ばいばいホームラン 裏


「もう一点たりともあのジジイにくれてやるか! いくぞオメェら反撃だァ!」

「「「応ッ!!」」」


 イヌマタさんがチームの士気を鼓舞こぶして、反撃の狼煙のろしを上げた。これはほんの一時間前の出来事だ。

 白熱したゲームも七回表が終了した今では――


「ヒーヒヒヒッ! 大したことねぇなイヌマタァ! やっぱりテメェにゃ『負け』がお似合いだぜェ!」

「んだとこの野郎ォ!!」


 奥歯を食い縛っていたイヌマタさんが吠えると「バットはまずいです社長!!」と社員一丸となって止めに入っていた。今日イチのチームワークである。


「はっはっは、元気だなぁイヌマタさんたち」


 おそらく火の勢いが強すぎたんだ。我がパワフルドッグスの陣営は焼け野原で、イヌマタさんの上げた狼煙は被害の大きさを知らしめただけだった。


「残念な結果ではあるが楽しめたし、これはこれでめでたしめでたし」

「ねぇ、勝手に終わらせないでよ」


 打順を待っている間、念入りに素振りする保科は見るからに虫の居所が悪い。


「そうは言うが……」


 スコアボード最後尾に記された数字に思わず苦笑い。


「ダブルスコア。これはさすがに仕方ねえって」

「何が仕方ないの?」

「いや、だから……。そんなツンツンすんなよ。一発も打てなくて面白くないのはわかるけどさ」


 ブンッとバットが力任せに振るわれる。図星か。


「そっくりそのまま返す。まだ試合終わってないじゃん。ここで最後打てるかもしれないし、サヨナラホームラン……だっけ、逆転だってあるでしょ」


 保科は相当な負けず嫌いのようだ。

 それは結構なことだが野球はチームプレイ、一人が身勝手に感情を撒き散らせば空気が悪くなるだけ。


 実際に課長もよくイライラを表にだすが部下のパフォーマンスは一向に上がらずに低下する一方だし、唯一の成果といえば裏でコソコソ陰口を叩かれるくらいだ。


「これくらいでムキになるなよ。だいたい保科がヒット一本出したとこで試合はひっくり返らない。今回の活動内容覚えてるか? 野球を楽しもうだ。野球で勝利しよう、じゃないぞ」

「野球で敗北しようでもないけどね」

「……あのな、保科だってゴミ拾いのとき自分で言ってたろ」


『いっぱいになった袋に無理やり詰め込んだら破れるし。ほどほどに力を抜かないとね』


「ほどほどに力を抜かないとねって。こんなことでいちいち本気だしてたらそれこそふくろが持たねえぞ」


 熱心に繰り返していた素振りを中断して、ようやく保科がこっちを向いた。


「……あれはそういう意味で言ったんじゃない。それに本気をだしてたらって? 普段から本気をださない奴がぶっつけ本番でだせると思うの?」

「本気をだせる、だせないは論点じゃないだろ。決めるときは決める、それでいいんだよ。この試合はその時じゃないってだけ。イヌマタさんには悪いけど、残り一回で倍の点差を覆すなんて現実味がなさすぎる。保科のその諦めずに本気で勝ちにいくスタンスってのは大切で良い事だと思うがな」

「ならアンタもそんな惰性じゃなくてさ、実践してみたら。大切で良い事なんでしょ?」


 ほんと生意気だ、九つ離れた人生の先輩によくそこまで強気に出れる。俺って想像していたよりも舐められてる?


