ばいばいホームラン 表

 日曜の朝七時。


「くぅあ~~~っあー……」


 見渡す限りの草原と気持ちのいい朝陽がどうしようもなく大きなあくびを誘った。


 桃川河川敷グラウンド。

 関東地方を流れる一級河川・桃川に沿って作られた運動場であり野球ができるほど広い。

 そんな場所に俺は上下あずき色のジャージ、いわゆる芋ジャージを着て訪れていた。


 ダダンダダン、ダダンダダン、ダダンダダン――橋梁きょうりょうを走る電車が鳴らす一定のリズムはやがて遠くに。

 そして聞き慣れた電車の音に打って変わって、


「今日こそ白黒ハッキリさせてやらぁ! 覚悟しろよサルヤマ工業ォ!!」


 酒やけした渋いおじさんの怒声。


「テメェの方こそ尻尾巻いて逃げんじゃねえぞイヌマタ建設ゥ!!」


 それに対するおじさんの甲高い声は叫びすぎてもはや裏返っていた。

 そのせいでしばらく何を言っているか聞き取れなかったが、


「「アアン!?」」


 いがみ合う二人の仲がたいへんよろしいことはわかった。

 眺めていて微笑ましい犬猿の仲。腐れ縁というやつだろう。


「つまりグローブが受けでバットが攻めだコラ~♪ OKコラか~小夜っち? 栞センセ?」

「ええと、う、うん。たぶん大丈夫!」

「バト×グロ……ボールの存在もあるからグロは総受け、把握!」


 コラコラコラ、こっちも腐ってたかぁ~……。


「ほら、その手の話は南畑くんも苦笑いしてるしやめて差し上げろ」

「えー……なに常識人ぶってんの。三春っちもこういう話好きなクセしてさ」

「俺は常識あるつもりだし、好きでもないが……って何してんだカリン」


 芋ジャージに身を包んだアイドルは左手にはめられたグローブを前に突き出し、右手に持ったバットはお腹の前へ。これだけなら剣道の構えのようにも見える。


「栞センセ!!」

「はいッ!」


 掛け声とともにカリンの背後に回った来栖さんがしゃがみこみ、ハグするようにして両手に持ったボールを股ぐらにセットした。


「さぁー! ばっチ○コーいッ!!」

「……フッ――あっ……」


 俺はすかさず口を手で覆った。

 自称十八歳アイドルの渾身のネタがくだらなすぎて逆に笑ってしまった……不覚。


「わぁ二人とも息ぴったり! カリンちゃん、栞先生こっち向いて~!」

「月見さんも運動会の親みたいなテンションで撮影するのやめなさい。この人たち調子乗っちゃうから、ほら携帯しまって」


 やれやれ顔を浮かべる南畑くんの隣で、保科が心底呆れた口ぶりで言った。


「はぁ……あのさ。どんな話で盛り上がってても構わないけど……グローブって言い方するの古いらしいよ。いまはグラブ」


 ボトッ。わななくカリンの手からグロ――グラブが抜け落ちた。いいぞ、もっと言ってやれ。


「それから薄ら笑ってるアンタも、若い子は『携帯』より『スマホ』だから」


 ボトッ。俺の顔から表情がこぼれ落ちた。


「オメェらそろそろ準備運動の時間だァ! しっかりほぐしておけ! 怪我しちまうからな!」


 言い争っていたおじさんの号令で各自ウォーミングアップを開始する。


 本日の青春活動は『野球を楽しもう!』。


 なんでもイヌマタさんとサルヤマさんは建設会社の経営者で、互いに自社の社員で構成された草野球チームを有していた……のだが、年々メンバーは減っていく一方らしい。

 まぁ会社の飲み会みたいに敬遠されているのだろう。そういう世の中だ。

 そしてついに最低必要人数を割った。


 野球をしたいが両チームとも人数不足では始まらないし、助っ人も用意できなかった。泣く泣く試合を見送ろうとしていたところ、そこへ来栖さんが名乗りを上げたそうだ。


 それにしても、彼女はいったいどこからそういう話を持ってくるのだろうか。来栖ネットワーク、恐るべし。


「ねぇ」

「ん?」


 若干の倦怠感を含んだ呼びかけに、ストレッチに勤しむ俺は反射的に聞き返した。


「そうやって体を伸ばすんじゃなくて、動かすことを意識した方がいいよ」

「へぇ。伸ばすんじゃなくて動かす……」

「わからなければあたしのやつマネして」


 いまいちピンときてなかった俺に示してくれたストレッチには、迷いがなくこなれていた。


「保科は何かスポーツでもやってるのか?」

「陸上やってた」


 ほーん、ね。


「なにその顔。べつにアンタが考えてそうなことは何もないから」

「なんだよ考えてそうなことって」

「怪我で仕方なくとか、金銭面でやめるしかなかったとか、その辺」


 ……鋭いな。


「違うなら遠慮なく訊けるな。種目は?」

「長距離」

「長距離かぁ辛くて苦しいイメージが強いわ。走るの好きなのか?」

「どちらかといえば……まぁタイムが縮まれば嬉しかったかな、前に進めてる感じがして。でも陸上を選んだのだって単純に、時と場所を選ばないで道具も使わずに一人でやれるからだし、そこまで思い入れがあるわけじゃないよ……てか何これ。尋問?」

