第21話 Re:8月1日
——Re:8月1日。午前5時22分。
第二学生寮 ダイニングルーム。
薄明の空からこぼれる微かな光が差し込む室内。
その中央に配置された八人掛けの長テーブルに、それぞれ間隔をあけるように少女たちが腰を下ろしている。
彼女らを取り巻く空気からは、夏の朝特有の爽快さが一切感じられず、まるで世界の終焉でも知らされたかのように口を閉ざし、沈んだ表情を浮かべている。
そんな重苦しい空気が漂う中、一人の少女が口を開いた。
「……コーヒーでも入れるわね」
そう言って、席を立ちキッチンへと向かう深月。
「あ、わたしも手伝うよ」
「ありがとう由衣さん。でも、大丈夫よ。座って待っていて」
「あ、……うん」
深月を手伝おうと席を立った由衣だったが、絹のように柔らかく受け流す深月の言葉に従うことにした。
それからしばらくして、陰鬱とした空間には香ばしい芳醇な香りが漂い始めた。
「はい、どうぞ」
「さんきゅ~」
出来立てのインスタントコーヒーを注いだマグカップが、それぞれの席へと運ばれていく。
そうして、全員分を配り終えた深月は自身の席へ着き、まだ冷めぬコーヒーを一口啜ったところで静かに話を切り出した。
「……昔ね、主人公が恋人を救うために何度も同じ時間を繰り返すっていう、SF映画を観たことがあるの」
「どうしたんスか、突然……」
そんな茜音の声を無視して、深月は続ける。
「……あの時は、『何度もやり直しができるなんて羨ましい』なんて思っていたけれど、いざ自分が経験するとなると、そんな感情微塵も沸いてこないのね……。いい経験になったわ」
「……それ、本気で言ってるの?」
「ううん。冗談」
冷たい怒気の籠った咲希問いかけに、深月はいたずらっ子のような笑みを浮かべてそう返す。
「ほんと、全部冗談なら良かったのに……」
そう、自嘲気味に呟く深月の小さな声音は、限りなく無音に近いこの世界では残酷なほどよく響いた。
「……そ、そもそも! 本当に自分たち、過去に戻っちゃったんスか⁉ 時計が壊れてるだけって可能性は……」
「ん~、それはないかな~」
「ましろさん……。どうして、そう思うんスか……?」
茜音が抱いた当然の疑問に、ましろは溶けたチーズのようにテーブルへ突っ伏し、緩慢な速度で答える。
「サキサキとか~、ミズミズのスマホだけ壊れてるなら~、あかねるの言ってることも『それな~♪』って感じなんだけど~、研究室のPCもぜ~んぶ、そんな感じなんだよね~」
「……なるほど。そんな感じっスか……」
このましろの証言により、8月6日から突如として日付が8月1日に巻き戻ったことは、ほぼ確定的な事実となった。
少女たちは皆、その受け入れがたい事実に困惑し、そっと目を伏せる。
そして、再びの沈黙が訪れようとした時、咲希がふと疑問を口にした。
「……この世界、本当に現実なの?」
「どういうこと?」
そう、深月が真剣な表情で咲希に問い返すと、彼女は勢いよく席を立ち、まくし立てるように言葉を並べ始めた。
「改めて考えてみれば、現実と言い張る方がどうかしてるのよ。……だって、世界から突然、人やその他の生物がいなくなることなんて、普通に考えてあり得ると思う? それに電車が一人でに動きだしたり、ましてや時が戻るなんてこと、現実で起こるわけないでしょ? ……そうよ。最初から、受け入れるんじゃなくて、全てを疑うべきだったのよ……」
「あなたの言い分は確かに正しい。……でも、それじゃあ、この世界は一体何? 私たちは、今、どこにいるっていうの?」
咲希は、そう問いかける深月にそっと目を向け、静かにこう答えた。
「夢なのよ。これは」
「……夢?」
あまりにも現実逃避しすぎている答えに、戸惑いを隠せない様子の深月。
咲希の話に耳を傾けていた他の三名も、そんな咲希の言葉に思わず目を丸くした。
「……いや、咲希さん。お気持ちは分かるっスけど、さすがにそれはちょっと……」
「ふふ~♪ サキサキってば~、もしかして~、意外とドリ~ミ~?」
まるで揶揄するように彼女を諭す茜音とましろ。
そんな二人に対し、咲希は一切怒りを露わにすることなく、いたって冷静な口調で訊ねる。
