第24話 Re:Start

 

 ——Re: Re:8月1日。午後6時32分。


 薄暗い部屋の窓ガラス越しに映る空虚な世界を眺めながら、穂積由衣は昨夜の出来事を静かに振り返っていた。


 深月が辿り着いたこの世界の成り立ちと真実。そして、胸の中に確かな質量を持って留まる『後悔』という言葉の残響……。

 深月があの場でこの世界の真実を解き明かした時、由衣を含めた全員が当然のように沈黙した。しかしそれは、あまりの衝撃で言葉が出てこなかった……というわけではなかった。むしろ、その逆。


 由衣は、当時の感想をフラッシュバックする。



『——ああ、やっぱり』



 きっと、自分以外の少女も皆、同様の感想を心の中で述べたのではないだろうか。

 由衣は、窓ガラスに反射する自分を見つめながらそんなことを思った。


 ……みんな、顔や声には出さないだけで、薄々気づいてたんだと思う。

 ただ、それを言葉にして理解することが、とてつもなく怖かったというだけで——。


 それを理解し、認め、受け入れてしまえば、またあの記憶と向き合うことになる。

 ……自分の弱さを、醜さを、痛いほどに突きつけられてしまう。


 それが嫌で、わたしたちはこの現実から必死に目を背け続けてきたんだ。



 ——だけど、それももう終わり。



 わたしたちは知ってしまった。見て見ぬふりは出来ない。

 向き合うほかに、もう道は残されていない。



「……あ、あの、由衣さん」



 ふと、昏い夕陽が差し込む部屋の陰から、由衣を呼ぶか細い声が聴こえてきた。

 由衣は窓の外に向けていた視線を、薄く開いた扉へと向ける。



「……茜音ちゃん。どうしたの?」



 声の主である緒方茜音にそっと問う由衣は、これまでの思考を一時放棄し、いつも通りの丸く柔らかな声音で言葉の続きを促す。



「深月ちゃんが呼んでるっス。昨日のことで話があるって……」


「……うん、わかった。今、行くよ」



 そう言って茜音が去ったのを確認するなり、由衣は再び窓ガラスに目を向け、そこに映る空虚な世界と自分の虚像に深くため息を漏らした。


 部屋を出て、エントランス脇のダイニングルームへと向かうと、既に由衣以外のメンバーが静かに待機していた。



「ごめんなさい。お休み中だった?」



 つい先ほどランニングから帰宅したばかりらしい深月は、首にかけられたタオルでしきりに頬を伝う汗を拭いながら由衣に訊ねる。



「ううん。それより、話って昨日の……」


「ええ」



 冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをそっと口元に運びながら答える深月。

 小窓からは世界を焼き尽くすような赤々とした夕陽が差し込み、ダイニングルームに集まったそれぞれの横顔をささやかに照らしている。


 これから一体、何が話されるのか。皆、理解していた。

 理解していたからこそ、「話したくない」「聞きたくない」と、誰もがそう思った。同時に、「話し合わなければならない」とも思った。

 そんな矛盾した感情の中で深月は、飲みかけのミネラルウォーターを冷蔵庫の奥へと戻し、静かに口を開いた。



「……一晩、真っ暗な部屋で考え事をしたわ。私たちの『後悔』がこの世界の核になっていることは理解できた。けれど、それからどうすればいいのか、私にはまるで見当もつかなかった。過去に囚われるがあまり、同じ時間を繰り返してしまう現象を引き起こしている私たちは、これから一体何をしなければならないのか。どうすれば、私たちは『あの日』をやり直すことが出来るのか……。一晩中、寝ずに考えてみたけれど、その答えは見つからなかった」