「老婆心ながら言わせてもらうわ。社会にでりゃ結果がすべてで、過程が評価されるのは学生までだ。負けは負けで頑張ろうが手を抜こうが変わらないんだよ。……認めたくないが俺は着実に若者側じゃなくなってきてる。やる気がわんさか湧いて出た学生時代あのころとは勝手が異なって、エネルギー供給が追いつかない現状は限られた資源を効率的に使ってかないといけない……無駄遣いはできないんだよ」


 ちょっと早口すぎて疲れた。

 俺はバットを地面に突き立てて、ほんの僅かに体重をかける。


「反対に、エネルギーが有り余ってるナウでヤングな保科さんは、なんでもかんでも情熱をそそげば一瞬でキャパオーバー……簡単に袋がビリッと破れちまうぞ? 充分に気をつけるこったな」


 と言ったそばから保科のキリッとした大きな目が俺を見据えて物申す。

 あの公園の再現。彼女の堪忍袋がびりびりに破れた。


「口を開けば勝ち敗けや結果って。あたしやイヌマタさんよりもアンタの方がよっぽど勝敗にこだわってるかもね。……そうだ、試合前に無いって言ったアンタへの質問だけど一個あった」

「ほお? 言ってみ、なんでも答えてやるよ」

「じゃあ教えて。エネルギーが有り余ってて、過程が評価されてたはずの学生時代。逃げだす時いったい何を言い訳にしてきたの?」


「………………は?」


 保科が再びバットを握る。


「本気で悔しがるイヌマタさんが負け犬なら、その様子を薄ら笑うアンタはパブロフの負け犬。条件反射で負けても平気な理由や失敗した時の言い訳を、必至に探して咥えてきては自己正当化して。今だってあたしがアンタにかけた言葉を盾に使ったもんね。でもあれは充分がんばった人へ向けたものなの。がんばらない人の拠り所とするために送った言葉じゃない」

「なっ……おまッ!」

「あたしを逃げる言い訳に使わないで。あたしはアンタの安酒になるつもりはないから」


 ――ビュン、そしてカキンと空耳。一度だってボールにかすりもしなかったバットでヒットを叩き出された。


 彼女が打った球は……いや、撃った弾は的を射た。


 保科はバッドなヒットマンだ。

 彼女の銃弾ことばはひとつひとつが俺の神経を逆撫でする。癇に障る。頭に血が上る……どころか血が噴き出してる。重傷だ、蜂の巣だ。出血多量のせいで体が冷たく、冷静になってくる――ふぅ。


 ゴミ拾いでは逃げろと言ってここでは逃げるなと言ってくる矛盾ガールとの付き合いは二週間かそこら。おまけに歳も離れてる。

 そんな彼女に知ったふうな口を利かれ俺はというと顔真っ赤。暑さのせいだと言い張るには少々ムリがあった。それほどまでにカッとした。

 思い当たる節がないのなら涼しい顔をしていただろうに。




 俺は誰かに胸を張って自慢できるような技能も、実績も、何もない。隠れた才能がとか、実は~もなく、本当になんにも。

 まあまあ勉強ができて、ほどほどに運動ができる器用貧乏。

 どんなことでも一番にはなれなかった俺が人並み以上なものをあえて挙げるならそれは、捨てたはずのプライドの高さと嘘の上手さ。


 しかし嘘と一口に言っても騙すのは他人ではなく俺自身だ。今の今まで嘘で自分を納得させて誤魔化してきた。しかも歳を重ねていく分だけ嘘に磨きがかかるんだから我ながら末恐ろしい。

 欺くコツとして嘘の中に真実を混ぜると信憑性が増す、なんてよく耳にするがその通りだと思う。


 俺の場合、その混ぜこむ真実ってのが――


「……『正しさ』だ」

「それは質問の答え?」

「あ、ああ。俺はそれを理由に、言い訳にしてきた」


 言ってしまえば、その逃げ癖こそが俺のアイデンティティということになるんだろう。


「っそ。教えてくれてどうもありがとう」

「…………どういたしまして」


 これでも、小学校で体験する「みんな下を向いて目を瞑って」の挙手に匹敵するぐらいの、とにかく凄い勇気を振り絞ったんだが軽くいなされた。


「楓ちゃ~ん! 順番だよ~!」


 両手を使った文字通りのお手製メガホンによる伝令。月見さんに呼ばれた保科はバッターボックスへと向かう。


 遠ざかっていくジャージにはでかでかと『アオハル学級』の刺繍が施されている。贔屓目に見てもクソダサい。

 いつもなら「感情に任せて人格否定も辞さないような小娘の妄言」などと保科の言い分を一蹴し、非常識と書かれたレッテルを相手の背中に――クソダサ刺繍の上に貼りつけて終わりのはずだった。


