第22話 時の橋

 


 まるで、時の妖精にでも化かされたかのように、その日はあっという間にやってきた。



 この不気味で不可思議な世界で生活を送るようになってからというもの、久しく忘れていた『日付を意識する』という感覚。

 それが極限まで研ぎ澄まされた結果、彼女たちの体感時間は実際に経過した時間を大きく跳躍し、目的の今日へと至った。

 すっかりルーティンと化した日々の行動の全ても、彼女たちの一日をより加速させていたと言えるかもしれない。


 そんなこんなで、今日——二度目となる八月六日を迎えた彼女たちは、その超常的現象が起こる瞬間に立ち会うべく、凪波大学本館脇に聳える別館〈研究棟〉へと足を運んでいた。


 真っ暗な夜闇にひっそりと建つ、三階建ての無機質な横長の建築物。

 その壁面にはいくつもの窓が取り付けられていたが、ただ一室を除いて、辺りを寂しく照らす街灯の光だけが静かに反射していた。


 そして、唯一人工的な明かりを発している一室——扉に〈303〉と記載された部屋の中には、一台のデスクトップコンピュータを囲む五人の少女の姿があった。


 モニター正面には、刻々と時を刻むデジタル時計が大きく表示されており、現在の時刻は23時56分。まもなく、午前零時を迎える。


 モニターに表示されたデジタル時計からは決して聴こえてくるはずのない、コチコチという時を刻む音。それを頭の中に響かせながら、彼女たちはただの一言も声を発さず、その瞬間が訪れるのをじっと眺めていた。


 きっと誰もが、長い一年に幕が下り、新たな一年が始まる瞬間に立ち会った経験があるだろう。

 喜び、悲しみ、不安、安堵、驚き、そして、期待……。

 そんないくつもの感情と共に過ごした日々を振り返りながら、人々はこれまでの一年から次の一年に向かって時間の〝橋〟を渡る。

 自分を取り巻く世界に、これといった明確な変化が訪れないと知っていながら——。


 しかし、今、この場に集う彼女たちが渡ろうとしている〝橋〟の先には、不鮮明で不明瞭で、けれど確実な変化が待っている。

 世界に敷かれたルールに反する『過去への跳躍』という、到底信じられないような非現実的かつ空想的な現象が……。


 次第に彼女たちの脳内に響く幻聴は鮮明に、鼓動は速くなっていく。


 ……そして、ついにその瞬間はやってきた——。



「きた……」



 モニター画面に大きく表示されたデジタル時計の数字が、23時59分から午前零時へと変わったのを確認するや否や、それまで沈黙を貫いていた深月が思わずそう声を出した。



「ひ、日付は……!」



 やや上ずった声でそう呟く茜音に釣られ、全員が文字盤の左下に表示された年月日に注目する。

 そして、確かにそこに表示された見間違いようのない事実を瞳に映し、彼女たちは再び言葉を失った。



 〈20XX/8/1 0:00〉



 二度目となる、時間の巻き戻し。過去への跳躍。

 目の前に表示されたその事実以外、自分たちに起こった変化を確かめる方法が存在しないこの世界で、彼女たちはまたしても時間の牢獄に閉じ込められた。


 誰もが、その現実を素直に受け入れられずにいる中、少女は深く息を吐いた後でぽつりと呟きを漏らした。



「……決まりね」


「深月ちゃん?」



 何か大きな決断を下すようにそっと瞳を閉じて呟く深月を、疑問交じりに呼びかける由衣。二人を見つめる茜音、ましろ、咲希。


 深月はそんな彼女たちに向かって、静かに述べる。



「今ので、いくつか分かったことがあるわ」


「分かったこと……っスか?」


「ええ。一つは、私たちが今実際に目撃したように、時間の巻き戻し……タイムリープ現象は、八月六日から本来であれば七日の午前零時を以て行われるということ。それと、もう一つ……」



 いつかのように、言葉を並べながら指を伸ばしていく深月。

 そんな彼女の指が天井に向けて二本立てられたところで、深月は静かに、けれど確かな質量を纏った声音で言葉を続けた。



「……どうして、私たちがこの世界で目覚めたのか。……その答えが、分かったかもしれない」

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