第23話 悔いの痕

 

 ——Re: Re:8月1日。午後6時8分。


 真昼の熱気が尾を引く夏の日暮れ。

 世界を朱色に染める柔らかな光と、それに照らされるいくつもの『箱』。そして、微かに香る夜の匂い。

 ただ、それだけを残して全てが消え去った静寂の世界で、彼女たちは空を見上げていた。


 白髪の少女は、モニターに映る無人の荒野と共に。

 小柄な少女は、部屋中に散らばったいくつものラクガキと共に。

 ポニーテールの少女は、頬を伝う汗と共に。

 眼鏡の少女は、日に焼けた文庫本と共に。

 黒髪の少女は、窓ガラスに映る自身の鏡像と共に。


 皆それぞれ異なる空間にいながらも、その瞳に映る色と考えは同じだった。



 ***


 ——Re: Re:8月1日。午前0時6分。



「……それ、どういうことっスか?」



 深月の発した言葉に、その場にいた少女たちは思わず目を見開く。

 そんな、誰もが彼女の言葉の真意を気にする中、真っ先に声を上げたのは茜音だった。



「分かったかもしれない……って、どうして自分たちがこのおかしな世界でこんな状況に置かれてるのかが分かったかもしれない……ってことっスか⁉」


「ええ」



 約二週間もの間、彼女たちは自分たち以外の人間が存在しない寂寥な世界でこの夏を過ごした。

 その中で、いくら知恵を合わせても答えの欠片すら見つけることのできない多くの謎に、彼女たちは直面してきた。


 自分たち以外の人間が存在しない理由。

 蝉の鳴き声も、鳥の囀りも聞こえない理由。

 一人でに電車が動き出す理由。

 そして、時間が過去へと跳躍する理由。


 しかし今、その真相に一人の少女が近づきつつあった。

 彼女——水嶋深月は、他の少女たちに向かってゆっくりと口を開く。



「まず、この世界は現実じゃない。本城さんが立てた仮説が、恐らく正しいと思う」


「仮説って~、『この世界はあたしたちが見てる夢』……っていう、あれのことぉ~?」


「そう。それと、由衣さんが言っていた〝シンクロニシティ現象〟。きっとこれも正しい。……この世界は他の誰でもない、私たち自身が創り出した世界ということで間違いないと思う」


「……自分で言っておいてなんですが、深月ちゃん。その根拠は……」


「それを今から説明するわ」



 ましろ、由衣からの問いかけに対し丁寧に答えを返す深月は、そう言って再びモニターの前に立つ彼女たちに視線を向ける。



「今日までこの世界でなんとか生活を送ってきて、ここが私たちの知る現実世界じゃないことは、もうみんなも理解出来ていると思う。……ここは夢の世界。私たちの望みが、でたらめに張り付けされて出来た歪な世界……」


「ちょっと待って。……〝私たちの望み〟?」



 深月の発したその言葉に、咲希は大きな違和感を抱いた。

 それは他の少女たちも同じだったようで、皆、首を傾げて彼女を見つめる。

 咲希は、続けて疑問を投げかけようと口を開く。しかし、言葉が出るよりも先に、深月がその問いに対し、静かに答えを提示し始めた。



「……ずっと、不思議に思っていたのよ。どうして、私たちが選ばれたのか。どうして、過去に戻されるのか。……どうして、忌み嫌う夏の日々が繰り返されるのか。そして、気がついた。この世界で起こるすべての事象には意味があって、それは私たち自身に深く関係しているということを」



 彼女は続ける。



「——ねぇ。この世界で目覚める直前、貴方たちは最後に何を思った?」


「この世界で目覚める前……」



 そう言葉を繰り返す由衣は、時計の針を逆方向に進めるように、約二週間前の自身の記憶をゆっくりと遡り始めた。他の三人も、同様に記憶の引き出しを一つずつ開いていく。



 そして——



「あっ……」



 その場にいる全員が時を同じくして、その記憶へと辿り着いた。



 ある少女は、自ら捨てた『夢』の記憶を。

 またある少女は、視界を染める赤と鉄錆の匂いを。


 必死に忘れようと目を閉ざし、それでも決して消え去ってはくれないその記憶を、あの日、あの瞬間、彼女たちは振り返っていた。


 ずっと、誰もが疑問に思っていた。

 なぜ、互いの顔も名前も知らない自分たちが、あの日、同じ場所で目を覚ましたのか。

 共通するものなど何一つないと、誰もがそう思い込んでいた。


 なぜなら、彼女たちの唯一とも呼べるその共通点は、彼女たち自身が忘れたいと強く願っていた〝不の記憶〟だったのだから。


 それ故、本当の意味で心を開こうとはせず、決して人に話そうともしなかった。

 ……誰も、相手が同じ感情を抱いているとは思いもしなかったのだ。



 ——答えは、いつも自分たちのすぐそばにあったというのに。



 そして、少女は一つに束ねた深海色の髪を微かに揺らしながら、吐息と共に述べる。



「……固く瞼を閉ざし、無かったことにしようと決めたあの日の記憶。胸の中にまで浸透してくるような、耳障りな蝉の声。嫌なものはすべてあの夏に置いてきたはずなのに、どうしても振り返り、そして願ってしまう。


 もう一度、……もう一度、あの夏の日をやり直せたら、と——」



 誰も言葉を発さない。

 ただ、静寂な世界に伝播する深月の話に耳を傾けている。



「きっとこの世界は、そんな誰かの強い願いが反映され出来たもの。忘れたくても忘れられないあの夏をやり直すためだけに生み出されたその場限りの世界。だから、この世界には私たち以外の人間は存在しないし、蝉の声も聞こえない。……もう、分かったわよね」



 そう言って、深月は最後にその言葉を口にする。



「……ここは、私たちの〝後悔〟が創り上げた世界。私たちがしっかりとそれと向き合い、乗り越えなければ、恐らくこの繰り返す夏の牢獄からは永遠に抜け出せない。それが、この世界のルール。この世界の真実。……そして、この世界、唯一の攻略法なのよ——」


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