「逆に聞くけど、……どうしてこれが夢じゃないと言い切れるの?」
「だ、だって! もしこれが夢なら、こうして意識がはっきりしてることも、こんな風に痛みを感じることもないじゃないっスか‼」
そう言って、茜音は自分の頬を強く捻ってみせる。
そこには確かな感覚があり、熱があり、痛みがあった。
だからこそ、これは夢ではないと、茜音はそう強く主張する。
「もしこれが、痛みを伴う夢だとしたら?」
「そ、そんなの……。現実か夢かの区別が、そもそもなくなっちゃうじゃないっスか!」
「そうよ。その通り。だから誰も、これが現実であると証明することは出来ないし、夢ではないと証明することも出来ないってわけ」
「うぅ……」
脳内では「そんなのおかしい」と主張を繰り返す茜音だったが、咲希の掲げる説を正面から完全に否定出来ないことを理解してしまったことで、小さく唸り声を上げた。
すると、そんな二人のやり取りを静かに傍観していた深月が、再びふとした疑問を口にした。
「確かに、本城さんの理屈は正しいと思う。でも、それならどうして、私の夢にあなたたちが出てくるの? あなたたちは、私が夢の中で創り出した架空の存在なのかしら。……もし、これが私の見ている夢だというなら、どうして目覚めることが出来ないのかしら。私はこんなにも、早く日常に戻りたいと思っているのに……」
「勝手にわたしをあんたの一部にしないで。わたしは、ちゃんと『わたし』として、この場に立ってるの」
「じ、自分もちゃんとここにいるっスよ!」
「mono選手も~、ちゃんと生きてま~す♪」
これは夢か現実か。
仮に夢ならば、一体誰が見ている夢なのか。
まるで、永遠に答えの出ない思考実験を課せられているような無間地獄に、彼女たちの脳は疲弊し、混乱し始めていた。
彼女がその言葉を発したのは、まさにそんな時だった。
「——シンクロニシティ……」
彼女たちの視線が、黒髪の少女へと向けられる。
「……由衣さん?」
深月がそう呼び掛けると、声の主である由衣は、何かを閃いたような表情で彼女たちに問いかけた。
「これ、……いわゆる〝シンクロニシティ〟ってやつじゃないかな?」
「……なんスか? それ」
どこからともなく現れた未知の言葉に首を傾げる茜音。
その横で耳を傾けていた深月とましろも、茜音と似通った反応を示していた。
「えっと……。ここで目覚める少し前、講義で教授が言ってた言葉なんだけど、確か意味は……」
「——〈共時性〉、もしくは〈同時発生〉とも訳される『意味のある偶然の一致』を指す言葉、またはその概念」
「そう! それそれ‼」
日付にして、つい先ほど。
体感にして、約一週間前の記憶を振り返っていた真横から、ほぼ正確な用語の説明を投げ入れてきた咲希に強く同調する由衣。
「もしかして、咲希ちゃんもあの講義受けてた? わたし、あの教授が何言ってるかほどんどわかんなくってさぁ……。もっと、噛み砕いた表現で説明してほしいよねー」
「あいにく、そんな講義を受講した覚えはないわ。……で、どうしてここでそんなワードが出てくるわけ?」
身に覚えのない親近感を勝手に抱かれた咲希は、きっぱりと事実を否定した後で訝しむように由衣に訊ねる。
すると由衣は、これまでの会話を整理しながら、自身の考えを説明し始めた。
「咲希ちゃんは、わたしたちが今いるこの空間が誰かの夢の中で創られたファンタジーな世界で、夢に出てくる自分以外の登場人物は全員、自分が無意識に創り出した架空の存在なんじゃないか……って、そう考えてるんだよね?」
「ええ、そうよ」
「だけど、みんな、自分はここに存在していると確かに実感してる。わたしだってそれは同じ。……だったらさ、考えられる可能性は一つしかないんじゃないかな?」
少女たちが皆、頭に疑問符を浮かべながらその可能性の正体を考える中、由衣はその可能性の答えを続けて述べた。
「——みんな、同じタイミングでまったく同じ夢を見てるんだよ」
それは、現実的な思考からは逸脱した答えだった。
この場にいる全員が、同じ夢を共有している。
そんな非現実的な可能性を、由衣はいたって真面目な態度で提示したのだ。
