二章 青春活動

捨てるゴミあれば拾うゴミあり

「はぁー終わった終わったァ! あっ! 先輩お疲――」

「お疲れ!」

「っスぅー……」


 面食らう河合を置き去って、俺はオフィスの最終コーナーを抜ける。

 エレベーターは――くそ、ちょうどいっちまった。すかさず経路を階段に切り替えて駆け下りる。


 十九時二十分。会社を出たこの時点ですでに二十分の遅刻。


 平日に行われる青春活動は基本十九時前後。ゆえに定時であがれない社会人にはたいへん厳しい……厳しいが物事は最初が肝心である。

 アオハル学級に早く馴染みたい俺は可能な限り平日も参加していこうと心に決めた。


『四番線、ドアが閉まります。ご注意ください』

「す、すいません、ほんとすんません」


 アナウンスが流れてる間、平謝りする俺は強く願った――早くドア閉めてくれ。

 その願いがようやく聞き届けられ、満員電車のドアが閉まると抑圧された力が解放される。


「ぐぅっ……!」


 俺は膨大な力を受けて為す術もなくドアに張り付いた。来世がヤモリであればこの経験も活きよう。

 俺はなんとか体をドアからひっぺがして携帯いじるためのスペースを確保した。


 目的地のアオハルビルは会社の最寄から二駅とご近所だ。そこから走って……あと十五分くらいで着けるか? 前もって遅れることは伝えていたが念のため、もう一度来栖さんに連絡しとこう……よし、送った。


 しかし、あれだな。もう何年も運動してないし走れるのか不安だったけど意外にイケる。俺もまだ捨てたもんじゃないな。

 隣で魂が抜けたような顔してるリーマンに比べれ、ば……いや。


 アオハル学級がなければ俺も同じように、疲れきった顔で人の波に押し潰されていたんだろうか――。




「ンハァ……ハァ……! す、すいませっ、遅れッした……!」


 肩の呼吸、三十の肩――《疲労困憊》……ちょっと言ってみたかった。


「いえっ事前に連絡は頂いてましたし、気にしないでください。それよりも、大丈夫です?」

「ええ、体力不足を、痛感しました。日頃からもう少し、体を動かしてこうと思います……」


 二十代後半、三十に差し掛かって全力で走った経験がある人はどれくらいいるのだろうか。

 あれ? 俺まだイケるじゃん? と前半は調子に乗る。そのまま勢いに乗る。最後に電車に乗る。

 困難ってのは降りてから降りかかるんだ。膝が俺を嘲笑っていやがる。


 物事は最初が肝心、スタートダッシュはとても大事だ。が、俺に足りないものはスタートではなく『ダッシュ』なんだと体が教えてくれた。ノー運動ノーライフ。


 そして本題。お試し初回分を除けば正真正銘、初となる青春活動。

 その活動内容は、ボランティア清掃のタスキと火バサミを装備して駅周辺のゴミ拾い。

 俺は全力で走ってきた道をまた戻るハメになったわけだが、そんなことはどうでもよくて。


「……」


 かこん。からん。

 ロンダリングガール、もとい保科楓さんが火バサミを使って、空き缶をゴミ袋の中へ放り込んでいく。


「……」


 話題が欲しい。

 いや、違うだろ青瀬三春。欲しているだけじゃダメだ、話題は――作るものッ!


「お、おお! 保科さんはハサミの使い方上手だね~! 営業の俺も見習いたいな~ハサミだけにチョッキ、直帰~なんて」

「……バカにしてる? あと『さん』はいいから」

「あ、はい」


 からん。かこん。

 俺と保科は黙々とポイ捨てされたゴミを拾い集める。

 普段あまり気にしてなかったけど、こうやって実際拾ってみると気付くというか、ゴミって思いのほか街中に溢れてんだなぁ。


 二人一組での清掃活動。その振り分けは俺と保科、南畑くんと月見さん、来栖さんとカリン。

 保科には勇気を振り絞って俺から声をかけた。彼女とのわだかまりは早い段階で解いておきたかったからだ。いつまでも南畑くんのフォローをあてにするわけにもいかない……と、ここまでが建て前。