「悪いわるい。お詫びに俺への質問があればなんでも答えるぞ」

「興味ない」

「……さいですか」


 俺と保科が準備運動をしていると豪快な笑い声が近付いてきた。


「君たちが来てくれて助かった。五十対五十、サルヤマとの差をつける大事な試合だったんだ。打倒サルヤマのために二人の力を貸してくれぃ! わはは!」


 声をかけてきたダンディなこのお方は我らが大将イヌマタさん。


 厳正なるくじ引きの結果、俺と保科はイヌマタさん率いるパワフルドッグスに入団した。

 ちなみに南畑くん、カリン、来栖さんはサルヤマさんのウィズダムモンキーズへ配属され、月見さんは審判員になった。


「いえ、感謝されるほどのことじゃ。それよりも累計百戦ってところに驚きですよ。サルヤマさんとの付き合いはどれぐらいになるんですか?」

「中坊からの付き合いだからもう五十年近いな」

「ごじゅっ……!? そこまで続く因縁の戦いってのもすごいですね」


 イヌマタさんはどこか照れくさそうにサルヤマさんたちの方を見やった。


「あのジジイとの因縁の発端は学園のマドンナだったキジサキさんという麗しい女性を巡ってのことだった」

 

 なるほど、ひとりの女性を同時に想ってしまったと――って、もしかしてこれ昔話突入パターンか?


「来る日も来る日もどちらがキジサキさんに相応しいオトコかサルヤマと競っていたんだが……そんな日々も、たった一人の野郎が終わらせちまった」

「横槍ですか。無粋ですね」

「忘れもしない、そのオトコの名は――」


 イヌマタさんが遥か遠く、思い出の彼方を見据える。


 ……ずいぶん引っ張るとこ申し訳ないんだけど、その男の人ってオニなんとかさんなのでは。

 イヌマタ、サルヤマ、キジサキ、そしてここは桃川グラウンド。

 これを偶然とは思えない。本命はオニジマと睨んでいるが……


「キビ ダンゴロウ」


 そっちかー……グンッと落ちる見事なフォークボールだ。


「最初は俺もサルヤマも、キビの野郎を認められなくてな。何度も衝突した。そしてぶつかってるうちに気づいちまったのよ、キビのオトコ気――その魅力にな」


 犬、猿、キジ。キビダンゴロウさんの魅力に落ちてしまうのも無理ないかと、とはさすがに言えなかった。


「……良い関係を築いてこられたんですね」

「ああ。ただしあのジジイは別だがな! わはは!」




 ――イヌマタさんの清々しい表情が雄弁に語る。

 きっとそれが彼の青春なのだろう。五十年ものともなれば輝きも段違いだ。


 はたして俺はそんなものを手に入れられるだろうか。

 年季の入った借り物のキャッチャーミットを手にはめて、褪せてしまった元の色を想像するように追憶する。


 学生時代あのとき、イヌマタさんたちのように真っ向からぶつかっていれば――とタラレバの話。

 バットが攻めでグラブが受けか。俺はグラブしか使わなかったからな……。ボールを受けてばかりのこれまでだった。

 そんな俺が、二十八年目にして初めてバットで打ってみたボールはちゃんと誰かの手に渡るのだろうか。


「……そろそろ始まるみたい。行こ」

「ん、おう!」


 俺はこれが独り善がりなワンサイドゲームではないことをただただ祈るばかりだ――。




 パワフルドッグスVSウィズダムモンキーズ。九十分、7イニングスゲーム。月見さんが張り上げた「プレ~ボ~ル!」の掛け声が戦いの火蓋を切った。


 打席に立ったトップバッターの好青年が俺を見下ろす。


「お手柔らかに」

「フ、その余裕ヅラいつまで続くかな」


 即席バッテリーの絆をみせてやるよ。

 心の中で息巻いた俺のサインに投手のおっさんがうなずく。

 振りかぶって――カキン。

 南畑くんが涼しい顔で捉えた球は三遊間を抜ける。


「お先に」


 あなた運動もできるんですか。そうですか。


 ――二番打者。


「よろしくお願いしまッす!」

「来栖さん、大丈夫ですか? 張り切りすぎて怪我とか……」

「ふふ、青瀬さん私を甘く見ていますね? しかし、これを見ても同じことが言えますか?」

「っそれは……! まさかッ!?」


 間違いない。ジャージのポケットから取り出されて黄金に輝くそれは招待制のスポーツジム、オリハルコンジムのメンバーズカード!


「こうみえても私、毎月会費を支払っていますので」

「金払ってるだけかよ」


 ブン、ブン、ブン。それはもう華麗なスイングだった。


 ――四番。


「真論カリン、いっきまーす!」


 バットを掲げ威風堂々、ホームラン宣言。

 来栖さんもだったがここまで純粋に楽しめているならなによりだ。微笑ま――カッキィーン。


「っしゃコラァ!!」


 腕だけじゃねえ。このアイドル、全身を使ってボールをもっていきやがった……。


 ――こうして怒涛の初回は五失点で終えた。

 空は雲ひとつない快晴だというのに、開始早々すでに雲行きが怪しかった……。

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