少女たちは、その瞳に困惑の色を浮かべる。
「……同時に、全員が同じ夢を……?」
「そんなことって、実際にあり得るんスか……?」
「……あり得るわけないでしょ」
「でも~、その『あり得ないこと』は、もう、と~~っくに起こってるよね~♪」
そして訪れる、再びの沈黙。
彼女たちは、そんな由衣の言葉を「あり得ない」と否定すると同時に、これまでこの未知の世界で目にした異様、感じた不安、体感した異常を思い返す。
人のいない街。
蝉の声が聞こえない夏。
一人でに動く電車。
形容しがたい真夜中の不安。
起こるはずのない時間の巻き戻し……。
この世界で目覚めてから何ひとつ、正常と向き合っていない。
彼女たちの周りには常に、不安が、未知が、異常が、あり得ならざる事象が渦巻いていた。
その事実に気付いた時、彼女たちは互いを見つめ合い、そっと笑みを浮かべた。
……そうだ。初めから、現実的な可能性なんて求めていなかった。
とにかく、この現状に対して何かしら理由を当てはめたかっただけだったのだ。
そう考えてみると、「夢の共有」なんて全然ありそうな話じゃないか。
ここで理屈を求め、原理や法則なんてものを考えたところで、自分たちには何一つ正しい答えは導き出せない。
ならば、それを今一度受け入れ、この異常に見合った打開策を見出していくしか、日常を取り戻す術はない。
偶然にも、全員が時を同じくしてそう考えを改めたところで、深月はすっかり温くなったコーヒーを一気に飲み干し、ほっと息を吐き出した。
「……確かに。私たちはずっと、長い夢を見ていたのかもしれない。ううん、今もこうして夢は続いている。……それなら、私たちが目指すべきなのは、『この終わらない夏の夢からの脱出』で間違いはないわね」
「……でも、脱出するって言ったって、何か良い作戦とかあるんスか?」
表情や声に隠し切れない不安が滲む茜音の疑問に、深月は首を振って答える。
「現状は分からないことだらけで、まだ作戦と呼べるものが何も用意できないっていうのが正直なところね」
「……まぁ、そうっスよね」
未だ希望の見えない現状に、視線を落とす茜音。
そんな彼女の様子を見た深月は、茜音に向けていた視線を由衣、ましろ、咲希へと向け直し、再び口を開いた。
「そこで、一つ案があるのだけど、聞いてもらってもいいかしら?」
少女たちはその問いかけに無言で頷き、深月は話を進める。
「二度目の8月6日を迎えるまで、今まで通りここで過ごしてみましょう。そしてこれからは、『時間の巻き戻しがどのタイミング発生するのか』、『巻き戻しには何か理由や原因が存在するのか』。……主にこの二点について詳しく調査していこうと思うのだけど、どうかしら?」
そう言って、深月は片方の腕を宙に持ち上げ、二本だけ立てた指を少女たちに向ける。
すると、その提案に耳を傾けていた咲希が真っ先に声を返した。
「いいんじゃない、それで」
「…………」
「……なに? 言いたいことがあるなら、はっきり言えば?」
「ああ、いえ。……正直、何かダメ出しされると思っていたから」
予想とは異なる咲希の返答に少し拍子抜けした深月は、ぽかんと開きっぱなしになっていた口を動かし、正直な感想を咲希へと伝える。
それに対し、咲希は呆れたと言わんばかりに大きな溜め息を一つ吐くと、静かに言葉を返した。
「これが現実でない以上、今さらどう足掻いても多分無駄だと思っただけよ。……それに、これが本当に夢なら、いつかは必ず覚めるはずだし」
「なるほど。確かにその通りね。……それで、あなたたちはどう思う?」
咲希の考えに苦笑しながらもその言葉に納得した様子の深月は、そう言って由衣たちに目を向ける。
「うん。わたしも特に異論はないかな」
「同じく~」
由衣とましろの二名についてはこれと言った反論はなく、残った茜音からも「自分も賛成っス」との返答があり、全員の意見がここに一致した。
こうして、夢か現かも分からぬ世界に囚われた五人の少女たちは、二度目となる八月の第一週目を日の出と共にスタートしたのだった。
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