補給。漂っていた恋愛ムードも水に流してやったぜ。
「ん、そこそこ水が余ったな。南畑くん、これって元々置いてあったプランターの方にあげちゃって平気なのかな?」
「はい、大丈夫だって聞いてます」
「了解。オラオラ、命の水だぞ。コンクリートの大樹にも負けないくらいでっかく、何にも縛られない自由な存在になれよ~!」
「コンクリートの大樹……ビルのことですか? どうしてビルが……」
「南畑くん。ビルも植物と同じなんだよ。こうやって植物がたっぷり水をもらって成長していくように、そこら辺に生えたビルも会社の歯車である俺ら会社員の、血と汗と涙を養分にして大きくなっていくんだ」
しゃがんでいた俺は立ち上がり、空を飛んでいたカラスを目で追った。
「……幼い頃は大人って何でも出来て自由だって思ってた。だけどどうだろう、成長して大人になった今の俺に自由があるように見えるかい?」
「三春さん……」
ほろり。俺の心の汗が滴ってアオハルビルの糧となる。
「せめてこのアサガオには、自由であって……ほじいッ! うっうっ」
「わ、泣かないで三春くん!」
「アホくさ」
◇ ◆ ◇
天国と地獄。上が天国で下が地獄だと誰が決めたのか。我々四人は屋上から避難し、同ビル二階で構えている喫茶店へとお邪魔するため、一旦建物を出て外階段をのぼっていく。
踊り場でもある店先で Un Moment Debout の立て看板が俺らを出迎える。フランス語らしいが俺は読めないしみんなが『アンモーマン』と呼んでいるので、アンモーマンだ。
掛け札のオープンの文字を確認してドアハンドルに手を伸ばす……が、これがちょっと重くて戸惑う。プッシュて引くだっけ? と脳が誤認するくらいには重い。
少し体重をかけてようやく扉を押し開けるとドアチャイムが来客を知らせ、レトロモダンな内装とコーヒーの良い香りが歓迎してくれた。
全体的に控えめなブラウンが基調で、落ち着いたジャズミュージックが流れている店内。保科たち三人はテーブル席のレザーソファに腰かけ、俺はというとカウンターでひとり気取ってアイスコーヒーを頂いていた。
ん~、立ち込める極上の薫り。
グラスのふちに寄りかかったストローをやさしく抱き起こし、そっと口付けをする。
「――これはッ!?」
コーヒー豆から丁寧に抽出された深みを、全身で感じとった俺は言葉にせずにはいられなかった。
「うま」
ドリップした感想は俺というフィルターを通すことによって無味無臭、真水になっていた。
そんな語彙の天然水であってもマスターは光栄ですと言わんばかりにお辞儀する。
整えられた
ベストとエプロンを着こなす紳士、アンモーマンのマスターに尋ねる。
「本当にお任せしてしまって大丈夫なんですか?」
俺がおそるおそる確かめると寡黙なマスターがニッコリうなずく。
というのも、アオハル学級がある日は週に二、三回。加えて来栖さんもアオハルビルに常駐しているわけではない。つまり、活動外の日は誰がアサガオに水遣りをするか問題を抱えていたのだが、それをマスターが引き受けてくれるらしい。
「さっき三春さんが余った水をあげた植物があったじゃないですか。あれはマスターが育てているものなんですよ」
南畑くんがテーブル席から投げてくれた回答により俺の疑問が解消される。
「なるほど。日課である水遣りのついでってことか」
「ナァン」
そうだ、と隣のカウンター席に座っていた先客がマスターに代わって返事をする。
スレンダーな黒猫である彼? の名はノワール。
マスターとお揃いの蝶ネクタイをつけていることからもきっと『彼』だと思う。物静かな主人とは反対にノワールは言葉数が多いようだ。
あくびをしたノワールがおもむろに立ち上がると軽やかな足取りで保科の膝上にダイブ。
「いっ!?」
短い悲鳴をあげた保科が背筋をピンと伸ばして硬直した。ノワールも負けず劣らずしっぽを垂直に立てて保科の引きつった顔を窺う。