「お、おお! 次々とゴミを発見する優れた洞察力! 保科は目のつけどころが違――」


 カチ、カチン。俺の顔面に迫った火バサミが噛みしだく。


「目が、なに? さっきからなんなの、いいかげんにして」


 その力強い双眸そうぼうには渦巻いた拒絶と嫌悪が包蔵ほうぞうされていた……要約、ゴミを見るような目だった。

 俺がたじろいで言葉に詰まっていると痺れを切らした保科が嘆息たんそくする。


「動画ならその日のうちに消してるから」

「……ほんと、優れた洞察力をお持ちのようで」


 どうやら彼女には俺の真意などお見通しらしい。

 袋にどんどんゴミが溜まる一方なのに不思議だ、肩が軽くなった。


「公園での一件は酔っていたとはいえ、その、悪かった」

「それはもういいってば。……あたしもちょっと言い過ぎたし」

「え、『ちょっと』?」


 キッと睨まれて何も言えなくなる。俺と保科の相性はドラゴンとフェアリーのような位置関係なのかもしれない。


 それからしばらく他愛のないやり取りが続く。好きな食べ物やアーティスト。現在大学一年生で入学と同時にアオハル学級に参加したこと。他にも、


「へぇ、サークルには入ってないのか」

「うん、バイト優先。アオハル学級だってお金もらってなきゃ参加してないし」

「正直だな。……入用なのか?」


 これを訊くのは少々躊躇ためらった。


「べつに。ウチ母子家庭だからお母さんの負担減らしたくて、高校からずっとそうしてきたってだけ」

「そうなのか」


 詮索するべきではないと頭では理解していてもやはり気にしてしまう。

 保科の場合、いま言っていたそれが黒春に関係していたりするのだろうか? バイト三昧で学校生活がおろそかに、もしくは派手な銀髪が語るように昔は手を付けられない不良――


「う……っ!」

「なに、急に止まって」

「い、いや……」


 駅周辺に彩りを添える緑。それらを囲った腰掛防護柵ガードパイプに体を預ける三人組みは、缶コーヒー片手にタバコをふかして談笑している。


 こんがり焼けた健康的な肌に短髪ツーブロック。鍛え抜かれた肉体が激しく主張するトップスとスキニーデニム。

 包み隠さずに申し上げると俺はこのワイルドな方々に強い苦手意識がある。駅構内や狭い通路ですれ違うときには必ず道を譲ってきたぐらいには。


 実際話してみれば気さくな人が多いってのもわかる、だが――あっ、ポイって! 今ポイってした! 当然そこは喫煙スペースなんかじゃない。はぁー……危惧していたことが現実となってしまった。

