第20話 異変

 

 午前4時34分。

 まだ、日も昇っていない朝の時間。

 穂積由衣は、目覚ましのアラームより大きな深月の声で目を覚ました。



「——由衣さんっ!」


「……んん~……深月ちゃん……? どうしたのぉ……こんな早くにぃ……」


「今すぐ、みんなを起こして‼ エントランスに集合よ‼」


「……えっ? ちょ、深月ちゃん?」



 明らかに普段と異なる深月の表情。そして、言動。

 寝起きの由衣でも、何か大変な事態が起こっているのだと瞬時に理解できた。



「わ、わかった!」



 考えるのは後回し。

 今は深月の指示通り、みんなを起こさなくては……。


 そう自分に言い聞かせ、由衣は慌てて部屋を飛び出すと、そのまますぐ隣の茜音の部屋へと向かった。



「茜音ちゃん! 起きてる⁉」 



 部屋の扉を数回ノックし、室内にいるであろう茜音に呼び掛ける。

 すると、しばらくして、中から派手に寝癖のついた茜音がひょっこりと顔を出した。



「……なんスかぁ~、こんな朝早くに~……」


「ご、ごめんね‼ でも、深月ちゃんがみんなをエントランスに集めて欲しいって……」


「……何か、あったんスか?」


「わからない……。と、とりあえず、下に来て!」


「わ、わかったっス……!」



 いまいち状況を呑み込めていない茜音だったが、場の雰囲気を鑑みて、ひとまず頷きを返すことにした。



 その後、安眠を妨げられたことで少し不機嫌そうなましろをなんとか説得し、二人でエントランスホールへ向かうと、既に深月、咲希、茜音の三名がソファーに腰かけて待機していた。



「みんな、朝早くに呼び起こしてしまってごめんなさい」



 全員が集まったことを確認するや否や、真剣な顔つきで謝罪の言葉を口にする深月。

 そんな彼女を見て、咲希は小さく息を吐き出すと、そっと話を促すように深月に訊ねた。



「……で? 一体何があったのよ」


「……まさか、自分たち以外の人間でも見つけたんスか⁉」


「……そうなの? 深月ちゃん」



 咲希に便乗する形で、興奮気味に訊ねる茜音と由衣。

 そんな二人の問いに、深月は首を横に振って返す。



「違うんスか……」


「……ん~……元の世界に帰る手がかりでも見つけたとか~?」


「…………」



 そんなましろの問いに対しても、無言の否定で返す深月。



「深月ちゃん……?」



 彼女は、自分がこれから話す『到底あり得ない事実』を告げるため、恐る恐る小さく口を開いた。



「……みんな。私たちがこの世界で目覚めてから、今日でどれくらい経つか覚えてる?」


「うーんと……。確か、今日で七日目……明日でちょうど一週間っスよね? それがどうかしたんスか?」



 彼女たち五人がこの世界で目覚めたのが八月の一日。

 そして、今日は七日目。


 この程度のこと、わざわざ訊ねなくても日付を見ればすぐに分かるのに。


 そんな疑問を抱きながら、深月の質問に答えた茜音は小さく首を傾げる。

 しかし、深月はそんな当たり前を承知の上で、再度彼女たちに問いかけた。



「……この中で、今日の日付を確認した人は?」


「いや、確認するも何も! 昨日が六日だったんスから、今日は七日に決まってるじゃないっスか! ……まさか深月さん、それを確認するためだけに、自分たちをここに集めたんじゃないっスよねぇ? ……ちょっと、勘弁してほしいっスよ~。ただでさえ、毎日早起きしてるっていうのに……」


「——つまり、緒方さんは確認していないってことね?」


「……ま、まぁ、そうっスけど」


「そう……」



 そう言って、茜音のうんざりとした様子には一切触れず、うなだれるように顔を背ける深月。



「ちょ、ちょっと! さっきから何なんスかホントに‼ いい加減はっきり言ってくださいっス、深月さんっ‼」


「そうだよ深月ちゃん! 日付が一体どうしたの? 言ってくれなきゃわかんないよー!」


「……ねぇ~~、ミズミズ~。あたし~、眠いんだけど~~……」



 焦らすように沈黙を挟む深月に抗議する茜音と由衣。

 一向に進展しない話に飽き始めたましろ。


 そんな彼女たちを見て、深月は意を決したように拳を握りしめる。

 そして、到底理解しがたい事実を告げるために、その震える唇を勢いよく開いた。



「実は——」


「——ちょっと……。何よ、これ……」



 深月の声を打ち消すように、突然咲希が呟いた。

 視線は、手元のスマートフォンに向けられている。


 まるで、見てはいけないものを目にしているかのような、恐怖と嫌悪と不可解が入り混じった複雑な表情でその場に佇む咲希。

 そんな彼女に一同の視線が集まる。



「……咲希さん、どうしたんスか?」



 茜音たちがそんな咲希の反応に疑問を抱く中、深月だけは彼女の心情を察することが出来ていた。


 それに対して咲希は、眼鏡越しに映るその理解不能な事実をしばらく見つめた後で、正面に鎮座する深月を忌むように睨みつけ、理不尽や不条理といった目には見えない敵に向かって強く舌打ちを返した。


 そして、何かを悟ったような穏やかな瞳で、彼女に言う。



「……あんたがなかなか口を開かなかった理由が分かったわ。……こんなの、受け入れられるわけないものね……」


「……どういう、ことっスか……? 説明してほしいっス……」



 その異変を知り、沈黙する二人に不安を抱く茜音。

 由衣もましろも、明らかな二人の変化に戸惑いを隠せずにいる。

 そんな状況を見て、咲希は一人深く重たい息を吐き出すと、そっと差し出すように手の中のスマートフォンを彼女たちへと向けた。



 ——瞬間。

 少女たちは、そのあり得ない事実を目の当たりにし、目を見開いた。



「……どうなってるの、これ……」



 誰も答えようとしない。


 ——否。


 誰も答えることのできない疑問が宙を漂う。


 彼女たちの視線は、スマートフォンの画面……いや、その中央に表示された時刻に集まっていた。



 現在の日時を正確に示す、『8月1日』と表示された、その無情な画面に——。


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