 そう、いつもなら。

 今日の俺はその背中を「なぁ」と呼び止めた。


「なに?」


 振り返った保科の拒絶の意を示す眼に、やはりと再確認。

 俺はこの真っ直ぐな眼がどうも苦手だ。


 アオハル学級のみんなが芋ジャージズボンのなか、なぜか一人だけ生脚が強調されるハーフパンツ。その美しいおみ足で、的確に俺の地雷を踏み抜いていく保科楓が嫌いだ。


 苦手で嫌いにも関わらずどうしてなのか。なんで保科から嫌われたくない俺がいるんだ。




 顔をしかめて眩しい太陽から目を逸らすように。グラウンドの踏み荒らされた雑草まで視線が下がった途端、強烈な青臭さが鼻をつく。


「……パブロフの負け犬根性が染みついてっからよ、本気のだし方も知らないんだ。生まれたての小鹿みたいな、俺のたどたどしい手探りの本気でも……笑うなよ」

「うわ、いちいち陰湿。べつに笑わないってば」

「そうか、ならいい。それといまさらだけど」


 準備運動の時に保科がしてくれたように、俺はバットを握って見本を示す。


「こう持ってみたらどうだ? あと、保科は余計な力が入りすぎな気もする」

「……ふーん。アンタ、野球やってたの?」

「やってない。基本ルールをなんとかってレベル。中高と学生の頃は人気のない部活に入って幽霊部員……ほぼ帰宅部だった」

「の割には偉そう」

「まぁ、ただの受け売りだから参考にするかどうかは保科の自由だ――」




“真夏にそびえるカエデは燃ゆる闘志を宿し、その葉を紅く染める。一見して自由なそれは、ど直球どストレート。驚くほど素直だった”

 ――青瀬三春 植物観察日記九日目より抜粋。




「ほーんと、ごっめんね~楓っち? 思い出に打たせてあげたい気持ちもあるんだけど、勝負だからさ? なんだかスポーツ少女楓っちのお株を奪ったみたいで~申し訳ないコラ~」

「全然。気にしないでふつうに投げてもらって構わないけど」


 マウンドからのマウントを見送り。バットを構える保科はとてもリラックスしているようだった。

 きっとどこかの優しい誰かが彼女の蓄積された鬱憤を一身に引き受けたおかげだろう。


 パシィン――キャッチャーミットが唸り、バットは空振り。

 そして続けざまにバシンッ!


