ロンダリングガール
……待てよ、黒っぽいような服だしアルマジロよりもダンゴムシと形容すべきだったか。
気配を殺し膝を抱えて丸まった姿は一種の防衛本能なんだろうし、我ながら的確な表現だと思う。
――ぐすん。
はぁ……。なにも俺は夜間の公園で独りブツクサ言っていたわけじゃない。だからといって先客の少女に話しかけていたわけでもない。
俺は近寄りがたいヤバそうな人を演じることにより少女が公園から立ち去ることを期待したんだ。
なぜか。それは俺がいつリバースしてもおかしくない状態に加えて、まだここから動けそうにないからだ。
しかし彼女は警戒して丸まっているだけで転がっていかない。ローリングしてくれない。
――ぐすん。
遠くで聴こえる電車の音より、アンノウンな虫のさざめきよりも、俺の耳は少女の鼻すすりを優先して拾いあげる。
泣いてる……よな、これ。
横目で観察していると彼女は防御姿勢を解き、スタンダードな座り方になった。
サンダルに足を通した少女はショーパンに半そで。余所行きじゃなくてルームウェアって感じだな。時間帯、服装的にもこの辺に住んでる子なんじゃないかな。
「む……っ!」
「……」
目が合った。
毛先が軽やかにはねた銀色のミディアムショートが風に揺られて、前髪のかかった大きな瞳がこちらを凝視する。
その目もとはなんとなくだが腫れぼったい。
やっぱり泣いてたんだろうな。
全体的に細身だけど出るとこ出てる、そんな彼女の印象は月並みだけどモデルやってそう――などと冷静を装ってみたが、なんだこれ。
蛇に睨まれた蛙みたいになってしまった……。
本音を言えば今すぐ逃げだしたい。けどまだ酒が抜けてない。抜けていないからこそ、気が大きくなっちまったんだろう。
追い込まれた蛙は大きく息を吸って体を膨らませると、
「振られたのか?」
ゲコッと威嚇する。
セリフの抑揚が絶妙なさじ加減。役者にはなれないと悟った。
しかし改めて、すげー髪してんな。銀髪て。いや綺麗だけども。仮に同級生だったら絶対に近付かなかったタイプだ。
整った容姿と髪色も相まって、きっと学校では男子生徒たちから『氷』を連想させるような異名で呼ばれ、もてはやされているに違いない。
そんな順風満帆なスクールライフを謳歌していそうな美少女が、ひとけのない夜間の公園でうずくまって涙を流すワケ。それ即ち恋愛絡みと酒の入った頭ではそんな陳腐な方程式しか浮かばなかった。
ま、浮かんでも解き方わからないんですけどね。
「……」
「……」
じっとこちらを見つめてくる彼女は無表情。こうしてみるとお人形さんみたいだ。
「ちょっと飲みすぎてご覧の有様だ。ぼーっとしてんのも味気なくてつい話しかけちまった、ごめんな」
素っ気なく手でひらひらあおいで様子を窺う。
ジャブを打ったつもりだが反撃は……ないな。
振られたうんぬんの否定もない。つまり俺の予想は当たった……?