猫のしっぽが真上に伸びた状態は甘えたい、かまって欲しいの仕草だと聞いたことがある。しかし残念ながら保科は遠慮したそうだ。
あと、おそらくノワールは『彼』だろう。
「ノワール~ほら~こっちにおいで~」
救助された保科は「ハァーッ!」と塞き止めていた息をダムの放流の如く開放し、ソファーにもたれかかった。
まさしく放心状態。息を殺して耐え忍ぶほど猫が苦手らしい。
あと、これみよがしに鳴くノワールは絶対に100%『彼』だ。
「こよる、アサガオなんて小学校でやった自由研究以来だなぁ。どんな色のアサガオが咲くかな? 楽しみだねノワール~」
「ナン」
わしゃわしゃされるノワールは気持ち良さそうに鳴く。
「ふむ。自由研究、ねぇ」
「……なんか意味深。夏休みの宿題に思い入れでもあんの?」
未だソファーにぐったり体を預けたままの保科が何気なく訊いてきた。
「思い入れというか、自由研究って全然自由じゃなかったよなって。俺さ、虫の死骸を見つけては蟻の巣に『お届けにあがりました』って配達するようなガキだったんだけど――」
「「「……」」」
「……要はアリンコ大好きボーイだったわけ。で、好きが高じて自由研究の題材を蟻の巣にした。洪水のとき巣はどうなるのか、巣をチョークで囲ったら蟻は出られずに餓死するのか。それを確かめようとしたんだが母親と担任に全力で止められたのを思い出してな。自由研究とは名ばかり。大人の都合研究に改名すべきじゃないかって思うんだけど……」
「「「……」」」
どうしようこの空気。屋上で余った水はここで流すべきだったのか。
――カランカランカラン。勢いよく入店した来栖さんが「青瀬さん!」とせわしなく近付いてきて、微妙だった空気を吹き飛ばしてくれた。今日は誰かに助けられてばかりだ。
来栖さんはノワールがさっきまで居た席に座るとしおらしく言う。
「ホームセンターで道具代を立て替えていただいて助かりました。私が一緒に行ければよかったんですが……」
「別件の仕事があったんなら仕方ないですよ。あ、これ領収書忘れないうちに」
「あわわ、すみません、助かります」
名刺交換のようにかしこまって領収書を受け取った来栖さんが、アンモーマンのメニューを開いて俺に見せる。
「お礼といってはなんですがデザート一品でどうでしょう!?」
「あーいや、お気になさらず。それにたった今お礼に代わるものを受け取ったばかりなんで」
「……? よくわかりませんがそうはいきません!」
来栖さんがメニューをぐいぐい俺の顔面に押しつける。
「さあさあさあ! ご自由にお好きなデザートを選んじゃってください!」
ここまでされて無下にするのも失礼か。
「……じゃ、お言葉に甘えて。このプリンアラモードを」
それを聞いたマスターがこくり。
「プリン。私もプリンアラモードにしようかな……いやでも……」
来栖さんはメニューとにらめっこ状態。唸り声は絶えない。
「ここのコーヒーゼリーは絶品なんですよね~」
「ほう」
「私のイチオシで、アンモーマンに訪れたらぜひ一度は体験していただきたい衝撃でして」
「……へぇ」
「あまりの美味しさに他店のコーヒーゼリーじゃ満足できなくなってしまって。アンモーマンのコーヒーゼリーを食べないなんて人生半分は損してるようなものですよ」
「ヴヴンッ……マスター、プリン取り消してコーヒーゼリーひとつお願いします」
「いえっ! ふたつですマスター!」
それは勝利のVサインかのごとく。
マスターは含み笑いで
“自由とは意志力が脆弱な人間にとって、ときに極めて強い拘束力を発揮する。示唆された道を往くこともまた自由なのだ”
――青瀬三春 植物観察日記一日目より抜粋。
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