春、来たる

 ぱちくり。

 目を覚ますと入居時の数ヶ月間は寝室だったロフトが視界に入る。しかしそれも大昔の話で今は電気ストーブさんが俺を見下ろすだけの物置と化していた。


「首、痛ってぇ……」


 初ボーナスで奮発したソファーでも、ベッドとして使うには若干肘掛けまくらが高すぎた。

 なんとか倦怠感にあらがって携帯を取り出し時刻を確認する。


 午後二時過ぎ。

 なんてこった。すでに貴重な土曜日やすみの半分が終わってる。

 つけっぱなしだったエアコンもゴーゴーと嘆き悲しんでくれている。ありがとな。


 どうせゲームか動画、映画、アニメの映像三銃士を見るだけの休みだが、そんなもんでも俺にとっては大事なわけで……。


 ふと、河合のように昔に戻りたいと思える青春の日々を送っていれば、休日の使い道が異なる未来があったんだろうか、なんて頭をよぎる。

 友だちと遊びに出たり、恋人ができてそのまま結婚したり……や、それはねぇか。


 昨晩河合と飲んだ内容も、どうやって帰宅したのかすらもおぼろげだってのに、あの公園での一件はしっかり記憶してる。

 それこそ動画を撮ってたようにはっきりと鮮明に。


「あいつ、ネットにあげたりしてない、よな」


 別にやましいことはしてないし言ってもない。が、ひゅんと背筋が冷たくなった。


【酔っ払い、公園、アラサー、イケメン】検索。


 ……よし、とりあえず情報の大海原には漂流していないようで胸を撫で下ろした。




『初対面なのによく知ったふうな口叩けるよね』


 歯を磨いて、風呂で頭と体を洗っても、こびり付いて落ちない言葉よごれ。それを気にしつつも遅すぎる昼飯……いや朝飯? の準備に勤しむ。


 冷凍庫パカ。袋ビリ。レンジにドン。600Wでピ。

 ここまで十秒、次に約五分間のシンキングタイムに突入した。


 初対面なのによく知ったふうな口を叩けるって?

 はい、ごもっとも。彼女は一昨日の俺。昨晩は彼女の心のパーソナルスペース、その排他域はいたいきにまで俺が踏み込んでしまったのだ。


 ……だとしてもだ。


 酒の勢いもあった、俺も悪かったよ。だがアレはちょっと……あの時は頭が回ってなくて、ただただ圧倒されただけだった。それが今になって怒りがふつふつと湧いてきやがる。

 つーか人格否定も混じってなかったか? 可愛いからって何を言っても許されるわけじゃねーんだぞ。世の中の男どもがヨシとしても、俺は許さない、絶対に。




 ……でもまぁ『正しいだけの自分に酔ってる』ってのは、悔しいけどそのとおりなのかもしれない。


 正しさは、それだけで理由になるんだよ。

 相手を。

 自分を。

 偽っちまう理由に。


 俺の人生を振り返ればたった一度を除いて、あとは正しさを優先したものばかりだった。

 その結果がいまに繋がってて、それが間違っているとも思わない。


 ……だが、これが正解だった、選んでよかったと胸を張れないのも本当だ。

 過去の自分に自信をもって同じ選択を迫ることができるか、そう問われれば首も振れずに黙ってしまうだろう。


 言ってしまえば、間違っていないだけの人生だ。


 あー……この体に浸透するムカムカモヤモヤが居酒屋での日本酒によるものならば、前半のビールもひょっこり顔を出すもんで。


 昨日のロンダリングガールが青春を謳歌せし者ならば俺は……あの人、なんて言ってたっけな。


「青春を謳歌せし者の対義語……」


 こぽこぽ。冷蔵庫から取り出したコーラをコップにそそぐ。

 残念ながらお茶は切らしてて、水道水飲まない主義の俺は仕方なく甘味な黒い汁を――


「あ、くろい。そうだ、黒春だ。んでたしか謳歌の韻を踏んで、おーうかく……」


 黒春を覆い隠せし者。

 真っ暗な春の中にいりゃ隣の青春は青く見えるってか?