「くっ……!」


 保科はよろけるほど盛大に空振った。


「ストライク~ツゥ~!」


 月見さんが必死に声を出す。もう後がない保科だが諦観した様子は露ほども感じられない。


「はーい、次で終わらせるコラよ~ラスト一球~☆」

「余裕こいてるアイドルに一発ぶちかましてやれ嬢ちゃんッ!! おら、オメェらもちゃんと声だしやがれッ!!」

「「「応ッ!!」」」


 ボロボロのベンチから送られる甲子園の応援団も顔負けであろう声援は、夏も仕事を投げ出すほどのアツさだった。そして、そのアツい期待に保科は応えた。


 カキィン――今度は空耳じゃない。

 晴れ渡った青い空に金属音を響かせて打ち上げられたボールを、俺はバカみたいに目で追った。

 たぶん、保科も同じだったんだと思う。


「走れェーッ!!」


 イヌマタさんの大声で保科が動く。

 美少女らしからぬ走りで一塁を駆け抜けた保科は二塁目前で決死のスライディング。


「……そこまですんのかよ」


 ぶわりと舞った土煙が保科を呑み込んで、それを見守る俺の手は知らないうちに拳を握っていた。


「ハァ――ハァ――」

「ぐぬぅ……無念ですッ……!」


 判定はタッチの差。セカンドの来栖さんはがっくり肩を落とした。


「っしゃァ! 見たかサルヤマァ!!」

「キャンキャン吠えんじゃねェ! 点が入んなきゃ意味はねえんだよブァーカ!!」


 そうだ、サルヤマさんの言うとおり。

 点が入らないと意味を成さない。結果がすべてだ。

 であれば――


「うへー三春っち、それ意趣返しのつもり? バット掲げてホームラン宣言なんて失敗したとき超恥ずかしいよ~?」

「バットゥ、しかし! 成功したら超格好いい、だろ」


 カッコいいと思った。

 本気をだすための練習ってやつをあいつはひたすら続けてきたんだろう、ちょっと引くぐらいの全力疾走を見ればわかる。

 その最高にカッコよかった走りに……俺も続きたい。そう思わせるのはきっとなんだろう。一歩踏み出した今の俺に足りないものはスタートではなくダッシュだからな。


「……え、もしかして今バットと英語のButをかけたの……? もう派手に空振ってるけど大丈夫?」

「心配してくれるなら早く投げてくれ、間が持てない」


 スベったせいで俺の精神力は持たなかったがゲームは持たせてみせる。

 ――カッ。――バツン。――キン。芯を外した不恰好な音が「次はいける」と俺を後押しする。


「頑張るね~しつこい男は嫌われるよ~?」

「……え、マジで?」


 ――コキン。

 ちょっと揺らいだ。


「今のでもう何球目のファウル?」

「さあな。俺は過去を振り返らないタイプだからいちいち数えてない」


 というのは大嘘。

 俺の人生ダルマさんが転んだのエンドレス。

 後ろしか見てないもんだから人生のヤロウ一歩も動けずにいるよ。ちなみにファウルは七球目――バット、だが!

 どうせ数えるなら、あと何点で追い抜けるかの方が建設的。

 そして頭を使わない、疲れない計算方法。スコアが倍の差ならその倍、倍々差をつければいい。天才だな。


 サヨナラホームランならぬ、倍々ホームランだ。


 カリンの奥、二塁で準備万端な保科と目が合って一人うそぶく。


「さっきのは謝れない子供な保科さんに代わって大人な俺が折れてやっただけだし。俺はやらないだけでできないわけじゃないんだよ……それを二塁そこからしっかり見とけ、俺の本気ってやつをな」


 これが最後の負け惜しみ。バイバイだ、言い訳ばかりの俺――――この鉄のような意思が逃げる選択肢を潰した。

 ドッ。音というよりも振動。

 左大腿部だいたいぶに走る鈍痛どんつう


「ぬわーーっっ!?」


 俺はその場で泣き崩れた。


「デ、デッドボォ~ルゥ~!!」

「……あははー……ご、ごめーん☆」


 今日はいささかヒットマンが多すぎた。




 青春とは残酷なもので懸けた想いが天に通じるとは限らない。

 脚の痛みが引くよりも早く、試合にはあっさりと負けてしまった。

 両トップを交えた試合終了のやかましい挨拶を終えて、俺はベンチで大腿部を労わる。


「痛そ」

 

 飲み物を二つ持った保科が片方のペットボトルの底で俺の肩をつつく。


「……ああ、痛い。痛いのでつつくのやめてもらっていいですか」

「そっち?」


 俺が保科の武器を奪おうとした時、


「っぶな。投げるなよ」

「……ごめん。手が滑った」

「そうかよ」


 不満はあれど受け取ったことに変わりはないので、礼を済ませありがたく命の水を頂戴した。


「あーあ。明日にでも太ももの局所的部位に突如ミステリーサークルが出現するんだろうな」

「痣になるって普通に言ってよ……。っていうか、それミステリーじゃなくない?」

「……ん? というと?」

「怪我を負った原因はアンタが諦めないでカリンに喰らいついたからで、がんばったからじゃん。痣が浮かんでもそれは原因不明じゃないってこと。だからミステリーサークルよりもむしろ――」


 スコアボードに刻まれた大差。

 だがそんなもの彼女には関係ないらしい。なぜなら――


「『たいへんよくできました』のスタンプじゃない?」


 彼女には裏表がない。

 笑わないって約束は、アスファルトの上で揺らめく陽炎のように儚いものだった。

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