 こんな状況、普段であれば間違いなく知らぬ存ぜぬで素通りだ。しかし……。


『そんなに正しいことが大好きなら、駅前で路上喫煙、飲酒してる若者を注意してきたら?』


 などと一度叩きつけられたセリフが隣からまた飛んできそうだ。


「まさに名にたがわぬ、不正なものの浄化ロンダリング

「え、なに、ロン……?」 

「あーなんでもない、ただの独り言」


 いかん、心臓ばっくんばっくんしてきた。

 腹をくくれ、大丈夫、きっとお兄さんたちも話せばわかってくれるはず。いきなり怒鳴られたり胸ぐらつかまれたりはさすがにないだろ……いやでもやっぱ怖えよ。

 ワンチャン、保科が気づいてなければ……うわ、ダメだ、がっつりあちらさんを捕捉している。クッソ、ここまでか。マジで嫌だけど仕方ねえ……。


 ――よし。


「保科はここで待っ――」

「引き返そ。こっちはあとでもう一回くればいいし」

「…………え? や、だって……ポイ捨て」

「いいから。ほら、戻ろ」


 保科は俺が指をさす方向とは正反対に歩きだした。


 彼女が肩にかける『クリーンな街へ』と願いが込められたタスキは、やや早歩きな歩調に合わせて微かに揺れる。

 短パン少女の後ろについて歩くだけの冴えないアラサーはなすがまま。


 意外だった。敵前逃亡に対して「ダッサ」と心ない一言で、背中を撃ち抜くタイプだと思っていた保科の方から撤退命令を下すとは。


「「…………」」


 ふたたび訪れた無言の間。俺はそれに耐えかねて、


「へっ命拾いしたな」


 話の切り口としてそう吐き捨てた。して、捨てたならば。


「なにそれ、負け惜しみ?」

「いや違う。拾った命は俺の方な。あー助かった」


 俺は歩道わきに転がっていたエナドリの缶を拾ってゴミ袋に放り込む。

 かこん。音をたてた瞬間、


「――っく、ふふっ、あははははは!」


 無邪気な笑い声が俺の耳をくすぐった。


「はーーーっ……お腹痛い。急にカッコつけてきたから、イキりだすのかと思った」


 不機嫌そうな顔と無愛想な顔しか見たことなかったから。

 それに出会いが最悪だったのもあるんだろう。

 クールな印象だった彼女のくしゃっとした笑みに……不意を突かれた。


「――ねぇってば、聞いてる?」

「お、おう?」


 俺としたことが、目に浮かんだ涙を拭う彼女の仕草に見惚れて何も聞いてなかった。


「公園であたしが言ったこと、相当気にしてるでしょ?」

「ああ、自分の攻撃力ちゃんと自覚しといた方がいいぞ」

「だからそれはごめんってば。って、言いたいのはそうじゃなくて。あの時のアレはべつに悪いことしてる奴を注意しろって意味じゃないからね」

「わかってる。だがさっきのあれは……」

「隣に女の子がいるからイイとこ見せようって?」


 俺の沈黙を肯定と捉えたのか、保科はくすくす笑う。


「今まで揉め事は避けてきたでしょ。ビビってたの、バレバレだから」

「あっあのな、そりゃビビるに決まって――」

「じゃいいじゃん、逃げちゃえば」

「……逃げって……お前……」

「考えてみなよ。あそこで変な正義感だしてあの人たちがそれを受け容れても、なくても、変わらないよ。仮にポイ捨てやめてもさ、絶対その場だけだし改心するわけないじゃん。だったら、あとから捨てられたタバコを回収しても同じでしょ」

「そう、だろうけど。でもこの『クリーン活動』ってタスキすげー目立つし……」


『もしもし、あーうん、今向かってたとこなんだけどぉ』

『うわーピックアップすり抜けたー! 闇鍋すぎんだろこのゲーム!』

『お姉さんたちカラオケとかってお探しでない?』


「……周りだって見てるだろ」


 自分の肩にかけられた蛍光色のタスキを眺めていた時だった。


「どうしてそこで周囲の目を気にするの?」

「……えっ」


 首を傾げた彼女になんでと問われて俺は固まった。


「だって、あ、いや」


 あれ、俺の方がおかしいのか? 周りの視線とか、どう思われるとか、ふつう気にしないか……?

 もしかして俺が今まで気にしていたことって他人には説明しないと伝わらないもの、だったりするの?


「アンタの言う周りの人って、つまりポイ捨てを注意しなかった人でしょ。なんで何もしない、してくれない人たちの方を気にするの? 現にあたし達はゴミを拾って集めてる。たとえ通行人が「ポイ捨てを見逃した」って批難してきても、それって清掃してる側だけに許された行為? 違うでしょ。注意なんて誰がしたっていいし、ゴミを代わりに拾ったっていいんだから」


 あれ、なんだこの感じ……。


「ただタスキを気にしてるとこは、まぁ、わからなくもないけど。看板に傷がつくような行動を嫌うのは、アンタが会社の名前を背負うような業務に就いてるからだろうし。でも、そうやって全部まじめに受け止めちゃうと、今アンタが持ってるそれみたいになっちゃうよ」


 保科が火バサミの先端をゴミ袋へ向ける。


「いっぱいになった袋に無理やり詰め込んだら破れるし。ほどほどに力、抜かないとね」


 ……もしかしてこいつ俺を励ましてる、のか?


「ま、そうやって逃げた先で? 酔っ払って女の子に絡むのはどうかと思うけどね~?」


 なんと憎たらしい微笑み。これは単に煽られて、からかわれてるだけかもしれん。


「ご忠告どうも。俺からもお礼に教えてやる。組織に所属すると袋がぱんぱんだろうが、無理に引き伸ばしてでもゴミを入れるスペースを確保することはままあるぞ。若いうちから慣らしておくのも悪かないし、いざとなりゃ……」


 路上に置き捨てられたみんな大好きストロング缶を拾い上げて一言。


「コレに頼って中身を無理やり吐き出してリセットだ」


 これだから社畜はって呆れられる、ユーモア溢れるブラックジョークのつもりだったんだ。


「……そんなものに頼るくらいならさ。まずはアンタのなかに最初から存在して無駄に場所とってる、その見栄と虚勢にまみれたくだらないプライド。ここで捨てちゃえば?」


 そう言って、保科は袋の口を大きく広げる。

 まるで、この腕の中に飛び込んで来いと言わんばかりに、大きく。


「いいよ。今ならあたしが代わりに拾ってあげる」




『道迷っちゃってさ、予約してたお店って…………――――』

『貯めてた石ぜんぶブッ込んだのに引退案件…………――――』

『この紙を見せれば、ルーム料金50%オフと飲み放題が付くんで…………――――』


 ――――あれ、音が……消えた。

 近くを走る車の音も、さっきまで聞こえていた誰かの話し声も、煩わしかった街の喧騒がすべて聴こえなくなった。

 街に俺と保科の二人だけが取り残されたかのような、そんな感覚に陥った。


 彼女はじっと不思議そうに戸惑う俺を見つめている。

 大きな瞳でまっすぐに……誰でもない、ただの青瀬三春を。


「ほら、はやく」

「……っ」


 捨ててしまっていいのだろうか。

 雑踏に紛れて誰の目にも留まってこなかった空っぽのゴミは思い悩む。

 そして考え抜いた末に出した答えはカランと、胸がすく音を響かせた。

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