 憧れの女子と晴れて恋人同士。

 夏祭りや修学旅行といった一大イベント中に友人グループから抜け出して秘密のデート……のような甘い青春。


 部活のみんなと切磋琢磨した最後の夏を超えて、進路に悩みながらも友達とファミレスやカフェで受験勉強に励む……みたいな熱い青春。


 こんな青春の代名詞なら、誰が見たってそのほとんどが眩しく感じる。


 ならば、バトルロイヤルゲームなのに友達に共謀され袋叩きにあったとか、連載漫画の展開を予想しあう学校帰りの電車内とか、放課後の教室で白熱するアニメ談義、なんて日常的なものはどうだろうか。


 それらを思い浮かべて僅かでも口もとが緩めばそれは紛れもない青春だ。


 俺にはその笑みも眩しい。


 俺だって青春の一つや二つあったさ。だが、そのどれもが思い出したくもない過去との抱き合わせ、アンハッピーセットだ。

 そんなもん注文した覚えがないのにレシートにはしかと記載されている。


 俺は純粋な、楽しかっただけの思い出を欲している。

 あの頃に戻りたい、あの頃はよかったと振り返れる過去を欲しているんだ。


 青春という青い宝石は極めて資産価値が高い。

 時が経てば経つほどに際限なく価値が跳ね上がる。

 思い出は美化されつづけて輝きを増していくからだ。


 俺は宝石を持っているやつが羨ましい。嫉妬してる。だってずるいだろ、持っているだけでいいなんて。

 それが隣に転がってたら、やっぱり届かないって頭で理解していても反射的に腕だけでも伸ばしちまうんだよ。


 それさえ手に入れば俺の止まったままの――チーン――こが動きだ……す。


 このタイミングでシンキングタイム終了の報せとは恐れ入った。

 電子レンジさん、魔法少女が変身中でも問答無用で攻撃するような外道だったか。


 ……やめやめ、しょうもな。メシの時間だ。

 俺の手が届くのはせいぜいこの冷凍食品ぐらいってもんよ。


「あっち!?」


 電子レンジからメシを取り出すたびに思う。冷凍食品の進化は著しい。とくに俺はこのトレイ付きのスパゲティを好む。

 美味い、早い、皿使わないの三拍子は忙しい主婦や独り身の味方だ。


 個人の見解だが家電四天王は冷蔵庫、洗濯機、エアコン、そして電子レンジ。最有力候補たるテレビはほとんど見ていない。虚無モード時になんとなく番組流すくらいだ。


 とりあえず最初に挙げた四つの家電を揃えることが、新生活の第一歩と……一歩。


『一歩踏み出す勇気』


 二日酔いのごとく頭に響くメッセージ。

 たった今容器のフィルムを捨てたゴミ箱には、その忌々しいメッセージの送り主である彼女の連絡先がぶち込まれてる。


「勇気って」


 自分で言って笑ってしまう。

 もうシンキングタイムも終わっていれば、人生の前半戦も過ぎようとしている。

 そんな大人に向けて投げる言葉かよ。


『青春をその手で作りませんかッ!?』


 そう言われて「はい! 作ります!」と快諾するアラサー男はこの地球上に存在するんだろうか。もしいるならそいつは――。


   ◇   ◆   ◇


 魔が差した、としか言いようがない。


「青瀬さんから連絡を頂いた時、私嬉しくなって思わず庭駆けまわっちゃいましたよ!」


 日曜の十五時過ぎ。

 とある雑居ビルの通路を先導する来栖さんの口から、童謡の『ワン』フレーズが飛び出した。


「はは、猫はコタツで丸くなるってやつですか?」

「はい? 青瀬さんちゃんと聞いてましたか? 私が庭を駆けまわったって話ですよ」


 え、怒られた。比喩じゃなかったのかよ。


「……でもまだ正式に『アオハル学級』に入ると決めたわけじゃ……」

「はい、わかってます!」


 来栖さんが勢いよく扉を開けて部屋に突入する。この人、本当にわかって――




「っ……これは」


 それは二度と嗅ぐことはないのだろうと思っていた、鼻をつくひどく懐かしい臭いだった。


 視界に飛び込んできた机と椅子は、木目調の天板にスチール製のフレーム。

 ワックスがけされた床板は光沢があって、奥に見える黒板はチョークの消し跡が目立つ。


 その光景は懐旧の念を抱かせると同時に胸を強く締めつける。

 だけど、それだけじゃない。

 窮屈な胸のずっと奥で、期待に心躍らせる自分がいた。


「みなさんにご紹介します! ささ、青瀬さんっこちらに!」


 ドクン、ドクンと。

 高鳴る鼓動に背中を押されるようにして俺は一歩、踏み出したんだ。


 廊下と教室の境界を跨ぐ。


 黒板の方を向いていた四人が振り返った。

 そのうちの一人。


「「あっ……」」


 アルマジロは身を守るために。

 猫はコタツで。

 そしてあの夜出会った、


「あれ? 青瀬さんと保科ほしなさんはお知り合いでしたか?」


 ロンダリングガールは椅子の上で丸くなる。

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