第12話 調査報告
——同日。午後8時48分。
凪波大学 第二学生寮 一階エントランスホール。
白と黒のタイルが敷き詰められ、複雑な幾何学模様が描かれた床。
高い天井に吊り下げられたシーリングファンと暖色系の電球。
中央にはいくつかの円形のソファーとガラステーブルが置かれ、壁際には多種多様な自動販売機が並んでいる。
そんな改築したての真新しい学生寮のエントランスホールで、ユニフォームから着替え、白のハーフパンツにグレーのパーカーを身に纏う長身の少女——水嶋深月は、ソファーから立ち上がり口を開いた。
「それじゃあ、それぞれ今日の調査結果を報告してもらえるかしら」
「あ、はい。じゃあ、わたしから」
飾り気のない黒のセミロングヘア。
愛玩動物を思わせる大きなブラウンの瞳。
白のTシャツに花柄のキャミソールと、色の薄れたデニムパンツ。
そして、服の上からでもわかる豊満な胸を携えた少女——穂積由衣は、ソファーに腰かけたままそう言って手を上げる。
「とりあえず大学内を見て周ったんだけど、やっぱりわたしたち以外、学生はいないみたいだったよ」
「学生だけじゃないっスよ。教授も、食堂のおばさんも、事務室の職員さんも、誰一人見かけなかったっス」
そう付け足したのは、くるりと癖のついた栗色の髪が特徴的な小柄な少女——緒方茜音だ。頭には真っ赤なベレー帽を被せ、白のTシャツにやや大きめのデニムサロペットを身に着けている。
「やっぱり、なんか変っスよ……。まるで、最初から誰もいなかったみたいじゃないっスか……」
そう言って、茜音は自分自身の目と肌で確かに感じたものを鮮明に思い返す。
普段、人の話し声で溢れる場所から人間の痕跡が跡形も無く消える。
それがどれほど不気味なことなのか、茜音は身をもって理解した。
「とりあえず、大学構内に私たち以外人がいないのは確定のようね。……それで、そっちはどうだった?」
由衣と茜音の調査報告を聞き終えた深月は顎に手を置き、少し考える素振りをした後で、視線を正面へと向けた。
「そっちと同じ。少し街まで出てみたけど、人どころか虫の一匹すら見当たらない。……それと、どういう理屈か知らないけど電車は動いてるみたいよ」
「えっ! ど、どういう原理で動いてるんスか、それ‼ 勝手に動くとか、怖くないっスか⁉」
「……うるさい。今、知らないって言ったでしょ」
「あ、あぅ……すいませんっス」
緩やかなウェーブのかかったロングヘアにシルバーフレームの眼鏡を携える少女——本城咲希は、終始落ち着いたトーンで報告を済ますと、前のめりになりながら割って入る茜音に鋭く冷たい双眸を向けた。
茜音はそんな凍てつく眼差しと声に委縮し、物陰に隠れるように会話からフェードアウトする。
その様子を傍らで眺めていた深月は、咲希の報告に今一度頭を悩ませた。
「そう、街にも……。たった数時間で、東京から人の……いえ、生き物の姿が消えるなんて、一体何が起こっているのかしらね。……夢野さん、あなたの方は?」
「ん~、全然ダメぽ~。一応ネットは繋がるんだけどさぁ~、どのSNSの更新も止まってるし、『BoF』も誰もログインしてないみた~い」
ソファーの上で胡坐をかき、振り子時計のように身体を左右に揺らしてそう話すのは、純白のショートボブに虚ろな瞳、その下に見える青黒い隈が特徴的な少女——〈mono〉こと、夢野ましろ。
膝丈まであるやけに大きいサイズの黒Tシャツ。
正面にはスプレーアートのようなフォントで『The Killer』の文字が描かれている。
下半身はTシャツの裾で隠れているため、もはや履いているのかどうか定かではない。
そんな一際異様な出で立ちをした少女は、相変わらず上体をゆらゆらと揺らしながら言葉を続ける。
「……これってなんかさぁ~、まるであたしたちだけ、別の世界に来ちゃったみたいだよね~」
ましろの声からは、不安や恐怖といった負の感情とは真逆の雰囲気が伝わってくる。
まるで好奇心旺盛な子供のように、この非日常を心の底から楽しんでいるような、そんな声。
「別の……世界……」
そう、ましろの言葉を繰り返す由衣の呟きが、しんと静まり返るエントランスホールを不気味に漂う。
——誰も、本気で信じているわけではなかった。
大きなの災害、無差別なテロ、未知のウイルスの蔓延……。
そんな突然訪れた脅威から身を守るため、皆、どこかへ避難しているだけだと、誰もがそう思っていた。
自分たちが昏睡状態にあったのはその脅威に巻き込まれたからで、しばらくすればネットなりニュースなりで現状を知ることが出来るはずだと、誰もが信じていた。
……けれど、そんな希望的観測ももはやここまで。
人々がどこかへ避難している可能性。——大いに有り得る。
他の生き物が未知のウイルスによって灰となり消えた可能性。——大いに有り得る。
何者かに衛星が破壊され、通信が困難になっている可能性。——大いに有り得る。
しかし、他でもない彼女たちの本能がそれらすべての可能性を否定していた。
——これは、そんな生易しいトラブルが起こっているのではない。
人知の及ばぬ〝何か〟によって引き起こされた非常事態だと、彼女たちの本能がそう告げていた。
重苦しい空気が漂う中、茜音が思い出したように呟く。
「そ、そういえば深月さんって、今までどこ行ってたんスか……?」
「あぁ、ごめんなさい。報告がまだだったわね。……私は、近隣の地下鉄駅を少し周って来たわ」
「地下鉄……っスか?」
そう言って分かりやすく首を傾げる茜音。
由衣、咲希、ましろの三人も、ちょうど茜音と同じの疑問を抱いているようだった。
深月はそんな彼女たちに対し、続けて言葉を並べる。
「この世界の異変に気付いた時、私が最初に考えたのは、核や生物兵器などの脅威から、皆どこか安全な場所へ避難しているという可能性。そして、仮にそういった事態が発生した場合、もっとも身近で安全な場所はどこか——。そう考えた結果、非常時には地下シェルターの役割も果たす地下鉄駅へとたどり着いたわけ。……まぁ、それも結局、無駄足になってしまったけれどね」
「……なるほど。そんなことまで考えてたなんて、やっぱり深月ちゃんはしっかりしてるね。わたしも何か見落としが無いか、もう一度記憶を整理してみるよ」
「ありがとうございます、穂積先輩。……でも、私はただ、いかにもそれらしい理由を付けて、見たくない現実から目を背けていただけなんです。……ごめんなさい」
「謝る必要なんて全然ないよ! だって、現実から目を逸らしたいなんて、多分、ここにいる全員が思ってることだもん。だから、そんなに気にしないで。……それと、わたしのことは普通に『由衣』って呼んでくれて構わないから。今は敬語も上下関係も無しにして、早くこの世界が何なのか突き止めないとね!」
必要以上に自責の念に駆られている深月に、それまで自己をあまり強調しようとしなかった由衣が優しく声を掛ける。
そんな由衣の考えは実際に正しく、この場にいる誰もが未だにこの現実を受け止め切れてはいなかった。
同時に、一刻も早くこの世界で何が起こっているのかを突き止めなければならないということも、全員が理解していた。
「……そうね。皆で、この状況を打破しましょう」
表情に凛々しさを取り戻した深月は、ソファーに腰かける四人の目を見て、そう強く宣言した。
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