 深月は、露出した左膝に浮き出た古い傷痕をまるで愛でるかのようにそっと指でなぞり、そして続ける。



「——だけど、思ったの。この世界が、本当に私たちの後悔を核としているなら、世界の方から私たちに歩み寄ってくるはずなんじゃないかって」


「……それってつまりぃ~、あたしたちは何もしないで、ただ待っておけばいいってこと~?」


「そういうことだと、私は解釈したわ」



 ダイニングテーブルに上半身をぴたりと付けたまま問うましろに、深月は微笑を携えて答える。



「た、ただ待ってるだけでいいんですかっ⁉ なんか、こう……探索とか抜け穴探しとかしなくて大丈夫なんですかっ⁉」


「……今更、何したって無駄でしょ。意志を持った世界相手に、わたしたちが出来ることなんて何もないんだから」


「……意志を持った、世界……」



 あたふたと身振り手振りをふまえ、念を押すように確認する茜音と、それを極めて冷静に諭す咲希。そんな彼女が発した言葉を呟くように繰り返す由衣。


 皆、それぞれの考えは異なり、本当の意味でその答えに納得できているものは一人もいない。それでも、そうすることが現状における最善手だということだけは、確かに理解していた。



「……みんな、決して誰にも打ち明けず、今日まで心のうちに抱え続けてきた『何か』があるはずよね。誰にもその痛みを理解されず、理解されたところでどうなるわけでもないその想い。いくら消えて欲しいと願っても、絶対に消えてはくれないその記憶。……きっと、そう遠くないうちに、私たちはそれと向き合うことになる。……その後悔を打ち明ける日が、必ずやってくる」


「深月ちゃん……」



 そんな深月の覚悟を決めた表情に思わず声を漏らす由衣には、彼女の言葉の一つ一つがまるで鋭利なナイフで付けた傷痕のように確かに刻まれていた。

 そして、茜音も、咲希も、ましろも、それと同様の想いで彼女の言葉に耳を傾け続ける。



「——でも、わたしはそれを恐ろしいことだとは思わない。だって、ここには……この空っぽの世界には、わたしと同じ境遇の少女が四人もいるんだもの。それに今は、『過去と向き合う時間』なんてものは、あいにく無限といっていいほど有り余ってることだし」



 そう言って、皮肉交じりの言葉を世界に送る深月の姿を見て、他の少女たちも一人、また一人と表情に余裕を取り戻していった。



「……確かにその通りっス! ……そ、それに、やってくるのはおっきな怪物でもなければ、恐ろしい殺人鬼でもない! 単なる記憶の再現……ただの思い出なんスから! 何も怯える必要なんて無いんスよ! ど、どんと構えて軽々乗り越えてやりましょうっス‼」


「そーだそーだぁー。このあたしに攻略できないゲームなぞ、この世に存在しないのだぁ~。ハッハッハ~!」


「……ゲームと現実はちょっと違うと思うけど、でも……うん。わたしも元の世界に戻れるように頑張るよ!」


「……まぁ、馬鹿騒ぎするつもりも、仲良しごっこするつもりもないけどね」


「あー! また咲希さんそんなこと言って~。せっかくこうやって出会えたんスから、仲良くしましょうよ~」


「…………そのテンションで絡むのやめてくれない? はっきり言って鬱陶しい。ウザい」


「なんでそんなこと言うんスかぁ~! ましろさんもひどいと思うっスよね! ねっ‼」


「サキサキはさぁ~、ツン要素多めのツンデレなんだよぉ~♪」


「……ちょ、ちょ、ちょっとましろちゃん! 咲希ちゃんの額に、す、筋が浮き出ちゃってるよ‼ は、早く謝らないとっ‼」


「あたし~、し~らないっ♪」



 ——それは、彼女たちがこの世界で目覚めてから初めて見る景色だった。

 まるで、ずっと昔からそうだったように、互いの心を通わせる日常。

 それが今、その空間には確かに存在していた。

 そして、そんな彩のついた暖かな場面を視界いっぱいに収める深月は、ホッと安堵するかのように口元を歪ませ、その温度に向かってゆっくりと溶けていく。


 小窓から見える空の色は次第に深い藍色へと変わり、世界を覆う影が夜の到来を静かに報せる。

 

 蝉は鳴かず、カラスは羽ばたかない。


 そんなどこまでも静かな世界に、小さな笑い声だけが確かに木霊していた。

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