何はともあれこのまま無視されて無言も気まずいし、もう少し攻めてみるか。
河合、お前の言葉借りるぞ。
「青春だねぇ。でもアラサーの俺と違って君はまだこれからだろ。働いてると業種によっては出会いもめっきり減るし、自分から動かないと難しいもんだ。おかげで独り身……君の場合は可愛いし、すぐに彼氏の一人や二人できるって」
で、ここは励ます感じで。
「そんで振った彼氏に後悔させてやればいい。見返すためにも今こうしてうつむいてるヒマがもったいねーぞ、時間は有限だからな。社畜のおっさんが言うんだ、説得力あるだろ?」
渾身のおっさん自虐ネタは俺の乾いた笑いで終わる。
だがここまでの反応を鑑みるに、実はこうやって喋りかけられるのを期待してたんじゃないのか。
酔っ払いに絡まれてんのに逃げださないのがその証拠だ。
人生イージーモード、青春を謳歌せし者。
座ってるだけで周りから一目置かれ、小さなため息ひとつで「どうしたの? 何かあった?」と心配されてきたんだろう。
そんな天然かまってちゃんオーラが俺には見えるぞ。
もわんもわん、むんむん。俺もそのオーラにまんまと引き寄せられたんかね。
飛んで火に入る夏の虫。
自分から飛び込んで、熱い青春にその身を焼かれ、燃えカスが土に還る。
足もとに捨てられている花火セットの
ほぼ新品の
砂埃を被ったこの靴も、そろそろ買い換えないとな。
「……みんな大なり小なり悩みを抱えてる。君だけが苦しいわけじゃないんだ……っと、ごめんな、急に。さすがに、みんなも頑張ってんだから君も頑張ろうは社畜脳が過ぎたか。でもほら、そう考えたら少しだけラクにならないか? なんて……」
アルコールを抜くつもりが毒抜いちまった。
そろそろ潮時か。
「こんな夜中に女の子が一人で出歩いてちゃ危ない。親御さんも心配してるだろうし、余計な迷惑かけちまうぞ。俺みたいな赤の他人に……――ッ!?」
「――急に黙ってどうしたの?」
突き放すような冷たい声。
再び俺は蛇に睨まれた蛙となった。
しかし今回の蛇は隻眼。
俺に向けられたスマホのレンズがこちらをじっと捉える。
「ほら、続けなよ」
「いや……それっ……!」
もしかして動画……撮影されてる? 嫌な汗がツーっと頬をつたう。
「なに、記録されたらまずいようなことでも言ってるの? あ、それとも顔? なら安心してよ、暗いからそこまではっきり映ってないよ」
「い、いやっ……そういう問題じゃ……」
ベンチから立ち上がった少女はどんどん俺に詰め寄る。
「赤の他人。初対面なのによく知ったふうな口叩けるよね。よかれと思ってアドバイス(笑)してるんだろうけど、そんな中身のない話で気持ちよくなってるのが自分だけだってわからない? おっさん的にはセックスのつもりなんだろうけどさ、延々と自慰行為を見せつけられてるだけのあたしの身にもなってよ」
彼女が手に持ったカメラは止まらない。そして俺へのご意見も止まらなかった。
「内容も謎の上から目線。恋愛できないことに年齢や仕事を引き合いに出してる時点でお察しだけど、なんでも自分に非はないって考え方の人? 独り身の原因、仕事が忙しい以外にもあるんじゃない?」
すまん河合、巻き込んだ。
「それから俺下心ないんでアピールも透けて見えて気色悪い」
放心状態のアラサー、という撮影シーンはまだまだ続く。
「しかも中途半端に同調して励ましてきといてさ、最後は結局説教の流れ。そんなに正しいことが大好きなら、駅前で路上喫煙、飲酒してる若者を注意してきたら? 理解ある大人を装ってきたくせに、相手が引いてるのも気づかないでベラベラ喋って、その歳になって人との距離感も掴めないんだ?」
圧倒された。
開いた口が塞がらないし、思考もまとまらない。
「も、申し訳ありゃせん。飲みすぎて、ちょっと、酔ってて」
「飲みすぎて酔ってる? 違うでしょ」
スーッと意識が遠のいていくなか、生ぬるい風が吹く。
風が運ぶはむせ返るアルコール臭――ではなく、フレグランスな香り。
「アンタは正しいだけの自分に酔ってるの」
真夜中の公園に独り、アルマジロのように体を丸めていた少女。
彼女はロンリーガールにあらず。ローリングガールにもあらず。
俺が吐き出した不浄な空気も、思考も、酔いも。
女の子の甘い香りによってすべてを洗い流した彼女は、ロンダリングガールだった。
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